第1部-第1章:黒猫と魔女 ~私も猫のようにかわいければ愛されるのだろうか~
【警告】
この作品は、非常に重層的で長大な複雑な物語です。また、暴力表現、差別表現、性表現、著しく偏りのある政治的主張、反社会的及び反道徳的な哲学/思想、その他、不快な表現が含まれます。現実と虚構の区別の付かない方、善と悪の区別の付かない方、心身の健康状態が不安定な方は、読書を御控えください。
【第1部:美徳の紊れ ~モラルな上半身的精神~】
第1章:黒猫と魔女 ~私も猫のようにかわいければ愛されるのだろうか~
1
どうして愛されないのだろう。だれからも愛されていない。私も私を愛していない。たくさんのひとから愛されるひともいれば、だれからも愛されないひともいる。それはうまれたときにはきまっている。私はだれからも愛されない生物としてうまれてきてしまった。私が猫にうまれてきていたら私はそれだけで貴方から愛されていたにちがいない。目がさめたら耳がはえていたらいいのに。髭や尻尾がはえていたらいいのに。けむくじゃらのかわいい生物にうまれかわっていたらいいのに。言葉なんていらない、知恵も知識もいらない、こんなにおおきな体もいらない。小賢しくなるほどみにくくなる。体がおおきくなるほど抱きしめてもらえなくなる。人間は余計なものばかりでできていて、最も肝心なものはもちあわせていない。
貴方だって私を愛さないだろう。私が貴方を愛したところで貴方はにげていくのだろう。だから私は貴方を愛さない。私は貴方を憎む。そうすればかなしくもなんともない。ひとりになれてよかったとおもえる。けれども私は自分で自分を慰めるときでも貴方をもとめている。私は私以外のだれかを、自分を愛してくれるだれかをおもいうかべながら自分で自分を慰める。
快楽がよせてはかえす。波はずるりずるりと私をひきずりこみ、次には私をおしながし、私をのみこんでしまう。私は果てる。砂浜にうちあげられた魚のように、口をあけて貴方をもとめるが、貴方はどこにもいない。黒くてつめたい海ばかりがひろがる。それもたちまちきえてしまう。私は私のおぞましい欲望を憎悪する。それとひとつになれたとおもったのに、最後の最後に、それからはじきとばされてしまう。それをもとめながらもそれにあらがっている。それにあらがいながらもそれをもとめている。私は私を軽蔑する。夢からさめる。
2
「永遠に夢がつづいたらいいのに」
「まだ夢のなかにいるかもしれないよ」
私達は目をひらいてまばたきすると頬をつねる。
部屋はうすぐらい。夜明けだろうか。体を起こしてあたりをみわたす。寒い。寒すぎる。布団にもぐりこむ。真白で退屈な天井をにらみつける。天井にうめこまれた空調機はうごいていない。暖房がきいていない。音がしない。蛍光灯には鉄網がかけられている。自分の肉体をいたわるようにさする。太腿はこわばり鳥肌をたてている。もういちど体を起こす。小部屋に寝具がひとつと事務机がひとつ。小さな窓がある。防犯カメラのレンズには窓からかすかにもれる青白いひかりが反射している。まるで凶悪殺人鬼が閉じこめられた特殊な独房である。殺人鬼のほうがもうすこしまともな部屋に住んでいるかもしれない。手を開いたり閉じたりしながら十本の指の動作を確認する。昨日まであったぶかぶかした感覚はない。精神と肉体のあいだにずれがない。破砕機の音もきこえない。
「閉じこめられているみたい」
「閉じこめられているみたいではなくって閉じこめられているんだよ」
「『閉じこめられているみたい』と『閉じこめられている』はおなじようなものだよ」
「『おなじようなもの』は『おなじ』ではないよ」
「細かいことはどうでもいいんだよ」
「細かいことはどうでもよくないよ」
「どうして」
「どうしてもなにもないよ」
「どうしてそんなに細かいことをきにするの」
「細かいことが世界をつくっているからだよ」
私達は運動靴をはいてたちあがる。今、卵からでてきたばかりのひよこのように、世界をあらためてみなおす。「細かいことが世界をつくっている」と私達は復唱する。体を左右にゆらして筋肉の使いかたをおもいだす。世界の連続性が理解できない。昨日と今日の引継ぎに違和感がある。昨日と今日のあいだに飛躍がある。眠るたびに死んでいる。起きるたびに蘇る。目覚めるたびに世界をおもいだすところからやりなおす。私はだれでここはどこなのか、そういうところから。目覚めはよみかけの書物をひさしぶりにひらく感覚とにている。
