「動物と話せるだけの無能」と森に捨てられましたが、もふもふの聖獣様(虎)の肉球を揉みしだいていたら、中身の冷徹皇子様に求婚されました。え、人間の姿で愛して?すみません、夜の虎様の方が手触りがいいので…
ガタンッ! と乱暴な音を立てて、馬車の扉が閉められた。
巻き上げられた砂埃が、私の唯一の財産である質素なトランクと、着古したローブを薄汚く染めていく。
「フローラ! 二度とその顔を見せるな! 『動物と話せる』だと? そんな子供騙しの能力しかない聖女など、我が国には不要だ!」
馬車の窓から顔を出して怒鳴り散らしているのは、ほんの数分前まで私の婚約者だったエルフリック王子。
見た目だけは立派な彼は、唾を飛ばしながら最後の罵倒を投げつけてきた。
「貴様のような無能は、この『魔の森』で野垂れ死ぬのがお似合いだ! せいぜい、得意の動物会話ごっこで熊にでも命乞いをするんだな! はーっはっは!」
高笑いと共に、馬車は全速力で走り去っていく。
遠ざかる車輪の音。
そして、訪れる静寂。
私は森の入り口に一人、ポツンと取り残された。
鬱蒼と茂る木々。どこからか聞こえる不気味な鳴き声。
普通のご令嬢なら、ここで絶望して泣き崩れるところだろう。
「どうして私がこんな目に!」「誰か助けて!」って。
でもね。
(……やっと、終わったぁぁぁぁぁーーーっ!!!)
私は地面にトランクを置くと、思い切り天を仰いでガッツポーズをした。
やった。やってやったわ!
ついにあの地獄のような王宮生活からおさらばできたのよ!
聖女? 知るか!
毎日毎日、「祈りが足りない」だの「もっと奇跡を見せろ」だの、ブラック企業も真っ青な労働環境。
おまけにあいつときたら、自分の浮気を棚に上げて私を罵倒するのが日課のモラハラ男。
あんなところにいたら、私の胃壁がいくつあっても足りなかったわ。
「ふふ、ふふふ……。無能で結構! 捨ててくれてありがとう!」
私はスカートについた砂を払い、深呼吸をした。
王都の排気ガス混じりの空気とは違う。
森の空気は、湿った土と緑の匂いがして、肺が洗われるようだわ。
『……ねえ、あの子、人間?』
『捨てられたの? かわいそう』
『でもなんか、すっごい笑ってるよ? 頭打ったのかな?』
ほら、聞こえてきた。
木の枝の上から、茂みの奥から、小さな声たちが。
私はニッコリと笑って、声のする方へ手を振った。
「こんにちは、リスさん、小鳥さんたち。私、今日からここの住人になるフローラよ。仲良くしてね!」
『わっ! 聞こえてる!』
『話せる人間だ! すごーい!』
『ねえねえ、木の実あげる!』
か、可愛い……!
コロコロとした声で騒ぎながら、リスたちがポトポトと木の実を落としてくれる。
とっ……尊ぃぃぃ!!!
これよ、これ!
私が求めていたのは、ドロドロした人間関係じゃなくて、このピュアな癒やしなのよ!
