雑貨店にて
扉が開く音に、奥戸は店の入口へと目を向けた。
「いらっしゃいませ……。おやこれは珍しい、汐田君がここに来るとは」
店の中に入って来た美しい栗色の髪をした少年に、奥戸は驚いた声を出す。
その少年、汐田クラムはきょろきょろと見まわし、奥戸の姿に気づくとうれしそうに目を細めた。
日本人とアメリカ人のハーフである彼が笑むその穏やかな姿に、奥戸もつられて微笑んでしまう。
カーキのスキニーパンツに、白い5分袖のパーカーというシンプルな姿。
その出で立ちは柔らかな笑顔と相まって、十六歳という本来の年よりも幼く見せていた。
耳たぶまでの長さの髪をさらさらと揺らしながら、彼は奥戸の方へとゆっくり歩いてくる。
大きくきれいな瞳で、再びにこりと微笑み、彼は穏やかに話し出した。
「こんにちは奥戸さん。届いたお薬なんですが、凄いですね。今までにない品質のものなので僕、びっくりしちゃいました。なので……」
クラムはぐっと顔を近づけて、奥戸の胸元を掴むと一転して鋭い声で続ける。
「全部ください。これは命令です。あなたに拒否権はありません」
やはりか。
奥戸はそう思いながら、やんわりとクラムの腕を外す。
「申し訳ありませんが、汐田君。それは私には出来かねます」
「いいの? 僕にそんな言い方をしても?」
「いい、とは言い切れませんが。これ以上の行動は、慎んだ方がよろしいかと」
「何? お前ごときが、どうして僕に言えるの? ねぇ……」
唐突に背後に生じた気配に、奥戸の肌が粟立つ。
正面に立つクラムが、顔をゆがませながら、あとずさっていく。
奥戸の後ろから現れた相手の顔を見たクラムに、更に怯えの表情が加わった。
「よくないな。そういった威圧的な態度は」
近づいてくるのは、低めの落ち着いた声。
「ねぇ、汐田君」
ここではない場所で聞いていたならば、どんな人間だろうが好意を抱いてしまいそうな深みのある男の声が二人の耳に届く。
だが、今のクラムにはそれは該当しない。
唇をわなわなと震えさせ、彼は呟く。
「……室さんが、どうしてここに?」
室映士。
この人物は、奥戸が所属する組織である『落月』ではこう呼ばれている。
『処刑人』と。
組織から逸脱した者を、粛正する役割の男。
肩の長さまで伸びたつややかな黒髪を無造作に後ろに束ね、鋭い双眸でクラムを眺めながら室は呆れたように言った。
「どうして? どうしてだと思う?」
うんざりした顔で、室は続ける。
「君で何人目になるかな? どうも独り占めしたい人が、私達の組織には多いようでね」
室はクラムの前に立つと、目線を合わせるために屈む。
じっと目を見つめながら、何の表情を出すこともなく室は言葉を放つ。
「己の立場を知るべきなのは。一体、誰だろうね?」
「……すみません」
消え入りそうな声で、クラムは答える。
「いい子だ。わかってくれて嬉しいよ」
薄いほほえみを浮かべ、室はクラムの頭を優しく撫でている。
一方のクラムは、頬をひきつらせたまま無言でされるがままで反応が全くない。
このまま店に居られても困るだけだ。
その思いもあり、奥戸は声を掛けていく。
「汐田君。そういうことですので、今日は帰った方がいいと思いますよ」
「わかったよ。……帰る」
退店の理由が出来たことで、クラムに安堵の表情が浮かぶ。
室は何も言わずにその様子を見つめていたが、ふと思いついたかのように、背を向けたクラムへと語りかけた。
「そうそう。帰りに会う他の人達にも言っておいてくれないか? 大した用事もないのに、ここに来るなとね」
ただ、言葉を聞いただけ。
それなのに、奥戸とクラムの体は動きを放棄する。
一瞬で体中の血が凍ってしまったかのように、指一本すら動かせないのだ。
「……わ、分かりました。そう伝えます」
奥戸の体が動かない中、クラムは扉に向かってぎこちないながらも歩いていく。
さすがに能力が高い子は適応が早い。
しびれのような感覚に翻弄されながら奥戸は思う。
クラムが出て行き数分が経ち、ようやく動かせるようになった体を手近な椅子に預け、奥戸はため息をついた。
「これで汐田君が伝言ゲームをしてくれるね。私の用は済んだというわけだ」
蠱惑的な笑みを浮かべ、室は視線を奥戸に合わせてきた。
相手の恐ろしさをわかっているのに、思わずその表情に魅入ってしまう。
この男は千堂沙十美の薬を納めてまもなく、店に突然やって来た。
それは上からの命令だったのか。
あるいは独り占めしようとする奴らの行動を察してきたのか。
「確かここでは、煙草は禁止だったな」
彼の問いかけで我に返り、奥戸は答える。
「はい。薬に影響を与えることも考えられるので」
「ちょうどいいタイミングだな。少し話しすぎて疲れたことだし、私はここで失礼させてもらう」
ゆらりと動いたかと思うと、すでに出口近くに立っている室は、去り際に室へと声を掛けてくる。
「あちらの組織の方も、この店の存在に気づきつつあるようだ。気を付けなさい」
扉が閉まり、緊張から解放された奥戸は椅子に座り込み、室の言葉を思い返す。
確かに千堂沙十美は、何者かに嗅ぎつけられていた。
恐らく相手は室の言う『あちらの組織』である白日だ。
白日は、落月と同様に発動者の組織だ。
ただしあちらには、発動による副作用の苦痛があまりないという噂を奥戸は耳にしている。
つまり薬の必要が無いということ。
にわかには信じられないが、白日にはその苦痛を浄化できる人物がいたらしい。
だがその人間は、十年ほど前に死んだとも聞いている。
あやふやな話ばかりだが、下級発動者である奥戸にはこの程度の情報しか知り得ない。
「確かに、そろそろ離れた方がよさそうだ」
次の候補にしていた冬野つぐみを思うと残念だが、自分とて命は惜しい。
会う事も叶わなかった彼女に思いを馳せ、小さくため息をつく。
「まぁ、仕方がない。また新たな場所で始めさせてもらうとしよう」
ぐるりと店内を見渡し、奥戸は閉店の準備を始めていくのだった。




