彼女は羽ばたいた
この世界は、幾度も文明を失っている。
初めは金の時代。全てに満たされて尚利便を求める時代だった。
次は銀の時代。足りないながらも穏やかな時代だった。
次は銅の時代。何もかもが試行錯誤の時代だった。
繰り返し、繰り返し、その度に失われていく技術は朽ちて新たな時代の外殻に埋もれて地の底に眠った。
過去の時代の残滓を調べ、探り、失う度に過去へと繋ぐ人の意地汚さのなんと素晴らしいことか。
生きとし生けるものが揺るがす天秤の傾きを楽しむように、その都度世界には形而上から災禍を齎される。
金の時代には開闢を告げる獣を。
銀の時代には争乱の種子たる人非人を。
銅の時代には求めて止まぬ幻想の技法を。
燃える景色に喘ぐ人を見ては恍惚とし、朽ちる果てに嘆く人を見ては悲涙を流す。
命を冒涜し愚弄などしてはいない。それが命の正しき愛で方なのだ。
故に、幾度も文明を廃す。今度はどちらに傾くのかと、愛しき命の天秤を眺めながら。
彼方にて嗤う姿無き意思達は、世界の創世から破滅までの長き須臾を愉しげに読み解きながら賽を投げ続ける。
そして、4度目は鉄の時代。
与えられた様々が噛み合い、過去のどれとも違う方向に進み出した興味深い時代。
いつかこの時代も1から0を辿ると知っている。
故に、何億と蔓延る有象無象の命たちは刻の一端を担う些細ながらも凄絶な物語を紡ぐのだろう。
ただ一つ、決して汚すことを許さぬ生き様を。
乾いた大地の広がる第五大陸。砂と遺跡の国を目前にした沖で、一艘の帆船が悠々と進んでいく。
巨大な帆に夏の穏やかな風を器用に捉え、自らの力を用いず自然に身を委ねて走る船は、第六大陸の開陽国ミザールと第五大陸の玉衝国アリオトを繋ぐ連絡船だ。
多くの人が乗り合う船上では様々な種族が乾いた暑さを堪えて殺風景な景色を楽しんでいるが、その中に異様な出で立ちの背の高い鴉人がいた。
黒の燕尾服、黒のロングブーツ、裾の擦り切れた黒のコート、黒のトップハットと、照りつける日差しへの対抗策としては最弱な格好をしている。
金の装飾と鎖が幾つも提げられているが、どれもが熱を帯びて小さな蜃気楼を生み出していた。
それどころか、嘴の形をした黒いマスクと厳しいゴーグルで素顔まで隠して白い手袋までしていれば、これは最早日焼け対策を越えた何かだろう。それが伝統的な鴉人の旅装だとしても時と場合を一切考えていない。
暑さでうだる乗客達も、その姿を視界に入れると余計に暑く感じるからと目を逸らすが、当人はマスクの奥で涼しい顔をしたまま手摺りに体を預けて遠くを眺めていた。
そのレンズに映っているのは、天を貫く純白の塔。
虚栄に惨刑を与え、真威に財宝を恵む災厄の遺産。
魔物が塔からやって来るのは、この世界に生まれれば誰でも知っている。
古き文献によれば、塔は材質そのものが魔物を産み出す胎盤であり、強引な手段にて破壊された塔は、その周囲に散らばった破片からも魔物が生み出されてしまうのだそうな。
魔物が跋扈する地域は過去に行われた無知の所業によるものであり、国は常に塔の呪いに苛まれていた。その為に探索者や冒険者を雇って破片回収を依頼するほどに。
人類に向けた粋な計らいと考古学者は著書に記していたが、きっとその心はどす黒い怒りに染まっていただろうと文面から察せられた。
螺旋に捻れて高く伸びる白枝は、複製したように同じ姿をしている。
長さにしか違いのない塔の姿は何処へ行こうと代わり映えしないのかと、鬱屈と気分を空へと移した。
澄み渡る晴天を見上げながらマスクの先を撫で、長く暮らしてきた祖国から飛び出した時のことを思い浮かべる。
2度目の仲間も、この服をくれた先生も断固として認めてくれず、結果夜逃げ同然に飛び出してきた小さな孤児院。
