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第3話 アクシデント

 弓弦ゆずるが暮らす部屋は、一度遊びに来たことがある海斗かいとに言わせると「寝る場所がついた物置」らしい。


 1Kの間取りは一人で暮らすには狭くはないものの、学校の教科書用の本棚や衣服を仕舞う箪笥たんすはそこそこの大きさがあるため、実際より手狭に感じられる。


 そこにベッドを置いてしまうと床に転がるスペースはほとんど無くなるので、弓弦は寝るときだけ布団を敷くようにしていた。


 そんな定員一名の弓弦の部屋に、両親と海斗を除けば初の客が来ている。

 それも二人。正確には、一人と一匹だが。


「………………ふふ」

「……」

「………………ほわぁ」

「……楽しそうだな、お前」


 自分の部屋で美少女が頬を緩めてひたすら子猫をもふもふしている状況は、世の中の非モテ男子達が聞けば、羨ましさに血涙けつるいを流しながら「そこを代われ」と部屋の主である弓弦にせまってきてもおかしくない。


 弓弦はといえば、それとは別の意味で泣きたくなっていた。


(ほんとに来ちまったよ……)


 ペット禁止のアパートに猫を拾ってくるのはもちろんマズいが、女子中学生を拾ってくるのは確実にアウトだ。

 世間にバレた瞬間、弓弦の人生が終了する。


 そもそも名前も知らない男性の家に上がり込むのはいかがなものかと、弓弦は少女の警戒心が緩すぎることに文句を言いたい気分だった。許可を出したのは自分だから、口にはしないが。

 

 そんな弓弦の葛藤(かっとう)にも気づかず、少女は子猫の首元やらしっぽの付け根やらをせっせとで回していた。


 ふと壁の時計を見れば、少女が弓弦の家に来てからすでに十分以上はっている。


「おい、もう満足しただろ。そろそろ帰れ」

「…………」


 返答は、猫に向けるのとは打って変わった無表情。


 ただ、こちらをじーっと見つめる藍色の瞳は「……もう少し居たら、ダメ?」という少女の望みをはっきりと伝えていた。


「そんな目をしたってダメだ。だいたいお前、学校帰りだろ。こんなところで道草食ってたら、親が心配して学校か警察に連絡入れるぞ」

「……それは、大丈夫。何時に帰っても、怒られないから」

「……ずいぶんと信頼されてるんだな」


 自分の両親とは大違いだ、と心の中で呟く。


 過保護とまでは言わないが、弓弦が親元を離れて一人暮らしをしたいと言ったときは、最後の最後まで難色を示していたような二人だ。


 もし弓弦が女子で、連絡も無しに帰宅が遅くなったら、心配するどころか二人して家を飛び出して捜索するに違いない。


 弓弦の言葉に肯定も否定も返さなかった少女は、ややあってうつむきがちに目を伏せた。


「……迷惑だった?」

「あのなぁ。そりゃ、いきなり知らない奴が家に上がり込んだら、誰だってうっとうしいと思うだろ」

「……ごめん、なさい」


 淡々と、しかし気のせいかもしれないが少し震えた声でそう呟いた少女は、床に置いていた学校用の鞄を肩に掛けた。


(言い方がキツかったか?)


 とぼとぼと玄関の方へ向かう少女の様子に、弓弦は自分の言動を多少反省する。


 そのとき、「みぃ」と小さな鳴き声が聞こえた。


 先程まで遊んでくれていた少女の匂いが離れていくのに気づいたのだろうか。絨毯じゅうたんの上で寝っ転がってた子猫が、トテトテと弓弦の横を通り過ぎて行く。

 

 そのまま子猫は、玄関で靴を履くために片足を上げている少女の足元にすり寄る。

 

 子猫に気を取られた一瞬、少女の体がバランスを崩しぐらりとよろめく。


 少女の体が倒れる先はーー先日弓弦が割ってしまい、今度捨てようと玄関に放置していた、ガラス皿の破片が詰まったゴミ袋の真上。


「あっ」

「っ、あぶねぇ!」


 体がガラス片の上に覆いかぶさる直前で、弓弦は少女の腰を(つか)み後ろに引っ張る。


 ばたん、と二人分の体重がまとめて床に倒れる音が響いた。


「痛ってぇ……」


 床に倒れた際にぶつけた腰をさすろうとして、自分の手が現在何に触れているのか気づき、声にならぬ叫び声をあげる。


(……んんんんんん!?)


