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第6話 昼食

 弓弦ゆずるには、これといって苦手な家事はない。


 掃除や洗濯は一通りこなせるし、普段はレトルトで済ませている料理だって、作ろうと思えばそこそこの味のものは作れるという自負があったのだ。


 だから、

 

「……どうしてこうなった」

「……ごめんなさい」


 卵の中身や殻、そしてケチャップが至るところに飛び散った台所で、しょんぼりと頭を下げるかなでの横に立つ弓弦は、途方に暮れるしかなかった。







 時間は少しさかのぼる。


 動物病院から帰宅し、弓弦たちがリビングでくつろいでいると、不意に「きゅぅ」と間の抜けた音が鳴った。


 見ていたスマホの画面から顔をあげる。音の発生源の方を見ると、そこには羞恥しゅうちで顔を真っ赤にした奏がいた。


「……う」


 隠すようにお腹を押さえている奏と、その足元でがっつくように餌を食べている猫の様子を見て、弓弦は「ああ」と納得する。


「そういえば、昼飯食べてなかったな」


 気づけば、午後の一時をとっくに過ぎていた。


 弓弦自身、昨日の夜から何も口にしていなかったので若干の空腹は感じている。


 いつも通りレトルトで済ますか、と台所へ向かう。すると、奏も慌てたように立ち上がり、何か言いたげに上目遣いでこちらを見てきた。


 奏の必死そうな眼差しを見ているうちに、弓弦の中で悪戯いたずら心が芽生える。


「どうした? 俺は今から自分の昼飯を作るけど」

「……あの」

「何にしようかなあ。昼だし牛丼にでもするか。でも、親子丼もいいよなー」

「……」

「お、シチューもあるぞ。最近涼しいからなあ。きっと熱々のシチューはおいしいよなー」

「……う」


 戸棚から取り出したレトルトの袋を見せびらかしてると、次第に奏の目に涙が浮かんでくる。


 とはいえ、お邪魔している立場という自覚があるからか、「私にも」とは言い出せないようだ。


 捨てられた子猫のような(といっても、我が家にいる捨て猫は終始ふてぶてしい態度だが)目で見つめられると、さすがの弓弦も罪悪感を覚える。

 

 泣かせたいわけではないので、悪戯いたずらはほどほどで止めることにした。


「悪かったって。お前の分も用意するから」

「……弓弦のいじわる」


 つん、と奏はそっぽを向く。その様子はまるで拗ねた子供のようだ。


「あー、ほら。どれがいいんだ?」

「……」

「色々あるぞ。カレーとか麻婆豆腐とか」


 ご機嫌取りのため、あれこれと戸棚に貯めていたレトルトの袋を取り出していると、近くに寄ってきた奏にちょんと脇腹をつつかれる。


「どうした」

「……わがまま言っていい?」

「物によるけどな。なんだ?」

「……ふわふわのオムライスが、食べたい」


 恥ずかしそうに、消え入りそうなほど小さな声での「お願い」だった。


 一瞬、それのどこがわがままなのか分からなかったが、奏が言っているのは「手作りの」という意味だろう。


(……まあ、いいか)


 最近レトルト続きだったし、材料は家にあるし、と弓弦は誰にともなく心の中で言い訳をする。




 「いじらしくお願いしてきた奏にノックアウトされていた」と素直に弓弦が認めたのは、ずいぶん後になっての話である。







 そして、時間は冒頭に戻る。


 手作りオムライスを作ることになったまでは良かったのだ。ソーセージやたまねぎ、卵、ケチャップといった材料も全部揃っていた。


 レトルトの米を温め、具材を切ってフライパンでいためる。米、ケチャップと混ぜ合わせ、別のフライパンに油をひく。そして、あとは卵で包むだけの状態にするまでは、何の問題も無かったのだ。


 弓弦も、久々に手料理を作ってテンションが上がっていた。


 調理の様子を隣で眺め、時折弓弦の手際に感動したようなため息を漏らしていた奏に、「最後の仕上げ、やってみるか?」と言ってしまうくらいには。


 その結果が、冒頭の台所の惨状さんじょうである。


 ひとまず、片付けは後回しにし、冷める前にとオムライスを食べながら弓弦はつぶやいた。


「まさか、卵割りに四回も失敗するとは思わなかったなあ……」

「……ごめんなさい」

「その上、ケチャップの出る勢いに驚いて容器まで放り投げるとは……」

「……ほんとに、ごめんなさい」


 オムライス自体は、無事に出来た。


 ただ、その過程で複数の卵と大量のケチャップが、台所中に飛び散ってしまったのである。


(なんか懐かしいな)


 小学生の頃、初めて母親と料理したときに卵割りに失敗したことを思い出す。


 キッチンを卵でべたべたにしてしまったのに、「仕方ないわねぇ」で済ませてくれた母親を当時は不思議に思っていたが、今はなんとなくその気持ちが分かるような気がした。


 明らかにしょんぼりとした様子で、出来立てのオムライスを口に運ぶ奏を見ていると、その姿が当時の自分に重なる。


(これはさすがに責められないよなあ)


 悪気があったわけではない。ただ経験が無かったのと、少し不器用だっただけだ。


「奏」


 名前を呼ぶと、俯きながら食べている彼女の肩がびくりと震える。


 気まずそうにこちらを見上げる藍色の瞳は、弓弦に怒られることを怖れているようだった。


(別に怒ってはいないんだが)