不自由なんて無かったし、日々の中に不満があるわけでもなかったが、我慢を重ねた末に暴走してしまった。
後悔は何もない。ただ、先走る想いに充てられて駆け抜けていた半年を終えて落ち着いた今になって、ようやく申し訳なさが湧いてきていた。
「皆心配してるかな。いや、怒ってるか……」
ハスキーな女の声は、マスクでくぐもり誰の耳にも届かない。
あの日見た皆の表情はよく覚えている。
涙を浮かべ、怒りに満ちた幾つもの顔。あれは決して裏切りを咎めるものじゃない。
家族を奪い去られた自分に、これ以上苦しまないでくれと懇願する強い感情の現れだった。
瞼の裏に浮かんだそれを、鴉は頭を振って払う。
それでも、探さなければと心は言うのだ。
それ以上に焼き付いて離れない、五年前の悲劇の後日談が何処かにあると信じて。
「落ち着いたらお土産でも買って行こうかな。まぁ、生きてたらなんだけど」
漣の音を聞いていた鴉だったが、流石に息苦しいと手を後ろに回してマスクを留め具を外す。
カキンと子気味良い音を立てて外れたのを確認し、嘴を掴んでゆっくりと顔から離した。
そこに、鴉人であれば必ず備える大きな嘴は無かった。
代わりに現れたのは瑞々しい柔肌と小さな唇。
他種族を、特に鴉人を謀るのはタブーとされているにも関わらず堂々となりきる長身の少女は、なんの罪悪感も浮かべずにくるりと回って手摺りに背中を預け、トップハットを押さえながらにんまりと笑う。
「待っていてね。どんな形であっても、ボクが出逢うまで」
あの日奪われた物を探しに行こう。
あの日離れた彼等に逢おう。
あの日植えられた悔恨を払いに行こう。
気分新たに晴れやかな顔で見上げた空に手を翳し、輝く太陽を握り締めた。
彼女の旅はここから始まる。
胸に抱いた想い一つで世界へと立ち向かう、刻の一端を担う少女の物語は、ここから始まってしまった。
干ばつの大地を統べる鋼の王国アリオト。
嘗てこの世界を蹂躙し嗜虐の限りを尽くした魔皇べオルを打ち倒した英雄の1人、竜人の鍛治師、戦鎚ノルガ・シエト・グロウが戦後に退廃した大地を哀れみ、鋼の秘術を伝えたと謂れている。
英雄より賜った鋼の秘術は様々な恩恵を国に齎した。
特に武具に関しては右に出るものなく、歴史の節目でその名を馳せた英雄の振るった武器は総じてアリオトの職人の名が刻み込まれていた事もあって、「アリオト以外の付与武具は二流以下」などと囁かれる程の信頼を生んでいた。
ミザールから運ばれた貨物と共にこの新天地アリオトに降り立った怪しい風体の旅客は、ゴキゴキと首を鳴らしながらタラップを渡り終え、気怠げな独り言を発する。
「あー、長かったー」
固められた地面に降り立って、両手と肩に荷物を提げたままぐぐっと背伸びをするのは件の鴉人だ。
高い背より更に長い幾何学模様の刻まれた鋼の杖を握り、反対の手には錆鉄で縁取られた大きな黒のドクターズケースを持っている。
そして肩に掛けられた、杖と同じ長さの長方形の黒い箱と、長旅をするには向かない荷物ばかりである。着替えの類はどこに入っているのか疑問なほど身軽だが、荷物はどう見ても重たそうだ。
貨物室に預けていた荷物を受け取った彼女は、五日ぶりの陸の感触はようやく不安定だった気持ちに落ち着きを取り戻し、五日間お世話になった大きな帆船を見上げてからペコリと小さくお辞儀をした。
初めての船旅とはしゃいでいたのは初日だけで、その後は時化た海の洗礼を受けて悲惨だった。格好をつけているが、今日になってようやく、ほんの少し慣れただけなのであまり様にならない。
「できればもう乗りたくないね」
その吐露からも、四方八方振り回される荒波の記憶がかなりのトラウマになっているのは間違いなかった
