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第1部-第7章:魔女の交友会 ~片翼のBIRDちゃん~

【警告】

この作品は、非常に重層的で長大な複雑な物語です。また、暴力表現、差別表現、性表現、著しく偏りのある政治的主張、反社会的及び反道徳的な哲学/思想、その他、不快な表現が含まれます。現実と虚構の区別の付かない方、善と悪の区別の付かない方、心身の健康状態が不安定な方は、読書を御控えください。

【第1部:美徳の紊れ ~モラルな上半身的精神~】


 第7章:魔女の交友会 ~片翼のBIRDちゃん~



 1

 穴があいている。穴はどこにつづいているのだろう。私は穴の入口のまえでたちどまる。


 2

 起きあがる。洗面所で顔を洗う。歯を磨きもういちど顔を洗う。顔をタオルでごしごしふく。左目の瞼が痙攣しているが体調はわるくない。数日で気分は改善した。禁書室に立てこもったときはまた閉じこめられるとおもった。どうしたことか魔女は見逃してくれた。行動制限もかけなかった。なぜだろう。考えてみるとわけのわからないことばかりだった。私が病人だからそうなのか、それともはじめから、わけのわからないことばかりなのか。

 記憶にしてもわけのわからないものだ。私の記憶喪失も虚構の設定にありがちなわかりやすいものではない。過去の記憶は、あるようなきもするしないようなきもするもので、はっきりとそれが《ない》と断言できるようなものでもない。覚えかけの単語のようにあるときはそれを覚えているしあるときはそれを忘れていたりする。忘れているときにはそれを忘れていることにも気付かない。『記憶がないこと』を自覚するだけでも困難な仕事である。

《ないもの》は《ないもの》だからそれを捉えるのは至難であり、この《ないもの》が、人間の生涯をふりまわす。金のないものはそれにより、人望のないものはそれにより、魅力のないものはそれにより、才能のないものはそれにより、生涯を決定付けられる。自分の《ないもの》に気付くのはむずかしい。それが目にみえるものならまだしも、目にみえないものだと、ないことにも気付かない。愚者は自分に知性がないことにはなかなか気付けないし、そこまで気付けたとしても、具体的に自分の知性のどこに欠如があるのかわからない。私は、自分が愚者もしくは痴者であることも自覚しているが、具体的に自分の知性のどこに欠如があるのかいまいち見極められない。

 記憶はあるともいえるしないともいえるものだ。常にそれは《ある》と《ない》のあいだでさまよっている。もしくはそれらはかさなりあっている。ひとは忘れた記憶に支配されている。忘れた記憶は覚えている記憶以上に人間の言動を左右する。幼少期の記憶のたいはんは忘れてしまうものだが、その記憶は、死ぬまでそのひとのうしろをついてまわる。それはそのひとの死角に隠れながらも、そのひとを背後から突きうごかし、そのひとはそれに気付かない。私の意識の死角にもそれ──詰まりは忘れた記憶があるのはたしかなのだが、その記憶を捕まえようとふりかえると、それは消えてしまう。

 私にとって、《ある》と《ない》のあいだでさまようそれ、《ないけれどあるもの》あるいは《あるけれどないもの》は、とてもおそろしいものだった。こうした亡霊じみた記憶が、自分の人格や思考や意志ないし存在自体を、根底から脅かしていた。亡霊が私を突きうごかしているのであり、私自身は操り人形かなにかのように、主体のない存在なのではないか、さらには私達、人類、世界がまるごとそうした亡霊に突きうごかされているのではないか、そういう漠とした不安におそわれた。個人の人格や思考や意志なんてものが、全くの幻想にかんがえられてならなかった。

 大切なのはかんがえないことだった。少年は狂っているようにみえた。彼の意見は極端で差別的にもきこえたし妄想的にもきこえた。魔女の噂をそのまま鵜呑みにしているとしかおもえなかった。彼のいうとおりだとすれば、私は自分の犯行に気付いていない、記憶喪失の多重人格者ということになる。あまりに荒唐無稽で突飛な空想である。私は猫を殺していない。それは疑いようもない事実だ。記憶はおもいかえすたびにあやふやになった。いや、猫の死骸を発見したときの光景は鮮明に覚えている。仮に私が本当に犯人だとしてもそれはもう私の責任ではない。自分でどうにかできるものでもない。かんがえてもしかたない。

「かんがえてもしかたないことをかんがえないほうがいいですよ」と魔女はいった。図書室事件の翌日、彼女は私の病室まで訪れてそういった。彼女のいうとおりだとおもった。かんがえてもしかたないことをこれまでかんがえすぎていた。これもまたみんなのいうところの『病的』というやつなのだろう。戦争や貧困や差別や環境の問題についてもかんがえない。正義についてもかんがえない。そういうものはときおりかんがえるくらいでいい。禁書室の奥にある、姿見のうしろに隠れていた、真暗な部屋についてもかんがえない。

 病室をながめる。朝日がさしこむちいさな窓。事務机には分厚い書物がつまれている。真剣にかんがえごとをするときはこの事務机に座る。座っていないときはかんがえごともほどほどにおさえる。そういうふうにきめた。椅子に腰掛けるとまずは読書からはじめる。魔女からかりた『嘲笑う密林』という分厚い書物を連日にわたり読んでいる。カタツムリがキャベツを噛みすすめていくように文字を咀嚼しながら読みこんでいく。途中で興味深い言葉を見付けると読書専用の手帳に書きとめる。手帳にメモをとりながら読むだけでも読書の質が格段にあがる。