 とはいえ、弓弦の顔は高校の同級生にすら怖がられているくらいだ。

 

 会ってまだ日が浅い奏からしたら、かなり苛立っているように見えるのかもしれない。


 自分の人相の悪さについては既に諦めているので、代わりに弓弦は、未だに申し訳なさそうにこちらを見ている奏に一つ提案をした。


「食べ終わったらさ」

「……うん」

「……プリンでも、作らないか?」

「……え?」


 予想外の言葉に、奏が目を見開く。


「どうせ夕方までいるつもりだったんだろ? だったら、軽食がてらにプリンでもと思って」

「いいけど……どうして?」

「プリンだったら卵を結構使うし、いい練習になるだろ。それとも、プリンは嫌いだったか?」

「……! そ、そうじゃない!」


 奏はふるふると慌てた様子で首を振る。


「そうじゃなくて……どうして、怒らないの?」

「怒られるようなことしたのか?」

「……私、台所を汚して」

「雑巾かなんかで拭けば落ちるだろ、汚れなんて」


 何でもないことのように言う。実際、卵程度の汚れはすぐに片付くだろう。ケチャップの方は、少し手こずるかもしれないが。


「……私、何にもしてあげられてない」


 奏がぽつりと言った。


「弓弦に迷惑ばっかりかけてる」

「……そうだな」


 否定はしない。


 奏と出会わなければ、猫を拾って頬を引っかれることも、病院代を払うことも、部屋が汚れることも無かったというのは事実だ。


 ただ、それらが嫌なことだったかと問われれば、別の話だ。


「奏。お前、学校に友達いないって言ってただろ」

「……うん」


 奏は、何故今そんなことを聞くのか、と不思議そうに見上げてくる。


「俺もさ、学校じゃ話し相手が一人、二人いるだけで、クラスの奴らからは腫れ物扱いされてる。関わるとロクなことがないってな」

「……弓弦は、いい人なのに」

「あー、そこは別に気にしてないっていうか。仕方がないって分かってるからいいんだ。噂されてるのも、本当のことだし」

「噂?」

「……中学時代に、同級生を血まみれになるまで殴った」


 奏の顔が(こわ)ばる。しかし、それも一瞬のことだった。


「弓弦は、理由もなくそんなことはしない」

「……そうかもな」


 すぐにそう言ってくれた奏に、少し救われた気分になる。


 確かに、理由はあった。でも、それは一部の人にしか認められなかった。だから、弓弦は学校で浮いた存在になった。


 受験するときもできるだけ遠くの高校を選び、新しい環境でやり直そうとしたが、噂はどこかからか伝わり、高校でも弓弦の居場所はないに等しかった。


「だから、少し嬉しかったんだ」

「……?」

「こいつを拾って、自分のやるべきことができたのが」


 みぃ、と近寄ってきた猫を膝の上に乗せて腹のあたりを撫でてやる。うりうりと弓弦のふともものあたりをくすぐってくるが、止めることなくそのままにさせた。


 この猫と、そして奏と関わるようになって、久々に「誰かのために」行動した。


 それは確かに大変でもあったが、同時に充実感に似た何かを弓弦にもたらしてくれている。


「話を戻すと……まあ確かに迷惑っちゃ迷惑なんだが、決して嫌ではないというか。たまにはこういうのも悪くないって思ってる。だからあんまり気にすんな」

「……迷惑かけられても?」

いやじゃない相手になら、な」


 そう言いながら、最後一口だけ残っていたオムライスを口に運ぶ。とろりとした卵の感触が、口の中に広がった。


「というわけで、申し訳なく思うんならせめてプリンのときは……ってどうした?」

「……」

 

 ふと見れば、奏が顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいる。何か気に障ることを言ったのだろうか。


「……弓弦、ずるい」

「ずるいって何が」

「……そういうこと、平気で言うの、ずるい」

「あ?」


 何か変なことを言っただろうかと自分の発言を思い返すが、特に心当たりはない。


 首をひねる弓弦の前で、奏が何かをつぶやいた。


「……いやじゃ、ないんだ」

「なんか言ったか?」

「……ううん、なんでも」


 それだけ言うと、奏も最後一口のオムライスをぱくっと口の中に入れる。それから「……美味しい」と嬉しそうに微笑ほほえんだ。




*おまけ



 

 昼食後。


「ちょっ、奏! 砂糖は80グラムって言っただろ!?」

「……? 甘い方がおいしい」

「分量は正確に守れ! ってか、どこから出してきたんだその生クリーム!?」

「せっかくだから、アラモードとやらにしようかと」

「それなら最後に生クリームを乗せるだけでいいから! プリンに混ぜ込むな!」

「隠し味になるかと……」 

「……もういい。ほら、卵。綺麗に割れよ」

「む、割れない……。仕方ない。もう少し振りかぶって……」

「それでさっき台所をべとべとにしたのもう忘れたのか!?」


 1時間後、なんとかプリンは形になった。

  

 奏は、小さなスプーンでいそいそと完成したばかりのプリンを食べていた。時おり漏れる吐息が、彼女の満足度がとても高いことを示している。


 一方、弓弦は疲れ切って机に付していた。


(二度と奏には台所に立たせない。次来たときは、レトルトで済ませよう)


 弓弦がそんな決意をしているとも知らず、奏は幸せそうにプリンを食べ続けていた。



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