「石女」と妹に婚約者を奪われた私、辺境の「不能公爵」に嫁ぐ。触れただけで旦那様が元気になったのですが? 実は豊穣の聖女だった私を朝まで溺愛する彼と幸せなので、破滅寸前の元婚約者は放置します
「エリンシア・フロルベール。石のように何も産まない『石女』のお前との婚約を、ここに破棄する!」
王城の大広間に、婚約者であるユリオス殿下の嘲笑を含んだ声が響き渡った。
楽団の音も、シャンデリアの光も一瞬で遠のく。
「……理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「聖堂の鑑定結果だ。お前には何の加護もなく、子を成す力もない欠陥品だと判明した。王家に『石女』は不要だ」
殿下は私の横に寄り添う妹、ノクサの腰を抱き寄せる。
ノクサは勝ち誇ったような笑みを扇で隠し、猫なで声を出した。
「可哀想なお姉様。女としての幸せを何も持たないなんて……。でも安心して? 殿下のことは私が慰めて差し上げますから」
「……っ」
父である伯爵も、私ではなくノクサの肩に手を置き、冷たく言い放つ。
「家の恥だ。さっさと下がれ」
ああ、そうか。私はもう、本当に要らないのだ。
胸の奥が凍った湖に沈んでいくように冷えていく。私は深く一礼した。
「承知いたしました。今までのお情け、感謝いたします」
誰も、私の手を取らなかった。
◇
翌日、父は厄介払いをするように私の行く先を告げた。
「北方ネヴラント辺境公爵、カイラム・ヴァル=ネヴラント殿への輿入れが決まった」
「辺境、公爵……」
噂は聞いている。雪と氷に閉ざされた、魔物の彷徨う北の果て。
そして何より、カイラム公爵には不名誉な二つ名があった。
「世間では『不能公爵』と呼ばれておるな。女を抱けぬ役立たずだそうだ。子を望まぬなら、石女のお前とお似合いだろう」
古い家具でも処分するような口調。
私は唇を噛み締め、了承するしかなかった。
◇
北へ向かう馬車の窓の外は、すべてが白に塗りつぶされていた。
やがて馬車が止まり、扉が開く。そこに立っていたのは、噂とは似ても似つかない威容の男性だった。
漆黒の髪に、凍てつく氷のような灰青の瞳。
厚いマントの下から覗く体躯は、熊さえ絞め殺せそうなほど屈強な軍人そのものだ。
「遠路、ご苦労だった。エリンシア嬢……いや、今日からは私の妻だな」
低く、腹の底に響くような美声。私は慌てて تعظيم(カーテシー)をする。
顔を上げると、その瞳がじっと私を見つめていた。
冷たいのではない。まるで獲物を見定めるような、妙に熱っぽい視線。
公爵は私に触れようと手を伸ばし――けれど、指先が触れる直前でピタリと止まった。
「……寒いだろう。中へ入れ」
彼は苦しげに顔を背け、拳を握りしめて手を引っ込めた。
空を切った私の手は、行き場をなくしたまま握りしめられる。
やはり、『不能公爵』は女に触れることさえ嫌悪するのだろうか。私はそう思い込むしかなかった。
◇
けれど、ネヴラント城での生活は予想外の連続だった。
用意された部屋には、私が子供の頃から愛読していた希少な本がずらりと並び、食事は私の好物ばかりが出てくる。
「公爵様が、十年ほど前から奥方様をお迎えするために準備されておりました」
家令の言葉に耳を疑う。十年前?