『嘲笑う密林』の著者はDesiriphanes Carlo Permoria。名前もしらない作家だった。内容は重厚で複雑で難解。決して読みやすいものではないが、細部にいたるまで創意と工夫と技巧を凝らしてあり、それでいてその言葉は死んでおらず、獲れたての魚のようにいきいきとした霊感が、紙面上で飛沫をあげながらとびはねていた。軽薄ともいえる饒舌な文体にときおり挟まれる謎めいた言葉──この『謎めいた言葉』という表現にしても、あくまで自分の感覚にもとずいた、月並みな表現にすぎないのだが──が私をたちどまらせた。数頁にいちどはそうした言葉と出会い、感性を強烈に刺激されて、頁をめくる指先がとまった。魅力的な書物に特有の性質だった。

 魅力的な書物とはなにか。魅力的な書物とは魅力的な都市のように、通行人をなんどでも引きとめて、迷いこませ、悩ませる。覗きこむべき場所にあふれており、個性豊かな人物たちがひしめきあい、簡単にはさきにすすませない。

『嘲笑う密林』を読んでいるあいだ、活性化した頭脳は、悲鳴をあげながら大喜びしていた。それはひさしぶりに食べた、噛みごたえのある、やまもりのごちそうだった。思考は苦痛のともなう快楽だった。かんがえることは苦しいが、それでいて、かんがえることはこのうえなくきもちよかった。最初の二百頁あたりまでは苦しいおもいをしていたのだが、三百頁を超えたあたりから、その苦しさもきもちよくかんじるようになった。知的好奇心が満たされるだけでなく、創作の意欲や情熱や霊感まで、底のほうからふつふつとわきあがってきた。

『嘲笑う密林』を数時間ほど読みすすめたあとは物書きにきりかえた。事務机のひきだしからノートをとりだした。鉛筆を六本削ると頁をひらいた。思いついたことをつらつらと書きすすめた。小説にするつもりはなかった。けれども小説らしきものができていた。執筆に必要なものは筆と紙だけではない。暇である。病院にとじこめられている私には暇があった。なにかを書こうとおもえばいくらでも書けた。図書室の出来事から一週間もたっていない。しかしそのあいだに長編小説一作ぶんくらいの分量を書いていた。ただし最後の最後はいまだに書きおえていなかった。

 ノートにはちいさな文字がならんでいた。私の文字は痙攣するようにふるえておりそれはそのままこの長編小説の特徴をあらわしていた。今日中にこの長編小説を最後まで書きおえたい。そうおもった。地図をひろげるとノートの左脇においた。病院から脱走するためにひとりでかきあげた周辺の地図だった。脱走なんて馬鹿げた発想ではあった。半年くらいまえまでは真剣に脱走を目論んでいたし地図の制作にもとりくんでいた。いまはもう脱走する予定もなかった。ただこれをながめていると想像力を無性にかきたてられた。現実逃避といわれたらそのとおりかもしれないが、この現実逃避的衝動こそが、執筆を加速させてやまなかった。私はノートをにらみつけると、海にもぐるまえにするように息をおおきく吸いこんで、それから書きはじめた。



 3

 私がこの小説の一行目を書いたのは図書室事件当日の深夜だった。消灯時間をすぎてもねむれなかった。病棟はしずまりかえっていた。事務机にむかいなんとなしに書きはじめた。鉛筆の先端が紙面とこすれあう音が病室にひびいた。しゅしゅしゅ……という摩擦音とともにはきだされる文字が、さらなる文字をはきだして、文字が文字をうみだしているうちに、ガスが充満していた頭のなかで、山火事がおおきくなるように、言葉が燃えひろがった。それは突然だった。かとおもえば火山が噴火した。奥底から言葉がふきだしてきた。遂に蓋がひらいた。とめどなくあふれる言葉は、氾濫した下水道の汚水でもあったし、動物園から解放された獣の雄叫びでもあった。混乱した非網膜的映像があった。それは『社会が病的とみなしておさえつけている一種の特質』をそなえていた。病的なそれを書きちらすことで体調が回復したのもたしかだった。もしもそうした物書きをしていなかったら図書室の出来事からこんなにはやくはたちなおれなかった。

 自分なりに『理想の文学』があった。しかしこのとき、これを書きはじめた瞬間から、私の言葉は『理想の文学』を目指してはいなかった。『理想の文学』を滅ぼそうとしていた。物語を創造しながらも物語を破壊しようとしていた。小説らしきものを執筆しながらも小説らしきものを抹消しようとしていた。私は私でありながらも私をやめたかった。私を壊すために言葉が必要だった。

 言葉の建築家だった。合法的な建築家ではなかった。意識的に法規を逸脱して敷地を侵犯して用途を混在させた。文芸的記述に学術的記述を唐突に突っこんでみたり、口語と文語を混ぜあわせてみたり、韻文と散文を組みあわせてみたり、論理と神話を重ねあわせてみたり、仏文学・英文学・米文学・露文学、宗教・思想・哲学・美術・建築など分野問わずさまざまな文脈を強引に接続してみたりした。そうしてこしらえた言葉の建築物は、設計図をもとに建設したものというよりも、きちがいビーバーがうみだした巣みたいに、本能的ないし反本能的にうみだされたものだった。