 少女の腰を後ろから抱きとめるように回している左手は、必要措置だったので仕方がないだろう。


 未だに密着しているせいで少女の髪の毛が弓弦の鼻のあたりをくすぐり、漂ってくる女子らしいフローラルな香りに思わずどぎまぎするが、やましいことは特にない。


 問題なのは、弓弦の右手が触れている位置だった。


 手の平に感じるふにふにとした気持ちの良い感触。制服という布地の上からでも分かるその柔らかさは、未発達ではあるものの、確かに「それ」が存在していることを示している。


 膨らみかけの、少女の胸部が。


「……っ!」

「ち、違うからぞ!? 違うからな!?」


 慌てて手を離したが、少女は倒れ込んだ弓弦に背中を密着させたまま、顔を真っ赤に染めている。


 羞恥と混乱で目に涙を浮かべつつ、自分を背後から抱きしめる形となっていた弓弦の顔を見上げくるが、弓弦にできるのはただひたすら「わざとじゃない!」と否定することだけだった。


 場の空気も読まず、子猫が「みぃ」と鳴いた。


 心なしか、「何やってるんだ」と呆れているように聞こえなくもなかった。







「落ち着いたか?」

「……うん」


 出されたお茶を飲んだ少女は、頬にまだ薄っすらと赤みが差してはいるものの、ようやく落ち着きを取り戻したらしい。


 あれだけ混乱した状態でそのまま家に帰していたら、帰り道で事故にってもおかしくない。

 そう考え、少女をもうしばらく家に留めることにしたのだった。


 そして何より、


(一人暮らしの男子高校生の部屋から涙目の女子中学生が出てくるとか、近所の人に見られたら俺が死ぬ。社会的に)


 年下の女子の胸を揉むというアクシデントを起こしてしまった弓弦は、先ほどから罪悪感で一杯になっていた。


 せめてもの罪滅ぼしにと、もう少し猫とたわむれたいと言っていた少女の希望を叶えたのである。


 今、少女の膝は膝の上の子猫を存分にもふっている。猫を撫でているうちに、混乱していた心の整理はある程度できたらしい。


 とはいえ、あんなことがあった直後だ。二人の間には、必然気まずい空気が流れている。

 子猫だけは「そんなこと知るか」とでも言いたげに、舌を使った毛づくろいに勤しんでいるが。


 沈黙を破ったのは、少女の方だった。


「……さっきは、助けてくれてありがとう」

「いや。こっちこそすまん。あんなところにゴミ置いといた俺が悪いし……あと、なんか変なとこ触って――」

「そ、それは、もういい……」


 再び顔を赤くしながら、少女はそっぽを向く。


「お前、その……怪我、とかは無かったか?」

「うん。あなたは?」

「ああ、俺も平気だ。少し腰をぶつけたくらいだしな」


 再び沈黙が場を満たす。壁にかかっている時計の秒針の音だけが、妙に部屋に響いていた。


(ああ、くそっ。じれったい!)


 次に耐え切れなくなったのは、弓弦の方だった。


「お前……って、そういや名前は?」

「……私もあなたの名前、知らない」

「俺は笹瀬川ささせがわ弓弦ゆずる米川よねかわ高校の一年」

「……かなでかしわ中学校の三年生」


 弓弦にならって、少女――かなでも自己紹介をした。


 驚きだったのは、彼女が中学三年生であるということだ。小柄な体格や話している感じから、勝手に中学一年生くらいかと想像していた。


(なるほどなぁ……)


 先ほどの手の感触に謎の納得を覚えかけ、慌ててよこしまな考えを脳内から追い出す。


 ん? と弓弦は首をひねった。


「苗字は? かなでって、名前だよな?」

「…………」

「ああ、別に言いたくないなら言わなくてもいいんだが……」


 奏の顔がかげるのを見て、追及するのをやめる。

 

 知らない人にそこまで教えるのは嫌なのかもしれないし、自分の苗字があまり好きではないのかもしれない。

 

 呼び方が決まるならば、別に名字が何であろうと弓弦には関係のないことだった。


「ささしぇっ…………ゆ、弓弦は、一人暮らし?」


 笹瀬川という苗字の方は言いにくかったのか、早々に諦めたらしい奏に名前で呼ばれる。

 噛んだのが恥ずかしかったらしく、またまた頬が赤くなっていた。


(さっそく呼び捨てかよ……)


 と思ったが、口にはしない。元々タメ口で会話をしていたので、今さらだ。


「ああ。実家から通うには、遠い高校だったからな」

「ごはんとか洗濯、大変?」

「そうでもない。といっても、飯はレトルトに頼ることが多いけどな」


 作ろうと思えば作れなくもないが、毎月親から山というほど送られてくるのだ。

 両親が共働きだったからか、弓弦は昔から手軽に食べられるレトルト食品を愛用していた。


「そういやおま……奏は、中三なんだろ? 受験勉強とか、しなくていいのか?」

「それは、平気。勉強は普段からしてるし、それに……」

「それに?」

「……なんでもない」


 そう言うと、奏はどこか寂しそうな笑みを浮かべた。


笹瀬川って言いにくそう。

あと、1Kの部屋ってキッチン小っちゃくて料理しにくいんですよね。

レトルト食品、素敵。

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