そこは小さな雑貨店
「私っ……、彼女を悲しませるつもりは無かったのに」
沙十美はそう呟き、いつもより早めに足を進めていく。
喧嘩別れをした親友の泣きそうな顔が、頭から離れてくれない。
つぐみから誘われた時は、純粋に嬉しかったのだ。
彼女から誘われるのは、本当に久しぶりだったから。
時間の無さもあり断ろうとしたが、珍しく店の席が開いているという。
それを伝えてきたあの子の笑顔が変わっていないことに嬉しくなり、気が付けば行くと答えてしまっていた。
……少しくらいなら、今日はまだ時間はある。
とはいえ、心の焦りがあるためか自分の足が自然と速くなり、それを見たつぐみが慌てて後ろからついてきていたのを申し訳なく思っていた。
つぐみとの会話は相変わらず楽しかった。
自分を見つめる彼女の瞳には、以前には無かった寂しさがあるように見える。
正直なことを言えば、自分もつぐみと過ごす時間を増やしたい。
けれども今は、それ以上にしなければならないことが出来てしまっている。
だから今はその気持ちを押し殺す。
そして一方で、つぐみを見て思うのだ。
彼女は本当に変わらない。
自分と違って、とても素直でまっすぐだ。
子供のように怖がりのくせに、必死になって否定するところ。
そんな彼女に、自分は愛おしさすら感じる。
だからこそ、つぐみといるのが辛い。
自分が失くしてしまった純粋さ、人を思いやる気持ちを持ち続けている彼女を見るのが辛いのだ。
いや、失くしたのではない、自ら『捨てた』のだ。
その後ろめたさが、彼女に言えぬ秘密を抱えた醜い心が、あろうことか彼女を傷つける言葉をぶつけさせた。
ただ二人の時間を楽しみたいと思っていただけ。
今にも泣きだしそうなそんな彼女を置き去りに、自分は逃げ出してしまった。
優しいあの子は沙十美ではなく、自分自身を責めてしまいそうだ。
本当は違う、悪いのは沙十美だというのに。
明日、学校で会ったら、きちんとつぐみに謝ろう。
そのためには自分はどうすればいいかはわかっている。
ーーいつものように、あの場所に行くだけだ。
◇◇◇◇◇
多木ノ町にある小さな雑貨店。
沙十美はその前に立つと小さくため息を漏らす。
店にかかっている「OPEN」の小さな看板を「CLOSE」へ変えて店へと入っていく。
入り口の扉を開き、店長に言われたルールを頭の中で反芻する。
彼は一人の客としか対応しない。
だから他の人が入って来ないように、看板を客自身が変えて入店をすることになっているのだ。
当初は、ずいぶん変わったシステムだと思っていた。
だがじっくりと品を選び、話を聞いてもらうためには確かに都合がいい。
しかしながらこんなやり方で、お店の経営は大丈夫なのだろうか。
ふと気になり、尋ねてみたことがある。
「道楽なので採算は気にしていません。それよりも私はお客様の人と生き方を知りたいのです。幸いにして別のことで、生活はできる程度に稼いでいますので。それに私、人の話を聞くのが大好きなのです」
黒縁の眼鏡をかけた端正な顔立ちの男性は、そういって優しく微笑んだ。
店長の奥戸透は慣れた手つきで話をしながらも、沙十美の前に次々と商品を並べていく。
ふわりとした髪をセンターで分けた、大人の雰囲気をまとう姿。
男性のものとは思えない、白く細長い指。
きらきらと輝くこのお店のアクセサリーにも負けていない、しなやかな指の美しさに沙十美は見とれてしまうことが何度もあった。
来店を重ねるにつれ、当然ながら奥戸のことも知りたいと沙十美は感じていく。
当初は何度か尋ねたこともあったが、「私のことは恥ずかしいので聞かないでください」と困った様子で言われて以来、その話には触れていない。
話を聞くのが好きというだけあって、奥戸はとても聞き上手だった。
沙十美は学校のこと、好きな人がいるということ、その人に相応しい人間になりたいということ。
さらには親友のつぐみのことなどを話してきた。
そしてそれらについて、とても有用なアドバイスを彼は与えてくれるのだ。
だから今日も、勇気をくれるようにお願いしよう。
きっと奥戸ならば、素敵なアドバイスをくれるはずだから。