 私は私のおもうままに、けれども私のおもいに抗うように、それをうみだした。ノートにちいさな文字を書きならべているとき、身体中で、百万匹のきちがいビーバーがあばれていた。齧歯類による反乱だった。人間ないし自然の建築物を前歯できりきり削りとり自分の棲家にする齧歯類の反乱である。あるいは烏の巣だった。利用できそうなものをあちこちから盗んできて、自分の寝床をあみあげる烏の巣である。もしくは蝙蝠の目だった。暗闇でこそひかり人間と反対向きに物事をみとらえる蝙蝠の目である。

 人間に抑圧されてきた動物達が、病的とみなされおさえつけられてきた怪物や悪魔達が、ノートの罫線のうえで反旗をひるがえしておどっていた。私あるいは私達人間に抵抗する動物達がうみだした言葉の建築物は錯乱した世界を反映したものだった。柱も床も屋根もところどころであべこべになり複雑で微細で荒々しい装飾が構造体を覆尽くしていた。装飾は硝子細工のような繊細で緻密なものではなかった。それはもはや構造体にたいする付随物ではなかった。おびただしい量の言葉の装飾は死骸を内側から破壊しながら増殖する極彩色の蛆虫だった。微小な文飾と装飾と虚飾のつらなりが堅牢な構造に勝利していた。

 自分で書いたものを自分で読みなおした。読者を明確に想定して書いていたわけではなかった。読者を心地良くするために用意した『お洒落でこじんまりとした喫茶店』ではなかった。それは『欠陥だらけで倒壊寸前の巨大建造物』だった。出入口には野犬がたむろしており、通路は錯綜しており、便所は汚水まみれで、水道管は破裂していた。床には穴があいており、天井はいまにもおちてきそうだった。廊下はぬめぬめ、手すりはべとべと、壁紙はばりばりにはがれていた。侵入者を数々の罠で滅ぼそうとする呪われた建築だった。常にその建築はゆれておりそれが目眩をもたらした。原因は地盤にあった。科学が前提とする安定した客観的世界を地盤にした建築ではなかった。人間の欲望・感情・気分によりいくらでもゆれうごく不安定な主観的世界を地盤にした建築だった。あるいはそうしたふたつの世界が曖昧にかさなりあう複雑な地盤のうえに建築はたっていた。

 世紀の大傑作になるかもしれない! 自分の子供を天才と勘違いする馬鹿親とおなじく、こうしたうぬぼれは執筆者によくみられるものではあるが、私はなんにせよこの小説を最後までかききらなければならないとかんがえた。うぬぼれは作品をうみだす原動力にはなりえないし、言葉に霊感をもたらしたりはしないものの、私にすくなからぬ活気をあたえた。

 書きおえた。立ちあがりせまい病室を歩きまわる。看護師のおばあさんがいれてくれた珈琲をすする。書きあげたばかりの長編小説におもいをはせる。窓のそとはくらい。跳びはねて脚をのばして硬直していた体をほぐす。洗面所で顔を洗うと壁にかけられた真黒なコートを羽織る。廊下にでてたちどまる。病室にはいりふたたび事務机のまえにもどる。地図をおりたたんでコートのポケットにしまう。ノートの表紙の右端にサインをいれる。殴りつけるようにタイトルを書く──魚の夢。



 4

 窓のそとにみえる空の色からして午後六時くらいだろうか。休憩室の水槽には相変わらず足のかけた鼠がとじこめられていた。不快な記憶が次々によみがえった。中庭で猫の死骸を見付けた、休憩室で男性にはなしかけようとして挙動不審になった、図書室で女性と口論した挙句に泣いた。泣いて禁書室にたてこもったかとおもえば、少年に包丁をむけられ、信じがたい嫌疑をかけられ、仕舞いには失禁した。

 そういえば……禁書室の姿見の奥に真暗な部屋があった。

 あのさきにはなにがあるのだろう。興味がないといえば嘘になる。魔女が関係しているとなればなおさらである。ただし『好奇心は猫を殺す』とよくいうし深入りは禁物だろう。

 休憩室をでる。非常口の扉は施錠されている。どうしてあの夜はあいていたのだろうか。五階の廊下をはじまで歩いていく。紙袋が落ちておりそこから真赤な兎のぬいぐるみがとびだしている。視線を横にやると細い通路が目にはいる。なにかをおもいだしそうになるがおもいだせない。反対側のはじを目指して歩いていく。コの字型の病棟の構造は覚えやすいが部屋がおおいためどこになにがあるのかわからない。白衣に身を包んだ看護師達が巣ではたらく蟻のように忙しなく歩きまわっている。

「死なせてよ!」女性が暴れている。男性の看護師が数人でとりおさえている。彼女の隣を足早にとおりすぎる。めずらしい光景ではない。自分には関係のないことだ。動悸が激しくなる。私は女性の泣きさけぶ声が苦手なのだ。それは音の爪のようだ。音の爪が頭にささるのだ。悲鳴がきこえてきた。病院でこれまできいたこともない悲鳴だった。ふりむくとひとりの男性の看護服が血で染まっていた。

 ミイラだ。ミイラとは顔半分に包帯をまいている男性看護師で、五階の住人達はみんな、彼を『ミイラ』とよんでいた。右腕から血をながしている彼は腕をおさえながらも女性に背後から近付いてとりおさえようとしている。彼女の手には剃刀らしきものがみえる。