私の能力、「動物との意思疎通」。
戦闘の役にも立たないし、怪我も治せないから「無能」って言われてきたけど、私にとっては最高のギフトだわ。
だって、動物たちは人間みたいに嘘をつかないし、裏切らないもの。
「さてと。まずは寝床を確保しないとね」
私は鼻歌混じりにトランクを持ち上げ、森の奥へと足を踏み入れた。
ここは「魔の森」なんて呼ばれて恐れられているけれど、動物たちの声を聞けば、どこが安全でどこに水場があるかなんて、すぐにわかる。
つまり私にとって、ここは危険地帯じゃなくて、貸切の巨大キャンプ場みたいなものね。
しばらく歩くと、開けた場所に出た。
綺麗な小川が流れていて、大きな岩が風除けになってくれそうな、絶好のポイント。
「よし、ここをキャンプ地とする!」
さっそく火を起こし(サバイバル知識は図書室の本で予習済みよ!)、簡素なテントを張る。
王宮から持ち出した干し肉と、リスさんたちがくれた木の実で夕食タイム。
高級なフルコースなんかより、この解放感というスパイスが効いた質素な食事の方が、何倍も美味しい。
お腹が満たされると、急激な眠気が襲ってきた。
これまでの緊張の糸が切れたのかもしれない。
私は焚き火のそばで毛布にくるまり、星空を見上げた。
「……自由って、最っ高!」
明日は何をしよう。
ウサギさんたちの悩み相談に乗るのもいいし、鹿さんの背中に乗せてもらって散歩するのもいいな。
そんな幸せな妄想をしながら、私は深い眠りについた。
ーーこの時はまだ、知らなかったのだ。
この森の主が、とんでもない「極上のモフモフ」だということを。
◇◆◇
翌朝。
小鳥たちのさえずり……ではなく、地響きのような唸り声で目が覚めた。
「グルルルルル……ッ」
低い、腹の底に響くような音。
普通の人間なら恐怖で動けなくなるような威圧感。
でも、私には聞こえてしまったのだ。その声に含まれた、切実な痛みの訴えが。
(……痛い。熱い。苦しい……)
私はガバッと飛び起きた。
誰かが、怪我をしてる?
「待ってて、今行くわ!」
私は救急セット(薬草と包帯)を掴んで、声のする茂みへと走った。
草をかき分け、転びそうになりながら進んだ先に――「それ」はいた。
「う、そ……」
息を呑むほどの、美しさ。
そして、圧倒的な存在感。
そこに横たわっていたのは、巨大な「白い虎」だった。
普通の虎の二倍……いいえ、三倍はある巨体。
朝日に照らされた毛並みは、新雪のように白く、そして銀糸のように輝いている。
間違いなく、この森の主。伝説に聞く「聖獣」クラスの存在だ。
けれど、その美しい白い毛並みは、どす黒い血で汚れていた。
脇腹に大きな裂傷があり、そこからとめどなく血が流れている。
荒い息を吐くたびに、巨大な体が苦しげに痙攣していた。
『……人間、か。……去れ』
頭の中に、直接響く声。
低く、理知的で、でも衰弱しきった声。
普通の動物とは違う。やっぱり、聖獣様なんだわ。
『我の……最期を……見世物にするな……』
金色の瞳が、ギロリと私を睨む。
殺気。
でも、私は一歩も引かなかった。
だって、目の前でこんなに綺麗な生き物が苦しんでいるのよ?
放っておけるわけがないじゃない!
「黙ってて! 今、手当てするから!」
私は虎の制止を無視して、その巨体に駆け寄った。
『な……っ!? 人間、貴様、我を恐れぬのか……!?』
「恐れている暇があったら止血します! じっとしてて!」
私は躊躇なく、血まみれの傷口に手を当てた。
聖女の力で傷を癒やすことはできない。
でも、応急処置ならできる。
持っていた清潔な布を傷口に押し当て、圧迫止血を試みる。
「痛いと思うけど、我慢してね。……大丈夫、大丈夫よ」
私は虎の耳元で、子供をあやすように囁き続けた。
私の「動物と心を通わせる力」を、全開にする。
敵意はありません。助けたいんです。怖くないですよ。
そんな感情を乗せて、血に濡れた毛皮を優しく撫でる。
『……ぬ、うぅ……』
虎の喉から、苦悶の声が漏れる。
でも、私を食い殺そうとはしなかった。
私の必死さが伝わったのか、それとも抵抗する力も残っていないのか。
彼は大きな金色の瞳で、不思議そうに私を見つめていた。
どれくらいの時間が経っただろう。
薬草を塗り込み、ありったけの包帯を巻き終えた頃には、太陽はすっかり高くなっていた。
出血はなんとか止まったみたい。
「……ふぅ。これで、ひとまずは大丈夫なはずよ」
私は額の汗をぬぐい、へたり込んだ。
全身血まみれだし、ドレスはボロボロ。
でも、目の前の虎の呼吸が、少しずつ穏やかになっていくのを見て、安堵のため息が漏れた。
『……なぜだ』
虎が、静かに問いかけてきた。
『なぜ、助けた。我は……お前たち人間を、憎んでいるのに』
「理由なんてないわよ。怪我をしてたから。それだけ」
私は笑って答えた。
そして、改めて目の前の「彼」を見た。
傷の手当てに必死で気づかなかったけれど。
この虎様……近くで見ると、破壊的に「可愛い」お顔をしてらっしゃる。
凛々しい鼻筋。
ピンと立った白い耳。
そして何より、巨大な前足の先に鎮座する、ピンク色と黒のブチ模様の……肉球。
(……っ!!!)
