冬野つぐみと奥戸透の場合
まずは、相手の警戒を少しでも緩ませておく必要がある。
ここに来て逃げ出されてはたまらない。
笑顔を浮かべ、奥戸はどう会話を進めていくべきかを思案する。
「あの私っ! 気が付いたらここに来ていたというか。頭がぼーっとなったと思ったら、このお店に入っていたといいますか」
奥戸が言葉を出す前に、つぐみがおどおどとした様子で自らの状況を語り始めた。
「熱中症でしょうかね? ここしばらく暑い日が続いていましたから」
相手の心配と不安を取り除くこと。
まずはこれを進めていこうではないか。
今、この気弱なお嬢さんが自分を疑っている気配はみじんもない。
自分が主導権を握っていることを奥戸はほくそ笑む。
「私、この辺りに来るのが初めてなのです。どうしてここに来たのかも覚えていなくて」
首をかしげるつぐみに、どう話そうかと奥戸は考える。
彼女がここに来た理由。
これは自分の発動能力『蝶道』によるものだ。
奥戸透。
媒体は『蝶』。
蝶は習性として、決まった道筋を飛ぶ習性がある。
奥戸は分身ともいえる蝶達に、つぐみを見つけたらここに連れてくるようにと『お願い』をしておいた。
そして彼女を見つけた蝶の一匹が、この店への道筋に誘ってきたのだ。
発動を知らない彼女からしたら、突然ここにいることが不思議で仕方がないだろう。
彼女に怪しまれて警戒されても面倒だ。
話題を逸らすべきと奥戸は判断する。
「ところで。お名前を聞いてもよろしいですか?」
「あ、はい。私は冬野つぐみと申します」
「冬野さんは、アクセサリーはお好きですか?」
「好きと言いますか。興味はあるんですが、選び方とかが解らないので。あ!」
突然の大きな声に驚き、思わずつぐみの顔を見る。
じっと自分を見つめたまま、彼女は話を始めた。
「ひょっとしてここに、沙十美という女の子が来たことないですか? 私の友達なんです。多木ノ駅の近くの雑貨屋さんで、素敵なアクセサリーを見つけたって言っていたから! きっとこちらのお店ですよね!」
問いに対し、どう答えるべきか奥戸は悩む。
知っていると言ったら、ここに来たことを疑い始めるだろうか。
一度、はぐらかしてみようと言葉を返す。
「沙十美さん、ですか? うーん、どうでしたかね」
その言葉に彼女は、店の中をきょろきょろと見まわす。
「違うのかなぁ、店長さんがすごくイケメンだよって言ってたから、ここだろうって思ったんだけどなぁ?」
嬉しそうに、にっこりと笑いかけられる。
彼女からの沙十美に対する発言に、奥戸は違和感を覚えた。
この子は沙十美が消えたことを知らないのだろうか。
沙十美がいなくなって数日は経っているのに、それはおかしい。
白日が一枚、噛んでいる可能性がある。
これはもう少し、情報が欲しい。
奥戸は沙十美のことを話す判断を下した。
「あぁ。もしかしたらですが、千堂さんという名字の方ですか? すみません。下のお名前は存じ上げなかったものですから。千堂さんは、確かにうちの常連さんでしたね」
今、思い出したといった体で奥戸が伝えると、つぐみはさらに目を輝かせる。
「やっぱりそうだったんだ。凄い偶然だぁ」
「……千堂さん。最近はいらっしゃらないのですがお元気ですか?」
「あー、それがですねぇ。彼女、手足口病になってしまって。ずっと学校を休んでいるんですよ」
つぐみの言葉で、奥戸は自分の存在が白日に感づかれていることを悟る。
「奥戸さんは、店長さんですよね。店はお一人でやっているのですか? 他に従業員さんとかは、いないのですか?」
「えぇ、小さな店なので一人で十分ですから」
「クリスマスとかの時期になると、忙しそうじゃないですか? そういう時に、臨時で雇ったりとかは?」
「この店は、私のルールで一人のお客さんしか対応しないと決めているのですよ。だから自分一人だけで十分なのです」
「へぇ、お一人でしっかり頑張ってみえるのですね。……あ」
彼女のお腹から、ぐぅと低めの音が響いた。
いけないと思いつつ、奥戸はつい反射的に顔を見てしまう。
予想通り、真っ赤な顔をした彼女と目が合う。
