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冬野つぐみのオモイカタ ―女子大生二人。トコロニヨリ、ヒトリ。行方不明―  作者: とは


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奥戸透と室映士の場合

「くっ! ここにいては、らちがあかない」 


 深く息をつくと、奥戸は冷静になろうと目を閉じた。

 足に絡み付いた革紐は、何重にも巻き付いている。

 足のみの拘束で、手を縛られなかったのは幸いだった。

 暗い部屋での行動は、心を動揺させるだけだ。

 一旦、隣の部屋に戻ろうと床を這いながら前へと進む。

 ここを出れば、紐を切る道具もある。

 その一心で奥戸は出口へと向かう。


 冬野つぐみを逃がしたのは痛手だが、仕方ない。

 白日に知られてしまった今、自分がすべきはここをいち早く出ることだ。

 そう考え腕を伸ばし、何とか扉を開ける。


 広がる光に視界を奪われる。

 思わず目を閉じ、数秒待ってからゆっくりと目を開いていく。

 明るい世界と共に目の前にあったのは、ネイビーのスラックスにライトブラウンの革靴。

 驚いて見上げた先にいたのは。


「む、室さん。どうして……」

「私を見ると皆、どうしてから始まるのだな」


 不服そうに言うと、室は奥戸を引き起こした。

 不自由ながらもなんとかテーブルにたどり着き、ペン立てに差し込んでいたハサミで奥戸は革紐を切っていく。


「ありがとうございます。おかげで動けるようになりました。今日はどうしてこちらに?」

「来るからには用事がある。そういうことだが」


 そう言いながら、室は煙草(たばこ)に火をつける。


「すみません。前も言った通り、薬がありますので煙草はちょっと」


 奥戸としては、先程の襲撃でくすぶった怒りや屈辱がまだ残ったままだ。

 つい、(とげ)のある言い回しになってしまう。


「お前の言葉を借りるならば。前に『あちらの組織に気を付けろ』と言ったはずだが?」


 室の言葉に、奥戸の本能が後ろへと足を下がらせる。


「人の話を聞いて、長居せずにここを出ていればよかったのにな。残念だ」


 指に挟んだ煙草が室の緩やかな指の動きと共に、煙をゆらりと(くゆ)らせる。

 処刑人と呼ばれる人物が自分の前にいる、それはつまり。


「私を、……罰しに来たのですか?」


 奥戸の声が震える。

 相手が相手だ。

 逃げるならまだしも、勝つことなど到底できないことは奥戸も十分理解していた。


「罰する? そんな大それたことを、私が出来るとでも?」


 しかし室から返ってきた答えは、予想外のものだった。

 

「違うのですか、私を殺しに来たわけでは?」


 確かにそれならば、最初の縛られていた時点で処刑されていたはずだ。

 

「では、なぜ……?」

「この国では最大の罰が極刑。つまり死刑になるわけだが」


 被せるように唐突に語られる内容に、奥戸は戸惑う。


「では死は罰か? だとしたら私達が生きるということは、罰に近づくということなのか? 奥戸、お前はどう思う?」

「私、……は」


 おそらくここで答えを間違えれば、処刑される。

 だが室の望みに近い答えを出せれば、まだチャンスはあるのではないか。

 だからこそ、彼はすぐに殺さなかったのだろう。

 今は、この人の気まぐれに応じるしかない。


 ごくりとつばを飲み込み、奥戸は言葉を選んでいく。


「死ぬことが罰になるのかと問われたら、そう言えないのではないかと。死んだ後の人間に、罰を受けてどう感じているか? などと確かめる術がありませんから」


 切った革紐を拾い集め、ゴミ箱へ捨てるために室から背を向ける。

 同時に再び毒針を準備すると、奥戸は左手の手のひらの上に乗せそっと握っておいた。

 上級発動者にどれだけ効くかはわからない。

 だが、一旦ここから離れることなら出来るのではないだろうか。


「犯した罪に対する懲らしめというのであれば。その罪に心を痛め、悔い続けるというのも罰なのではないかと考えます」


 死ぬことが償いではない。

 だからどうか、生かしてもらえないだろうか。

 一縷(いちる)の望みをかけた言葉を発し、室の様子を窺う。


「なるほど、お前の考えは分かった」


「分かった」と彼は言っている。

 つまりは、意見が認められたのだろうか。

 表情を確認しようと奥戸は室へと目を向ける。


「では、私は……」

「ここからは、私の考えだ」


 室は煙草を一口だけ吸うと、表情を変えることなく紫煙を吐き出していく。


「私はとても小さな人間だ。そんな人間がお前に罰を与えるなど、おこがましいではないか」


 話の筋が掴めない。

 つまりは、罰を与えないと理解してよいのだろうか。

 奥戸のそんな惑いを気にすることなく、室は再び煙草を口にする。


「人は死というものに、罰に近づきながら生きている。それは私から見るととても残酷なことに思えるよ。そんな避けることの出来ない罰を、私は止めてみたいと思っている。だから」