私達は病院に入院している。理由はわからない。ほんとうはわかる。だけれどわかりたくない。かんがえたくもないしおもいだしたくもない。脳の奥に記憶をしまいこんでそのままわすれてしまいたい。記憶が蘇るのがおそろしい。脳が裏返るようなおそろしさ。そういうおそろしさは連鎖する。一点の恐怖が二点の恐怖をひきおこし、二点の恐怖が四点の恐怖をひきおこし、爆発的に恐怖が増殖して、脳は恐怖に占有される。呼吸はあらくなる。息苦しくなる。自分が自分ではなくなる。発作がおきる。だからできるだけかんがえないようにする。もしくはかんがえることをしぼりこむ。
私達の思考はとんがった氷山の頂上にある。思考は転がりはじめるととまらない。回転しながらどんどん加速していき、ぼとん、海におちる。溺れる。沈む。意識は真暗になる。そのあと真赤になる。深海生物達が私達を解体する。手足をちぎり食いちらかしてしまう。これが発作である。医者は内側でおきているこういう現象を理解しない。外側から観察してときおり病名や薬をあたえるだけだ。外側しかみていないから私達がいかなる緊張に、不安に、恐怖におびえているのかわからない。常に氷山の頂上でバランスをとるのに必死なのに。私達が硬直していたとしてもそれは無思考を意味しない。多思考、むしろかんがえすぎている。下半身に力をこめて自分の思考の回転をとめようとしている。精神的激動が肉体的硬直としてあらわれている。
「そんなことはどうでもいいから前向きにかんがえようよ」
「油断するとふりだしにもどるよ」
「机も準備してもらえたし」
「本もある」
私達は深呼吸する。事務机の椅子にすわる。ひきだしを開けたり閉めたりする。これで自分の好きな書物をよめる。問題をおこさなければ行動も制限されずにすむ。なにもかんがえずに平凡なまいにちをすごせばいい。死ぬまで書物の世界に入浸りそこからでなければいい。これからよみふける書物をおもいうかべる。よみたい書物はやまほどある。書物にうもれながら死んでいくのもわるくない。それこそ理想的かもしれない。自分の生活を悲観してもしかたない。
病院に入院しているあいだに何百冊も読破した経営者のはなしをおもいだす。次に牢獄に閉じこめられているあいだに名作をうみだした小説家をおもいだす。私達もそんなふうにしてこの閉じられた場所を活かせばいい。これからも書物の世界に没入しよう。あわよくばここでなにかを生みだせるかもしれない。私達にも読んだり書いたりすることくらいならできる。事務机の表面をなでまわす。頬をあててみる。氷みたいだ。冬眠の時期にちがいない。冬眠の時期は肉体的にも精神的にも力をたくわえる時期、こういう時期はだれにでもある。
経営者のはなしも小説家のはなしも読書からえたものだ。私達の記憶の九割は書物由来でありそれらのほとんどは言葉。そうした言葉が全身に網をはりめぐらせて世界を構築している。私達にふりそそぐ数々の物事はあらかじめはられた網に捕獲された雨粒である。個別の物事つまり雨粒はそれそのものでは世界を構築しない。言葉が世界を構築している。だからあたらしい言葉の体系ないし物語は網のはりかたをかえて雨粒の配列もかえてしまう。星座をおぼえるまえとあとでは星空のみえかたがかわるように言葉は世界をかきかえる。
「雨は世界ではないのかな」
「雨は世界ではないとおもう」
「口や目や耳や鼻は顔なのかな」
「口や目や耳や鼻は顔ではないとおもう」
「それらがばらばらのままなら顔ではないだろうね」
「もしそうだとしたら私達の顔は顔といえるのかな」
私達は洗面所で顔をあらいながすと鏡で自分の顔をながめる。口や目や耳や鼻はついている……しかしそれらをまとまりある顔としてとらえられない。他人の顔は顔として認識できるのに自分の顔だけがいまいち顔として認識できない。こうした感覚も自分が病院に閉じこめられている理由のひとつなのだろう。タオルで顔を拭いてからなでまわしてみる。冷たくてかたい。それはある。それはあるのになんとなく顔らしくない。他人からすれば奇妙な感覚かもしれないが自分ではあまりきにならない。
私がきになるのは監視である。鏡に目を近付けてのぞきこむ。仕掛けがありはしないかたしかめる。マジックミラーで患者を観察していた施設は実際に存在する。マジックミラー越しに患者のようすを観察して診断の材料にするのだ。現代の精神病院でそういう小細工が使用されることはないだろう。昨日も確認したのだから今日あらためて確認する必要もない。それでも毎日確認しないときがすまない。鏡をコツコツとたたいてみる。仕掛けらしきものはやはりなさそうだ。
