冬野つぐみはおもう
「はい、コーヒー。私のとっておきを一本あげるから飲みなさい」
「……ありがとうございます」
ひんやりとした缶コーヒーが、手に心地いい。
つぐみはふたを開けて一口飲む。
甘い。
とてつもなく甘い。
どうしたらここまで、コーヒーを濃厚に甘くできるのだ。
衝撃的な味に言葉を失う。
「美味しいでしょ? それ」
満面の笑みで信じられないことを聞いてくる品子に、どう返したらいいかとつぐみは悩む。
「ええと、これ甘す、……はい」
何だかこの笑顔を、否定してはいけないような気がするのだ。
気まずさも一緒に飲み込むかのように、つぐみはコーヒーを再び口にする。
「さて、今後の話をさせてもらうよ」
品子からは笑顔が消え、真剣な表情へと変わる。
「奥戸はもういない。今後このような行方不明者が出ることを、君が止めてくれたんだ。本当にありがとう」
表情をゆるめ、品子が微笑んでくる。
「次に千堂君の件。彼女に限らずなんだけど、この件の行方不明者は事実を公に出来ないんだ。なので、そのまま行方不明扱いになると思う。彼女の場合、私が友人達に調査のために関わってしまったからね。表向きはそのまま病気が悪化し、退学して療養という形になるだろう」
「そうですか。……あの、沙十美のご家族には?」
問いかけに、少しうつむきながら品子は答える。
「そのまま行方不明の扱いになる。ご家族からの連絡で警察に届が来るまでは、こちらからは特に何もしない。警察に連絡が来た時点で私の組織が、『少しだけ介入』することになる」
品子の言葉にチクリと胸が痛む。
「そして君のこれからについて。今回の件でとても危険な目に遭わせてしまった。今後はこのようなことがあってはならない。だから君は、今後は私達との関りを絶つべきだと考える」
品子はソファーから立ち上がり、つぐみの正面へとやってきた。
そっとつぐみの頭へと手を伸ばし、優しく撫ではじめる。
「今まで本当にありがとう。こんな言葉でしか私は君に感謝を伝えられないのが。……とても、もどかしいよ」
品子が優しく触れている感覚。
その心地良さに、目を閉じ浸っていく。
「でも、先生。私は……」
「私の、……私の発動能力は」
つぐみの言葉を遮り、品子は続ける。
「相手の記憶を、操り消すことができる能力。この発動をもって、今から私達に関する記憶を消させてもらう。君の意思に関係なくだ」
つぐみは目を開き、品子を見上げていく。
「きっと嫌だと言うのもわかっているよ。でも私達に関わるせいで、君の心が傷つく。これは私達の本意ではない」
わかってはいる。
これは自分を思ってくれるからこその選択なのだと。
そう、だからこそ……。
「そしてこれは、千堂君からの伝言だ。巻き込んで済まないと。君は千堂君の望みである、平穏な日常に戻るべきなんだよ」
皆が優しいからこその選択。
ならば自分は、その気持ちを受け入れるべきであろう。
つぐみは品子を見つめ小さくうなずいた。
「もしも、ヒイラギ達に何か伝えたいことがあれば、今のうちに聞かせてくれるかい?」
「伝えたいこと、……ですか」
一緒に過ごした時は、本当に短い時間だった。
今、つぐみの頭の中に巡る思いは彼らと出会い、話し、自分を知ってくれたことに対する感謝。
つぐみを助けるために自らの命をも削り、守ろうとしてくれたこと。
どれも自分にとっては、今までに決して知ることのなかったものだ。
それを言いたいと思うのに。
どうしたというのだろう。
それを伝える言葉が、つぐみの口からは表せない。
言葉にしようとすると、全てが軽くなってしまいそうなのだ。
困って品子を見つめたその時、つぐみはシヤのハンカチのことを思い出した。
「先生。私、シヤちゃんにハンカチを返してないんですが」
「あぁ、そうだったね。……どうしたものか」
「……ごめんなさい。いいです、このままで。先生から渡しておいてもらえますか?」
