さいごのお客様
無情にも扉が閉まる。
直前に振り返ったつぐみが見たのは、わずかに離れた場所で叫ぶヒイラギの姿だった。
自分の声は、きちんと届いていたのだ。
つぐみの目からは涙がこぼれていく。
だがヒイラギは、そこから動かずに立ちすくんだままだ。
呼ぶだけで店の方へ来ない。
それはつまり、何かが彼らの足止めをしているということではないか。
助けてもらうのは難しい。
ならば今は自力でここを出て、安全な所に行くことを最優先とすべきだろう。
店までの誘導が目的だったのか、入店してからは体を支配しようとする力は弱くなっている。
隙をついて逃げ出すために状況の確認をと、店内を見渡していく。
部屋の半分ほどは、すっぽりと抜き取られたように片付けられていた。
残りの半分には綺麗なアクセサリーが並び、上からの照明を浴びてきらきらと輝いている。
奥の方に段ボールがたくさん積まれているところを見ると、展示の準備か片づけの最中と言ったところか。
ゆっくりとならば悟られないだろうか。
そう思い出口へと目を向けたその時、段ボールが置かれている方向からカタリと物音がした。
まずい、誰か人がいる。
相手が犯人だったら、自分はもう。
本能的に扉へ向けて足を進め、店を出ようとする。
だが急に動こうとしたのを察した何かの力が、再びつぐみを押さえつけてきた。
行動の自由を奪われた絶望と共に、部屋の奥へと視線を向けていく。
そこにはティーカップが載ったトレイを持って、驚いている男性の姿があった。
◇◇◇◇◇
「い、いらっしゃいませ? おかしいな。店の看板はすでに取り外したはずでしたが」
男性は慌てた様子で、手に持っていたトレイを机の上に載せる。
「すみません。この店は今日で閉店でして。もうすでに片付けにも入っておりますので」
申し訳なさそうに、彼はつぐみの元へとやって来る。
アイスグレーのスーツに淡い色味のシャツを着たその人物。
その口調と物腰は、とても柔らかな印象を与えてくる。
マッシュパーマの髪をセンターで分けた柔らかな雰囲気が漂う姿。
眼鏡越しに見える、くっきりとした二重の大きな瞳と綺麗な顔立ち。
この人物が沙十美の言っていた店長なのだ。
その姿からは全く想像出来ない、連続誘拐事件の犯人。
そのことを考慮に入れ、自分は行動せねばならない。
チャンスはある。
彼は閉店なので出て行って欲しいと言っている。
まだつぐみを、ただの迷い込んだ客として見ているのだ。
「すみません。お店は終わっていたのですね。では失礼します」
どうやら今日でこの店を閉めるようだ。
つまりは、近々いなくなるということ。
彼がどこかにいなくなる前に、品子達に伝えねば。
その焦りが、つぐみの判断力を鈍らせた。
扉に向かおうとするも、まだ自由を取り戻せていない体はバランスを崩してしまう。
「しまっ……」
ガシャンと大きな音を立てて、床へと倒れ込んでしまう。
だがその痛みからの刺激からか、拘束がかなり弱くなっているのに気づく。
今ならここを出られる。
緩慢にしか動かせない体をもどかしく感じながらも、両手で上半身を起こす。
立ち上がりやすいようにと、男性がつぐみの左の手首を掴み、ぐっと引き上げてくれた。
「あ、ありがとうございます。すみません。少し体調が優れなくて」
「……いいのですよ、無理はいけませんから。少し休んでいかれてはいかがです?」
「とんでもない。外の空気を吸えばよくなると思うので、これで失礼します」
目も合わせることすら出来ず、うつむいたまま語り、出口に向かおうとする。
だが彼は、つぐみの手首を放そうとしない。
「あの?」
「せっかく来たのです、少し休んでいった方がいいでしょう?」
反射的に相手の顔を見たつぐみは息をのんだ。
彼に握られた手首から全身に広がるように鳥肌が立つ。
笑っている。
感情を一切、堪えることもせず、ただ彼は嬉しそうに笑っていた。
「良かったですよ、この店の『さいごのお客様』があなたで」
彼の咲き誇らんばかりの笑顔とは反対に、つぐみの心に芽生えていくのは恐怖心。
「ゆっくり過ごしましょう。あなたか私。どちらかが、もういいと思うまでね」