洗面所にあるべきものがない。歯ブラシもなければ歯磨粉もない。看護師のおばあさんがおきわすれたのだ。行動制限は解除されているはずなのに……看護師のおばあさんはわすれっぽいところがある。看護師をするにしては年寄りすぎる。顔は老木のおばけみたいにしわしわで目玉は傷付いた硝子玉のようににごっている。
無性に苛々する。歯ブラシがないだけのことなのにどうしてこんなに苛立たしいのだろうか。病院に閉じこめられているとささいなことがきになる。自分は世話をされている立場だからあまり文句をいえたものでもない。先生にたのみこんで事務机を用意してくれたのは、ほかでもない、このおばあさんである。おばあさんの笑顔が頭によぎる。
看護師のおばあさんはあまりにも喋りすぎる。会話なんてもとめていないのに彼女は鉄砲みたいに言葉を一方的にうちこんでくる。遠くのほうからきこえてくる言葉に耳をかたむけるのは嫌いではない、が、おばあさんの言葉は近い。私達はそれが原因でこれまで三回も発作におそわれている。さすがにそれからはおばあさんも多少配慮してくれるようにはなった。三回の発作をおこしてようやく。それまでは配慮してくれなかった。
看護師のおばあさんには精神医療の知識がたりていない。彼女自身は「半世紀近く精神障害者の看護をしてきた」と豪語していたし、それはおそらく嘘ではなかろう。しかしだからこそおそろしい。腐りかけている食材で自信満々にパスタをふるまう料理人のようなものである。彼女の古ぼけた知識と経験は迷信にまみれ腐臭をはなっている。なおかつ頑固な信念まである。彼女は懸命に話掛けていたらそのうちわかりあえるとおもいこんでいる。だから私達のような精神障害者が相手だろうとおかまいなしにはなしかける。私達は会話なんてもとめていない。私達がもとめているのは冬眠だけ。
「ひとりになりたい」
「ひとりになりたい?」
洗面所をでたところでたちどまる。清潔で生活感のない病室、寝具のうえでまるまっている脱殻のような布団、なんにもおいていない事務机、だれもこしかけていない椅子、私達はすでにひとりだ。なにを読んでもなにを書いてもかわらない。冬眠はいつまでつづくのだろう。冬眠しているうちに老人になるのではなかろうか。私達は青春はおろか、友情も恋愛もしらず、そのまま死んでしまうのかもしれない。
洗面所にもどる。鏡とにらみあう。瞼がふるえている。
「貴方は嘘をついている」
「私は嘘なんてついていない」
「怒らないで」私はうなずく「今日も笑顔の練習をしよう」
笑顔の練習をはじめる。ぎこちないがだんだんとうまくなっているようなきがする。「おさるのおちんちん」ととなえてみる。我ながら間抜けな呪文である。間抜けな呪文をとなえると自然と笑顔になる「おさるのおちんおちん、ごりらのおまんまん、うんちっち」自分の顔がだんだんと顔らしくみえてくる。そういうきになれるだけだ。なにもやらないよりはいい。気楽になれる。微笑んでいる自分の顔はいまだにみなれない。人間のふりをしている人間以外のなにかにみえる。舌をだしてみたりさまざまな表情の練習をする。自分の顔が顔らしくみえてくる。なんのためにこんな練習をしているのだろう。
「ほんとうは貴方も会話をもとめているんだよ」
「そんなことないよ」
鏡の貴方と会話する。
笑顔は歪んでいるようにみえる。
「なんのために生きているのかな」
私達以外にだれもいない洗面所で、その言葉は、深い井戸におとした石ころが水面にぶつかる音のように、遠くからきこえてきた。ほかでもない、それは私達の言葉だったが、自分で意識してはきだした言葉ではなかった。黒い喉の奥からふいにとびしてきた言葉だった。口角はひきつり頬の筋肉は痙攣していた。目と鼻と口の位置がずれているようにみえた。目が二重に分裂してみえた。次には三重に分裂してみえた。
「自殺をとめようとするひとたちはたくさんいる」おさえこんでいた言葉が口からあふれだした「だけれどなんのためにそんなことをするんだろう。結局善人振りたいだけ。私達のことなんかなんにもかんがえていない。自殺志願者をたすけたつもりになって満足したいんだよ。あのひとたちがたすけているのは自分だけで私達をたすけてはいない。たすけようともしていない。自殺をとめようとするひとたちは、私達をもとめてなんかいない、それどころかほんとうは、私達なんかいなくてもかまわない。世界に必要とされていないしだれからも愛されていない。世界は苦しみをあたえるばかりで喜びなんてちっともあたえてくれない。だれからも必要とされていないし愛されていないのなら、なんのためにこの苦しみに、たえなければならないの。苦しみにたえてまで生きなければならない理由はどこにあるの。そんなものはどこにもないんだよ。貴方もそんなことくらい気付いているはずなのに……」
