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「動物と話せるだけの無能」と森に捨てられましたが、もふもふの聖獣様(虎)の肉球を揉みしだいていたら、中身の冷徹皇子様に求婚されました。え、人間の姿で愛して?すみません、夜の虎様の方が手触りがいいので…

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/01/05

 

 ガタンッ! と乱暴な音を立てて、馬車の扉が閉められた。

 巻き上げられた砂埃が、私の唯一の財産である質素なトランクと、着古したローブを薄汚く染めていく。


「フローラ! 二度とその顔を見せるな! 『動物と話せる』だと? そんな子供騙しの能力しかない聖女など、我が国には不要だ!」


 馬車の窓から顔を出して怒鳴り散らしているのは、ほんの数分前まで私の婚約者だったエルフリック王子。

 見た目だけは立派な彼は、唾を飛ばしながら最後の罵倒を投げつけてきた。


「貴様のような無能は、この『魔の森』で野垂れ死ぬのがお似合いだ! せいぜい、得意の動物会話ごっこで熊にでも命乞いをするんだな! はーっはっは!」


 高笑いと共に、馬車は全速力で走り去っていく。

 遠ざかる車輪の音。

 そして、訪れる静寂。


 私は森の入り口に一人、ポツンと取り残された。

 鬱蒼と茂る木々。どこからか聞こえる不気味な鳴き声。


 普通のご令嬢なら、ここで絶望して泣き崩れるところだろう。


「どうして私がこんな目に!」「誰か助けて!」って。


 でもね。


(……やっと、終わったぁぁぁぁぁーーーっ!!!)


 私は地面にトランクを置くと、思い切り天を仰いでガッツポーズをした。

 やった。やってやったわ!

 ついにあの地獄のような王宮生活からおさらばできたのよ!


 聖女? 知るか!

 毎日毎日、「祈りが足りない」だの「もっと奇跡を見せろ」だの、ブラック企業も真っ青な労働環境。


 おまけにあいつ(エルフリック)ときたら、自分の浮気を棚に上げて私を罵倒するのが日課のモラハラ男。


 あんなところにいたら、私の胃壁がいくつあっても足りなかったわ。


「ふふ、ふふふ……。無能で結構! 捨ててくれてありがとう!」


 私はスカートについた砂を払い、深呼吸をした。

 王都の排気ガス混じりの空気とは違う。

 森の空気は、湿った土と緑の匂いがして、肺が洗われるようだわ。


『……ねえ、あの子、人間?』


『捨てられたの? かわいそう』


『でもなんか、すっごい笑ってるよ? 頭打ったのかな?』


 ほら、聞こえてきた。

 木の枝の上から、茂みの奥から、小さな声たちが。

 私はニッコリと笑って、声のする方へ手を振った。


「こんにちは、リスさん、小鳥さんたち。私、今日からここの住人になるフローラよ。仲良くしてね!」


『わっ! 聞こえてる!』


『話せる人間だ! すごーい!』


『ねえねえ、木の実あげる!』


 か、可愛い……!


 コロコロとした声で騒ぎながら、リスたちがポトポトと木の実を落としてくれる。


 とっ……尊ぃぃぃ!!!


 これよ、これ!

 私が求めていたのは、ドロドロした人間関係じゃなくて、このピュアな癒やしなのよ!


