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冷めたコーヒーは、美味しくない  作者: やわらぎメンマ
5/10

企画と準備は、やはり楽しい

 生徒会室の机の上に、一枚の結成届が置かれていた。

 欄外には校長の承認印と、顧問・副顧問――宏太と由奈のシャチハタがすでに押されている。

 本来なら校長印が最後に来るはずなのに、今回は順序が逆。最後の空欄は、生徒会長の承認印だった。 

 

 今この場にいるのは、宏太と由奈、そして会員一号の爽。おまけに普段なら校長室に籠っているはずの貞夫が様子を見に来ていた。

 そしてその書類を前に座る、制服をキッチリと着こなした2年の男子生徒―――真鍋(まなべ) (すすむ)はそのおっとりとした体格と同様の表情で結成届を手に取る。


 「……なんか、面白いサークルが出来ましたね」

 真鍋会長が何処か明るい口調で呟く。視線の先には“アウトドア同好会”の文字がくっきりと並ぶ。


 書類の代表者欄には――爽の名前。

 「……ホントに僕で、大丈夫なのかな」

 思わずこぼれた声は、かすかに震えていた。


 「ま、校長公認ってことなら、自分が拒否する理由もありません」

 ペタン、と乾いた音。

 生徒会長は迷いなく印鑑を下ろし、“アウトドア同好会”は正式に承認された。


 「やったーっ!」

 末席にいたもう一人の女子生徒―――笹川絢音が、ぱんぱんと拍手をしながら声をあげる。

 あまりに無邪気な調子に、爽は「……もう決まっちゃったんだし、やるしかないか」と小さく息を吐いた。


 そんな爽の独り言を漏らす一方で、

 「……って、おい。笹川はなんで此処にいる」

 宏太が思わず目を丸くした。


 「え? なんでって、生徒会のメンバーだからですけど」

 さも当然のことのように答える絢音。

 だが宏太は続けて、

 「いやいや、俺のクラスの生徒だろ。担任なのに知らなかったぞ」

 「先生ってそういうとこ、ほんと無関心ですよね」

 けろっと返されて、宏太はむぐっと詰まった。由奈は苦笑いを浮かべていた。


 爽はどうにか頷いたが――心の奥ではずっと、「僕に会長なんて……ほんとにできるのかな」という不安が渦巻いていた。


 その一方、

 「よし、これで決まりだな」

 その様子を後ろで眺めていた校長・長瀬貞夫が、楽しげに笑う。

 「まぁ、これからはぼちぼち部員を増やしていくといい。道具も初めは何もないだろうから、私から結成祝いに後でプレゼントを用意しておくよ」


 背中越しにいいながら、貞夫は生徒会室の扉に手をかけると、いつもよりも少し軽い足取りで廊下へと出ていく。

同好会創設を仕向けた張本人は、傍から見ても上機嫌な様子だった。


「やっぱりなんか、解せねーな……」

「そうだね……。これ、ただのお父さんの趣味だし……」


 不満とも不安とも言えない、どこか後ろ向きな事を溢す宏太と由奈。

 その後ろで何処か微笑ましいものを見るような表情の真鍋会長と絢音。


 その対照的な光景の中で――爽の胸に渦巻いていた緊張は、ほんの少しだけ和らいでいった。





所変わって、その後の校長室。

 ――コン、コン。

 夕暮れの静けさを破るように、重たい音が校長室の扉を叩いた。


 「失礼します」

 きしむ蝶番の音とともに入ってきたのは、学年主任と教頭、そして美鈴の担任だった。

 三人はいずれも背筋を固く伸ばしていたが、その足取りにはどこかためらいがにじんでいた。


 「おやおや、珍しい顔ぶれだね」

 長瀬貞夫は椅子に腰かけたまま、細めた目で彼らを迎える。

 机上の書類を軽く手で押しやり、まるでこれからが余興だと言わんばかりの笑みを浮かべた。


 教頭が一歩前に出て、声を低くする。

 「実は……糸川美鈴さんの件で、トラブルが発生していまして……」


 その一言に、室内の空気がぴんと張る。

 宏太が同席していれば間違いなく身を固くしただろう。担任は無意識に書類を胸に抱え込んでいた。


 「ほう? それはまずいね」

 貞夫はわざとらしく眉を上げ、椅子の背に深くもたれかかる。

 指先でペンをカチリと鳴らしながら、ゆっくりと言葉を継いだ。

 「で、その“トラブル”というのは、具体的にどういうことなんだい?」


 視線を向けられた担任は、居心地悪そうに咳払いをしてから口を開いた。

 「……どうやら糸川さんが、“しばらく外泊します。探さないでください”と書き置きを残して家出していたらしくて……」


 「ふむ、なるほど」

 貞夫は頷き、ペンを弄ぶ手を止める。

 「その話、いつ頃わかったんだい?」


 「え、えっと……今日の午後一時ごろに糸川さんの保護者から電話がありまして。昨日から戻っていない、とのことです」


 次第に重くなる空気。

 それを意に介さず、貞夫は冷静に情報を引き出していく。


 「なるほど……。ちなみに糸川さんは、今日学校には?」


 唐突な問いに、担任は一瞬口ごもった。

 「それが……」

 しばし逡巡を浮かべたのち、搾り出すように答える。

 「糸川さんは、今日も普通に、登校していました」


 言葉が喉の奥に消える。

 三人の教師が同時に顔を見合わせ、重苦しい沈黙が流れた。


 登校しているのに、家には帰っていない――。

 矛盾があらわになった瞬間だった。


 「なるほど、つまり……」

 張り詰めた空気を破ったのは、やはり貞夫だった。

 「“家庭では姿を見せていないのに、学校には通っている”。そういうことだね」


 その声は淡々としていたが、不思議な重みを帯びていた。

 三人の教師はいずれも言葉を失い、ただ所在なさげに立ち尽くす。


 「本人には直接聞いたのかい?」

 貞夫が問いかけると、担任は小さくうなずいた。

 「一応取り急ぎ面談をしました。ですが、“ちょっと帰りたくない理由があって……でも安全な場所に泊めてもらっているので、大丈夫です”と繰り返すばかりで……。その後、放課後に呼び出そうとしましたが、いつの間にか姿を消してしまいまして」


 「そうか」

 短く返した貞夫は、窓の外に目をやりながら穏やかに続ける。

 「ただの家出じゃないのかい? 友人の家に泊めてもらっている、とかね。ともあれ、ことを大げさにしたところで、根本的な解決にはならないだろう」


 だがそこで、担任が思い切って言葉を継いだ。

 「……実は、糸川さんには以前にも“学校に身を寄せていた”という経歴がありまして」


 貞夫は眉一つ動かさず、あたかも初めて聞いたかのように首をかしげてみせた。


 担任はさらに言葉を重ねる。

 「そのこともあり、保護者からは“直接学校で話をしたい”と強く求められました。……明日の昼過ぎに来校したい、とのことです」


 「なるほど」

 貞夫は椅子からゆっくりと立ち上がる。

 「なら、私も同席しよう」


 その一言に、三人の教師は抱えるトラブルが”厄介な問題になった”と、表情を少し強張らせる。

 そして押し黙ったまま三人は、小さく頭を下げた。

 

 だがその一方、彼らに背を向けて外の景色に視線を向ける貞夫は、余裕の笑みを浮かべている。

 (場は整った。あとは、彼らに任せてみようじゃないか)

 

 そんな思惑を密かに抱きながら、貞夫は由奈と宏太の教育の場を整えていくのだった。

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