5-4 迷いと決断
アルベルトは、シャルロッテの止血を試みていた。だが、溢れ出る血は量を増すばかりで、押さえる布を瞬く間に濡らす。
魔法が体の中で燻り続けているのだ。シャルロッテに当たった魔法は吹き飛ばすだけにとどまらず、腹に深い傷を負わせ、その傷を更に広げていっている。
「くそっ……シャルロッテ……!」
最初は呻き声を上げていたが、今はそれも無い。ぐったりしたまま動かず、何の反応も示さない。それでも呼びかけ続けた。それしか出来なかった。
(何か魔法で……いや、魔力が無いからどうにも……補助魔法を……そもそもこの傷じゃ、もう……)
こんな時ほど冷静にならなければいけないのに、思考が空回りしてまとまらない。
その割には、後ろで起こった出来事をしっかり認識できていた。アインが魔獣の因子を植え付けられていて、その力が覚醒して、アインがヴァレリーを殺した。だからもう危険は無い。シャルロッテを助けさえすれば、さっさと船に乗って皇国へ渡れる。
(時間稼ぎなら、補助魔法でなんとか……意味あるのかそれ)
魔力が無いのは、まあどうにかなる。だが、自分の魔法では治せない。時間を稼げば誰か治癒魔法の使い手——例えば兄が来てくれるなら、魔法で出来る限り猶予を伸ばすのだが。
でも、もう手遅れかもしれない。今この瞬間にも死にそうなシャルロッテを見て、そう思ってしまう。
最適解が分からなかった。とりあえず時間稼ぎをすれば良いという問題でもない。もたもたしていれば別の敵が来るかもしれないし、魔獣の因子の力を使ったアインが無事なのかも分からない。
考えれば考えるほど頭がごちゃごちゃするばかりで、何も決まらなかった。
そんなアルベルトの傍で、木が揺れる。ざわざわと。何かを伝えようとするかのように。
時間を稼げ——そんな声が聞こえた気がした。
気のせいだと思った。それでも、その声を信じたくなってしまった。
迷いを振り払い、余計な思考を消し去って、魔力を捻り出す。絞り出す。目当ての魔法を使うに足る量を、自分の命から。
「術式同時展開。補助の書1節、3節、25節、40節。流れる時に抗いて、極限まで引き伸ばせ」
遅延魔法だ。シャルロッテに流れる時間を可能な限り遅くして、助けが来るまで持ち堪えさせるための魔法だ。
アルベルトは大きく息を吐き、東を見た。
限度はせいぜい10分だろう。それ以上経てば魔法の効果が切れ、シャルロッテは死んでしまう。
もっと早くにこの魔法を使っていれば、もっとマシな状態をキープできていたところだが、そもそも存在しない遅延魔法を補助魔法の組み合わせで作ろうと思い付くのに時間がかかったのだから仕方がない。作り終えて5秒くらいで「時間を稼げ」と聞こえて、すぐに魔力を練って発動させたのだから、迷っていたせいで対処が遅れた訳ではない。
(っていうのを説明しないと兄ちゃんに怒られそうだな……)
兄が来ると決まった訳でもないのにそう思ってしまい、苦笑が漏れる。
(これでもし誰も来なかったら……どうにかしてアインを船に乗せて、俺は……)
ぼんやりと考えていると、遠くで馬のいななきが聞こえた。森の入り口辺りだろうか。続いて足音が聞こえてくる。2人、走っている。
「こっちだ!」
一人が言った。聞き覚えの無い声だ。
(まさか、敵——)
体を強張らせた時、もう一人の声が聞こえた。
「先に行ってくれ! 僕はそんなに速く走れない!」
(兄ちゃんだ……良かった、本当に来てくれた……)
大きく息を吐き出して、来るのを待つ。
「あんたが来なきゃ意味が無え! 治癒魔法が必要らしいからな!」
誰なのか分からない声がそう言った。その直後、兄の驚いたような声が聞こえ、足音が一人分になった。
(マジで誰? 誰に何を聞いて治癒魔法が必要って知ったんだ?)