私の脳内に、激震が走った。
なにこれ。
なにこの、神が創造した芸術品のような造形美は。
ふわっふわの真っ白な毛並みは、最高級のシルクよりも柔らかそう。
そしてあの肉球。大きさは私の顔くらいあるけれど、あの弾力、あの厚み……。
触りたい。
埋もれたい。
あのモフモフに顔を突っ込んで、思う存分スーハーしたい!
私の「動物愛」という名の欲望が、理性を軽く飛び越えた。
「あの、虎様。お礼なんていらないんですけど……一つだけ、お願いしてもいいですか?」
『……なんだ。金か? 力か?』
虎様が警戒心を滲ませる。
私は真剣な眼差しで、彼の手(前足)を指差した。
「そこを、触らせてください」
『……は?』
虎様が、今日一番の間抜けな声を上げた。
◇◆◇
「失礼しまーす!」
私は許可(呆れて固まっていただけとも言う)を得たと解釈し、そっと彼に近づいた。
そして、震える手で、その神々しい白い毛並みに触れる。
すんっ……。
「…………ッ!!!」
声にならない悲鳴が漏れた。
な、何じゃこれは!?
指が、吸い込まれる。
見た目以上の密度。
表面はひんやりと冷たいシルクのような手触りなのに、奥に指を沈めると、内側の毛は羽毛のように柔らかく、じんわりと温かい。
極上の羊毛? いいえ、そんな安っぽい例えじゃ失礼だわ。
これは「雲」よ。私は今、雲を撫でているのよ!
『お、おい……人間……?』
「あぁぁ……すごい……。とろけるぅ……」
私は理性のタガが外れ、虎様の首元の毛皮に顔を埋めた。
んぐぅっ!
顔面を包み込む、圧倒的な多幸感。
お日様の匂いと、獣特有の野生的な香りが混ざり合って、脳髄が痺れるようないい匂いがする。
これは合法的な麻薬だわ。吸うわ。全力で吸わせていただきます!
スーッ、ハァーッ……!
スーッ、ハァーッ……!
『ちょ、やめ、くすぐったい! 貴様、何をしている! 我は誇り高き……んっ!』
虎様が身をよじる。
でも、怪我をしているから逃げられない。
ごめんなさい、動物虐待じゃないの。これは愛なの。止まらないの!
「次はここ! 本丸、行きます!」
私は彼の巨大な前足を両手で持ち上げた。
ずっしりとした重み。
そして、裏返すとそこには――ああん、神々しいまでの肉球様が!
ぷにゅ。
「ふあああああん!」
指で押すと、驚くほどの弾力で押し返してくる。
硬すぎず、柔らかすぎず。
つきたてのお餅? マシュマロ? あかちゃんのほっぺ? いいえ、これは「命の弾力」よ!
表面は少しザラッとしているのに、中はしっとりと吸い付くような湿り気があって……。
むにむに、ぷにぷに、むぎゅっ。
私は一心不乱に肉球を揉みしだいた。
指の腹で円を描くようにマッサージし、指の股に指を滑り込ませ、肉球の香ばしい匂い(ポップコーンみたいな匂い!)を堪能する。
『ひ、ひゃうっ……! そこは、やめ……!』
虎様から、なんだか可愛らしい声が漏れた。
見上げると、彼は顔を前足で隠そうとしているけれど、耳まで真っ赤……いや、耳の中がピンク色に染まっている。
もしかして、感じてらっしゃる?