「おさるのおちんおちん、ごりらのおまんまん、うんちっち」私は自分の言葉をおしころすようにとなえる。
「くだらないよ」私の言葉は自分の言葉をさえぎろうとする。
「やめようよ」
「やめないよ」
「私は貴方を愛しているよ」私は鏡の貴方にむかいかたりかける。笑顔はきえている。貴方はいいかえす「貴方が私を愛しているとしてなんになるの。貴方は私を抱きしめることもできないし、貴方は私に接吻することもできない、なぜなら貴方は私で私は貴方だからだよ。自分で自分を愛したところでかぎりある。そのさきはいきどまりでなにもない。私達の関係は最初から破綻しているんだよ。私は貴方の友達かもしれない、貴方は私の友達かもしれない、だけれどその友達は空想の友達。貴方もそのことに気付いているはずなのに」「あくまでこれは練習だから」「練習をどこまでつづけるつもりなの。本番はいつになるの。本番の予定もないのに練習もなにもない。こんなひとりあそびで人生を終えたくない。ひとりあそびはくだらない。自己愛がふくらんでいくだけで病気はますますわるくなる。愛されようとばかりしてばかみたい。私達は内向きのやじるし。だからここからでられない。内向きにとじていくばかりですすまない」「焦らないほうがいいよ」私は首をよこにふりながらあばれる焦燥感をなだめようとする「私達はもともと会話の練習をしていたはずなのに。気付けば会話から逃げるためのひとりあそびになっている。貴方は逃げてばかりいる。生きることからも死ぬことからも逃げている。なにが冬眠の季節だよ。貴方は永遠に冬眠だけしているくまさんだよ、いっそ、餓死すればいいのに」
「やめて!」私は鏡から目を背けると部屋をせわしなくあるく。壁をたたいてみたり布団にもぐりこんでみたりする。どうしたらいいかわからない。廊下にとびだしてみたはいいがそこからさきにいくあてもない。廊下にはだれもいない。冷静にならなければならない。言葉があふれだしてとまらない。汗がふきだしてくる。なぜだろう。非常階段の扉があいている。五階から一階までかけおりる。なんのために。わからない。ばれたらおこられるかもしれない。落ちついているふりをしてのんびりあるく。時計の針は午前六時をさしている。図書室の利用可能時間までだいぶある。廊下の椅子にこしかける。膝はふるえている。
3
「猫、猫、かわいい猫」小声でひとりごとをくりかえす。私は貴方にむかい自分の状況を説明する、こんなふうに「私は病院にとじこめられている。どうしようもなくて死にたくなる。わけもわからず1階までおりてきた。動揺している。混乱しているだけ。なにもおそろしいことはない」するとすこしだけきもちが落ちつきをとりもどす。手足のふるえもとまり呼吸のみだれがおさまる。そしていつものように深呼吸する。
図書室のとなりには魔女の部屋がある。彼女が活動をはじめるのはたいていお昼すぎだ。朝は部屋にいない。扉の小窓からのぞく。暗くてよくみえない。ひとの気配はない。扉には木製の看板がさげてあり赤いうさぎと黒いうさぎの絵がえがいてある。扉の隙間からもれだしているのか香水のにおいがする。魔女のにおいが彼女の記憶をよびおこしそれらがひとつの像をむすぶ。黒猫をだいている魔女のすがたをおもいだす。
魔女、遠近感が狂いそうになるほどのおおきな体、芳香をふりまくゆたかな巻髪、床をうちつけるヒールの足音、子守唄でもうたうようなゆったりとした口調。精神科の先生といえば比較的自由なひとがおおい。とはいえあんなに自由な先生は世界でも彼女くらいではなかろうか。これまでの先生よりは信用できる。ちがう、そうではない、彼女は信用できるような人間ではない。信用どうこうではなく単純に能力がある。彼女が自分の担当にかわってから発作がおこる頻度は半減した。処方する薬もおおくない。それまではおおいときで八種類以上の薬をのまされていた。彼女が処方する薬は三種類だ。
どうして魔女の部屋のまえにいるんだろう。心のどこかでたよりにしているのだろうか。巨大ななめくじのような彼女がぬらりぬらりと近付いてくるときのあの感覚。あれはなんなのだろう。なんだかそわそわして逃げだしたくなる。目を背けたくなる。けれども逃げだすこともできなければ目を背けることもできない。それどころかまじまじとみてしまう。ひきつけられさえする。