 私の能力、「動物との意思疎通」。


 戦闘の役にも立たないし、怪我も治せないから「無能」って言われてきたけど、私にとっては最高のギフトだわ。


 だって、動物(この子)たちは人間みたいに嘘をつかないし、裏切らないもの。


「さてと。まずは寝床を確保しないとね」


 私は鼻歌混じりにトランクを持ち上げ、森の奥へと足を踏み入れた。


 ここは「魔の森」なんて呼ばれて恐れられているけれど、動物たちの声を聞けば、どこが安全でどこに水場があるかなんて、すぐにわかる。


 つまり私にとって、ここは危険地帯じゃなくて、貸切の巨大キャンプ場みたいなものね。


 しばらく歩くと、開けた場所に出た。

 綺麗な小川が流れていて、大きな岩が風除けになってくれそうな、絶好のポイント。


「よし、ここをキャンプ地とする!」


 さっそく火を起こし(サバイバル知識は図書室の本で予習済みよ!)、簡素なテントを張る。


 王宮から持ち出した干し肉と、リスさんたちがくれた木の実で夕食タイム。


 高級なフルコースなんかより、この解放感というスパイスが効いた質素な食事の方が、何倍も美味しい。


 お腹が満たされると、急激な眠気が襲ってきた。

 これまでの緊張の糸が切れたのかもしれない。

 私は焚き火のそばで毛布にくるまり、星空を見上げた。


「……自由って、最っ高!」


 明日は何をしよう。

 ウサギさんたちの悩み相談に乗るのもいいし、鹿さんの背中に乗せてもらって散歩するのもいいな。

 そんな幸せな妄想をしながら、私は深い眠りについた。


 ーーこの時はまだ、知らなかったのだ。

 この森の主が、とんでもない「極上のモフモフ」だということを。




 ◇◆◇




 翌朝。

 小鳥たちのさえずり……ではなく、地響きのような唸り声で目が覚めた。


「グルルルルル……ッ」


 低い、腹の底に響くような音。

 普通の人間なら恐怖で動けなくなるような威圧感。

 でも、私には聞こえてしまったのだ。その声に含まれた、切実な痛みの訴えが。


(……痛い。熱い。苦しい……)


 私はガバッと飛び起きた。

 誰かが、怪我をしてる?


「待ってて、今行くわ!」


 私は救急セット(薬草と包帯)を掴んで、声のする茂みへと走った。

 草をかき分け、転びそうになりながら進んだ先に――「それ」はいた。


「う、そ……」


 息を呑むほどの、美しさ。

 そして、圧倒的な存在感。


 そこに横たわっていたのは、巨大な「白い虎」だった。


 普通の虎の二倍……いいえ、三倍はある巨体。

 朝日に照らされた毛並みは、新雪のように白く、そして銀糸のように輝いている。


 間違いなく、この森の主。伝説に聞く「聖獣」クラスの存在だ。


 けれど、その美しい白い毛並みは、どす黒い血で汚れていた。

 脇腹に大きな裂傷があり、そこからとめどなく血が流れている。

 荒い息を吐くたびに、巨大な体が苦しげに痙攣していた。


『……人間、か。……去れ』


 頭の中に、直接響く声。

 低く、理知的で、でも衰弱しきった声。

 普通の動物とは違う。やっぱり、聖獣様なんだわ。


『我の……最期を……見世物にするな……』


 金色の瞳が、ギロリと私を睨む。


 殺気。


 でも、私は一歩も引かなかった。

 だって、目の前でこんなに綺麗な生き物が苦しんでいるのよ?


 放っておけるわけがないじゃない!