「ここからだしてよ!」女性は肩をふるわせている「人権侵害だよ。私が自殺しようが私の自由なんだから。私の自由はどこにあるの。私の自由をかえせ。自由をかえせ。どこがおかしいのか説明してみろ。おかしくないだろ。おかしいのはおまえらだろ。おまえらみんなきちがいだ」彼女は泣きくずれて五人の看護師達にとりおさえられながらもさけんだ「きちがい、きちがい、きちがい!」

 私は受付をすませると四階におりた。興奮をおさえるために階段にすわる。あの女性はどこから刃物をもちこんだのだろう。五階の患者は刃物や火器をもちこめないはずだ。受付をとおるときに金属探知機を体のあちこちにあてられる。刃物なんてもちこもうとしただけで隔離室いきだろうし彼女のような事件をおこせば身体拘束されてもおかしくない。彼女は隔離室や身体拘束のおそろしさをしっているのだろうか。

 犯罪者でも牢屋にとじこめられるだけですむ。五階の住人はそれどころではすまない。牢屋よりもせまい部屋にとじこめられるし、寝具に縛りつけられて身体拘束されることもある。身体拘束がみとめられる本来の条件は厳しいが、ときおり、その条件はごまかされる。本来は患者を守るためという建前で身体拘束は限定的にみとめられるものである。私がこれまでみたかぎりだと、今回のように看護師が傷付けられた場合が最も身体拘束されやすい。身体拘束されると平気で一ヶ月以上もその状態が継続する。身体拘束されているあいだは読書はおろか寝返りもままならない。壁や天井をながめるだけの日々が一ヶ月以上も続くのだ。死刑囚でもあんな仕打ちはうけないだろう。

 以前の自分のようだ。刃物はふりまわさなかった。けれどもあんなふうに暴れた。彼女のいいたいこともわからなくはない。ただし抵抗しても無駄なのだ。自分の主張の正当性を論理的に説明できたとしてもそのことにより正常とみなされたりはしない。説明をもとめてもどうにもならない。説明できるかどうかは関係無い。納得できないからといい抵抗したところで解決にはむかわない。むしろそうした抵抗も異常の証拠とみなされる。抵抗するほど機構にからみとられていく。最後は身体拘束されて強目の薬をうたれる。抵抗する気力もうばわれる。

 人権は万能な概念ではない。たしかに人権侵害かもしれない。人権侵害だからといい悪ともいいきれない。たとえば人命と人権のどちらが重要なのだろうか。患者の人命を保護するために患者の自由を部分的にうばわなければならないとしたら、詰まりは、患者の人権を部分的にうばわなければならないとしたら。人権はよくもわるくもすでに制度化した概念なので、制度側が人権の定義も定めてしまうし、制度側が『人権侵害ではない』といいはれば、それは人権侵害ではなくなる。

 私はたちあがり四階の廊下を歩きまわる。四階にも精神疾患のある患者はいる。こちらは知的障害者の入所施設としての側面が強く、五階とはことなり準開放区画である。心無しか患者達ものびのびしているようにみえる。が、ここは虐待の問題が頻繁に話題にのぼる階層でもある。常に職員達は疲弊しており去年は院内で自殺したものもでたほどだ。入所者の人権を守るためにも労働環境を改善する必要がある。職員もふやさなくてはならない。人権だなんだといっても職員ひとりあたりができることにはかぎりある。人権を守るために必要なのはお金なのだ。しかし、決してすくなくないひとびとが障害者のために自分の金を使われたくないとおもっている。

 三階の廊下を歩きまわる。ここにいるひとたちは身体に管をつけている。私ふくめて四階以上にいる患者のたいはんは完治の見込みもないひとたちばかりだ。自分の精神障害も完治するようなものではないだろうし四階の知的障害者達もそうである。一方で三階以下の患者達は完治する希望があるひとたちで、彼等彼女等は、治るか治らないかの瀬戸際にいる。完治する可能性があるとはいえ、彼等彼女等が、四階や五階の住人と比較して幸せかといえばそうともいいきれない。蝕まれていく肉体を生きるのは苦しいにちがいない。前向きに闘病生活を続けてもそのときがくればあっけなく死んでしまう。

 二階の廊下を歩きまわる。私が屋上から飛びおりて大怪我したときの手術室も二階にあった。『手術中』と表示された真赤なランプをながめる。このなかではなにがおこなわれているのだろうか。外科医が額に汗をながしながら患者の肉体をきりひらいて内臓に刃物をいれているのかもしれない。手術にかぎらず治療には侵襲性がともなう。病気や怪我だけが生体を犯すのではなく治療もまた生体を犯す。治療と侵襲の関係は薬と毒の関係と同様にきりわけがたい。

 一階におりるとそのまま中庭にでる。あたりはすっかり暗く空には星がうかんでいる。野生化した兎達がところかまわず交尾している。木々の枝のあいだから照明の黄色いあかりがもれている。照明器具には小型の防犯カメラがとりつけられている。雪は溶けてしまったようでどこにも残っていない。門はとじられている。乗りこえられない高さではないが、乗りこえようとしても、警備員にひきずりおろされるのがオチだろう。コートのポケットから地図をとりだしてひろげる。門をのりこえて、追手をふりきれたら、この病院ともおさらばできるかもしれない。門のさきには真暗な森しかみえない。視線をあげてもみえるのは一本の塔だけだ。巨大な煙突のような塔。あの塔のいちばんうえからとびおりたら確実に死ねるだろう。