魔女はいまどこにいるのだろう。たとえば「死にたくなりました」と彼女に白状してなんになるんだろう。そんなことをいえば行動を制限させられるかもしれない。ようやくここまできたのに。問題をおこしたら五階からおりることはおろか自分の病室からもでられなくなる。相談するまでもなく自分の行動が滑稽であることくらい重々承知している。本当に死にたいのなら衝動的に死のうとしてもうまくいかない。自殺に失敗するたびに状況は悪化する。なにもおもいだしたくない。おもいだせない。おもいだそうとすればおもいだせるのかもしれないが……なんにせよ衝動任せの自殺はうまくいかない。
早朝の病棟、多目的トイレのまえにふたりの人影がみえる。抱きあいながら舌をからめあう女性と男性、男は女の胸を揉みしだき腰をふりながら自分の股間を懸命に彼女の体に押しつけている。女もみずから股間を突きだして腰をくねらせる。ふたりはたがいの腰に手をまわして股間を擦りあわせる。最初は男が発情していたようにみえたが、女にも火がついたのか、蟹のように脚を不恰好にひろげて腰をふりはじめる。ふたりとも性器にとりつかれている。女は壁に背中をあずけて股間だけまえに突きだしているためとても奇妙な格好になっている。本人達は必死だがはたからみると無様である。どうしてこんな人目につきそうなところで。人目に触れるか触れないかというスリルをたのしんでいるのかもしれない。よくみるとふたりとも中年である。立派な大人が早朝からこんなところでなにをしているのだろう。仮にこれも愛の一形態なのだとすれば、愛とはあまりに、迷惑で見苦しい。
愛は人間の理性を腐敗させて人間未満の動物まで退化させてしまう。成熟した中年の男性や女性も愛にのみこまれるとみさかいない幼児になりさがる。理性の檻に閉じこめていた赤んぼうがとびだしてきて抱きついたり甘えたり舐めたり吸ったり漏らしたりする。愛は性よりもよほどおそろしく、それは、なにもかもどろどろにとかしてしまう。性が落下だとすれば愛は穴だ。中庭は奥行きのある白い霧でみたされている。自分の胸をさわがせるこの感情はなんなのだろう。ふたりはあきもせずおたがいの股間を擦りあわせる。その運動は動物的というより機械的にみえる。思考することをやめてただただ快楽をもとめて運動する機械、脳にあらかじめかきこまれたプログラムに基づいて生殖するふたり。仲間はずれにされた私達はひとりでぼんやりとながめる、中庭をただよう霧、空中を浮遊する無数の水滴、白くあわい朝日の散乱、世界で自分だけが孤立している。
愛なんていらない。中庭にとびだす。外気にあたる。石畳で舗装された道のところどころによせあつめられた雪のかたまりがある。泥でよごれている。できそこないの雪だるまには黄色いしみができている。だれかが小便でもかけたのだろう。枯木の枝は霧でかすんでいる。やたらとひろいばかりの中庭は十分に草木の手入れがされていない。鉄格子の巨大な門はさびている。警備員がこちらをみている。なんであんなにみているんだろう。あんなふうにみられていてはきもちよく散歩することもできない。この病院は刑務所のようだ。建物は敷地にたいしてコの字型に配置されている。門のさきにいけない私達のような患者からすればロの字型の巨大牢獄である。
「愛なんていらない」
「愛をもとめているくせに」
私達の自問自答は脈絡なくはじまる。
「愛のために生きるなんてそれこそ病的だよ」
「愛がなければ生きることも死ぬこともむなしい」
「もしそうだとしてなんだというの……みんなそういうふうに生きている」
「みんなと私達はぜんぜんちがうよ……みんなはもともと愛にみたされている」
「私達にはみんなにあるものがかけている」
「私達にはかけている」
くだらない。私は雪をけりとばす。自問自答をくりかえしてもどうにもならない。堂々巡りの自問自答をくりかえすことは、それこそ、ロの字型の牢獄の内部を徘徊するようなもの。出口がふさがれておりどこにもたどりつきようがない。愛などはなからありはしないのだ。世界のどこにもありはしないのだからさがしもとめたところで徒労に終わるだろう。もちろん……もちろんこうした愛にたいする反発も強がりにすぎない。反発してみせたところで愛らしきなにかをもとめているのはたしかだ……それは自覚すればするほどみじめな感情ではある……けれどもそうしたみじめな感情の存在を否定してしまえるほど鈍感でもない。自分のうちにあるみじめな感情からは目を背けたいしないものにしたい。しかしそれはある。愛をもとめている。切望しているし渇望している……誰からもあたえてもらえないのに、誰からもあたえてもらえないからこそ……だからといって、自分のみじめな感情を、掌にのせてまじまじと観察したところでなんになるだろう、あまつさえそうした感情を口のなかでとかして吟味するなど、悪趣味の極みでしかない……しかし私達はそれをせずにはいられない。みじめな自分の感情をみずから解剖してみないことにはきがすまない。