「黙ってて! 今、手当てするから!」


 私は虎の制止を無視して、その巨体に駆け寄った。


『な……っ!? 人間、貴様、我を恐れぬのか……!?』


「恐れている暇があったら止血します! じっとしてて!」


 私は躊躇なく、血まみれの傷口に手を当てた。

 聖女の力で傷を癒やすことはできない。


 でも、応急処置ならできる。

 持っていた清潔な布を傷口に押し当て、圧迫止血を試みる。


「痛いと思うけど、我慢してね。……大丈夫、大丈夫よ」


 私は虎の耳元で、子供をあやすように囁き続けた。

 私の「動物と心を通わせる力」を、全開にする。

 敵意はありません。助けたいんです。怖くないですよ。

 そんな感情を乗せて、血に濡れた毛皮を優しく撫でる。


『……ぬ、うぅ……』


 虎の喉から、苦悶の声が漏れる。

 でも、私を食い殺そうとはしなかった。


 私の必死さが伝わったのか、それとも抵抗する力も残っていないのか。

 彼は大きな金色の瞳で、不思議そうに私を見つめていた。


 どれくらいの時間が経っただろう。

 薬草を塗り込み、ありったけの包帯を巻き終えた頃には、太陽はすっかり高くなっていた。

 出血はなんとか止まったみたい。


「……ふぅ。これで、ひとまずは大丈夫なはずよ」


 私は額の汗をぬぐい、へたり込んだ。

 全身血まみれだし、ドレスはボロボロ。


 でも、目の前の虎の呼吸が、少しずつ穏やかになっていくのを見て、安堵のため息が漏れた。


『……なぜだ』


 虎が、静かに問いかけてきた。


『なぜ、助けた。我は……お前たち人間を、憎んでいるのに』


「理由なんてないわよ。怪我をしてたから。それだけ」


 私は笑って答えた。

 そして、改めて目の前の「彼」を見た。


 傷の手当てに必死で気づかなかったけれど。

 この虎様……近くで見ると、破壊的に「可愛い」お顔をしてらっしゃる。


 凛々しい鼻筋。

 ピンと立った白い耳。

 そして何より、巨大な前足の先に鎮座する、ピンク色と黒のブチ模様の……肉球。


(……っ!!!)


 私の脳内に、激震が走った。


 なにこれ。


 なにこの、神が創造した芸術品のような造形美は。


 ふわっふわの真っ白な毛並みは、最高級のシルクよりも柔らかそう。


 そしてあの肉球。大きさは私の顔くらいあるけれど、あの弾力、あの厚み……。


 触りたい。

 埋もれたい。


 あのモフモフに顔を突っ込んで、思う存分スーハーしたい!


 私の「動物愛」という名の欲望が、理性を軽く飛び越えた。


「あの、虎様。お礼なんていらないんですけど……一つだけ、お願いしてもいいですか?」


『……なんだ。金か? 力か?』


 虎様が警戒心を滲ませる。

 私は真剣な眼差しで、彼の手(前足)を指差した。


「そこを、触らせてください」


『……は?』


 虎様が、今日一番の間抜けな声を上げた。




 ◇◆◇




「失礼しまーす!」


 私は許可(呆れて固まっていただけとも言う)を得たと解釈し、そっと彼に近づいた。

 そして、震える手で、その神々しい白い毛並みに触れる。


 すんっ……。


「…………ッ!!!」


 声にならない悲鳴が漏れた。


 な、何じゃこれは!?


 指が、吸い込まれる。

 見た目以上の密度。


 表面はひんやりと冷たいシルクのような手触りなのに、奥に指を沈めると、内側の毛は羽毛のように柔らかく、じんわりと温かい。


 極上の羊毛(カシミヤ)? いいえ、そんな安っぽい例えじゃ失礼だわ。


 これは「雲」よ。私は今、雲を撫でているのよ!


『お、おい……人間……?』


「あぁぁ……すごい……。とろけるぅ……」


 私は理性のタガが外れ、虎様の首元の毛皮に顔を埋めた。


 んぐぅっ!


 顔面を包み込む、圧倒的な多幸感。

 お日様の匂いと、獣特有の野生的な香りが混ざり合って、脳髄が痺れるようないい匂いがする。


 これは合法的な麻薬だわ。吸うわ。全力で吸わせていただきます!


 スーッ、ハァーッ……!


 スーッ、ハァーッ……!


『ちょ、やめ、くすぐったい! 貴様、何をしている! 我は誇り高き……んっ!』


 虎様が身をよじる。

 でも、怪我をしているから逃げられない。


 ごめんなさい、動物虐待じゃないの。これは愛なの。止まらないの!


「次はここ! 本丸、行きます!」


 私は彼の巨大な前足を両手で持ち上げた。

 ずっしりとした重み。

 そして、裏返すとそこには――ああん、神々しいまでの肉球様が!


 ぷにゅ。


「ふあああああん!」


 指で押すと、驚くほどの弾力で押し返してくる。


 硬すぎず、柔らかすぎず。


 つきたてのお餅? マシュマロ? あかちゃんのほっぺ? いいえ、これは「命の弾力」よ!


 表面は少しザラッとしているのに、中はしっとりと吸い付くような湿り気があって……。


 むにむに、ぷにぷに、むぎゅっ。


 私は一心不乱に肉球を揉みしだいた。

 指の腹で円を描くようにマッサージし、指の股に指を滑り込ませ、肉球の香ばしい匂い(ポップコーンみたいな匂い!)を堪能する。


『ひ、ひゃうっ……! そこは、やめ……!』


 虎様から、なんだか可愛らしい声が漏れた。


 見上げると、彼は顔を前足で隠そうとしているけれど、耳まで真っ赤……いや、耳の中がピンク色に染まっている。

 もしかして、感じてらっしゃる?