「あぁ、いらっしゃい。……ってどうかされましたか? ずいぶん顔に元気がないようですが」
店の奥から現れた奥戸は、驚いた顔で沙十美を迎えると、椅子に掛けるように促してきた。
「そんなにひどい顔していますか?」
「えぇ。この世の終わりの少し前みたいな顔していましたよ。これで何もないと言われても誰も信じませんね」
柔らかく微笑み、彼自身も椅子を用意して沙十美のそばに座る。
「さて」と小さく呟くと、奥戸はおもむろにぱんと手を打った。
その音に驚いた沙十美の顔を見つめ、にっこりと笑いかけてくる。
「よし、これで世界の終わりの一日前くらいの顔になりましたね。どうしたんですか?」
「……ありがとうございます。少しだけ元気が出てきました」
「いえいえ。ここ最近はお話を聞く限り問題なく、というかとても順調だという感じでしたが?」
穏やかに促してくる奥戸の声にすがるように、沙十美は言葉を続けていく。
「友達と喧嘩をして、謝りもせず逃げてしまいました。もちろん明日、謝ります。でも勇気が出なくて、また逃げ出してしまいそうで」
「なるほど。喧嘩は確かに良くありませんね」
すっと目を閉じ、奥戸は言葉を続けていく。
「では話の角度を変えて考えてみましょう。なぜ、彼女と喧嘩をしたのですか?」
「……多分、羨ましかったのだと思います。確かに私は以前に比べてずいぶん変わりました。でもその一方で変わらない彼女を見ていると、よく解らない悔しさを感じてしまうのです」
ぽつりぽつりとしか話せない自分の話を、奥戸は静かに聞いている。
「自分が失くしたものをずっと持ち続けている彼女が羨ましい。そう思う自分が、とても醜い心を持っているような気がして苦しいです」
「なるほど、分かりました。言い出しにくい感情を頑張って、私に話してくれましたね」
いつにも増して優しい笑顔が、沙十美へと向けられる。
「ありがとうございます、やっぱり奥戸さんは聞き上手ですよね。言葉にして出すって、大切な事なのですね」
「そうですよ、言葉はとても大事なものです。言わなくても伝わるなんて、よく聞きますけど」
眼鏡越しに、いたずらそうな目をして奥戸がにやりと笑う。
「それなら喧嘩なんて起こらないですよね。あ、そうだ!」
彼は、ぽんと手を叩く。
「まだ勇気が足りないって思っていますか? ならばこういう切っ掛けを差し上げましょう!」
奥戸は立ち上がると、少し離れたショーケースへと向かう。
そこからブレスレットを二つ持ってくると、沙十美の前に差し出して来た。
「わ、可愛い。着けてみてもいいですか」
嬉しそうにつぶやく沙十美に、奥戸はブレスレットを着けてくれた。
アンティークゴールドの小さな星のチャームのついたブレスレットは、沙十美の手首で柔らかく揺れ動いている。
「星は暗闇で迷ったときに明るく照らす道しるべ、というモチーフがあるのですよ。チャームの星の四方に広がっていく光が、二人のこれからも照らしてくれる。見ての通り、ステンレスのチェーンなのでお値段も抑えてあります。これならお友達が金属アレルギーでも大丈夫ですよ」
「ん~、さすが商売上手奥戸さん! 包装お願いします!」
「はい、元気な声で何よりですね」
沙十美は綺麗にラッピングされた小さな包みを受け取ると、大切に鞄の中へとしまう。
「今日はこれで時間ですね。続きはまたいずれ」
その声に沙十美が思わず時計を見れば、随分と時間が経っている。
今日はこの買い物で時間を使ってしまった。
だが焦りは全くない。
むしろ明日の勇気を貰えて、自分の胸の内はとても穏やかだ。
爽やかな気持ちで、沙十美は礼を言う。
「ありがとう奥戸さん。私、明日これを渡してきちんと謝ってみます」
奥戸はうなずきながら沙十美に答える。
「また結果を教えてくださいね。いい結果でも悪い結果でも、今回の出来事はきっとあなたを成長させてくれるでしょうから」
「もう、悪い結果って何ですか!」
ぷうと沙十美が頬を膨らませると、奥戸は白い歯を見せ悪戯っぽく笑う。
同じように笑い返しながら、先程までなかった自信が溢れていくのを自覚していく。
鞄の中にある勇気の源に指先で触れ、沙十美は思うのだ。
――大丈夫、きっとうまくいく。