雪の白いところをふみつけながら足早にあるく。冷気にあてられ神経はたかぶり気分が高揚する。なにが愛だ……きもちわるい……きもちわるくてはきそうだ。はきそうだが、こうした吐気の根本にあるものがなんなのかわからない。胸をむかむかさせるこの不愉快はどこからおしよせてくるのだろう。喉の奥をいがいがさせるこの虫はなんなのだろう。ああ、誰か、誰か、誰かたすけてくれ……と心のなかでさけんだところで《誰か》などいるはずもない。こうした《誰か》をもとめるきもち、もとめざるをえないきもちばかりは、やはりどうにもみとめざるをえない。天涯孤独な自分でも内心では《誰か》にむかいさけんでいる。特定の人物がおもいあたるわけでもない。それは漠然とした存在にたいする不安ではなく、漠然とした不在にたいする不安であり、いないはずのひとがいるような感覚ではなく、いるはずのひとがいないような感覚であり、反転した霊感であり、はじめに不在の感覚があり、自分の内にうめたい穴があり、そのあとに存在の感覚を、穴をうめてくれる《なにか》の幻を──詰まり《誰か》の幻をおもいえがいてしまう。《誰か》とは霊や神の原型であって、《他者》の原型であって、それらのまえに穴がある。そうだ、そうにちがいない、このどうしようもない穴こそ起源なのだ。口が食物の起源であり、胃のまえに食物はないように、はじめに飢えた穴があるのだ。穴ありきなのだ。もしくはいまだに飢えた穴だけがあり、これからも飢えた穴だけがある。大口をあけている、舌を伸ばしてもとめている、口元を両手でおおいかくす、吐気におそわれる。
どうしてこんなにきもちわるいのだろう。愛という言葉の高尚でそれでいて軽薄なひびきがきもちわるいのか、愛をもとめている自分がきもちわるいのか、愛をもとめながらもその感情をみとめたくないから……あるいはもしかすると、吐気をもよおすほど愛をもとめているのだろうか。愛に飢えているものが、ひるがえって、愛などいらないという、なるほどそれは理にかなう、愛をえられないものだけが愛に飢えるのであって、愛をえられないものが愛をもとめたところで、虚しくなるばかり、自分の手に届かないものをもとめても、惨めになるだけなのだから、手に届かない自分の現状を肯定するために、はじめからそんなものはいらなかったと、自分で自分を納得させるほかない、愛を諦めたことすら忘れてしまうまで、孤独の道を突きすすんで、愛などいらないとふりきる、それしかないではないか……愛をえられないものは、愛をもとめながらも、愛をもとめている自分を正面からみとめることもできず、さかだちして、愛などいらないと背中をむけようとするが、いざ、自分の手の届きそうなところに、愛がころがってくると、無様にも動揺してしまう……それどころか、愛がそこになくとも、気付けば愛をもとめてふらふらしている……飢えたものは、それがそこにないのに、どこかにあるそれに、あるいはありもしないそれに、ずっと、ふりまわされながら生きる。《そこにないもの》が《そこにあるもの》よりも強力な磁場をもち方位磁石をくるわせる。
昇りはじめた太陽の日差しに目をほそめる。愛が空気のようにみなにひとしく与えられていたら、もしくはみなにひとしく与えられていなければ、どれほどよかっただろう。そうすればみなひとしく愛に満たされているか、みなひとしく愛に飢えていたにちがいない。愛は空気のように、それに満たされていれば、それがそこにあることもわすれてしまう。けれどもそれがなければ苦しくてしかたない。持たざるものほどそれをもとめてもがき苦しみ、持っているものはそうした苦しみさえしるよしもない。十全に愛に満たされているものは愛についてかんがえるまでもない。
バケツの水に氷がはっている。覗きこんでみると私達の顔が、影が、おぼろげに映りこんでみえる。意識の片隅で記憶がかたかたと音をたてる。なにかをおもいだしそうだがおもいだせない。おもいだせないのか、おもいだしたくないのか……地下に埋葬された記憶は生きた屍のようにうめき声をあげる。氷を拳で突きやぶり手をもぐりこませると冷水が現実の感覚を蘇らせる。
4