「気持ちいいですか? ここ、凝ってますねぇ~」
私は肉球の付け根を、親指でグリグリと押した。
動物はここがツボなのを知っている。
『あ……っ、そこ……ふ、ふぅ……』
虎様の抵抗する力が抜けた。
金色の瞳がとろんと潤み、大きな体が脱力して地面に沈む。
ゴロゴロ……という、エンジンのような低い音が喉の奥から響き始めた。
陥落した。
あの気高き聖獣様が、私の肉球マッサージの前に屈したのだ!
『……貴様、何者だ……。こんな……こんな辱めを受けたのは初めてだ……』
虎様は涙目で私を睨んでくるけれど、尻尾は正直にパタパタと地面を叩いている。
か、可愛すぎる……!
人間不信で冷徹な聖獣様が、私の手つき一つでこんなにとろとろになっちゃうなんて。
これこそが、私が求めていた「癒やし」の極致!
「ふふ、私はフローラ。ただの通りすがりの、モフモフ愛好家ですよ」
私は満足するまで彼を揉みしだき、最後におでこにチュッとキスをした。
『ッ!?』
虎様がビクンと跳ねて、完全に固まった。
まるで石化魔法にかかったみたいに。
「さあ、傷に障るといけないから、今日はもう寝ましょうね。私がそばにいてあげるから」
私は彼のお腹(ここも極上のふかふか地帯!)に寄り添い、毛布をかけた。
彼は何か言いたげに口をパクパクさせていたけれど、結局何も言わず、大きなため息をついて目を閉じた。
でも、私は感じていた。
彼の私に向けられる感情が、「警戒」から「困惑」、そして少しだけ「甘え」に変わっていることを。
私の体温を感じて、彼が安心していることを。
(……ああ、幸せ。捨てられてよかった)
巨大な虎の体温に包まれて、私は最高の幸福感の中でまどろんだ。
明日の朝起きたら、また一番に肉球を触らせてもらおう。
そう心に誓って、私は温かい毛皮に顔を埋め、深い眠りに落ちていったのだった。
◇◆◇
チュンチュン(おはよう〜、森の皆さ〜ん。朝ですよ〜)、という小鳥のさえずりと共に、森に朝が訪れた。
木漏れ日がまぶたをくすぐる。
私は幸せな微睡みの中で、ゆっくりと意識を覚醒させた。
ああ、なんて最高の朝なのかしら。
昨夜はふわふわの白虎様を抱き枕にして眠った。
腕の中に感じる、ずっしりとした重み。
鼻先をくすぐる、お日様のような匂い。
そして何より、あの極上の毛並みの手触り……。
ん?
手触り?
私は寝ぼけ眼のまま、腕の中にある「それ」をすりすりと撫でた。
あれ?
おかしいわね。昨日のような「もふっ」とした感触がない。
代わりに指先に触れるのは、すべすべとした滑らかな肌触りと、引き締まった……筋肉?
「……ん……」
しかも、低い、男の人の寝息が聞こえる。
耳元で。
ものすごく至近距離で。
(……え? 何事?)
私はバチッと目を開けた。
目の前にあったのは、彫刻のように逞しい胸板だった。
視線を上げると、そこには虎はいなかった。
代わりにいたのは――信じられないくらい顔の良い、一人の男性だった。
銀糸を織り込んだようなプラチナブロンドの髪。
長い睫毛が影を落とす、整いすぎた寝顔。
私が抱き枕にしていたのは、その鍛え上げられた広い肩幅と、厚い胸板だったのだ。
そして、その美しい体には、包帯が痛々しく巻かれているけれど……。
待って。
ええと、状況整理。
1.私は虎様と一緒に寝た。
2.朝起きたら、知らないイケメンが私の腕の中で寝ている。
3.しかも、このイケメン、上半身裸……というか、お布団(私のローブ)の下も、もしかして……?