記憶の端に、かつて舞踏会で転んだ私を助けてくれた、無口な黒髪の青年の姿がよぎった。
そして、もっと不思議なことが起きた。
荒れ果てた裏庭を散歩し、枯れた花壇に触れた翌日のことだ。
「奥方様! 大変です、花が一斉に咲き乱れております!」
庭師の叫び声に見に行くと、雪の中でそこだけ春が来たように、色とりどりの花が溢れていた。
「石女」と呼ばれた私が触れた場所だけが、命を吹き返している。
「……まさか、これが私の力?」
呆然とする私の背後で、公爵の熱い吐息が聞こえた。
「豊穣の女神だ……」
振り返ると、公爵が陶酔したような瞳で私を見ていた。
彼は一歩近づき、けれどまた何かに耐えるように身を引く。
「すまない。……近くにいると、理性が」
その夜、寝室の壁越しに、獣のような低い唸り声が聞こえた。
『……これ以上近づけば、自制できん。壊してしまう……』
それが拒絶ではなく、別の意味を含んでいることに、私はまだ気づいていなかった。
◇
そんな平穏な日々は、王都からの理不尽な命令書で破られた。
『王都にて深刻な食糧難が発生。ネヴラントの物資を献上せよ。また、エリンシアを説得役として召喚する』
胸がざわめく。あの場所に、また戻るなんて。
震える私の肩を、公爵の大きな手が、今度は迷いなく包み込んだ。
「行こう。私がついている。二度と、君一人を矢面に立たせはしない」
その瞳の暗い輝きに、私はなぜか心強さを感じていた。
◇
王城の大広間は、以前よりも殺伐としていた。
玉座の前で、ユリオス殿下と妹のノクサが焦燥しきった顔で立っている。
「遅いぞエリンシア! ネヴラントの穀物をすべて差し出せ。それが王家への忠誠だろう!」
ノクサも、以前の覇気はなく、ドレスもどこか薄汚れている。
「そうよお姉様。石女のくせに生意気よ。どうせ不能公爵と毎晩寒々しく寝ているのでしょう?」
嘲笑うノクサに、私は一歩前に出た。
不思議と怖くはない。背後に、怒気を孕んだ公爵がいるからだ。
「お断りします」
「なっ……!?」
「私たち夫婦は、ネヴラントの民を守る義務があります。あなた方の浪費の尻拭いをするつもりはありません」
公爵が、無言で書類の束を王の前に放った。
そこには、二人が国庫を横領して遊び呆けていた証拠と、聖堂を買収して私の鑑定結果を偽造させた告発状があった。
「な、なんだこれは……!」
王が激昂し、書類をユリオス殿下に投げつける。
「エリンシア嬢は『石女』などではない! 国を富ませる稀代の『豊穣の加護』持ちではないか! それを追放して、この大凶作を招いたのはお前たちか!」
「ち、違うのです父上! 騙されたのです!」
「嘘よ、全部お姉様が悪いのよ!」
醜く責任を押し付け合う二人を見て、王は冷酷に告げた。
「ユリオスは廃嫡し、修道院へ幽閉。ノクサは爵位剥奪の上、国外追放とする!」
衛兵に捕らえられたユリオス殿下が、なりふり構わず私に這い寄ってきた。
「ま、待ってくれエリンシア! 愛していたんだ、やり直そう! お前の加護があれば、僕はまた王太子に戻れる! な、そうだろ!?」
私のドレスの裾を掴もうとしたその手は、公爵の革靴によって無慈悲に踏み砕かれた。
「ぎゃあああっ!?」
「私の妻に触れるな。……その汚い手を切り落とされたいか?」
公爵から放たれる絶対零度の殺気に、殿下は悲鳴を上げて失禁し、泡を吹いて気絶した。
私は冷めた目でそれを見下ろし、告げる。
「さようなら。二度と私の視界に入らないでください」
◇
「……すまない。やりすぎたか」
王都からの帰り道。馬車の中で公爵がバツが悪そうに呟く。
私は首を横に振った。
「いいえ。……とても、スカッとしました」
ふふ、と笑うと、公爵が目を見開く。そして、何かの糸が切れたように、私を強く抱きしめた。
「きゃっ……カイラム様?」
「もう限界だ。……王城で、あの男が君に触れようとした時、殺意を抑えるのに必死だった」
耳元で囁かれる声は熱く、甘く、溶けるようだ。
「世間では私が『不能』だと噂されているそうだが……真実は逆だ」
彼の大きな手が、私の背中を這い上がり、熱を伝えてくる。
「十年前、君に恋をしてから、君以外には反応しない体になった。そして君に対しては……触れたら最後、理性が消し飛ぶのが分かっていたから、必死で耐えていたんだ」
「そ、それじゃあ、避けていたのは……」
「大切にしすぎた結果だ。……だが、もう遠慮はしない」
公爵の瞳が、ギラリと捕食者の色に輝く。
「城に戻ったら、覚悟しておいてくれ。十愛年分の愛を注ぎ込む。……朝まで寝かせるつもりはない」
「……はい、旦那様」
私は頬を染めて、愛しい「不能公爵」様の首に腕を回した。
石女と罵られた私は今、誰よりも愛され、豊かな実りに包まれている。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
石女と罵られた令嬢が、雪深い辺境で自分の価値と止まらない愛を見つけるまでのお話でした。
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