「気持ちいいですか? ここ、凝ってますねぇ~」


 私は肉球の付け根を、親指でグリグリと押した。

 動物はここがツボなのを知っている。


『あ……っ、そこ……ふ、ふぅ……』


 虎様の抵抗する力が抜けた。

 金色の瞳がとろんと潤み、大きな体が脱力して地面に沈む。


 ゴロゴロ……という、エンジンのような低い音が喉の奥から響き始めた。


 陥落した。


 あの気高き聖獣様が、私の肉球マッサージの前に屈したのだ!


『……貴様、何者だ……。こんな……こんな辱めを受けたのは初めてだ……』


 虎様は涙目で私を睨んでくるけれど、尻尾は正直にパタパタと地面を叩いている。


 か、可愛すぎる……!


 人間不信で冷徹な聖獣様が、私の手つき一つでこんなにとろとろになっちゃうなんて。


 これこそが、私が求めていた「癒やし」の極致!


「ふふ、私はフローラ。ただの通りすがりの、モフモフ愛好家ですよ」


 私は満足するまで彼を揉みしだき、最後におでこにチュッとキスをした。


『ッ!?』


 虎様がビクンと跳ねて、完全に固まった。

 まるで石化魔法にかかったみたいに。


「さあ、傷に障るといけないから、今日はもう寝ましょうね。私がそばにいてあげるから」


 私は彼のお腹(ここも極上のふかふか地帯!)に寄り添い、毛布をかけた。


 彼は何か言いたげに口をパクパクさせていたけれど、結局何も言わず、大きなため息をついて目を閉じた。


 でも、私は感じていた。

 彼の私に向けられる感情が、「警戒」から「困惑」、そして少しだけ「甘え」に変わっていることを。


 私の体温を感じて、彼が安心していることを。


(……ああ、幸せ。捨てられてよかった)


 巨大な虎の体温に包まれて、私は最高の幸福感の中でまどろんだ。


 明日の朝起きたら、また一番に肉球を触らせてもらおう。

 そう心に誓って、私は温かい毛皮に顔を埋め、深い眠りに落ちていったのだった。





 ◇◆◇





 チュンチュン(おはよう〜、森の皆さ〜ん。朝ですよ〜)、という小鳥のさえずりと共に、森に朝が訪れた。

 木漏れ日がまぶたをくすぐる。

 私は幸せな微睡みの中で、ゆっくりと意識を覚醒させた。


 ああ、なんて最高の朝なのかしら。

 昨夜はふわふわの白虎様を抱き枕にして眠った。


 腕の中に感じる、ずっしりとした重み。

 鼻先をくすぐる、お日様のような匂い。

 そして何より、あの極上の毛並みの手触り……。



 ん?

 手触り?



 私は寝ぼけ眼のまま、腕の中にある「それ」をすりすりと撫でた。


 あれ?


 おかしいわね。昨日のような「もふっ」とした感触がない。


 代わりに指先に触れるのは、すべすべとした滑らかな肌触りと、引き締まった……筋肉?


「……ん……」


 しかも、低い、男の人の寝息が聞こえる。

 耳元で。

 ものすごく至近距離で。


(……え? 何事?)


 私はバチッと目を開けた。


 目の前にあったのは、彫刻のように逞しい胸板だった。

 視線を上げると、そこには虎はいなかった。


 代わりにいたのは――信じられないくらい顔の良い、一人の男性だった。

 銀糸を織り込んだようなプラチナブロンドの髪。


 長い睫毛が影を落とす、整いすぎた寝顔。


 私が抱き枕にしていたのは、その鍛え上げられた広い肩幅と、厚い胸板だったのだ。


 そして、その美しい体には、包帯が痛々しく巻かれているけれど……。


 待って。


 ええと、状況整理。


 1.私は虎様と一緒に寝た。


 2.朝起きたら、知らないイケメンが私の腕の中で寝ている。


 3.しかも、このイケメン、上半身裸……というか、お布団(私のローブ)の下も、もしかして……?



 ……キャアアアアアアアッ!!!