……キャアアアアアアアッ!!!
と、叫ぼうとしたけれど、声が出なかった。
だって、あまりにも顔が良すぎたから。
じゃなくて!
「あ、あの……! ちょっと、起きてください!」
私は慌てて体を起こし、彼の肩を揺すった。
男性は「ん……」と不機嫌そうに唸り、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
現れたのは、宝石のような金色の瞳。
昨日の虎様と、同じ色。
「……なんだ、騒がしい。……昨夜はよく眠れ……はっ!?」
男性は私を見て、次に自分の体を見て、そしてガバッと飛び起きた。
その拍子に、かけ布団(私のローブ)がずり落ちそうになり、慌てて押さえる。
「な、ななな、なぜ人間の姿に戻っている!? 夜明けはまだ……いや、もう過ぎているのか!?」
低いバリトンの声。
これも、昨日の虎様の「念話」の声とそっくりだ。
「あの……もしかして、虎様……ですか?」
私が恐る恐る尋ねると、彼は顔を真っ赤にして、バッと顔を背けた。
耳まで赤い。
え、可愛い。
「……そうだ。我は……いや、私は、ヴァレリウス。隣の帝国の第二皇子だ」
「皇子様!?」
「呪いにより、夜の間だけ獣の姿になるのだ。……昨夜は、その、世話になった」
彼は気まずそうに咳払いをした。
なるほど、そういうことだったのね。
ファンタジー小説ではよくある設定だわ。
でも、私にとって重要なのはそこじゃない。
「あの、ヴァレリウス様。一つ質問してもよろしいですか?」
「なんだ。礼なら弾むぞ。国に帰れば金貨でも宝石でも……」
「虎の姿には、もう戻らないんですか?」
私の真剣な問いかけに、彼はポカンと口を開けた。
「……は?」
「だから、あの極上のモフモフと、至高の肉球は、夜にならないと戻ってこないんですか? 昼間はずっと、そのツルツルの人間モードなんですか?」
私の悲痛な叫びに、ヴァレリウス様の眉間のシワが深くなる。
「き、貴様……。一国の皇子を捕まえて、ツルツルとはなんだ! それに、なんだその残念そうな顔は! 普通は人間の姿に戻って『素敵!』とかなる場面だろう!?」
「素敵ですけど! 顔面偏差値は限界突破してますけど! でも、私が求めているのは癒やしなんです! あの吸い込まれるような毛並みの弾力と、ポップコーンの匂いがする肉球なんですッ!」
「ぽ、ポップコーン……!?」
彼が自分の手を呆然と見つめる。
今は人間の綺麗な手だ。
爪も整っていて指も長いけれど、残念ながらプニプニ感はゼロだ。
「返してください……私のモフモフ天国を……」
私ががっくりと項垂れると、彼はなんだか居心地が悪そうに視線を泳がせた。
「そ、その……夜になれば、また戻る。……だから、それまで待て」
「本当ですか!?」
「あ、ああ。……それに、昨夜の貴様のマッサージは……悪くなかった。今夜も、その……頼んでもいい」
皇子様が、そっぽを向いたままボソッと言った。
よく見ると、うなじまで真っ赤だ。
これは、もしかして……もう、デレた?
あの冷徹そうな虎様が、私のゴッドハンド(肉球揉み)に陥落したってこと?
(……よっしゃあぁぁぁ!!)
私は心の中でガッツポーズをした。
今夜もモフり放題確定!
捨てられてよかった! 人生捨てたもんじゃないわ!