 兎小屋をのぞく。ここでもまた交尾している。隣の納屋に目をむけると殺されたあの猫をおもいだす。ベンチに腰掛けて周囲をみわたす。コの字型の病棟は清潔な牢獄のようだ。七階の窓に人影がみえる。顔はよくみえないがひとりの少女が中庭をみおろしている。たしか六階と七階は終末期医療の階層である。あの少女は余命が短いのだ。死ぬのだ。

 科学の彼岸、科学のむこう、科学ではどうにもならない領域がある。病気にしても薬でどうにかなるものとどうにもならないものがある。私もはんぶんは科学の彼岸の住人なのかもしれない。この病院は上階にいけばいくほど科学の彼岸に近付いていくようにできており、最上階である七階はもはや、科学で治療できない領域である。七階に回復のみこみのある患者はひとりもいない。あの少女も余命半年か一年位しかないのだろう。



 5

 明日は交友会だった。中庭から病棟にもどると礼拝室にむかった。

 礼拝室は図書室の隣にあった。木製の扉の奥にあった。扉をひらいた。冷気が足元にながれこんできた。通路をすすんでいくとおおきな部屋にでた。地下洞窟のようにひえびえしており砂のにおいが充満していた。塗装もされていないし壁紙もはられていない剥きだしの石の壁、遺跡あるいは廃墟だった。薄暗いなかに黄色いあかりがぽつりぽつりとかがやいていた。バスケットボールのコートくらいのひろさだろうか。想像していたよりもひろくかんじられた。祭壇のうしろの壁面には十字架の跡がみえた。様式はわからないがところどころにキリスト教系の教会によくみられる特色がのこされていた。沈黙の音がきこえてきそうなほどしずかだった。噂にはきいていたがここまで異質な場所がこの病院にあるとはおもわなかった。

 魔女のはなしによると、教会におおいかぶさるようにあとからこの病院が建設されたらしい。たしかにそうかんがえると扉をひらいたあとの短い通路も説明付けられた。ここは数年前まで倉庫として使用されていた。あるころからおおくのひとたちがここで礼拝をはじめ、それから病院側もこの場所を礼拝室として使用するようになった。教会らしさといえば、一段高くなっている内陣と中央にしつらえてある祭壇、そしてそのむこうの壁にかすかにうかびあがってみえる十字架の痕跡だけだった。壁全体がどんより灰色に薄汚れているなかで、十字架がかつてかかげられていたらしきその場所だけ、白っぽくかがやいてみえた。無論、実際にはひかっていたのではなく、そこだけよごれていないだけだった。

「ぶんぶんぶん!」ふりかえると子供がいた「なにしてるの?」

 突然の出来事におどろいて言葉がでない。子供は目をまんまるくして私を見上げている。彼あるいは彼女はいつからそこにいたのだろう。足音どころかその気配もなかった。子供は両手をひろげながら私の周囲をかけまわった。いいや、両手ではなかった。子供は片腕しかなかった。片腕しかないそれをひろげて不器用な鳥のようにだだだっとかけた。

「どたあ!」とさけびながら子供はわざとらしく転んでみせると膝をついたままこちらを見上げた「僕……BIRDちゃんだよ!」

 私はうろたえた。逃げようとはおもわなかった。子供相手にびくびくしていては明日の交友会ものりこえられないだろう。さすがにこんなおさない子供に危害をくわえられるともおもえなかった。BIRDちゃんが男の子なのか女の子なのかはわからなかったが、彼あるいは彼女は、そうした社会的分類の手前の段階にあるようにみえた。直感的に自分とにたものをかんじた。

「名前はなんていうの?」とBIRDちゃんは尋ねた。

「私は私だよ」と私は答えた。

「名前ないの?」

「名前ないんだよ」

「大人なのに名前ないの?」

「大人なのに名前ないんだよ」

 BIRDちゃんは不思議そうにこちらをみあげていた。自分の名前をもちたくなかった。私は『私』としか名乗りたくなかった。自分のそうした態度が、いわゆる正常なひとたちには奇妙にかんじられることもしっていた。他人とこうしたやりとりをするのもこわかった。

「私さんは」とBIRDちゃんはいいこのようにつづけた「私さんは空って飛べるとおもう? 片方だけでも空って飛べるのかな。片方だけの鳥っているのかな。BIRDちゃんも飛びたいんだけど、空、そんなふうにできるかな。いますぐにではなくって。いつかのはなし。いつかでいいんだけど、僕、片方だけで空を飛んでみたいんだよ」

「どうだろう」と私は答えた。BIRDちゃんはきいていなかった。私のことなど忘れているようにみえた。自分の膝小僧をみおろしながらぼそぼそとひとりごとをするようなはなしかただった。彼あるいは彼女の言葉は目的地もなく飛びまわる鳥だった。それはとめどなくつづいた。ときおり私に視線をむけてくれた。すぐにまた中空をみつめたり膝小僧をみつめたりした。言葉とおなじくその視線もまた目的地もなく飛びまわった。子供のはなしはどうしてこうもふらふらしているんだろう。それは目的地もないのに燃料だけは無限にある飛行機だった。飛びまわることそのものを楽しんでいた。片方しかない腕をふりあげたりひろげたりしながらBIRDちゃんは自分の世界を飛びまわっていた。腕をふりまわすたびに懐かしいにおいがした。離乳食のような、粉ミルクのような……とにかくそういう類の子供らしいにおいだった。