 と、叫ぼうとしたけれど、声が出なかった。

 だって、あまりにも顔が良すぎたから。

 じゃなくて!


「あ、あの……! ちょっと、起きてください!」


 私は慌てて体を起こし、彼の肩を揺すった。


 男性は「ん……」と不機嫌そうに唸り、ゆっくりと瞼を持ち上げた。


 現れたのは、宝石のような金色の瞳。

 昨日の虎様と、同じ色。


「……なんだ、騒がしい。……昨夜はよく眠れ……はっ!?」


 男性は私を見て、次に自分の体を見て、そしてガバッと飛び起きた。


 その拍子に、かけ布団(私のローブ)がずり落ちそうになり、慌てて押さえる。


「な、ななな、なぜ人間の姿に戻っている!? 夜明けはまだ……いや、もう過ぎているのか!?」


 低いバリトンの声。

 これも、昨日の虎様の「念話」の声とそっくりだ。


「あの……もしかして、虎様……ですか?」


 私が恐る恐る尋ねると、彼は顔を真っ赤にして、バッと顔を背けた。


 耳まで赤い。


 え、可愛い。


「……そうだ。我は……いや、私は、ヴァレリウス。隣の帝国の第二皇子だ」


「皇子様!?」


「呪いにより、夜の間だけ獣の姿になるのだ。……昨夜は、その、世話になった」


 彼は気まずそうに咳払いをした。


 なるほど、そういうことだったのね。

 ファンタジー小説ではよくある設定だわ。

 でも、私にとって重要なのはそこじゃない。


「あの、ヴァレリウス様。一つ質問してもよろしいですか?」


「なんだ。礼なら弾むぞ。国に帰れば金貨でも宝石でも……」


「虎の姿には、もう戻らないんですか?」


 私の真剣な問いかけに、彼はポカンと口を開けた。


「……は?」


「だから、あの極上のモフモフと、至高の肉球は、夜にならないと戻ってこないんですか? 昼間はずっと、そのツルツルの人間モードなんですか?」


 私の悲痛な叫びに、ヴァレリウス様の眉間のシワが深くなる。


「き、貴様……。一国の皇子を捕まえて、ツルツルとはなんだ! それに、なんだその残念そうな顔は! 普通は人間の姿に戻って『素敵!』とかなる場面だろう!?」


「素敵ですけど! 顔面偏差値は限界突破してますけど! でも、私が求めているのは癒やしなんです! あの吸い込まれるような毛並みの弾力と、ポップコーンの匂いがする肉球なんですッ!」


「ぽ、ポップコーン……!?」


 彼が自分の手を呆然と見つめる。

 今は人間の綺麗な手だ。


 爪も整っていて指も長いけれど、残念ながらプニプニ感はゼロだ。


「返してください……私のモフモフ天国を……」


 私ががっくりと項垂れると、彼はなんだか居心地が悪そうに視線を泳がせた。


「そ、その……夜になれば、また戻る。……だから、それまで待て」


「本当ですか!?」


「あ、ああ。……それに、昨夜の貴様のマッサージは……悪くなかった。今夜も、その……頼んでもいい」


 皇子様が、そっぽを向いたままボソッと言った。

 よく見ると、うなじまで真っ赤だ。


 これは、もしかして……もう、デレた?


 あの冷徹そうな虎様が、私のゴッドハンド(肉球揉み)に陥落したってこと?


(……よっしゃあぁぁぁ!!)


 私は心の中でガッツポーズをした。

 今夜もモフり放題確定!

 捨てられてよかった! 人生捨てたもんじゃないわ!




 ◇◆◇


 


