第12話 救いの代償
白い光が収まると、
僕は再びマンションの部屋の床に倒れていた。
視界が、じわじわと戻ってくる。
すぐそばでは、さっきの中年の男が、ぐったりと横たわっている。
さっきまでの怪物の姿は、もうない。
ただの、血を流した人間の身体。
──あの人の苦しみ。
それが、怪物を作っていたのか?
頭の中で、一瞬だけ、そう思った。
学校でのいじめ。
会社での理不尽。
リストラ。
親友の死。
その全部が、積み重なって、怪物になっていたのか?
でも、本当にそうなのか。
結局、何がどうなっているんだ。
ダークメンシェって、何なんだ。
さっきの天使のような彼女の技は、何なんだ。
祈戦士って、何なんだ。
頭の中で、疑問が、ぐるぐる回っている。
──なんで、俺だけ、こんなに……
──世の中は、クソだ。
あの人の声が、頭の中で響く。
その苦しみが、途端に心を痛める。
僕は、その苦しみを、全部見てしまった。
全部、聞いてしまった。
罪悪感と共に、同じ痛みを負ったような感覚になる。
あの人の苦しみが、今、僕の胸に突き刺さっている。
でも、そんなことを考えている暇さえなかった。
その少し前方、彼女の胸の高さに、
黒く濁った玉のようなものが浮かんでいる。
この世のものとは思えない忌々しいオーラを放つ玉。
触れてもいないのに、彼女の顔色は悪く、額には汗がにじんでいる。
「今のは……何だったんですか」
僕が奈津紀さんにそう問いかけた。
その瞬間、
関野美桜はその黒い玉にそっと両手を伸ばし、自分の胸元へと抱き寄せた。
「……っ」
玉が身体の中へ沈み込んだ瞬間、
彼女は膝から崩れ落ちた。
そして痛みに苦しむように声を上げた。
「あぁ……っ!!!!」
その声は、彼女の声じゃなかった。
さっき、聞いた声。
あの人の声。
「痛い、苦しい……助けて……」
「なんで、私だけ……なんで、あの人たちだけが笑ってるの……」
「世の中は、クソだ。なんで、俺だけ、こんなに……」
あの人の言葉が、彼女の口からあふれ出してくる。
部屋の空気が、一気に重くなった。
──何がどうなっているかわからない。
けれど、今、彼女がとてつもなく苦しんでいる。
それだけはわかった。
「関野さん!」
僕は、居ても立ってもいられず、駆け寄ろうとした。
「ダメ、近寄っちゃ」
奈津紀さんが、僕の腕をつかんで止めた。
その力はとても強かった。
「なんで止めるんですか!彼女が、苦しんでるじゃないですか!」
「静かに見守るしかないのよ、今は」
「見守るって、何ですか!助けてって、言っているじゃないですか!」
僕は、奈津紀さんの手を振り払って、前へ出ようとする。
「勇気くん、やめて!」
周囲の大人たちも、慌てて僕を押さえにかかった。
でも、僕は、もがき続けた。
「なんで止めるんですか!なんで誰も助けないんですか!」
「近寄っちゃダメ。あれは、彼女の仕事」
「仕事って、何ですか!こんなの、仕事なんかじゃない!」
彼女の悲鳴が、部屋に響く。
「助けて……!!助けて……!!」
その声が、僕の耳に突き刺さる。
「関野さん!」
僕は、もがき続けた。
でも、大人たちの手が、僕を離さない。
僕は、何もできない。
どうすることもできない。
ただ、見ているだけ。
そんな冷たい視線が頭に浮かぶ。
けれど、それに力強く体を抵抗させる。
「……ごめんね。こんな手荒な真似をしたくないんだけど」
奈津紀さんが、小さく呟いた。
その声には、後ろめたさがにじんでいた。
次の瞬間、何かが、僕の首筋に当たった。
──スタンガン。
頭の中で、そう理解した。
でも、もう遅い。
視界が、遠のいていく。
体の力が、抜けていく。
遠のく意識の中で、彼女の悲鳴だけが、いつまでも耳に残る。
「助けて……助けて……」
その声が、ずっと、ずっと、響き続けている。
──得体の知れない怪物。
天使のような彼女の技。
血濡れた手。
悪夢のような記憶。
これら全てが、夢であって欲しい。
頭の中で、そう願った。
でも、その願いも、叶わないまま、意識は闇に沈んでいった。