その証拠にまだフワフワと上下に揺れている感覚が抜けず、気を抜くと右に左にと倒れそうになる。
重装備を下ろして座りたいと、覚束無い足取りで向かったのは港と国を区切るように反り立つ壁。
日陰になる場所を選んで箱と杖を立て掛けて年寄りじみた声を出しながら地べたに座り込んだ少女は、疲れた溜息を吐き出してから往来を眺めた。
首都であるルザリスの港には10隻以上の大型帆船が繋留され、水夫が慌ただしく貨物を運び出している。
賑やかな人混みを描き分けて進む幌馬車を見つめながら、懐に隠していた獣皮の水筒を取り出して二つ喉を鳴らす。
ミザールの首都にはなかった活気に心が躍るが、とにかく回復するのを待たないと空っぽの胃がまた騒ぎそうだ。
未知の大陸に来たことで逸る気持ちを落ち着かせること十分。もういい頃かと立ち上がった少女は意気揚々と街に続く関門へと向かった。
牛蜥蜴が引く荷車の後を追うように潜ろうとした鴉人だったが、カシャンと突然横から伸びた槍に行く手を阻まれた。
「え?」
意気揚々と踏み出す瞬間に水を差された理由が分からず不思議そうに横を見ると、鋼の軽鎧を来た老兵が厳しい顔で槍を突き出している。
別に何もしていないはずなのにと困った顔をマスクの奥で作っていた少女に、老兵はくい、と顎でしゃくって関所へと歩いていく。少女は恐々としながらも付いて行く他なく、高い背を小さく丸めて立ち止まった老兵の前で足を止めた。
その姿を見て、老兵は大きく溜め息を吐いた。
「あんた、余所者だろう。船から降りる奴は皆チェックしてるんでな。気持ちは分かるが、進みたいなら通行証を見せてもらわなきゃいかん。教えてもらっとらんかったのかい?」
立派なカイゼル髭を蓄えた軽装の兵士の呆れた口調に少女は思い当たる節があったのか、「ああ、そうか」と呟いて、担いでいた黒い箱を脇に置き、丸めていた背を伸ばしてゴソゴソと懐を探り出す。
「鴉人の来訪者なんて久しぶりに見たな。何処から来た?」
「ミザールからだよ。そんなに珍しい?」
「鴉は渡る性質の鳥人族じゃないだろう。昔っから住む奴なら知ってるが、他の大陸からはそうおらん」
「へー、でも言われてみればそうかもね。ええっと、何処だったかな……あっ、はいこれ」
身体中をまさぐって漸く見つけたくしゃくしゃの紙切れに、兵士の顔もくしゃっと渋いものに変わる。
「あんた……これが無いだけで港から出ることも入ることも、船に乗ることも出来なくなるんだぞ? もう少し気にして扱ったほうがいい」
「大金を叩いたんだろ?」と言われて、半年の苦労を思い出してさっと顔を青くする。
家出してからの殆どが、この大陸間通行証を手に入れる為に費やされており、どうにも愛着のないものに対して扱いが粗雑な面がある事をズバリと指摘されてしまい困ったようにマスクの上から頬を掻いた。
通行証の番号が控えられ、押印が確かにミザールの探索者ギルドから発行されたものであることを確認して優しく手渡される。
綺麗に折りたたまれて返されたのが余計に恥ずかしい。
「ま、頑張んな。ようこそレイヴン。玉衝国アリオトへ」
兵士の粋な挨拶にマスクの奥で顔を綻ばせ、兵士の手を強く握り締めて上下に振り回す。
困った顔をしながらも微笑んだ兵士に手を振って、彼女は意気揚々と大通りへと、ようやっと踏み入れるのだった。
大通りの活気は、ミザールとは比べ物にならなかった。
作物の育たない土地柄から貿易で賄う品目が多岐に渡る為、様々な商人がやって来る。
それに加えてアリオトは七大陸の中で最も遺跡に通じる洞穴が多いことでも有名だ。
商売に来る者と夢を求めて地の底に潜る者。双方の利益が上手く噛み合い、荒廃した国でありながら潤った国になっている。
とは言え、鴉人にはそんなことはどうでも良く、通りに面した店先に並ぶ商品にご執心だった。
