番外編その1 午後六時の君
「確かに、これは便利なものだな」
目前にある死体を眺めながら、室映士は右手の発動を終了させる。
いつもなら発動後に訪れるはずの、痛みや倦怠感を今は全く感じない。
『あったりまえでしょ。だって、私よ私!』
「……うるさい。人の中で大声を出すな、じゃじゃ馬」
『ちょ! あんた。いまだに私をじゃじゃ馬って呼ぶのってどうかと思うわ。一応、パートナーでしょ』
「パートナー、ねぇ……」
室に対しパートナーを名乗るこの女。
元々は一般人だった千堂沙十美。
室が所属する組織、「落月」。
彼女は当初、落月に所属する奥戸が作った薬の犠牲者という立場だった。
その奥戸が居場所と薬の存在を、敵対する組織である白日に突き止められてしまう。
結果、奥戸は組織から指示を受けた室により処刑されることとなった。
その処理のために向かった先で、沙十美いわく「勝手に飲んだ」せいで、室の中で彼女が覚醒したのだ。
そこで沙十美は、室に取引を持ち掛けてきた。
室に対し沙十美が、発動後の痛みや反動を抑える力を与える。
代わりに室は彼女の親友である冬野つぐみの存在を、落月に知られないようにするというもの。
今のところはその利害の一致で、二人は行動を共にしている。
しかしながらこの沙十美の薬は、一部の上級者達が口にしているはず。
彼らの中にも、このやかましい女が存在しているのだろうか。
ふと生じた疑問を、室は口にする。
「なぁ。お前みたいなやつが、落月の発動者の中でうじゃうじゃしてるのか?」
その状況を室は想像してしまう。
少々、……いや。かなり気持ち悪い。
思わずうつむいた室を気にすることなく、沙十美は答える。
『その可能性は低いと思う。だってつぐみと関わってなければ私は出てこないはずだもの。だから今後は、そういう人が出てくる可能性はあるだろうけど。……現状ではあんたの他に多分、一人?』
「なんだその『多分、一人』という言葉は? ……お前の大声はやはり響く。今なら周りに誰もいない。出てこれるか?」
室の声に反応して、目の前に黒い霧が現れていく。
それは徐々に大きくなり蝶の形をかたどった後、黒いワンピースを着た女性へと姿を変えた。
かつて体内での沙十美の大声に、室が苦言を呈したことがあった。
『わかったわよ。だったら、あんたのお望み叶えてやるわよっ!』
そう叫んで室の目の前に、彼女は実体を持ち現れたのだ。
滅多なことでは動じない室も、さすがにこれには驚いたものだ。
だがここ数日の何度目かの登場で、すっかり慣れ切ってしまっている。
文字通りひらりと降り立つと、沙十美は室に話し始めた。
「同じような、でも違うような感じの気配がするの。でもその気配って、何だか隠れているみたいなのよね。気づかれたくないというか、放っておいてほしいと思っているような」
「その謎の存在が、落月にもう一人いると?」
「うーん、よくは分からない。でも多分その宿主さん、あんたと違ってその子の存在に気づいて無さそう」
「お前みたいなやつが、無自覚で中に居るのか……」
大変であろうと、室は心から同情する。
「ちょっと! あんた今、私に対して失礼なこと考えてたでしょ!」
外に出ても、やはりうるさい。
その気持ちが、室の顔に出てしまっていたようだ。
実に邪な笑みを浮かべた黒い悪魔が、室へと口を開く。
「ねぇ。あんたのお望み通り、私はこうやって外に出て話をするようにしたわよねぇ? だったら今度は、あんたが私の望みをかなえる番でしょう? そういう取引だものね」
◇◇◇◇◇
「なぁ。なぜ俺が、ここに居なければいけないんだ?」
『だって取引でしょ?』
「取引も何も。お前の蝶道で無理やり連れて来ておいて、その言い草はどうかと思うが」
取引の内容を聞いて室は当初、拒否をしていた。
すると沙十美は人を操る発動能力『蝶道』を室に施し、強引にこの場所まで連れてきたのだ。
『さぁ。会場に着いたわよー。ふふふ。遅めの時間だからお客さんも少ないみたい。これならすぐに入れそうね』
室は腕時計の時刻を見る。
時刻は、午後六時を少し過ぎたところ。
心から嬉しそうに話し続ける沙十美に、室は最後の抵抗を試みた。
「なぁ。本当に俺が一人で、ここに入るのか? お前が実体化して、店に入れば済む話じゃないのか?」
『あ、無理無理。だって私、行方不明者でしょ? ここの人達に顔も知られてるから』