疑問を浮かべながら東を見続けていると、足音の主の姿が見えた。
ハンスだ。
(おお、兄ちゃんを肩に担いで全力疾走か。やるなぁ)
ハンスはシャルロッテのもとへ着くなりクラウスを下ろす。クラウスはすぐさま呪文を唱えた。
「術式展開! 治癒の書25節、檻!」
格子状の光が檻のように広がりシャルロッテを囲む。それを見届けたアルベルトは遅延魔法を解除した。そうしなければ治癒魔法自体も遅延してしまうからだ。
クラウスは眉をひそめる。
「これが一番強力な治癒魔法なんだが……厳しいな。多分、間に合わない」
治癒魔法を使っても、一瞬で治せる訳ではない。軽い怪我なら2秒ほどだが、重傷なら何分もかかる。
「間に合わないって……治してる間に死ぬってことか?」
ハンスは硬い声で尋ねた。クラウスが頷くのを見るや、すぐさま宙に向かって声を投げる。
「木の精! どうにかしろ!」
精霊使いであることを、出来れば隠し通したかった。だが、治癒魔法だけでは助けられないというのなら、木の精を使わざるを得ない。シャルロッテを死なせる気はさらさら無いのだから。
『どうにかって雑だなぁ』
『まあ、シャルロッテのためなら良いよ』
『えーい! はい、おっけー。これでしばらく死なないよ』
『治すの間に合うようになったよ』
木の精たちの陽気な声に、ハンスは嘆息した。
クラウスは目を瞬かせ、ハンスとシャルロッテを交互に見る。
「何だ、何が起きた?」
「えーっと……生命力の補充、みたいなことをやったらしい。木の精がそう言ってる」
「シャルロッテは助かるか?」
「ああ、あんたがしっかり治癒魔法を使ってくれれば」
「そうか……」
安堵の溜息とともにそう呟いて、クラウスはアルベルトへ目を向けた。
「こっちは任せて、お前はアインと船に乗って発て」
「駄目だ、シャルロッテも連れてかねーと……色々知っちまったから、狙われる」
言いながら、アルベルトは立ち上がろうとした。アインの様子だけでも見に行こうとしたのだ。
だが、立てない。
「……っ」
視界が歪む。力が抜ける。
そのまま倒れたアルベルトを見て、クラウスは瞠目した。
「おい、どうした⁉」
「……なんでもねー。大丈夫だ」
アルベルトは再び立ち上がろうとするが叶わず、蹲ったまま大きく息を吐いた。
「……やっぱ大丈夫じゃねーかも」
「待ってろ、こっちがひと段落したらすぐに治してやる」
「いや、怪我とかじゃなくて……」
今のうちに、色々話しておかなければ。そう思うアルベルトだったが、意識が朦朧としてきてうまく話せない。
ハンスは、木の精が喋っているのを聞いていた。
『あーあ、あんなことするからー』
『生命力削って魔力を捻出したら、そりゃそうなるよー』
『その辺の植物とか地面の生命力をちょっとずつ、魔力に変換しながら吸収すれば良いのにね。昔は皆そうしてたのに、何で最近は誰もしないんだろ?』
『出来ないんじゃない?』
『なんか、ロストテクノロジー? みたいになってるのかな?』
話が逸れていく。ハンスは渋面を浮かべた。
「木の精。こいつが自分の生命力削って魔法を使ったってことは分かったが、それってどうなんだ? 放っておいて大丈夫なのか?」
『大丈夫な訳が無いよー』
『まだ意識はあるみたいだけどねー』
『放っておいたら明日には死んじゃうよ』
「このままだと死ぬってことだな?」
ハンスは敢えて口に出して確認した。クラウスにも状況が分かった方が良いと思ったからだ。
クラウスは焦りを隠すような声で言う。
「ハンス、頼む。アルベルトを助けてくれ」
「って訳だ、木の精。やれ」
『えー?』
『やだよー』
木の精が拒否してきた。ハンスは真顔になる。
「……いや、やれよ。もしかして出来ねえのか?」
『出来るけどやだー』
『嫌だよねー』
『ねー』




