砂の大地 4
青年の言葉に、スグナは一瞬遠い目をした。そのとき、
「あ゛ー」
それまで彼の腕に大人しく抱かれていた赤子が声をあげた。ぎょっとしたように、青年は赤子を抱えなおして顔を覗き込む。目が合うと子は楽しそうに「あー、あー」とまた声を上げた。
「もう戻りなさいな。今日の主役はその子なんだから」
青年の慌てぶりを、目を細めて見つめながらスグナは促した。子をあやしながら彼は「うん…」と頷いた。
スグナは、彼の世話役だったのだろう。石になるまで、もう時間がない。少しでも一緒にいたいと思う気持ちは、責められたものではない。それがナハテへ旅立つための別れではないとわかっているのなら、なおさら。
「ひと段落したら、また戻ってくるよ。…じゃあカロン、お願いするよ」
はいとカロンは頷く。青年と赤子は布を押し上げて他の村人のもとへと戻っていった。カロンと二人になり、スグナは少しずつ、ゆっくりと首を動かした。
「あなたは、絵が描けるのねぇ」
顔がカロンの方に向くと、彼女はほうと息をついて話しかけた。カロンは木板、パピルスの皮、カマドノキの炭に加えて様々な色の粉や棒状のものなど、絵を描くために必要な道具を取り出しながら、ええと頷いた。
「人や、石を描きながら、僕は旅をしているんです。スグナは、絵をご存じなのですね」
「ずいぶん昔のことだけれど、旅の人が持っていた絵を見せてくれたのよ。…とても素敵だった。まさか、自分が描いてもらえるなんてねぇ」
スグナは硬い頬の筋肉を動かし、はにかんだ。少女のように若々しい笑み。そんな表情を見て、カロンの口元も自然と綻んだ。
「その絵に劣らないよう、がんばります」
カロンは描く。仄暗い部屋の中で、スグナと穏やかに会話しながらその左手は猛然と、しかし軽やかに動く。カマドノキの炭でパピルスの皮に形が写し取られ、その線を消しながら描き加えられる細い線が繊細に形状を成していく。いくつかの粉にミズトドメから絞った汁を混ぜ、棒状のもの──先に付いているのは髪の毛だろうか?──で掬い取り皮に載せると、花が綻ぶようにふわりと色付いた。
「…出来ました。お待たせしてすみません」
カロンは大きく息をつくと、木板に載せたパピルスの皮をスグナに向けた。明り取りから入る光は、ずいぶん弱くなっていた。
完成した絵は、とても穏やかな絵だった。まるで眼前の光景そのままを写し取ったかのような透明な静けさに満ちた、優しい絵。しかし描かれた女性の顔は明るく健康的な肌の色をしており、優しい瞳を見る者に向けている。
「ありがとうねぇ。ずいぶん、べっぴんさんに描いてくれた」
スグナは笑った。もうすぐ石になる、かなりの高齢であるはずなのに、少女のように華やいだ笑みだった。
「いえ。僕が見たあなたを、描いただけです」
カロンは微笑んでそう答えた。石になる者。見送る者。せめて皆が、穏やかにそのときを迎えられるように。それはカロンが絵をかくときに込める願いだった。
その夜、村では引き続き砂送りが執り行われていた。生まれの儀は村ごとで微妙に異なる。この村では赤子が生まれてから次の太陽が昇るまで、夜通し村人みんなで篝火を囲み、砂送りをするそうだ。生まれた子の世話役に選ばれた青年は、赤子を他の者に託しながら、篝火とスグナの間を頻繁に行き来していた。
「旅人さん、お話してよ。いろんな話を聞かせてよ」
時折砂送りに参加しながら、村人たちの絵を描くカロンのもとに子供たちが集まってきた。カロンは彼らのために荷物を右側にまとめ、場所を空けた。