 そんな平和(?)な朝のひとときは、最悪のノイズによって断ち切られた。


 ガサガサッ、と茂みを踏み荒らす音。

 そして、聞き覚えのある不快な声。


「おい、本当にこの辺りにいるんだろうな? 野垂れ死んでいれば手間が省けるんだが」


 現れたのは、元婚約者のエルフリック王子と、数名の騎士たちだった。

 エルフリックは私を見つけると、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。


「おや、生きていたか。しぶとい女だ。……ん? そこの男はなんだ?」


 エルフリックの視線が、私の隣にいるヴァレリウス様に向けられる。

 ヴァレリウス様は上半身裸で、私のローブを腰に巻いただけの姿だ。

 状況だけ見れば、確かに怪しい。


「はっ! まさか、森で男を拾って情事とはな! 聖女の皮を被ったふしだら女め! 婚約破棄して正解だったよ!」


 エルフリックが勝ち誇ったように叫ぶ。

 騎士たちも下品な笑い声を上げた。


 私はスッと冷めた目になった。

 怒りすら湧かない。ただただ、この男の浅ましさが気持ち悪いだけ。


「……何をしに来たの? 私はもう、貴方とは無関係のはずですけど。ストーカーとかキモすぎてちょっと」


「はんっ! 我が国から追放された罪人が、偉そうな口をきくな! 今日は貴様のその小賢しい『動物会話能力』を完全に封じてやろうと思ってな。……喉を潰せば、二度と生意気な口もきけまい?」


 エルフリックが剣を抜く。

 本気だ。この男、私を殺す気はないけれど、再起不能にするつもりだわ。

 私が一歩後ずさった、その時。


 ドンッ!!


 地面が揺れるほどの衝撃音と共に、私の前に影が立ちはだかった。


 ヴァレリウス様は素手で、エルフリックが振り下ろそうとした剣を受け止めていた。


 いや、受け止めたのではない。

 指先一つで、剣身を弾いたのだ。


「……誰の許可を得て、私の『飼い主』に刃を向けている?」


 地獄の底から響くような、低く、冷え切った声。

 さっきまで顔を赤くしていたウブな青年とは別人のような、圧倒的な「強者」のオーラ。

 金色の瞳が、エルフリックを射抜く。


「な、なんだ貴様は!? ただの不審者の分際で……!」


「不審者? ふん、愚か者が」


 ヴァレリウス様が鼻で笑う。

 その瞬間、彼の体から黄金色の魔力が爆発的に溢れ出した。


 ビリビリと肌を刺すような覇気。

 風が巻き起こり、騎士たちが دمを上げて吹き飛んでいく。


「ひぃっ!? な、なんだこの魔力は!?」


「よく聞け、下郎。私はヴァレリウス・アルマ・ドラグノフ。隣国の第二皇子だ」


「は……? ヴ、ヴァレリウス……? あの『戦場の死神』と呼ばれている……!?」


 エルフリックの顔が青ざめ、剣を取り落とす。

 彼の名は、他国にも轟くほどの武名を持っていたらしい。


「そ、そんな馬鹿な! なぜ帝国の皇子がこんな場所に! しかもそんな姿で!」


「事情など貴様ごときに話す必要はない。……だが」


 ヴァレリウス様が、私の方を振り返った。

 その瞳から、冷酷さが消え、代わりに熱っぽい独占欲が浮かぶ。


「この女は、私のものだ。昨夜、私の全て(モフモフ)を受け入れ、私を骨抜きにした責任を取ってもらう」


「は、はいぃ!?」


 ちょっと待って、言い方!


 誤解を招く言い方やめてください!


「骨抜き」って、マッサージで脱力させただけですよね!?


 でも、エルフリックたちは完全に勘違いしたようだ。

「骨抜き……!?」「まさか、夜の技で帝国を籠絡したのか……!?」「恐ろしい女だ……!」と勝手に戦慄している。


「我が国の聖女を傷つけた罪、そして我が皇族に対する不敬罪。……その首一つで足りると思うなよ?」


 ヴァレリウス様が一歩踏み出すと、エルフリックは腰を抜かして這いつくばった。


「ひ、ひぃぃぃ! お助けを! 知らなかったんです! 許してくださいぃぃ!」


「失せろ。二度と私の視界に入るな。……次に会う時は、貴様の国ごと地図から消してやる」


 エルフリックたちは悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ帰っていった。

 あっけない幕切れ。


 あんなに怖かった元婚約者が、ヴァレリウス様の一睨みでゴミのように排除された。


 これが……「ざまぁ」ってやつ?

