靭惟之は懐う
「よし! あとはヒイラギ達がこちらに帰ってくれば、ここを撤退だな」
惟之は小さく息をつく。
つぐみを助けるという彼らの念いは、間違いなく本物だったのだ。
二人の成長を見届ることができた喜びを抱きつつ、窓近くの壁へともたれかかる。
「ははっ、……気を抜くとまずいな」
とぎれがちになる意識と戦いながら、自身の足を眺めた。
そこには、ありえない方向に捻じ曲がった右足が見える。
思わず触れてみたその「右足だった部分」は、自身の体とは思えない柔らかくブニブニとした感触を伝えてくれたばかりだ。
「まぁここまでくると、軽い骨折と呼んで済むものじゃないか」
痛みをごまかし、意識を保つために言葉を出し続ける。
障壁を砕くために使用した発動『鉤爪』。
かつて、両目が使えてた頃ですら、滅多に使わなかった発動能力。
鷹の鋭い爪は、狩猟の時のみ現れるその時に真価を発揮するもの。
それを使い惟之は障壁を砕いた。
左目のみでの発動だ。
かなりの反動が来るだろうとは覚悟はしていた。
「そうだよな、鷹が使う爪って足だもんなぁ」
ひきつるような笑いをして座り込む。
「むしろこの程度で済んでいることを、感謝すべきか」
鷹の目の発動も普段よりも念いを上げ、ヒイラギに指示を送ることも併用していたのだ。
鷹の目の方の反動は、もっと酷いものになるのだろう。
とうとう座っていられず、体が勝手に傾いていく。
「そろそろのようだなぁ……」
スマホで出雲への緊急コールのボタンを押し、ポケットからあらかじめ書いておいたメモを取り出し、しっかりと手に握りしめておく。
左側のまぶたは過剰な熱を放っている。
だが手のひらで触れようにも、その手すら動かすことを体は放棄していた。
知りうる感覚を越えた熱。
それを帯びたまぶたの裏側は、赤いわけではなくただ冥い。
動くことができないことを補うように、思考はぐるぐると巡っていく。
とうとう両目が駄目になったか。
でも、これでやっと楽になれる。
この十年という年月。
ヒイラギ達と居られて、本当に楽しかった。
そして本当に、……苦しかった。
心の中でうずもれるように隠れていた罪悪感。
今、自分が生きているということ。
それは彼らの母親を奪って、生き延びたという事実だ。
ずっと消えなかった後悔の念。
今回の行動が贖罪になるなどと、おこがましいことを言うつもりはない。
ただ自分はマキエとの約束を守っただけ。
思うことがあるとすれば、約束通りに自分は生きてこられたかということだけだ。
何も映さない世界の中、遠くに何かがぼんやりと浮かんでくる。
ふわふわと揺れるような景色が、そこでは広がっていた。
「これは、走馬灯? 死ぬ間際に見るっていうやつか」
自身が声を出せている、痛みが全く感じられないことが答えだといわんばかりの状況。
だからそれを受け入れることにする。
「まぁ、それなりの代償だったということか。仕方がな、……ん? あれは」
惟之の目に二人の女性の姿が映る。
「あれは品子とマキエ様、……か?」
品子の来ている制服は彼の記憶にしっかりと残っている。
紺色のセーラー服に三つ編みの姿。
これは品子が中学生の頃の姿だ。
「まだ、俺の両眼が見えてた頃だなぁ」
呟いた声に気付いたのだろうか。
こちらに向かって品子が駆け寄ってくると、楽しそうに話しかけてくる。
彼女の声を聞こうと、意識を集中させていく。
「……ですから、惟之先輩の考えと私は違うと思うんです」
その自分に対する呼び方に苦笑が浮かぶ。
まだこの頃は、品子にもまだあどけなさと素直さが残っていたのだ。
自分を先輩と呼び、敬語で話しかけてくるその姿に懐かしさを覚える。
「今じゃ、すっかり変わり果てたものだがな」
そう呟く自分に対し、不思議そうな顔で見上げ品子はきょとんとしている。
「まぁ、でもお前が変わったきっかけ。それを作ったのが、他ならぬ俺だけにそんなことは言えたものではないか」
彼ら二人の会話をマキエは、ただ黙って聞いている。
鎖骨のあたりまで真っ直ぐに伸びた、絹のような黒髪。
その前髪には、「マキエ」に選ばれた証である二筋の銀色の髪がある。
その力の強大さから、他組織からの攻撃をも呼び寄せる存在。
それは感謝でもあり畏敬でもあり、また忌まわしい存在でもある。
そんな皮肉を込めて、その呼び名は付けられたらしい。
「マキエ」つまりは『撒き餌』なのだと。
「マキエ様! 先輩、やっぱりぼーっとして聞いてないです」
笑っていたはずの品子の顔は、いつの間にか怒りの表情へと変化していた。
ひどく機嫌が悪そうな様子に助けを求めるように、ついマキエへと視線を向けるも、彼女は穏やかに見つめてくるだけ。
「惟之先輩。実は私、以前から言いたいことがあったんです。聞いていただけますか?」
いつの間にか、品子はマキエの隣へと移動していた。
二人は返事を待つようにじっと見つめてくる。
だが惟之は、何も言うことができない。
先ほどまでと違い、体が全く動かせないのだ。
指先ですら動かせず、ただ見ているだけ。
そんな自分へと、品子が一歩ちかづく。
「先輩、先輩の発動の……」
品子の口が動いているのに、その声は聞こえない。
もうそろそろ、終わりなのか。
生の終わりを覚悟する。
品子は何を話してくれていたのだろう。
その思いを込め、彼女を見つめようとする。
だが、そこにいたのは。
「惟之のさぁ、『鉤爪』って発動名、似合わないって。いーじゃん、『鷹の爪』でさぁ」
あどけない少女がいつの間にか、変わり果てた方の品子になっている。
「ん、んなぁ!」
あまりに理不尽な出来事にみっともない声を出し、更にはその場にぺたりと尻もちをついてしまう。
その行動に恥じ入るとともに起こる疑問。
「声? 声が、出せている?」
まるでその疑問に答えるかのように、くすくすという小さな笑い声が聞こえる。
品子の隣にいるマキエが、こちらを見て笑っているのだ。
死ぬ間際の幻覚であることは理解している。
だが久しぶりに彼女の声が聞けたことで、惟之の胸には喜びの感情がこみ上げてしまうのだ。
マキエは近づいてくると、そっと指先で惟之の右のまぶたへと触れた。
ただそれだけなのに、涙が溢れて止まらない。
それはとても懐かしく、優しい触れ方だったからだ。
自分ではなくヒイラギとシヤにその指で触れてもらえたら。
それができたのなら、もっと嬉しいのにと強く思う。
そう願ってやまない気持ちを伝えるべく、マキエを見つめ口を開きかける。
そんな惟之の頭を、ふわりとマキエは抱きしめると耳元で囁いた。
「こーちゃん、もう大丈夫。でもこのことはあの人達に知られないようにして。お願い」
そう言うと惟之の体をとん、と押し出す。
倒れる衝撃に備え、体を固くこわばらせるが何も起こらない。
不思議に思った瞬間、強い風が吹き思わず目を閉じる。
意識が、自分の意志とは別に体から切り離されるような感覚。
その強さに抵抗できず、薄れゆく意識の中、マキエの語った言葉が頭の中で疑問として残っていた。
――あの人達とは一体、誰のことを言っているのだ。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「或る男の話」です。
或る男とは、から……
……いや誰なのか?




