脱兎
品子が出て行くのをヒイラギは困惑と共に見送る。
つぐみと話をしろと言われたはいいが、何を話せばいいのかが全く分からないのだ。
「ヒイラギ君、助けてくれてありがとう。えっと足、すごく早いんだね」
品子に話をしろと言われたことに、彼女は気を遣っているのだろう。
慌ててヒイラギはつぐみに返事をしていく。
「早いっていうのか。あれを」
「うん、なんか気が付いたらね。私を抱えたまま、びゅーって風みたいに移動してたから」
ゆっくりとつぐみはヒイラギのTシャツを指差した。
「その白いシャツがね。私の顔に当たって文字通り、真っ白の視界になってたんだよ。……ふふ」
つぐみの声は、弱々しくかすれている。
もしこのまま黙っていたら、彼女は何も喋らなくなるのではないか。
そんな不安が、ヒイラギにまとい付いて離れない。
何でもいい、彼女が自分に話をしてくれるのならば。
「これが、俺の発動だよ。俺の媒体は……」
そこでヒイラギの言葉は途絶える。
自分の発動を知ったら、彼女は何というのだろう。
皆のように、嘲笑うのだろうか。
話してしまったら、俺を嫌うだろうか。
怖い。
本当に、話していいのか?
……でも。
やはり彼女には知っていてほしい。
そう願うヒイラギの気持ちが、不安を心から押し出すと口を開かせていく。
「俺の媒体は、……『兎』だ。俺が出来る発動能力は、人よりも早く動くことが出来、自分が安全な場所に行けるように進む道が示される力。発動名は、……『脱兎』だ」
脱兎。
その名前を口に出すたびに、胃の奥がぎゅっと締め付けられる感覚がヒイラギに襲い来る。
初めてこの力の発動をしたときに聞こえた、周りからの声。
それはヒイラギの頭と心に絡み付き、決して離れないものとなる。
「逃げ回ってばかりの彼に、相応しい発動ですね」
「逃げ足だけは早いとは、よく言ったものだよな」
「性格や環境から能力は生まれる。なるほどといったところではないですか」
「それ相応というのはこういうものを言うのでしょうね」
「さすがは逃げ兎、負け犬の兄だけあるね」
残酷に降ってくる沢山の言葉。
聞きたくもないのに、それらはヒイラギの耳を次々と突き刺してくる。
そうしてその言葉達は、ずぐりと心をも貫き、どんどん抉っていく。
苦しいのに、止めてほしいのに。
それらの言葉に対して「違う」と言えない弱い自分。
いやだいやだもうやめて。
お願いだから、もう言わないで。
その言葉すら出せずに、ヒイラギは心の声を静かに抑え込むのみ。
なぜなら自分はそれしか心を守る術を知らないのだから。
「そっかぁ。うん、やっぱり凄い力だね。さすがびゅーってするだけあるよ」
それなのに彼女は、今まで浴びてきたものとは正反対の言葉をヒイラギに与えて来るのだ。
ヒイラギに生まれていくのは、驚きと自分のことを認めてもらえたという気持ち。
嬉しいはずなのに、どうしたことか自分の口からは否定の言葉が出てきてしまう。
「そうでもない。他の皆からは逃げ回ってばかりとか、逃げ足だけはとか言われてるから。大人からも同じ年のやつからも。そいつら俺を『逃げ兎』って呼ぶし……。皆が、皆が俺をそう言うんだよ」
「それは、……それは、ちがっ、違うよ!」
苦しいのだろうか。
少し言葉を詰まらせながらもつぐみは続ける。
「ヒイラギ君の言われた、逃げるというのは、命を守ること。それの……、それの何が悪いの? 少なくとも私は、それに、助けられたんだよ!」
ふぅとつぐみは小さく息を吐く。
話すことも辛いだろうに。
それでもヒイラギをしっかりと見つめたまま、彼女は言葉を止めない。
「それすらしたことのない、『他の皆』なんてね。何も言う権利もないよ。その力の、何がいけないというの?」
降ってくるのは、優しい思い。
それは今まで、ずっとずっと彼が欲しくてたまらなかった言葉達。
「ヒイラギ君の力は、人を助ける力。とても、素敵な力。だからね。……え?」
つぐみの言葉がぷつりと止まった。
どうしたのだろうと思い、ヒイラギはつぐみの顔を見る。
彼女の顔は青ざめ、その体は次第に震えていく。
「おい、どうしたん……」
「ああああっ、何? どうして? 痛い。いや、痛いっ。いやあああ!」
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは今回はお休みで。
とある二人の『場合』でございます。




