序章「焼き尽くす者」
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『敵機侵入! 機数5! 機体はF-22…リーダー機と思われる一機は不明! 何だ、見た事がないぞ、あんな機体!』
『複数の反応が同時に消滅!? どうなってるの!?』
『特殊兵装だ! マルチロックの空対空ミサイルだ!』
『ケツを取られた! 誰か、援護を』
爆音が空に響き、無線を伝って死を告げる。
晴れ渡る空の上、パイロット達は互いに争い合っていた。
西暦2023年、10月6日。日本首都東京。高度1500m。無数の戦闘機が次々と撃墜され、首都へとその残骸をばら蒔いて燃え尽きる。
世界は、たった一つの国と戦争を繰り広げていた。
突如として出現した謎の国家―――エクストラ皇国。彼等は世界へ宣戦布告をし、僅か数日で一つ国の首都を陥落させた。
世界はそれによりエクストラの宣戦布告が冗談ではないと理解し、全国が協力してエクストラ皇国と戦争をする事を決断した。
それから、数十年。激しい戦争は永きに渡り、ようやく終わりを迎え始めていた。
にも関わらず―――戦いは、また始まった。
『606より未確認機が接近!』
『落ち着け、IFFを確認しろ! 彼等は味方だ!』
《こちら、多国籍軍事組織『ポラリス』の早期警戒管制機ハリケーン。ハルパー隊だな?》
『ポラリスか! なら、来たのはアルクス隊だな!? 部隊はほぼ全滅だ、リーダー機と思われる奴にもう十機は落とされてる!』
《十機だと…!? 敵はどういう武装をしてるんだ!》
『微かだが見えた、星に囲まれた猟犬のエンブレム! シリウス、敵部隊はシリウスだ!』
シリウス。
その名前を聞いて、Su-37を駆るアルクス隊の1番機―――TACネーム「セイバー」は、自分の体が強ばったのをすぐに理解した。
エクストラ皇国空軍第111特殊航空飛行隊―――シリウス隊。
世界がこれまで煮え湯を飲まされ続けてきた相手であり、エクストラという国を攻め切る事が出来なった理由そのもの。
『なら……相手は、シリウス1』
『あのバケモノね…、上等だわ』
アルクス隊の三番機と四番機、TACネーム「スノウ」と「ニェーバ」は冷や汗をかきながらも強く意気込む。
―――シリウス1。
エクストラ皇国空軍第111特殊航空飛行隊『シリウス隊』の隊長機。エクストラ空軍最強のパイロット。
機動艦隊の主力であった戦艦ゼウスと空母ヘラを、爆撃機でも攻撃機でもなく戦闘機で沈没させた事でアメリカの海軍戦力を大幅に低下させた事で名を轟かせた、世界が警戒するエース・パイロットその人だ。
日本、アメリカ、イギリス、中国、ドイツ、フランス。あらゆる国が彼に煮え湯を飲まされてきたのだ。
《セイバー、ブレイド! 躾の時間だ、丁寧に調教してやれ! 帰ったらワインを開けよう!》
『……了解』
『了解。抗おうぜ、セイバー』
Su-57を駆る二番機―――TACネーム「ブレイド」が、セイバーのSu-37と共にフルスロットルで先行する。
日本の双剣―――そう呼ばれる二人のパイロットだ。彼らが居るならば、何も問題はない。誰もがそう信じている。
しかしそれは―――シリウス隊の方も同じ事だ。
『来たぞ、双剣だ』
『アルクス隊か。何気に初めての戦闘じゃないか?』
『テンション上がるぜ!』
『おい、ふざけてんじゃねぇよ!』
『そうイライラすんなよ、ウリー。レックス、指示―――は、聞くまでもねぇな。行ってこい、今日も必死にしがみついてやるさ!』
『―――』
交戦開始。
そう呟いて、シリウス1が駆る機体―――LMF-01 Dragoonが、最高速で空を駆け抜け、綺麗な軌道を描いた。
『はやっ…!? アルクス1! ミサイル、ミサイル!』
『……!?』
