森へ行きましょう
とある国のまあまあ端っこの方に、ちっぽけな村がありました。その村には特に名産品も無く、皆それなりに細々と暮らしているのでした。
ちっぽけな村の中でもはずれの方に、やはりちっぽけな小屋に住む一組の親子がありました。
体が大きくも小さくも無い普通の中年男で狩人のトウネと、四歳になったその娘のパンネです。母親はありません。
父親が母親について語る時、とても幸せそうな顔で遠くを見つめるので、パンネはお母さんとは素敵なものなのだと思うのでした。
一見普通の父親ではありましたが、トウネはまあまあのドジっ子でした。ドジっ子中年男の需要が如何程の物かはわかりませんが、少なくとも結婚出来たので、ゼロでは無いのでしょう。
トウネが狩りに出る間、パンネは近所の家で過ごします。その家は少しの食糧や日用品などを受け取る代わりに子供の面倒を見てくれるのです。持ちつ持たれつというやつです。
しかしトウネは時折パンネを連れて森に入りました。自分の知っている事を教える為です。
「パンネ。これは食べられる葉っぱだよ」
そう言ってトゲトゲした葉っぱをパクッと口に入れます。予想よりも苦味がありましたが、トウネは我慢して飲み込みました。父親の顰めっ面を見たパンネは、食べるのをやめました。
その夜トウネはお腹が痛くて眠れませんでした。
別の日には
「パンネ。この花は甘くて美味しいからね。覚えておくんだよ」
そう言ってパンネに花を渡しました。パンネは手の中の花を見て、父親を確認するように見ました。
「大丈夫だよ。ほら、こうやって食べるんだよ」
上を向いて自分の口に放り込んだトウネは、地面に花を吐き出しました。
パンネが覗き込むと、花には小さな虫が沢山ついていました。
綺麗に洗った花は、確かに甘味がありました。
父と森に行く度に、パンネは早く大人になりたい思うのでした。
村人の助けも借りつつ二人仲良く暮らし、パンネはゆっくりと大きくなっていきました。
パンネが十歳になった年のある日、トウネが近くの村(といってもまあまあ離れているのですが)女性と結婚しました。
ほっそりとした女性で名をペンネといいました。
トウネは浮かれました。
浮かれて結婚一週間で帰らぬ人となりました。
ペンネに良いところを見せようと、無理をして大きな鹿を狩り、何とか仕留めました。そして帰り道に鹿が重くてバランスを崩し、土手から落ちたのです。
落ちただけなら良かったのですが、後から鹿が頭の上に落ち、首を折ってしまったのでした。
たった一週間で夫を失ったペンネも気の毒ですが、パンネもまたどうして良いか分かりませんでした。
ひと月ほど、お互いに様子を伺いながらペンネは村の女性達と小屋で共同作業を、パンネは水汲みをしたり、もっと小さな子の面倒を見たりして暮らしておりました。
ペンネはペンネなりに馴染もうと努力したのです。でも彼女は気が強く、余計な一言を付け加えてしまうたちでしたので、中々上手くはいきませんでした。
それでも大人達はやっぱり大人ですので、なんとか受け入れられ、生活の目処が立ちました。
しかし家に帰ってからもまだ生さぬ仲のパンネに気を遣わなくてはなりません。
遠慮し合いながらの生活に嫌気がさしたペンネは決断しました。
「パンネ。今日は森に一緒に行きましょう。トウネの代わりに私が色々と教えるから」
パンネは嬉しくなりました。
たった一人の身内となったペンネと早く仲良くなりたかったのです。
パンネはいつものように厚手の上着にしっかりとしたブーツ、水筒とポケットには小さなナイフ、それに鞄にパンとお手製の動物避け(臭さが自慢です)といくつかの薬草を入れ、籠を背負いました。おっと、手袋と帽子を忘れてはいけません。ナタと、それからトウネが作ってくれた木彫りのお守りを首から下げて――
「…………。今日は昼前に帰ってくるからパンはいらないよ。危ない動物も居ない場所だし、私が居るから持ち物は籠だけでいいよ」
「ジャマにならないからへーきだよ?」
「……木登りもするから身軽な方がいい」
木登りするなら薬草もナタもあって良い気がするのですが、折角誘ってくれたのです。近くのようですし、これ以上気まずくなりたくないパンネは、鞄を外してナタを置きました。
水筒やナイフは絶対必要なはずなので持ったままです。お守りは邪魔にならないように服の中に入れました。
「……まあ、いいか。じゃあ行くよ」
ペンネは背中に鞄を背負い、腰に小さな籠をぶら下げ、ナタを手に持ちました。
採取に行くには籠が小さい気がしましたが、今回はパンネに教える為に行くのです。きっとペンネは指示をだしたら手出しは控えようというのでしょう。
パンネは張り切りました。
ペンネに良いところを見せよう、そう思いました。
そしてパンネは今、崖から滑り落ちて動けなくなっていました。
ペンネの案内で向かった先は、パンネが足を踏み入れた事のない場所でした。
ペンネのいた村からは良く行く場所だと教えてもらいましたが、パンネの村からはその場所への道がありません。ですからペンネが事前に簡単に道をつけていてくれました。
「森の歩き方を見るからね。パンネが先に行っておくれ」
パンネは先頭に立ち、時々ペンネに確認をとりながら進みました。
暫くすると目の前に大きな木が見えてきました。
見上げても天辺がうかがえないほど大きな木です。
「あの木の上に、花が一輪咲いているんだよ。とても薬効が高くて、売れば一年は余裕で暮らせるよ。身軽な方が取りやすいからね。パンネならいけるだろう」
「どうして上に花が咲いているってわかったの?」
下からは全く見えないのでパンネは不思議に思いました。
「……別の高い木に登った時に見えたんだよ」
よく観察するペンネは凄いとパンネは自分のことのように誇らしくなりました。
えっちらおっちら一足ずつ確実に登ります。
ペンネは身軽さを買ってくれましたが、体が小さいということでもありますので、大きく太い幹は厄介でした。
大分登りましたが、花はまだまだ遠いようです。パンネが声を掛けようと下を見ると、そこにはまばらな草があるだけでした。ペンネはどこに行ったのでしょう。
たまたま見えないところにいるのかもとパンネは近くの枝に腰を下ろし、声を出しました。
「ペンネかあさーん。まだ花が見つからないよー。ねえ、ペンネかあさーん」
声は森に吸い込まれるように消えていきました。ペンネの返事はありません。
パンネは不安になりましたが、折角ここまでのぼったのです。再び上を目指そうと体を持ち上げて足を滑らせました。
咄嗟に片手で枝を掴みます。しかし指先しか掛かっていなかったのでそのまま下に落ち、運良く別の枝に引っ掛かりました。
そこでパンネの心はポッキリ折れました。
――もう帰ろう
今度は慎重にズルズルと幹を降ります。
地面に足が着いた時はホッとしました。
でもやっぱりペンネの姿はありませんでした。
パンネは捨てられたのを察しました。
心の折れたばかりのパンネは途方にくれ、フラフラと歩いてあっさり崖から落ちました。
擦り傷と痛めた足以上に心が痛みます。パンネはしくしく泣き出しました。
後から後から涙が出て、服がビショビショになるほど泣きました。すると何故か胸のところが熱くなったのです。
胸に手をやるとトウネのお守りが熱を持っているのが分かりました。