「あの、実は朝から何も食べてなくて、その……」
全くの無警戒ぶりに、奥戸は思わず吹きだしてしまう。
「これはっ、あのですね奥戸さん。決して……。あぁ……」
更にやまびこのように二度目の音が鳴ると、つぐみはうつむき黙りこくってしまう。
「よ、よかったらですが。本当に良かったらですが、ドーナツがっ、ありますので」
途中で笑いをこらえきれず、とぎれ気味に奥戸は言葉をつぐみに掛けた。
奥の部屋の冷蔵庫からドーナツを取り出そうと、席を外す。
隣の部屋に入ってすぐに、つぐみから声が掛けられた。
「あの! ドーナツを待っている間、お店の商品を見させてもらっててもいいですか?」
「あぁ、いいです……」
言いかけて奥戸は気付く。
逃げられることも、考えた方がいい。
彼女をこちらに呼ぶべく、奥戸は店の方へ声を掛けた。
「いえ。どのドーナツがいいか選んでほしいのです。こちらに来てもらってもいいですか?」
「……あ、はーい。わかりました。私、そちらに入ってもよろしいですか?」
「はい、どうぞ」
お腹を片手で擦る仕草で、照れ笑いを浮かべながらこちらにやってくる彼女を奥戸は笑顔で迎え入れる。
「へぇ、こんなお部屋があるんですね。あら、奥にもう一部屋ある。寝室か何かですか?」
「いいえ、そちらは、私の作業場になっているんです」
「へぇ。じゃあそちらで、アクセサリーを作ったりしているのですね!」
「はい。そういったことも含めての作業場ですね」
「なるほど。ところでドーナツを頂くので飲み物がいりますし、外の自販機で何か買ってきましょうか? もちろん私、奢っちゃいますよ」
今は外に出て行かれるのはまずい。
奥戸は彼女に優しく微笑みかける。
「心配いりません。うちにある飲み物で済ませましょう」
「ん~、そうですか。何だか申し訳ないなぁ」
「気にしないで下さい。さて、飲み物ですが……」
「あの、私。冷たい飲み物がいいです。冷蔵庫の飲み物を頂いてもいいですか?」
「もちろんですよ。お好きなものがあればいいのですが」
冷蔵庫の扉に手をかけた奥戸は、この中に薬が入っていることを思い出す。
「おっと。冷蔵庫の中ですが、少し雑然としているので見られると恥ずかしいですね。種類を言いますから選んで頂けますか? まずはお茶と牛乳とオレンジジュ……」
ガシャンという物音が、店の方から聞こえてきた。
「え? 今の音って?」
つぐみが、青ざめた顔を奥戸に向ける。
「お、お客様ですか?」
「……いえ、それはないはずです」
奥戸はそう答えながら物音の原因を探る。
白日の奴らだろうか。
一瞬その考えがよぎるが、すぐさまそれを否定する。
白日の発動者が入れないように、この店には障壁を施してあるのだ。
そうなると落月の発動者が、薬ほしさに忍び込んで来たのか。
推測を続ける奥戸に、自分の名を呼ぶ声が耳に届く。
「お、奥戸さん」
不安そうな顔で自分を見つめる彼女の姿に、このままの状態でいるわけにもいかぬことを奥戸は感ずる。
「私が見てきます。冬野さんはこの部屋で、待っていてもらえますか」
「でも危ないです! 警察とか呼んだ方がいいですよ!」
警察などを呼ばれてはまずい。
安心させる様に、つぐみの肩にそっと手を乗せ、優しく諭すように話しかける。
「大丈夫ですよ。私、意外と強いのですから」
にこりと笑って、奥戸は店の方へ向かおうとする。
「危ないです。そんな危険かもしれない所に行かなくてもっ!」
つぐみが背中にそっと触れてくる。
その手が震えているのを感じた奥戸は、彼女へと向き合う。
「心配ないです。すぐに戻ってきますからね」
そう言い残して、奥戸は店の方へと歩み進めた。
彼女に背を向けた瞬間に笑みがこぼれていく。
思うのは、彼女の自分に対するその優しさ。
あぁ、彼女は素晴らしい心を持っている。
ここまで愚かに人の心配をするなんて、本当に優しい人だ。
この子の心で作る薬は、果たしてどんな味になるのだろう。
彼女へのいたわりとこの後に行うであろう大切な作業。
それらを思い、奥戸は再び口元に弧を浮かべながら店へと歩みを進めていった。