ビービービービービービービービービービービービー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ミサイル警告が何度も何度も鳴り出す。咄嗟に操縦桿を操作し、大きくロールして真正面から殴り掛かって来たミサイルを何とかブレイクする。
ヘッドオン―――双方が前方に相手を置いて撃ち合う状態―――する様な形でこそあるが、しかしシリウス1との距離は10kmは離れていた。標準搭載されているミサイルでは、ロックオンする事など到底不可能な距離だった筈だ。
マルチロックオンの特殊兵装ミサイルか。セイバーはそう決めつけ、警戒を強める。
徐々に縮まっていく彼我の距離。加速していく心臓の鼓動。レーダーに表記される敵機が、間合いへと近付いて―――踏み込んだ。
『――FOX2』
翼から解き放たれたミサイルが、シーカーで捉えた敵機へと飛翔する。
『―――』
空を裂き、雲の道を沿って高速で駆け抜けるミサイルは、しかし直撃する事はなく、呆気なく迎撃された。
ミサイルの位置を正確に把握していたのか、或いは超人的な動体視力を有しているのか。あろう事かシリウス1は、回避する事もなく真正面から機関砲を用いてミサイルを撃ち抜き、爆発させたのだ。
《ミサイル、ミス! 途中で反応が消失したぞ、どういう事だ!?》
『野郎、機関砲でミサイルを撃ち落としやがったんだ!』
『本当にバケモノだよ…!』
『驚いてる場合じゃないわ! アルクス4、交戦!』
『っ、アルクス3、交戦!』
『アルクス4、交戦!』
『アルクス5、交戦!』
『シリウス2、交戦! 行くぞ!』
『おいコーズ! 一人で突っ走るな!』
『レックスと張り合おうとする癖は治りそうにないな、こりゃ』
『ははっ、お前達は相変わらず余裕だな。よし、俺たちも行くか!』
各機がシリウス隊の面々と交戦し、戦闘を開始する。彼等も必死だ。死に物狂いで、殺し合いを始めるだろう。
だが、戦況を独占するのは―――やはり、彼等の方だ。
『ぐっ、なんつー機動しやがる…! 本当に人間が乗ってんのか!?』
『―――』
ドッグファイトが始まってから数分が経過する。しかし、セイバーもブレイドもその数分の中でただの一度も、シリウス1のケツを獲る事が出来ずにいた。
水平飛行からの急降下、機首を返す事なくハイG機動へ。そこからケツを獲ろうとすれば失速機動によって、歓迎する様に機関砲の嵐がコックピットを襲い、掠めていく。
あまりにも無茶苦茶で、もはや曲芸とすら言い難い―――ここまでくれば、神業の類だ。人間が操縦しているとは思えない、AIが操縦しているのではないかと疑いたくなってくる。あのマニューバで掛かるGは、想像を絶する筈だ。
だが、未だ敵に衰えはない。
『セイバー、俺が囮になる! 尻尾振って誘ってるうちに落とせ!』
『了解』
わざと身を前に滑り込ませる様に飛べば、シリウス1は前で尻尾を振って誘っているSu-57に狙いを定めて追い込む。
追い、追い、追い、追い、追い。
いつまでも追い続け、全くとして撃ち込んでこない。まるで、何時でもお前を撃ち落とせるから今は遊んでやると言わんばかりだ。
『全然撃ってこねぇ…! 確実に落とせるから遊んでやるってか? ふざけやがってっ……こっちはいつも必死だっつーの!』
『……余裕そうだな』
『おっけい、お前帰ったらヘッドロックな!? 誤魔化しで冗談言ってんだよ、察せ! 良いからさっさと撃つんだよ、ハーレム野郎!』
『……ラジャー』
生きるか死ぬかが一つの判断で決まる空戦の中でも、相も変わらず冗談を抜かす相棒のお陰で緊張がほぐれたのか、セイバーは少しだけ笑って答えた。
Su-37を左へ90度ロールし、降下してシリウス1の背後を取って食らいつく。レーダーで敵の機体をロックし、操縦桿のミサイル発射の引き金へと親指を合わせる。