「どうだい買ってかないか! ラッツェルの塔十五階産のシールドだよ!」
「耐火耐打付与のチェインメイルが2500α$の特売だ! さぁ今日限りだぞ!」
「まだ使える蓄雷器が3個セットだよー。雷魔法で貯めればで9日は夜の灯りに困らないよー」
「銀の遺跡から出たアンテークはマヌス発掘商会でお買い求めください!」
「今日は付与特価でやってまーす! 下級付与一律100α$でーす!」
鋼の秘術を継ぐ街に恥じぬ煌びやかなエンチャントが施されて光る看板が目を引くが、メインストリート八本の内の一つ、港から王城の脇を抜ける第一商業通りは特に鍛冶、彫金の看板が軒を連ねており、店先から伸びて誘蛾灯のように存在を主張していた。
その往来を行き交う人の姿は様々だ。
羊の角を持つ者。豹の毛を持つ者。獅子のたてがみを持つ者。鷹の羽を持つ者。猫の尾を持つ者。
この大陸は同族同種の眷属を持つ神に一物を与えられた獣人が多く暮らしており、店先で呼び子をする者は皆何かしら獣に似た特徴を持っている。
加えて店先に並ぶ品々は多種多様な地域の名産と探索品、成果品が集まり、特に綺羅びやかな宝石が一際目を引いた。希少鉱石の産出は有数でありながらも、食物の育たない大陸にとって交易は国の生命線なのだろうと、新しい世界の広がりに胸が高鳴って仕方ない。
開陽国の首都にも商店の立ち並ぶ通りはあったが、あちらは出店ばかりで通りそのものが一つの一市場になっている光景は目新しく、少女は人波を分けながらずずいと割り込んでみたり、周囲を見回して向かいからやってきた人にぶつかったりと田舎者っぽさが多分に溢れたことばかりしていた。
しかし、そんなことを気にも留めず、マスクの奥で爛々と瞳を輝かせて感動しどおしだ。まだ十六歳の少女には宝石箱の中に飛び込んだような輝きに彩られた世界は刺激が強過ぎたらしい。
明るい喧騒。往来する獣人。色彩豊かな多くの看板。
厳し規律で整えられた真人の国ミザールでは味合わなかった期待感に、ようやく旅をしている実感が込み上げてくる。
「っとと。そうだ、こんなことしてる場合じゃないんだった……」
しかし、感慨に耽ってふらつくのもここまで。
中ほどまで進んでようやく思い出したらしく、頭を軽く振ってからコートのポケットにしまい込んだメモを取り出した。
書かれているのは、幾つかの店の名前と大雑把な地図。
遺物売買で懇意にしていた商人が用意してくれたもので、玉衝国に行くならと貰ったものだ。
丸々と太った小型犬を思わせる顔の大柄な犬人を思い浮かべ、道の脇に避けてから場所を確認する。
彼女が居るのは第1商業通り。まず行きたいと思っていた宿はどうやら近くにあるらしい。
高い背丈でも邪魔になる人の頭の合間から左右に建ち並ぶ店の看板を見ながら再び歩き出すと、ほんの1分も経たず見つけることが出来た。
石造りの多い中、その建物だけは木造だ。相当古くに建てられたようで、壁になる板は黒ずみ、所々大きな亀裂がある。
砂で傷付いたすりガラスも黄色く汚れていて、正直何も情報が無ければ入ろうとは思えない装いだ。
魔力の流れが滞って明滅する“タクナグの宿”と刻まれた安い魔鋼の看板を二度見して、鴉は覚悟を決めて扉を潜った。
「あ、いらっしゃいませー」
薄暗い店の中は手入れが行き届いているが、やはり時代を感じる。
傾いた柱時計や意味もなく動く蒸気式の水車が置かれた店内を見回して、くすんだ木目のカウンターの後ろに立つ銀毛の綺麗な狐人の下へと近付くと、店番の女性は流麗な動作でお辞儀をして鴉を迎えた。
180はある黒づくめの鴉を前にしても、妙齢の狐人は槐色のエプロンの前で手を揃えて柔らかく微笑んだままなのは流石プロと言える。