シヤの顔を見たら、きっと消されるのが嫌だという気持ちが勝ってしまう。
そんなわがままで品子を困らせたくはない。
そう考え小さく笑うものの、表情で気持ちを知られてしまったようだ。
品子も少し寂し気な笑顔を向け、口を開く。
「わかった。必ず渡すからね」
「あと、皆に伝えてください。今まで私を必要としてくれてありがとうと。嬉しかったんです。今までは、人に求められるということがあまりなかったので」
『家族は、してくれなかったから』
品子には言えない言葉を、胸にしまう。
代わりに伝えたい思いをと、つぐみは語り始めていく。
「本当に嬉しかったんです。皆からはたくさんの優しさを教えてもらいました。自分を必要としてくれる人がいるのだと。求められるという幸せを知ることが出来ました」
今からようやく知れたそれらを、手放さなければいけない自分。
それを思うと、涙がこぼれるのを止められない。
恥ずかしい気持ちもあるが、もうじき自分の記憶は消えてしまうのだ。
ならば今は素直な気持ちで、品子との残された時間を過ごしたい。
「先生、聞きたいことがあります」
「何だい? 私で答えられるのならば何でも」
「今、先生の発動の力を教えてくれたこと。これは私のことを信頼してくれたからと思ってもいいですか?」
「……あぁ、もちろんそうだよ」
優しく。
とても優しく、品子は笑っていた。
「君の記憶は無くなってしまうけど、知っておいて欲しかった。どうも私は、君のことになると矛盾だらけになってしまうね。本当に、一緒に居られた時間はとても楽しかったんだ。……とても大切だったんだよ」
嬉しいという感情がつぐみを包む。
品子から大切と思われることが、こんなに心がふわふわとするものなんて。
もっと、もっと早く知れたらよかったのに。
なによりこの気持ちを失わずにいられたならば。
今だけしか覚えていられない儚い幸せを抱え、続けて問う。
「もう一つ。私がこんな泣き虫ではなくて、先程みたいに取り乱さないしっかりとした子だったなら。これからも一緒にいられたのでしょうか?」
品子は少し考え、答えてくれる。
「うーん。わかんない。だって私は今の君しか知らないし。でもなぁ……」
品子の悩んでいる様子に、おかしくなりつい笑ってしまう。
「えー、酷いなぁ。君の質問で、私がこんなに悩んでいるのに」
「あはは、すみません。先生の優しさが嬉しくて」
つぐみの言葉に品子は、悲しそうな顔を見せる。
「違うよ。優しくなんかないんだ。これは優しさを纏った、ただの残忍なエゴだ。君が望んでいないことをしようとする、ただの身勝手でしかない」
「でもその身勝手は、私を思っての身勝手。ってあれ、よくわからなくなってきました。えーっと」
上手くまとまらない気持ち。
どうやったら伝えられるだろう。
残された短く大切な時間。
その中でつぐみは考える。
そうして出た答えをもって、品子へと尋ねてみる。
「もしも、記憶を失くした明日からの私が先生達に相応しい成長をしていたら。その時は私を連れていって下さいますか? 私は皆と一緒にいきたいのです」
「……そうだね、約束するよ。だから」
品子はつぐみの頭に、そっと手のひらを乗せる。
「私達の事は全て忘れて、……少し休みなさい」
ふわりと風が吹いた。
頭がぼんやりして、何も考えられない。
とても眠い。
本当は、目を閉じたくないんだけどな。
本当は、忘れたくない。
本当はもっともっと、皆の役に立ちたかったんだけどな。
本当は。
本当の私は……。
頭に浮かぶのは皆の顔。
たくさん話した言葉。
ぐるぐると回る思い出をつぐみは今、手放していく。
さようなら。
ありがとう。
――私のとても大切な、愛おしい記憶。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「人出品子は念う」です。




