第14話 祈戦士って...残酷だ
夜風が、屋上を吹き抜けていく。
冷たい空気が、頬を撫でる。
下を見下ろせば、街の灯りが、遠くまで続いている。
奈津紀さんは、自販機の缶コーヒーを僕に渡した。
そして、その手捌きのまま奈津紀さんはタバコに火をつける。
タバコの煙が、夜風に流されていく。
「さっきの勇気くんの表情は、顔に説明しろって書いてたからね。説明しないわけにもいかないね」
苦く笑った。
その笑顔には、疲れがにじんでいた。
僕は、缶を握りしめたまま、言葉を選べない。
缶の冷たさが、手のひらに伝わってくる。
でも、聞きたいことは、山ほどあった。
「あの怪物は……結局、なんだったんですか。人間、だったんですか」
ようやく言葉にすることができた。
「あれは前にも説明した通り、ダークメンシェってやつ。そして、ダークメンシェは簡単に言えば、心を追い詰められた人間が、人ならざる形になったもの。いわば怪物」
心を追い詰められた人間。
その言葉が、胸に突き刺さった。
──昨日見たあの人の苦しみ。
それが、怪物を作っていた。
「……でも、それって、つまり、どんな人でも、ダークメンシェになる可能性があるってことですよね?」
「そうね。心が追い詰められれば」
「そんな事が本当にあるんですね...」
そう、本当にそんなことがこの世界で起きている。その事実がいまだに信じられないし、信じたくもない。
「もちろん、人によるわ。なる人もならない人もいる。けれど、誰にでもなる可能性がある。だから祈戦士って存在が必要なの」
──誰でも、なる可能性がある。
頭の中で、そう理解した。
でも、その理解が、恐怖に変わっていく。
「……祈戦士はつまり、そのダークメンシェ、それと戦っているんですか?」
「戦うことはもちろんそう。けれど、戦うだけじゃない」と奈津紀さんは少し濁した後に続けた。
「その後に救っているのよ。ダークメンシェになった人を、元の姿に戻すために」
救っている。
その言葉が、頭の中で響く。
──確かにあの時、関野美桜は、不思議な天使を召喚し、そして戦っていた。
その後に、祈るようなことをしていた。
「……救う、って、あの祈るようをして、あの不思議な世界に入ってことですか?」
その言葉の後、あの時の不思議な感覚が蘇る。
「そうよ」と奈津紀さんは簡単と答える。「ダークメンシェの外殻を削って、心の世界に閉じこもっている本体の人自身を救い出す。だから、祈戦士は戦うだけじゃない」
そして間を開けて言った。
「だから祈戦士って言うのよ」
仕組みは何となく理解する事ができた。
けれど、まだ分からない事が多すぎる。
「そのダークメンシェって…ずっと、前からいたんですか?」
「うん。知っている限りだけど、古来からいる存在。ただ、昔は妖怪や怪談として、たまに現れるレベルとして扱われていた」
「たまに…」
「けれど、今は状況が一変した。テクノロジーの進化によって、スコア社会が実現した。その結果、増えたの。監視社会、競争社会、優しさが失われた社会。それが、ダークメンシェを加速させる原因になってる」
スコア社会が、怪物を作っている。
それは自業自得とも言うべきことなのかも知れない。
「……でも、それって。。スコア社会が悪いってことですか?」
「悪い、と決めつけるのは難しいけれど……でも、スコア社会は、人を追い詰めやすいの。競争、監視、承認。全てが可視化された世の中で、曖昧なものは評価されない。そう、たとえば優しさとかね。それが、ダークメンシェを増やす原因になってる」
──優しさが、評価されない。
頭の中で、そう理解した。
でも、その理解が、さらに混乱を生む。
「じゃあ、昨日の人は、どうして、人間に戻れたんですか?」
「祈戦士は、対象となるダークメンシェの本体、その心のコアに入って、痛みを受け止める。いや、肩代わりしてあげるの方が正しいわ。外殻を削って、内側のその人自身のもとへ入り込むの」
「……痛みを、肩代わりするって、どういうことですか」
「その人の苦しみを、自分の中に引き受けるの」と優しく言った後、急に冷たい静かなトーンになった。
「私たち人間が生み出す苦しみは、何かしない限り決して、自然に無くなることはない。誰かが向き合わない限り残り続ける。だから、厄介なの。心の内側に入り、ダークオーブという全ての負の感情が詰まった塊、あの黒い塊を取り出し、処理をする必要がある」
──負の感情の塊。
──ダークオーブ。
──処理をする。
頭の中で、少しずつパズルのように繋がっていく。
でも、その理解が、恐怖に変わっていく。
「……じゃあ、なんで、それを受け取る必要があるんですか!」
思わず語気に力が入る。
ダークオーブが、あの時見たとてつもない苦しみの記憶が詰まったものだとして、
それを味わうとなったのなら......
分からない。分からないけれど、想像をするだけでそれがどんなに苦しいことなのかそれだけは想像できてしまった。
「そのままにしておけば、いずれ消えるんじゃないんですか......」
「消えないの」と奈津紀さんは端的に結論を出す。
「ダークオーブは、誰かに引き受けられない限り、ずっと残り続ける。そして、誰かに乗り移る可能性がある。だから、祈戦士が引き受ける必要があるのよ」
──もし本当なのだとしたら、祈戦士になりたがる人なんていない。だって、それは残酷だからだ。
「もしそうなのだとしたら、祈戦士になりたがる人なんていない」と小さく呟いてしまった。
「そうね」
奈津紀さんは冷静に受け止める。そして続ける。
「けれど、この世界の維持のためにも祈戦士はいなければいけない。想像してごらん。昨日見たあんな怪物が放置されていたらどれだけ被害が出ることか......だから、誰かがやらなければいけないの」
「じゃあ、そんな祈戦士って……誰でもなれるんですか?」
「高い感受性、共感性といった優しさ、そして心の強さをもった人間のみがなる資格をもつの。選ばれた素質のある人が、なれるのよ」
選ばれた素質。
その言葉が、胸に突き刺さった。
──素質。
──自分もその選ばれた一人なのか
──母親が祈戦士で、その子供だから
頭の中で、そう思う。
でも、その疑問は、口に出さない。
「……選ばれた、って、誰が選ぶんですか?」
「素質があるかどうかは、生まれつき、そしてそれまでの人生経験で決まってる。でも、実際に祈戦士になるかどうかは、本人の意思も関係するわ」
──本人の意思。
頭の中で、そう理解した。
でも、その理解が、さらに混乱を生む。
しばらく、沈黙が続いた。
夜風が、缶の表面を冷やしていく。
僕は、缶を握りしめたまま、言葉を選んだ。
「……じゃあ、なんで、僕を連れてきたんですか」
その言葉を聞いた奈津紀さんは、タバコの火を指でつまんで消した。
少しだけ、肩をすくめた。
「勇気くん。あなたに一つ謝らないといけない、伝えないといけないことがあるわ」
──謝る、伝えるって。何を?
でも、その意味が、よく分からない。
「実はね、あの日、あなたを襲ったマザー級の痕跡が、まだ体の中に残ってるかもしれないって、検査で分かったの」