「ご宿泊ですか? 一週間以上の滞在はご遠慮していますのでご了承いただければと思います」
にこやかに言われたが、此処を拠点にしようと考えていた鴉は出鼻をくじかれて言葉に詰まった。
取り敢えず言うだけ言ってみようと、少女はポケットから取り出した、許可証とは別のくしゃくしゃになった紙を差し出しながらくぐもった声を発した。
「えっ、と。期間は決まっていないんだ。一応アンフィオ・オクスさんから紹介されてきて……」
「あら! オクスさんの紹介ですか! あっ、これは……はい、確かに確認させていただきました」
紙を見た狐人はうんうんとしきりに頷きながら渡されたものをカウンターの下にしまうと、代わりに大きなメニュー表を取り出し、鴉のゴーグルの前に掲げた。
「これがうちの料金表なんですが、長期の滞在であれば安くさせていただきます。お部屋のグレードはどうなさいます?」
「え? いや、今長期はダメって……」
「他国からやってくる方が多いので、為人が分からない方はご遠慮しているんです。色々ありますから。でも贔屓になさってくれているオクスさんの紹介と言うなら話は別です」
狐耳をピコピコと揺らす強かな彼女の言葉になるほどと納得しつつ、そんなに凄いのかあの人はと、紹介状を用立ててくれた丸々太った小型犬を再び思い出し、心のなかで感謝してからメニュー表に視線を向けた。
一番いい部屋で1泊540α$、安くても130α$もする。建物の外観から考えると高い気がしなくもない。
「大事な荷物が多いんだ。安全な部屋だと助かるかな」
「でしたら、こちらがオススメですよ。室内の壁も窓も扉も全部耐衝撃対魔力付与に加えて、鍵は銀時代の指紋認証式。他の宿でもこれほど堅牢な部屋はそうありません!」
オクスさんもよくお使いになります、と付け加えられたが、値段はまさかの300α$。全財産を使ったとしても2週間しか確保出来そうにない。
ひやりとした汗が俯いた頬に伝うのを感じながら、頭の中で計算を繰り返して笑顔を絶やさない狐に改めて向き直る。
「ちなみに、どれ位安くなるのかな」
「そうですね。んー……日数にもよりますがこの位、でしょうか。あっ、朝晩の食事は込みになっていますのでご安心下さい」
おとがいに手を添えて考える素振りをしてから狐が紙に書いて見せたのは、半額近い180α$の文字。
(これなら3週間確保して、お昼ご飯と装備の調達は出来るか……はぁ、来て早々遺跡漁りで缶詰めしなきゃいけないなんて)
多少は覚悟していたが、思わぬ出費に溜め息が隠せない。
他の宿を探し歩くのも手ではあるが、折角紹介してもらった手前無下にもできない。
見切り発車の弊害かと計画性の無さを悔いながら、おずおずと杖を持った手で指を三本立てた。
「3週間で」
「はい! ありがとうございます!」
上客が来たと嬉しそうな様子で用意を進めていく狐人。対して鴉人の少女は震える手で財布を取り出し、綺麗に揃えられた紙幣を断腸の思いで取り出していく。
自分で買った物でも執着しない彼女だが、これこそが全てを得るための力であると教え込まれてきたせいで踏ん切りをつけるまで時間がかかる。
なかなかカウンターに置かない少女の様子を不思議そうに見ていた狐人だったが、じれったいと思ったのかさっと取り上げて手早く枚数を数えてどこかに大切な紙幣の束をしまいこんだ。
「ぁ、ああ……」
少女の情けない声が漏れる。
「丁度いただきました。それではお部屋へご案内いたしますね!」
あくまでも狐人は仕事をこなしているだけに過ぎない。何かしらの経験があっての強引な態度なのだろうが、少女は都会の恐ろしさを植え付けられてしまったらしく、どんよりとしたまま等距離で先行する狐人の後をのたのたと追うのだった。
続くかどうか分からない。