喜劇と悲劇
絶望。
今の俺の心を表すのに、これほど相応しい言葉はないだろう。
目の前には神の御業によって作られた空間の窓。
そして、その窓の先では——、
『や、やっぱりお兄ちゃん。おっきいおっぱいの女の人が好きだったんだぁぁぁ!』
死に別れた妹が、俺のお宝コレクションを発見して取り乱していた!
ぶっちゃけ死にたい、いやもう死んでるんだけどな!
「ぶふっ!」
「おいこら、笑ってないで早く何とかしろ! クールで紳士的で頼りがいのある兄としての威厳がぁぁぁ!?」
「いやぁ『やっぱり』って言われてる辺り、もう既に手遅れだったのでは?」
「うっせぇ! 言ってねぇ、そんなこと言ってねぇから!」
「えー、でもさっき」
「言うな! そこから先を言うなら俺にも考えがあるぞ! いい年した野郎が、大の字になって、みっともなく喚き散らす様を拝ませてやろうか、あぁ!?」
「ひぃっ! 勇ましいのか情けないのか、どっちかにしてくださいよぉ……」
「つーか、だいたい何で、こんな間の悪いタイミングで開いてんだよぉぉぉ!」
「ちょ、やめて! 肩揺らさないで! 頭がガックンガックンして……うっぷ」
「おい、待て、吐くな! ていうか、さっきまでのシリアスはどこ行ったんだ!」
「すみません……わたし、シリアスやると死ぬ病にかかってまして。あんまり長いことシリアスが続くと防衛本能で無意識にギャグ展開を呼び寄せてしまうという」
「どんだけ傍迷惑な体質だよ! それでも神様か!」
「神様ですよ! 悪かったですね、こんな体質で! どーせ、わたしは威厳もへったくれもないポンコツ女神ですよ!」
「わ、悪かった。言い過ぎたから! ちょ、止めて! 肩揺らさないで! 頭がガックンガックンして……うっぷ」
いったい、なぜ俺は死後の世界で神様の喜劇に巻き込まれながら、猛烈な吐き気に苛まれているのか。
全ては割りと洒落にならない本物の悲劇から始まった。
—————————————————————
善良な一般市民である俺が天に召された、その日。
俺は妹と共にスーパーに向かっていた。
毎週、日曜日には妹と二人で晩御飯を作るのが習慣だったのだ。
共働きの両親に代わり、平日は交代で作っているため、俺も妹もそれなりに料理スキルは高く、その日の献立をああでもない、こうでもないと相談しながら歩いていた。
そんなとき、俺たちの目の前を一匹の黒猫が横切った。
全身みごとに真っ黒で、毛並みがよく、尻尾と手足が短い、ぬいぐるみのような猫であった。
黒猫が前を横切ると不吉なことが起こる。
俺の頭をよぎったのは、そんな迷信だったが、妹はパッと顔を輝かせた。
「あっ、にゃんこ!」
大の猫好きである妹には、色が黒だとか、前を横切ったとか、迷信だとか、そんなことは関係なく、ただ可愛い猫を見つけて喜んでいた。
しかし、いきなり大声をあげたことで、猫は驚いて逃げてしまう。
そして、その先は……。
「危ない!」
咄嗟に身体が動いたのだろう。
慌てて道路に飛び出した猫にはトラックが迫っており、それを見た妹もまた、道路に足を踏み入れた。
その時、俺はというと、やっぱり咄嗟に身体が動いていた。
自分に何ができるかとか、どうやって助けるだとか、自分が死ぬかもしれないとか、そんなことは一切、頭になかった。
妹が死ぬ。
そんな未来が目に浮かんだ瞬間、足が地面を蹴っていた。
周囲に響くクラクションと、一瞬遅れたブレーキの音。
世界の音も、光景も、何もかもゆっくりと流れるなか、俺は間一髪のところで、猫を抱き上げた妹を全力で引っ張った。
妹が車の進路から外れ、安心したのも、つかの間。
火事場の馬鹿力が悪い方に作用したのか、バランスを崩した俺は、その場に尻餅をつく。
そして……
そして…………
そして………………。
記憶はそこで途切れた。