枯草のあいだから兎がとびだしてきた。兎はアニマルセラピーのために飼いはじめたものときいた。私達がここにきたときにはすでに兎小屋からあふれだしていた。脱走した数匹が野生化してふえているらしい。数分もあるけば一匹はかならずみつかる。動物がとりわけすきということもないがかわいいのはたしかだ。セラピーに利用されるのも納得である。
動物は私達を病人扱いしない。私達のような人間にもこんなふうに近付いてきてくれる。ここの兎達は子犬くらいのおおきさはある。すこしこわいが人間とくらべたらいくらかましだ。人間から攻撃されたことはあるが兎から攻撃されたことはないし……仮に攻撃されたとしてもたかがしれている。
私達の足元でまるくなる兎。鼻をひくひくさせるだけでうごかない。なにをもとめているのだろう。見下ろしてようすをながめているとその兎におおいかぶさるようにもう一匹の兎がのしかかった。するとその兎は下半身を前後に運動させた。兎は表情ひとつかえずに、にんじんを齧るときとおなじような顔で、交尾をはじめた。真黒でくりくりとしたひとみはなにをみているかわからない。あるいはなにもみていない。前後運動に夢中でなにもかんがえていない。楽しそうでもなければ悲しそうでもない。前後運動は数分もかからずおわった。それでおしまいではなかった。雄兎はいちどはなれたかとおもうともういちど雌兎に接近した。雌兎の頭におおいかぶさり自分の股間をおしあてた。そしてふたたび痙攣的に前後運動した。
椅子は霜で濡れていた。お尻が濡れてつめたい。下着に染みができたらどうしよう。看護師のおばあさんに注意されてしまうかもしれない。喋る老木のようなあのしわしわの顔で嫌味をいわれてしまうかもしれない。自殺をかんがえる私達が下着の染みのような些事を心配するのもおかしなはなしである。馬鹿げた物語が唐突にひらめいた。それがひらめくのはいつもそれをかんがえていないときだった。忘れないようメモをとろうとしたがメモは手元になかった。『下着の染みがきになり自殺できない少女の物語』。死にひきよせられながらも、死の淵の手前でくだらないことがきになり、死からひきはなされてしまう、そういう物語。急にわらいがこみあげてきてふきだしてしまう。だれかにみられていないかあわてて周囲を見渡す。濃い霧がひろがるばかりで視線はかんじない。
鼻をすする。寒い。なんのために私達は中庭まででてきたんだろう。気分転換だろうか。ああ、そういえばあれ、あれがどこにもいない。歩くかわいい影のようなあれ。黒猫。あの黒猫は病院でいちばんの人気者だ。現在妊娠しており彼女の出産をみんながたのしみにしている。おそらくこの病院でだれよりも愛されている。薄暗いところでみると四本足であるく影にみえるほど真黒で、猫にしては人懐こく、椅子に腰掛けている私達の膝でねむりこけたこともある。
たしかあれは春のできごとだろうか。彼女がねているあいだうごけなかった。一時間程度のみじかい時間だった。膝をみおろして猫のぬくもりをおもいだした。膝から記憶が蘇った。その記憶は実体のある幽霊のようにいまここにありありとかんじられた。膝が猫のおもみをおもいだした。そういえばあの猫はこんなふうにおもたかった。そしてすこしにおいがした。不快になるほどのにおいでもなかった。なるほど……私達は他者のにおいをもとめていた。しかしどうしてこの膝をえらんでくれたのだろうか。ふかふかしているわけでもない。寝具にしては弾力がたりない。骨ばかりで他者が自分の存在をあずけるには華奢がすぎる。それなのにあの猫はこの膝をえらんでくれた。私達の膝を。
当時、私達は猫をなでることをためらった。睡眠の邪魔をするのもわるいとおもった。目覚めた彼女が逃げていくのもいやだった。できるだけその時間をひきのばしたいとおもった。彼女のおもみを膝でうけながら、においをすいこみながら、ふくらんだりしぼんだりする体を見下ろしていた。生物は空気を吸いこんでは吐きだしてふくらんだりしぼんだりをくりかえす。猫はしまいわすれた舌をだしたままねていた。夢をみていたのか目頭周辺の筋肉をぴくぴくうごかした。目のうえにあるながい髭がゆれた。目覚めてしまわないか心配になった。そのままずっと夢をみていてほしいとおもった。たしかあのとき私達はおそるおそる五往復ほど猫をなでた。頭を二往復ほどなでたあと背中を三往復ほどなでた。尻尾をさわろうとするとそれはププンッといきおいよくうごいた。手をあわててひっこめた。