 離れようとはおもわなかった。普段なら不要なかかわりはさけてたちさった。けれどもそういうきもちにはならなかった。それどころか私はBIRDちゃんのとりとめのないはなしをずっときいていたいとおもった。BIRDちゃんは「くるり」とつぶやいて背中をむけた。背中には片方だけ羽がはえていた。本物の羽ではなかった。

 BIRDちゃんはたちあがると手をひろげて礼拝堂を駆けまわった。私は座席の最前列に腰掛けるとそのようすをぼんやりとながめた。明日の交友会で、もしかすると、友達ができるかもしれない。実感としては体調も回復していた。近いうちに退院できるとはおもわない。しかしそのうち退院できるかもしれない。いまはもう死にたいとおもわない。

 走りまわっていたBIRDちゃんは私のまえでたちどまり「ばたん」といい転んだふりをした。床に座りこんだまま私に微笑みかけると舌をぺろんとだした。ピンク色の舌に銀色の板がのっていた。それは唾液で濡れてぬらりとかがやいた。舌は口にしまわれた。つぶらな瞳は黄色い照明でうるんでいた。また舌をだした。それはまだそこにあった。カッターの刃だ。どこで拾ったのかカッターの刃を口にいれて遊んでいた。体が硬直した。刺激したくなかった。彼あるいは彼女は自分が口にふくんでいるそれが危険であることも理解できていないようにみえた。私はおそるおそる手をさしだした。

「だして」

「なんで」

 BIRDちゃんはカッターの刃を口にふくんだまま器用に返事をした。

「危ないから」私はできるだけ真面目な声色でこのようにつづけた「おねがい」

「やだよおう」BIRDちゃんはにこにこしながらそういう。からかっているつもりなのだろうか。

「ここでまってて」私はたちあがり誰かをよんでこようとおもい礼拝室の出口にむかった。するとひきとめられた。BIRDちゃんはみせつけるように舌をだした。唾液まみれのカッターの刃がちいさな舌のうえで小刻みにゆれていた。楽しそうに片手をぶんぶんふりまわすと舌をひっこめた。

「危ないよ」

「飲みこんだらどうなるかなあ」

 BIRDちゃんは口角をぐいともちあげてにんまり微笑んでみせるとふたたびあたりを走りまわった。故障した飛行機のように不安定な足取りで座席と座席のあいだをかけぬける。足音が礼拝室にひびきわたる。誰かよびにいかなければならない。出口の扉に手をかけたそのときだった。肉が地面に叩きつけられるようなビタンという音がきこえた。なにかを吐きだそうと咳込む声、苦しそうなうめき声、私はあわててひきかえし礼拝室をみわたした。

 BIRDちゃんは祭壇のまえでたおれていた。片手をばたばたさせていたかとおもえば、喉に手をあてた。私は駆けよった。駆けよったときには四つんばいになっており顔がみえなかった。羽をつけたちいさな背中はふるえていた。苦しそうに咳込んでいた。誰かよんでこないと。そうおもいたちあがった。次の瞬間不安におそわれた。私のせいにされる。おそらくもしくは確実に私のせいにされる。とはいえこのままこの子をおいていくわけにもいかなかった。

「ねえねえ」なにごともなかったようにBIRDちゃんがにこにこしていた。舌をだした。刃はまだそこにあった。私は膝をついてうなだれた。子供は愉快そうにけらけらわらった。「ころん」といい床にすわりこんだ。私の目を見詰めた。私もその目を見詰めかえした。なにがしたいのかわからなかった。

「なんで飲みこんだらいけないの?」

「死んじゃうからだよ」

「死んじゃうの?」

「死んじゃうよ」

 カッターの刃を飲みこんだくらいでは死なないだろう。しかしそれくらいいわなければBIRDちゃんには伝わらないとおもった。BIRDちゃんは膝小僧をみていた。落ちつかないようすで体を左右にゆらした。常にそのちいさな体はゆれていた。体内で球体状の気分がぴょんぴょんはねているようだった。

「なんで死んだらいけないの?」

「なんでだろう」

 私は答えられなかった。

 BIRDちゃんは首をかしげた。

「死んだらどうなるの?」

「それはわからないけど」

「けど?」今度は反対側に首をかしげた。

「わからないけど死んだらいけないんだよ」

 声はふるえていた。ふるえはよくない兆候だった。私が突飛な行動や発作をおこすとき、もしくはおこすまえ、かならずなんらかのかたちでふるえがあった。問題を回避するためにはふるえている段階でその場から逃げなければならないのだった。子供の相手をしている場合ではなかった。立ちあがろうとした。コートの裾をつかまれた。

「どうして猫さんは死んだんだとおもう?」

 BIRDちゃんは尋ねた。私は返事もしないでそのさきをきこうとした。目が合わないよううつむいた。

「殺されたんだよ」BIRDちゃんはつづけた「正義君がおしえてくれたんだよ犯人」

「正義君?」

「正義君!」

「もしその正義君というひとが犯人をみつけているならどうして通報しないの?」

「それはね」BIRDちゃんは返事に悩んでいた。体をそわそわさせながら手をひらひらさせた。この子はおもいつきではなしているだけなのだろう。真剣に会話しようとしても無駄なのだ。現に口をひらいたかとおもえばそれまでとは関係のないはなしをはじめた。そのはなしには中身がなくおなじようなはなしをひたすらくりかえしているだけにきこえた。礼拝室のなんにもない空間に、中空に、そうしたとりとめもないはなしは延々とひびいた。私はきいているふりをしながらうなずいていた。BIRDちゃんが機嫌良さそうにはなせばはなすほど、なにかの拍子で、カッターの刃を飲みこんでしまわないか心配になった。心配しているうちに神経は徐々にすりきれていった。