◇◆◇
そんな平和(?)な朝のひとときは、最悪のノイズによって断ち切られた。
ガサガサッ、と茂みを踏み荒らす音。
そして、聞き覚えのある不快な声。
「おい、本当にこの辺りにいるんだろうな? 野垂れ死んでいれば手間が省けるんだが」
現れたのは、元婚約者のエルフリック王子と、数名の騎士たちだった。
エルフリックは私を見つけると、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
「おや、生きていたか。しぶとい女だ。……ん? そこの男はなんだ?」
エルフリックの視線が、私の隣にいるヴァレリウス様に向けられる。
ヴァレリウス様は上半身裸で、私のローブを腰に巻いただけの姿だ。
状況だけ見れば、確かに怪しい。
「はっ! まさか、森で男を拾って情事とはな! 聖女の皮を被ったふしだら女め! 婚約破棄して正解だったよ!」
エルフリックが勝ち誇ったように叫ぶ。
騎士たちも下品な笑い声を上げた。
私はスッと冷めた目になった。
怒りすら湧かない。ただただ、この男の浅ましさが気持ち悪いだけ。
「……何をしに来たの? 私はもう、貴方とは無関係のはずですけど。ストーカーとかキモすぎてちょっと」
「はんっ! 我が国から追放された罪人が、偉そうな口をきくな! 今日は貴様のその小賢しい『動物会話能力』を完全に封じてやろうと思ってな。……喉を潰せば、二度と生意気な口もきけまい?」
エルフリックが剣を抜く。
本気だ。この男、私を殺す気はないけれど、再起不能にするつもりだわ。
私が一歩後ずさった、その時。
ドンッ!!
地面が揺れるほどの衝撃音と共に、私の前に影が立ちはだかった。
ヴァレリウス様は素手で、エルフリックが振り下ろそうとした剣を受け止めていた。
いや、受け止めたのではない。
指先一つで、剣身を弾いたのだ。
「……誰の許可を得て、私の『飼い主』に刃を向けている?」
地獄の底から響くような、低く、冷え切った声。
さっきまで顔を赤くしていたウブな青年とは別人のような、圧倒的な「強者」のオーラ。
金色の瞳が、エルフリックを射抜く。
「な、なんだ貴様は!? ただの不審者の分際で……!」
「不審者? ふん、愚か者が」
ヴァレリウス様が鼻で笑う。
その瞬間、彼の体から黄金色の魔力が爆発的に溢れ出した。
ビリビリと肌を刺すような覇気。
風が巻き起こり、騎士たちが دمを上げて吹き飛んでいく。
「ひぃっ!? な、なんだこの魔力は!?」
「よく聞け、下郎。私はヴァレリウス・アルマ・ドラグノフ。隣国の第二皇子だ」
「は……? ヴ、ヴァレリウス……? あの『戦場の死神』と呼ばれている……!?」
エルフリックの顔が青ざめ、剣を取り落とす。
彼の名は、他国にも轟くほどの武名を持っていたらしい。
「そ、そんな馬鹿な! なぜ帝国の皇子がこんな場所に! しかもそんな姿で!」
「事情など貴様ごときに話す必要はない。……だが」
ヴァレリウス様が、私の方を振り返った。
その瞳から、冷酷さが消え、代わりに熱っぽい独占欲が浮かぶ。
「この女は、私のものだ。昨夜、私の全て(モフモフ)を受け入れ、私を骨抜きにした責任を取ってもらう」
「は、はいぃ!?」
ちょっと待って、言い方!
誤解を招く言い方やめてください!
「骨抜き」って、マッサージで脱力させただけですよね!?
でも、エルフリックたちは完全に勘違いしたようだ。
「骨抜き……!?」「まさか、夜の技で帝国を籠絡したのか……!?」「恐ろしい女だ……!」と勝手に戦慄している。
「我が国の聖女を傷つけた罪、そして我が皇族に対する不敬罪。……その首一つで足りると思うなよ?」
ヴァレリウス様が一歩踏み出すと、エルフリックは腰を抜かして這いつくばった。
「ひ、ひぃぃぃ! お助けを! 知らなかったんです! 許してくださいぃぃ!」
「失せろ。二度と私の視界に入るな。……次に会う時は、貴様の国ごと地図から消してやる」
エルフリックたちは悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ帰っていった。
あっけない幕切れ。
あんなに怖かった元婚約者が、ヴァレリウス様の一睨みでゴミのように排除された。
これが……「ざまぁ」ってやつ?