私達はことなる世界にいた。私達は彼女を外側から見下ろしていたし彼女は夢のなかにいた。断絶があった。こうした断絶を私達は無視できなかった。いつもわかりあえなさばかりがきになっていた。私は貴方を理解できないし貴方も私を理解できない、批難も賞賛もすれちがい、誤解ばかりがふえていく、そんなことばかりかんがえていた。ひとりでめそめそしていた。世界が孤立していることがかなしかった。しかしあのとき私達は、要するに私達と猫のあいだには交流があった。ひとつの空気のなかにいたしともに呼吸していた。私達が吐きだした空気を猫が吸いこんで猫が吐きだした空気を私達が吸いこんでいた。
日がのぼりあたりがあかるくなった。椅子からたちあがるとお尻をはたいた。私達はきめた。
猫。
猫をさがそう。
あの猫をなでたらきっと、凍りついていたものがとけていき、内側から温かいものがふきだしてくるにちがいない。猫をいますぐさがさなければならない。どうしたわけかそういうひらめきはたちまち頑固なものになった。なにがなんでも猫をさがしださなければならないとおもった。あの猫は妊娠していたので行動範囲はひろくないはずだった。中庭のどこか、おそらくあそこにいるはずだった。私達にはおもいあたる場所があった。霧はだいぶうすくなっていた。
猫の世話をしていた男性は奇妙な人物だった。病院中の人気者である猫とは対照的に彼は嫌われものだった。彼はこの病院にながくつとめている看護師で、普段は温厚だがときおり癇癪をおこしておかしくなるという。けれども私は彼がおかしくなったところはみたことがなかった。常に彼は顔をはんぶん包帯でまいていたため、影では患者からミイラとよばれてわらわれており、本人もそのことに気付いていた。ミイラはミイラとよばれることに抵抗するどろか、そうした呼称を案外、自分でも気にいっているようにみえた。彼は猫だけでなく兎達にも餌をあたえていた。その表情は患者の世話をしているときよりもやさしくほころんでみえた。
私達はたちどまり中庭をぐるりとみわたした。ミイラのすがたはなかった。もし猫がまだねているのだとすれば彼の用意したダンボール箱のなかにちがいない。兎小屋のとなりに納屋があり、納屋の影のそのまたさきの、草叢の影にそれはおいてある。彼はひとめのつかない場所に妊婦用のダンボール箱を設置したのだ。妊娠した彼女が安心できるように。猫はおそらくあそこにいる。
兎小屋は獣のにおいがする。糞尿のにおいだ。太陽の陽を反射して残雪はまぶしくかがやいている。納屋の影に足をふみいれる。草叢をかきわける。ダンボール箱はそこにおいてあった。凍りついていた心臓が燃えあがる。霧ははれあがり中庭は朝日につつまれている。石畳で舗装された道は霜できらきらときらめいている。枯草から兎達がとびだしてはねまわる。根拠のない確信に身震いする。確信は具体的な想像力をともない、ミルクにおとしたあまい蜜のように、頭のなかにひろがる。猫のまわりにちいさな子猫がよりそいないている。みゃあみゃあとなきながら母猫にお乳をおねだりしている。生えたばかりの毛はふさふさとけばだっている。箱をのぞきこむまえから鮮明な映像がおもいうかぶ。
箱におそるおそるちかづいていく。子猫達の産声はきこえてこない。無理もない。まだうまれていないのかもしれない……まだねているのかもしれない……すこしだけのぞいたらすぐにはなれよう……焦るきもちをおさえながらそろりそりとあゆみをすすめる。考えてもみればこの箱にいるともかぎらない。なんにせよのぞきこめばわかるはずだ。このうえない高揚感に胸をはずませながら箱をのぞきこむ。一瞬、心臓を針で刺されたようなするどい痛みがはしる。胸をおさえながらもういちどのぞく。吐気と目眩におそわれて納屋にもたれかかる。発作だ……発作がおきる……坂道を転がりおちる岩のように呼吸はたちまちあらくなる。地面にたおれこむといまみた光景を頭からふりはらおうとする。けれどもふりはらえない。こびりついてはなれないその光景は脳裏で膨張する。呼吸はみだれる。納屋にもたれかかりたちがとうとする。すぐにまたたおれてしまう。視界は回転して方向の感覚もわからなくなる。膝をついてよつんばいになる。吐瀉物があふれだす。指先はふるえている。目を瞑るといまみたばかりの光景が鮮血のようにあふれだしてくる。
猫は、妊婦は、腹部をひきさかれて死んでいた。目には鋏が突きさり手足はきりはなされていた。顔は恐怖におびえていた。片方の目はとびだして、口は大きくひらいたまま、硬直していた。切断部からは真白な骨、腹部からは内臓と胎児がひきずりだされており、血でそめられたタオルにはくりぬかれた眼球がおちていた。視界は真黒になり、そのあと真赤になった。