 BIRDちゃんはなんのためにカッターの刃を口にいれているんだろう。しばらくしてようやく気付いた。もしかするとこの子は自分の相手をしてもらいたいだけなのかもしれない。はなしをきいてもらいたいだけで、ひとりにされたくないだけで、私の気をひくためにカッターの刃を口にいれているのかもしれない。

「だしてごらん」私は手をさしだした「はなしはきくから」

 BIRDちゃんはおはなしをぴたりとやめた。私の言葉がとどいたらしかった。私の目を見詰めていた。彼あるいは彼女の睫毛はふるえていた。ひとしずくの涙が頬をながれていた。口をひらいた。舌をだした。カッターの刃がすべりおちた。私は刃を摘みあげるとコートのポケットにいれた。頭をなでた。背中をさすった。

「おとうさんは?」「いないよ」

「おかあさんは?」「いないよ」

 私達はどことなくにていた。BIRDちゃんは私の体に自分の体をすりよせた。愛くるしいそのようすは子犬や子猫のようだった。片方の腕を私の背中にまわして、私の腕に自分のおでこをおしつけた。私達は理解しあえたわけではなかった。それでもなんらかの交流があった。ふたりのなかに閉じこめられていたなにかが内側から溶けだしていった。体温の交流、気分の交流、感覚の交流……具体的に交流しているものがなんなのかはわからなかった。交流の前後では変化があった。物質ではないなにかが私達のあいだで混ざりあい変化していた。

 BIRDちゃんは泣きながら終わりのみえないはなしをくりかえした。私はそれを安心してきいていた。もしくはききながしていた。風の音をぼんやりきくように耳をかたむけていた。特に内容に興味があるわけでもなかった。はなしの内容そのものよりも、肉体の接触によりおきている私達の交流が、興味深いものだった。それは心地のいい出血だった。存在を包みこむ輪郭、膜が破けて、そこからあたたかい血がふきだしているような感覚だった。礼拝室はひえびえしていたが私達は透明な毛布にくるまれていた。物理学的な温度とはことなる温度がそこにはあった。

 BIRDちゃんはふるえていた。私にもあるふるえがこの子にもあった。そうした存在の震動は、私達にあるだけではなく、宇宙の全体に充満しているようにもかんじられた。もしも自分が詩才にめぐまれていた数学者だったら、存在の震動と、存在と存在が接触するときに生じるこうした交流の関係を、明晰な数式にのこしたいとおもった。命がふかいところでふれあったときにうまれるこの熱、魂があたたまるようなこの感覚は、なんなのだろう。

 どれほどの時間が経過しただろうか。

 BIRDちゃんはそれまでしていたおはなしをやめた。

 彼あるいは彼女の泣きはらした目元は赤らんでいた。

 立ちあがり私の手をとると甲に口付けをしてくれた。

 天使の祝福だった。

「私さんありがとう」

「BIRDちゃんこちらこそありがとう」

「こんなところにいたのか」という声がきこえた。声の主をさがした。出入口の影に少年がたっていた。彼は髪をかきあげておおきく溜息を吐いた。影にかくれて顔はよくみえないがどこかできいた声だった。ここからわかるのは印象だけだった。青年というにはおさなすぎる、青年の半歩手前の少年だった。彼は少年から青年にうつりかわる時期にある、そうした時期にしかみられない、霊妙な美しさをそなえていた。そうした美しさとは、これから失われるものがそこにあるからこそ生じる、儚さだった。見覚えのある顔だった。彼が近付いてくるにつれて包丁をむけられたときのなまなましい恐怖が蘇った。震えあがった。立ちあがった。間違いなかった。禁書室の少年だった。BIRDちゃんに袖をひかれる「正義君だよ」

「正義君?」私は尋ねたがBIRDちゃんはきいていなかった。彼あるいは彼女は正義君とよばれる少年にむかいかけていった。

 禁書室で私をおどしたあの少年は正義君という名前らしい。

 私はBIRDちゃんのうしろをおいかけた。

 少年とはかかわりたくなかった。

 けれども声をかけられた。

「ここでなにしていたの?」

「なにも」

 私はそそくさと少年の隣をとおりすぎようとした。

「待ちなよ」少年によびとめられた。立ちどまった。あのときとおなじだった。彼は眉間に皺をつくりこちらをにらんでいた。その皺はやはり子供にしてはふかすぎるものにみえた。一転、真白な歯を剥きだしにして微笑した。私も微笑みかえそうとしたがそれはできなかった。薄暗いなかで彼の歯はしろくきわだってみえた。

「BIRDまで殺すつもりかい?」

「きみはおかしいよ」

「おかしいのは貴方だろ」

「議論するつもりはない」

「猫を殺すひとはそのうちひとも殺すようになる」

「私は殺してない!」私は立ちさろうとした。会話は成立しそうになかった。会話するほど損なわれるようにもかんじた。自分でもわかるくらいに動揺していた。発作をおこすまえに、自分で自分を支配できているうちに、ここから逃げださなければならなかった。出口の扉に手をふれたそのとき、立ちさろうとする私の背中にむけて、彼はつぶやいた。