まだ撃ちはしない。的確に、しかし迅速に相手を確実に撃ち落とせる瞬間を捕らえるのだ。
精神を研ぎ澄まし、味方を追う敵を追い回す。いつ撃たれるか―――不安を煽るようにプレッシャーを与えているのは、こちらも同じだ。
セイバーは相棒を信頼している。故に、焦る事なくしっかりと狙いを定める事に集中している。
『出来ればっ、早くしてほしいんですけどぉっ……!?』
『信じてる』
『おまっ、それ言えば良いと思ってねぇか!?……あぁ、くそっ! 絶対にヘッドロックかましてやるッ!』
怒鳴りながらに、ブレイドは操縦桿を握り締め、アフターバーナー全開でさらに速度を上げながら、180度ロールして機体を逆さにし、一気に真下へと降下する。
降り掛かる凄まじいGに、ブレイドの体が押し潰される。だが、意識は手放さない。この戦場において最強の存在を倒せなければ、勝利は決して訪れはしない。
信じてくれる仲間が居るならば、こちらも信じて返すのみ。信頼する隊長が、必ず敵機を撃墜する事を信じて―――此方も無茶な飛行をやってみせるまでだ…!
『―――』
ビービービービービービービービービービービービー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ミサイルアラートが、コックピット内で鳴り響く。ロックオンだ。
真下へと降下し、高度600mを切る寸前で再びロールし、機体の姿勢を正す事なく派手にバレルロールして敵を誘い出す。
シリウス1は、それに応えた―――
ように、見えただけだった。
『―――』
ブレイドのSu-57が降下した瞬間、シリウス1もまたLMF-01をロールし、それを追う様にして降下する―――セイバーにはそう見えていた。
だが、現実はそうではなかった。
ロールし、機体を逆さにした瞬間にLMF-01はハイG機動に移り、渦流を身に纏いながらブレイドからロックを外したのだ。
ブラフだった。最初から、シリウス1はセイバーただ一人を狙っていたのだ。そして、二人はそれにまんまと引っ掛かってしまった。
『……!?』
『ロックを外した!? いやっ、まさかブラフか!?』
『敵機、ハイG機動! ループするわ! いや、これは……クルビット!?』
機体をループで逆宙返りさせ、背後を取る―――ではなく、ループの最中にクルビットに移行し、ループよりも速い旋回で背後を取った。
まるで簡単な様に行うが、これは決して簡単ではない。降り掛かるGに体は押し潰され、ブラックアウトが訪れる。それに加えて、こうも何度も何度も加速と失速を繰り返して機体を旋回し続ければ、本来ならば機体は空中でバラバラに分解される。
そう、本来ならば戦闘にすらならないのだ。ただ馬鹿な事をして死ぬ、それで終わりになる筈だ。
だが、彼は。この男は。シリウス1は―――違う。
『セイバー、背後を取られたわ! 早く逃げて!』
『セイバー、ブレイク―――急旋回を指す―――だ! 早くブレイクしろ!!』
『ぐっ…!!!』
『―――』ロックオン。
静かに、そう宣言する。
FCSのレーダーが照射され、セイバーの機体をロックする。
その刹那には、僅かな逡巡すらも存在しない。ただ無慈悲に、無感情に、シリウス1は操縦桿に備わったスイッチへと親指を走らせ、力を込めて押すだけだ。
『―――セイバーぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
一瞬だった。何故間に合ったのか、本人が理解する事も出来ないくらい―――本当に一瞬の事だった。ブレイドは、機体を旋回して急速で切り上げ、セイバーとシリウス1の間を割って入ったのだ。
その叫びは、無線を越えてアルクス隊の全員へと響き渡り、轟音と爆炎と共に、砕け散った。
これで―――50回目の敗北である。