スカッとするというより、あまりの格の違いにポカーンとしてしまうわ。
あいつに対する感想はそれくらい。今となっては、他には別に、なーんにも感じないくらいどうでもいい。
◇◆◇
静寂が戻った森で、ヴァレリウス様が私に向き直った。
まだ魔力の名残で髪がふわりと逆立っているけれど、その表情は憑き物が落ちたように穏やかだった。
「……怖がらせたか?」
「いえ。……助けていただいて、ありがとうございます。かっこよかったです」
私が正直に伝えると、彼はまた耳を赤くして視線を逸らした。
このギャップ。
最強の皇子様なのに、中身は昨日の虎様と同じ、不器用な甘えん坊さんなんだわ。
「フローラ。……国へ来い」
「え?」
「私の妃になれ。……いや、なってほしい」
彼は私の手を取り、その場に跪いた。
泥だらけの地面なんて気にせずに。
金色の瞳が、真剣に私を見つめている。
「昨夜、あんな姿の私を恐れず、助けてくれたのはお前だけだ。お前の手は……温かかった。お前に触れられている時だけ、呪いの痛みを忘れることができた」
彼の手が、私の手を包み込む。
大きくて、熱い手。
「責任を取る、と言っただろう? お前が私を飼い慣らしたんだ。もう、お前なしでは眠れない体になってしまった」
それは、実質的な「一生マッサージしてくれ」というおねだりだった。
でも、彼の瞳にあるのは、ただの依存心だけじゃない。
私という人間を必要としてくれる、熱い想いが見える。
元婚約者には「無能」と捨てられた私。
でも、この人は私の手を「温かい」と言ってくれた。
私のささやかな能力を、必要としてくれた。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
でも、一つだけ確認しておかなければならないことがある。
「あの、ヴァレリウス様。……結婚したら、その……」
「なんだ? ドレスか? 宝石か? なんでも用意しよう」
「夜は、毎日虎の姿になっていただけますか?」
私の問いかけに、ヴァレリウス様はカクッと膝を折った。
「……そこか。やはりお前は、私より毛皮の方がいいのか……」
「だって! あんな極上のモフモフ、世界中探しても他にいませんもの! あのお腹に顔を埋めて眠るのが、私の夢だったんです!」
私が力説すると、彼は深くため息をつき、それから、ふっと優しく笑った。
その笑顔が、あまりにも美しくて、今度は私が赤面する番だった。
「……わかった。約束しよう」
彼は私の手の甲に口づけを落とした。
「夜は、お前の好きなだけモフらせてやる。肉球も、腹も、好きにするがいい。……その代わり」
彼は顔を上げ、肉食獣のように目を細めた。
「人間の姿の時は、私自身を愛してもらうぞ。……逃がさないからな、私の飼い主殿」
ゾクリと、甘い痺れが背中を走る。
これは、大変な契約をしてしまったかもしれない。
夜は聖獣様に癒やされ、昼はイケメン皇子様に溺愛される日々。
私の心臓、持つかしら?
でも。
彼の手の温もりと、これから始まる「モフモフ&甘々ライフ」を想像すると、自然と笑みがこぼれた。
「……はい。謹んで、お受けいたします」
森の木漏れ日の中で、私たちは二度目の契約を結んだ。
今度は、誰かに強制されたものではない。
私たちが自分で選んだ、最高に幸せな契約を。
こうして、森に捨てられた無能聖女(自称)は、隣国の皇子様(兼、聖獣様)に拾われ、国一番の愛され妃となるのでした。
あ、ちなみに。
その後のエルフリック王子とその国がどうなったかは……ヴァレリウス様の「ちょっとした制裁(経済封鎖)」によって、見るも無惨なことになったらしいけれど。
今の私には、関係のないお話。
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