「明日の交友会がたのしみだ」



 6

 金属探知機が反応して五階の受付でとめられた。コートのポケットからカッターの刃が発見された。BIRDちゃんについてあわてて説明したが理解をえられたかどうかはわからなかった。病室にもどると頓服薬をのみこんだ。眩暈がした。回転刃の音がきこえてきた。それが耳鳴りであることは理解していた。これは現実の音ではない。けれどもだからといいなんなのだろう。音がきこえることにはかわりない。不快なものは不快でありその不快感自体は現実のものだろう。これが現実ではないとしたらなにを現実というのだろう。

 眠りにつこうとしたが眠れなかった。

 正義君とよばれる少年のまなざし、カッターの刃をみつけたときの看護師のまなざし、私にむけられる嫌疑のなまなざしの数々が、脳裏にこびりついてはなれなかった。私は前進している、前進しているはずなのに……しかしそれでいて前進するほど、身体に蔦状の罠がまとわりついて、絡みとられていくようにも、かんじられた。

 目をつむると瞼に鮮明な光景が──水槽にとじこめられた鼠が前足をばたばたさせてそこからぬけだそうとしている姿が、おもいうかんだ。鼠を頭からおいはらおうとした。明日の交友会についてかんがえようとした。おもいかえされるのは少年の眉間ばかりだった。彼が私を罠にはめようとしているのかもしれない。もしくは本当に私が犯人なのかもしれない。どうして私が交友会に参加するとしっていたのだろう。

「鼠」私はそうつぶやいて目をひらく。

 眠れずにおきあがる。消灯時間はすぎている。廊下をてらしているのは非常口の緑色の照明と消火設備の真赤な照明だけだった。

 休憩室がみえた。だれもいなかった。水槽の青白い蛍光灯がきわだっていた。足のかけた鼠が相変わらずとじこめられていた……はずだった。

 私の足元にはカッターがおちていた。

 水槽の木屑は血まみれだった。

 鼠はきりきざまれていた。

 死んでいた。

「どうしたんだい」

 真後ろに看護師のおばあさんがいた。

 深く皺のきざみこまれたおばあさんの顔が水槽の蛍光灯にてらされてうかびあがった。

「ちがうんです!」私の声はおびえていた「ちがうんです、お願いだから信じてください……」

「なんだいこれは!」異変に気付いたおばあさんは水槽をのぞきこむと悲鳴のような大声をあげた。

「ほんとうにちがうんです!」私は後退りしながら弁解しようとした「私ではありません。お願いですから信じてください。お願いですから……お願いですから……そうだ、そうです、防犯カメラを調べてもらえませんか。私は絶対に犯人ではありません。絶対に……」休憩室の天井にあるはずの防犯カメラをゆびさした。そこにあったはずの防犯カメラを。しかしそこにはなにもなかった。反対側の天井の角をゆびさそうとした。そこにもなにもなかった。天井を見回しながらぐるりぐるりと回転して最後には膝からくずれおちた。看護師のおばあさんまでああしたまなざし──詰まりは嫌疑のまなざしをむけていた。私は首を横にふりながらいいわけするしかなかった「五階の防犯カメラをぜんぶ調べてください。鼠の死骸を検死にかけてください。そうだ……」あることをおもいだして飛びあがると非常口の扉にむかった。やっぱり。施錠されていなかった。非常口の扉がひらいたままになっていた。これは猫が殺されていたあの日とおなじだった。犯人は非常口の扉を自由にあけられる人物に間違いなかった。こうしたことをおばあさんに説明した。

「あんたを信用するよ」看護師のおばあさんは眠たそうにそういうと落ちついたようすで看護室にもどった。落ちついていないのは私のほうだった。自分の病室にもどったあとも興奮はおさまらなかった。嫌疑のまなざしが忘れられなかった。罠としかおもえなかった。それもこの罠は硬質なものではなかった。粘着質のものだった。しかしどうだろう、もしもこれらすべてが仕組まれた罠だとしたらあまりにも巧妙ではなかろうか。天井を見詰めていると三種類の顔がおもいうかんだ。ひとりは容貌の不確かな自分の顔。ふたりめは正義君とよばれる少年の顔。さんにんめは魔女の顔だった。

 自分が犯人とはおもえない。少年が犯人ともおもえない。正義君には尋常ではないところがあるが、それにしても、私を本気で犯人と勘違いしているだけの病人にもおもえる。彼も病院の患者のひとりにすぎないだろうし非常口の鍵をあけたりはできないだろう。問題は魔女だ。彼女が犯人だとしたら捕まえようもない。彼女の立場なら私を犯人に仕立てあげることくらいは簡単だろう。いいやそうではない。私の身近に犯人がいるともかぎらない。私とは関係なくどこかに犯人がいるとかんがえたほうが自然だ。犯人ではないのだからうろたえる必要はない。それにこの病院、そのなかでも五階は防犯カメラだらけだ。しかしなぜか休憩室には防犯カメラがなかった。なぜだろう……まあかんがえるまでもない、洗面所や便所をのぞいていたるところにカメラは設置されているし、仮に私が犯人ならば猫を殺したときにばれていなければおかしい。どうせちかいうちに犯人は逮捕されるだろう。

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