その不明者と一緒に居たと発覚したら、後々に困るのは自分だ。
理解した室は眉間にしわを寄せ『会場』の入り口を眺める。
『じゃあ、ミッションスタート! 陰ながら私も応援してるからねー! ぷぷぷ』
「……応援する奴は、最後に絶対に笑ったりしないがな」
ため息をつくと、沙十美の言う「会場」の扉を室は押し開けた。
◇◇◇◇◇
ドアベルの軽やかな音色と共に、室は店内に入ると辺りを見渡す。
コーヒーの香りで満たされたその喫茶店は、遅めの時間ということもあって客は少ない。
六つほどあるテーブル席に目線を向ければ、室に気付いた店員が一番奥の席に座るように促してきた。
自分の他には入口に近いテーブルにいる、二人連れの女性客しかいない。
新たな客の登場にその二人は会話をやめ、じっと自分を見つめてきている。
ちらりとそちらを眺めた後、室は席に着いた。
『ぷぷぷぷ』
悪魔の笑い声が体の中で響いている。
「ご注文は、お決まりですか?」
女性の店員がやって来て、笑顔で問いかけてくる。
あとは、沙十美に言われたミッションとやらを遂行するだけだ。
目を閉じて、呟くように室は言う。
「チョコタルトと……。コーヒーを一つ」
『ぶはっ! 頼んでる、頼んでる! ひー、苦しい』
体内の声は、しばらく無視をしよう。
このまま頼んだ商品を待ち、それを食ったら帰るだけだ。
表情を変えることなく室はそう考え、料理が届くのを待つ。
入口に座っている二人組の視線は、ずっと室を捉えたままだ。
『ねーねー。あの人達ずっとこっち見てるよー。あんたは黙ってれば、本当にいい男だものねー』
「……あぁ。見られているのは、全てお前のおかげだけどな」
男が一人で来店して、チョコタルトを頼んで食べる。
それは他人から見たら、十分に話のタネになりうるものだ。
程なくして届けられたタルトとコーヒーを口に入れた途端に、沙十美は何も言わなくなる。
だが室としては、そんなことに構っている暇はない。
食事と会計を早々に済ませ、店を出る。
店から離れ、辺りに誰もいないことを確認し、室は沙十美に呼びかけた。
「おい、じゃじゃ馬。約束は守ったからな。……聞いているのか?」
『……うん、ありがと。味覚って共有できるのね。凄く、美味しかったわ』
「その割には、あまり嬉しそうではないな」
『ううん、嬉しかったよ。もうここのお店のタルトは味わえないって思っていたから』
嬉しかったという言葉に反して、その声は消え入りそうだ。
『私ね。つぐみとここで、マンゴーとイチジクのタルトを食べるって約束してたの。だけどその約束を私が一方的に破ってしまって、……食べられなかったの』
店で食べ始めてから、静かになっていた理由を室は理解する。
『つぐみとの約束は守れなかったけど、ここに来られてよかった。お店にいる間、つぐみと一緒に過ごした時間が返って来たみたいで、本当に嬉しかったの。ありがとう、私の我儘を聞いてくれて』
「珍しく素直だな」
『珍しくなんかないわ。たださっきの時間が私にとって本当に大切だった。……それだけ』
いつもの騒がしい声が、全く響かない体の中。
彼女は今、何を考えているのだろうと思いを巡らせる。
うるさいのも迷惑だが、静かすぎても気持ち悪い。
その結論に達した室は沙十美に告げる。
「そうか。あの店のタルトだが、確かに美味かった」
『……』
「この時間帯なら、また他のタルトも食べに来てもいいかもな」
『……本当に?』
「気が向いたらな」
『わかった。じゃあ明日ね』
「それはない。気が向かない」
『ひどい! あんた、ただの嘘つきじゃない!』
「……知らん、お前はやっぱりうるさい」
数日後。
その喫茶店の近くにある某大学の女生徒の間で、ある噂が広まる。
「ねぇねぇ、知ってる? 午後六時の君」
「何それ? 都市伝説?」
「違うの。あのタルトが美味しい喫茶店あるでしょ? あそこに午後六時になるとね。長髪の凄いイケメンが、一人でタルト食べに来るんだって!」
「ぶっ、何それ?」
「しかも結構な頻度で、食べに来てるんだってー」
「へぇ、見たいかも。ねぇ、今日さ。行ってみよっか?」
そして某喫茶店は、たった数日で過去最高益を上げることとなる。
お読みいただきありがとうございます。
次話の番外編その2はつぐみに会う前のお話。
本編とかなりかけ離れた残念なお話となっております。
よろしければ、もう少しお付き合いを。