 スカッとするというより、あまりの格の違いにポカーンとしてしまうわ。

 あいつ(エルフリック)に対する感想はそれくらい。今となっては、他には別に、なーんにも感じないくらいどうでもいい。




 ◇◆◇




 静寂が戻った森で、ヴァレリウス様が私に向き直った。

 まだ魔力の名残で髪がふわりと逆立っているけれど、その表情は憑き物が落ちたように穏やかだった。


「……怖がらせたか?」


「いえ。……助けていただいて、ありがとうございます。かっこよかったです」


 私が正直に伝えると、彼はまた耳を赤くして視線を逸らした。


 このギャップ。


 最強の皇子様なのに、中身は昨日の虎様と同じ、不器用な甘えん坊さんなんだわ。


「フローラ。……国へ来い」


「え?」


「私の妃になれ。……いや、なってほしい」


 彼は私の手を取り、その場に跪いた。

 泥だらけの地面なんて気にせずに。

 金色の瞳が、真剣に私を見つめている。


「昨夜、あんな姿の私を恐れず、助けてくれたのはお前だけだ。お前の手は……温かかった。お前に触れられている時だけ、呪いの痛みを忘れることができた」


 彼の手が、私の手を包み込む。

 大きくて、熱い手。


「責任を取る、と言っただろう? お前が私を飼い慣らしたんだ。もう、お前なしでは眠れない体になってしまった」


 それは、実質的な「一生マッサージしてくれ」というおねだりだった。


 でも、彼の瞳にあるのは、ただの依存心だけじゃない。

 私という人間を必要としてくれる、熱い想いが見える。


 元婚約者には「無能」と捨てられた私。

 でも、この人は私の手を「温かい」と言ってくれた。

 私のささやかな能力を、必要としてくれた。


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 でも、一つだけ確認しておかなければならないことがある。


「あの、ヴァレリウス様。……結婚したら、その……」


「なんだ? ドレスか? 宝石か? なんでも用意しよう」


「夜は、毎日虎の姿になっていただけますか?」


 私の問いかけに、ヴァレリウス様はカクッと膝を折った。


「……そこか。やはりお前は、私より毛皮の方がいいのか……」


「だって! あんな極上のモフモフ、世界中探しても他にいませんもの! あのお腹に顔を埋めて眠るのが、私の夢だったんです!」


 私が力説すると、彼は深くため息をつき、それから、ふっと優しく笑った。


 その笑顔が、あまりにも美しくて、今度は私が赤面する番だった。


「……わかった。約束しよう」


 彼は私の手の甲に口づけを落とした。


「夜は、お前の好きなだけモフらせてやる。肉球も、腹も、好きにするがいい。……その代わり」


 彼は顔を上げ、肉食獣のように目を細めた。


「人間の姿の時は、私自身を愛してもらうぞ。……逃がさないからな、私の飼い主殿」


 ゾクリと、甘い痺れが背中を走る。


 これは、大変な契約をしてしまったかもしれない。

 夜は聖獣様に癒やされ、昼はイケメン皇子様に溺愛される日々。


 私の心臓、持つかしら?


 でも。

 彼の手の温もりと、これから始まる「モフモフ&甘々ライフ」を想像すると、自然と笑みがこぼれた。


「……はい。謹んで、お受けいたします」


 森の木漏れ日の中で、私たちは二度目の契約を結んだ。

 今度は、誰かに強制されたものではない。

 私たちが自分で選んだ、最高に幸せな契約を。


 こうして、森に捨てられた無能聖女(自称)は、隣国の皇子様(兼、聖獣様)に拾われ、国一番の愛され妃となるのでした。


 あ、ちなみに。


 その後のエルフリック王子とその国がどうなったかは……ヴァレリウス様の「ちょっとした制裁(経済封鎖)」によって、見るも無惨なことになったらしいけれど。


 今の私には、関係のないお話。


 だってもうすぐ夜が来る。


 愛しい旦那様が、極上の毛並みを整えて、私のマッサージを待っているんですもの!




ここまでお読みいただきありがとうございました!


1/6も12時頃に短編を投稿いたします。


もう1本、投稿いたしました。

推しの余命が残り30日!?婚約破棄のおかげでフリーになったので、乙女ゲームの推しが死ぬ運命をへし折る「推し救済RTA」走ります!〜冷血公爵様は私の猛烈アタックでとろとろの溺愛公爵になってしまいました〜

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ここまでお読みいただきありがとうございました!


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『その聖水、ただの麻薬ですよね?』

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