 煙草をそのまま床に落とし、室は奥戸へと歩み寄る。

 そのまま正面まで来ると、奥戸の左肩に室は軽く手を置いてきた。


「お前が、罰に近づく動きを止めてやるという結論にたどり着いた。死という終着点に向かう恐怖など必要なく、さらに罰からも逃れさせる。これはいわば私が出来る慈悲と言えるのでないか?」


 自分の肩の違和感に奥戸は気付く。

 ただ触れられているだけ。

 それなのに左肩を中心に、体の自由が奪われていくような感覚が広がっていくのだ。


 とっさに一歩、下がる。

 同時に右手で室の手首を掴み上げ、左手に隠していた針を親指で押し出しながら、彼の手のひらを引っかくように振り抜いた。

 室の皮膚を、針がなぞっていく小さな振動が左手に伝わる。

 そのまま数歩さがり、相手の様子を確認していく。

 ……つもりだった。


 足をうまく動かすことが出来ず、奥戸は尻もちをつくように座り込んでしまう。


「体が、……動かせない?」


 両腕がだらりと下がる。

 握っていた針が、手のひらから落ちて転がっていく。

 室は右手首から手のひらにかけて出来た傷を、しばし見つめた後に奥戸へと向き直った。


「毒か?」

「……はい。即効性のはずですが、効きませんでしたね。無念です」


 室は手を下ろすと、自分へと近づいて来る。


「最期に聞いておきたい。なぜ最初の警告の時点で、ここを出なかった?」

「最初はそのつもりだったのです。ところがあの特別な薬の元になった千堂さんという女性の親友が、ここに来ました。彼女も素敵な素材だったので、つい留まってしまったのです。そして彼女を薬にしようとしている最中に、白日にここが発覚して連れていかれました」


(……あぁ、冬野さんで作る薬はどんな味になったのだろう)


 じき命が失われるというのに、最期に思うのは薬のことかと奥戸は自分の考えに苦笑する。


「その女性の名前を、確認しておきたい」

「冬野つぐみさんと言います。千堂さんと同じ、鳥海大学の生徒の、……はずです」

「その子が白日の関係者であると?」

「恐らくは、違うと思います。扉を、ふ、普通に開けて、……きましたから」

「そうか。今までのお前の組織への忠誠に感謝する」

「いいえ。私こそ、あなたが最期の話し、……相手で良かった、……で」


 もはや言葉を発することすらままならない。

 そんな自分の目の前で、ぐらりと室が揺れる。

 いや、違う。

 自分が倒れているのだ。


 全ての感覚が失われているようで、何も感じない。

 奥戸の狭い視界の中で、天井と室のみが映し出されている。

 かろうじて動く視線を、奥戸は下へと向けた。

 室が奥戸の体を仰向けにして、胸の上で両手の指を組ませていくのが見える。


 最期まで、律儀な人間だと奥戸は室に対して。

 自らの命を奪った人間に対して思う。


 ――ならば自分は。

 (あなた)に最期にして、私にできる感謝を。



◇◇◇◇◇



 室の目の前に転がっている一つの体。

 少し前まで、奥戸と呼ばれていた男のもの。

 命の活動を行うのを放棄したその男は、なぜか最後に室へと微笑んでから逝った。

 どんな意図があったのかは分からない。

 知る必要はないだろう。

 倒れた際に外れかけた奥戸の眼鏡を静かにかけ直し、室はその顔をしばし見つめる。

 

 知ったところで、この男が返ってくることもない。

 煙草を一本とり出し、火をつける。

 一度だけ吸い込むと、そのまま奥戸の隣に静かに置いた。

 真っ直ぐに立ち上る煙を見つめながら、片膝を立てて床に座る。


 奥戸の毒がまだ効いているようで、体が少し動かし辛いのだ。

 だから。

 だからこの煙が消えたら、自分はこの店を出ることにしよう。

お読みいただきありがとうございます。

次話予告はお休みで。

この終盤にもかかわらず、新たに人が増えます。

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