第1話 猫と出会う
(……なんだ、あれ)
笹瀬川弓弦が「それ」を見つけたのは、全くの偶然だった。
夕飯を食べた後、小腹を満たすために肉まんでも買おうかと、近くのコンビニまで歩いている途中。
ひんやりとした秋雨が降りしきる中、傘を片手に歩いていた弓弦の耳が小さな物音を捉えた。
そして、視線だけを動かした先に「それ」がいたのだ。
空き地の端で片手に傘を持ちながらしゃがみこんでいる「それ」――わずかに当たった街灯の明かりが無ければ気づきもしなかったような小さな人影は、さっきからまるで身動きをしていない。
(……子ども、か?)
地味な色のパーカーを羽織ってこちらに背を向けているため、性別までは分からないが、体格からして小学生か、中学生といったところだろう。
弓弦とて、今年高校生になったばかりの子どもではあるのだが、視線の先にいる人物が自分より年下であることは、疑う必要が無かった。
しばらく見ていたが、その人影からは動き出す気配も感じられない。
それどころか、十メートルほど離れた位置にいる弓弦の存在にすら気づいていない様子だ。
(まあ、気にするほどのことでもないか)
既に辺りは暗く、街灯の明かりがわずかに道路を照らしているだけではあるが、小・中学生が補導されるような時間ではない。
そもそも弓弦が、見ず知らずの子どもの補導を心配してあげる義理は別に無いのだ。
そう考えて、弓弦は特に躊躇することもなくその場を離れた。
まさか、帰り道にも同じ光景を目にするとは思わず。
マンガ雑誌をパラパラと立ち読みし、それから肉まんを買ってコンビニを出たので、行きに通りかかった時刻からは、既に三十分以上経過しているだろう。
にもかかわらず、その子どもは、先ほどから全く変わらぬ姿勢のまま空き地の端にしゃがみこんでいる。
傘はさしているものの風が強く、彼(彼女?)の体は既にびしょ濡れになっていた。
(おいおい……。あいつ、ずっとここに居るのか?)
季節はまだ秋の初めとはいえ、夜も深まれば気温はかなり下がる。
ましてや今日は雨が降っているのだ。身動きもしていないとなると、体温は奪われる一方である。そのまま一夜を過ごせば、命にだってかかわらないとも限らない。
(面倒くさいもんを見つけちまったな)
「このまま通り過ぎてしまおうか」とも一瞬考えたが、明日以降に凍死体が見つかったなんてニュースになりでもしたら、あまりに目覚めが悪すぎる。
心の中で大きくため息をつくと、弓弦はその人影の方に近づいた。
「お前、さっきから何をやってるんだ?」
声をかけると、子どもの方がピクリと震えた。それから傘を持ち上げ、ゆっくりと首を回し弓弦の方を見上げてきた。
(……やっぱり、女子だったか)
小柄な体格から、十中八九男子ではないと予想していたが、どうやら正解だったようだ。
パーカーのフードからはみ出る、二房にまとめられた長い髪。
ぼうっとこちらを見上げてくる少女の目は、長い睫毛に覆われながらも、その奥の藍色の綺麗な瞳がはっきりと分かる。
身長は、一四〇センチほどだろうか。小柄ではあるものの、整った目鼻に、背中を向けていたときから分かるほど華奢な身体を持つ彼女は、雨で濡れそぼっていても、いわゆる「美少女」というカテゴリーに分類されることは確実だった。
(余計に面倒な……)
少女の姿を見た弓弦は、声に出さず独りごちる。
もちろん弓弦には、たとえ美少女だろうと、小・中学生をどうこうしようという趣味は無い。
そもそも、女性に対して男子高校生らしい関心がほとんどない弓弦としては、目の前にいるのが男子でも女子でも構わないと思っていた。
それでも、面倒くささという点においては、目の前の相手が男子の方が幾分かマシだったと思っている。
明らかに訳アリな美少女をこのまま、人気がない夜道に放っておくとどうなるか。あまりに容易に想像できてしまうからだ。
どう考えても、不審者ホイホイである。
ひとまず自分が不審者だと思われないように、弓弦が適当な距離感というものを計りかねていると、目の前から鈴を転がすような声が聞こえた。
「……この子が」
「ん?」
少女の細い人差し指が示す方へ視線を向けると、雨でぼろぼろになったダンボールの中に白色の何かが転がっていた。
よく見ると、それは体を丸めた子猫だった。
体は少し汚れてはいるが、少女の傘に覆われているため、猫本体の濡れ具合は大したことがない。
段ボールには他に雑巾のような小さな布切れと、ひび割れた餌用の皿だけが入っている。
珍しくも無い、普通の「捨て猫」だった。
「猫がどうした」
「……まだ小さいから、このままだと死んじゃう」
「だったら建物の下にでも移動すればいいだろ」
「……どこか、あるの?」
こてん、と首を傾げながらそう問いかけられ、思わず「ううむ」と唸る。
確かに、この辺りは住宅街で、雨宿りできるような場所というのはかなり限られているのだ。
「それは……コンビニとか、スーパーとか」
「……お店の人の迷惑になる」
「そんなの、別にお前の知ったことじゃないだろ」
「……」
弓弦が冷たくそう言い放つと、少女は何かを言いたげな目を向けてきたが、言葉を返してはこなかった。
傘を持ってない方の手で、捨て猫のやや汚れた白い毛並みを撫でている。
「あー。そんなに気に入ったんなら、お前が連れて帰ればいいんじゃないか」
「……それは、できない」
「親に禁止されてるのか」
「……そんなところ」
感情のこもらぬ声で返事をする少女に、弓弦は若干の苛立ちを覚え始めていた。
他の場所には移したくない。でも、自分では飼えない。どうするつもりなのか。
「じゃあ、ずっと雨が止むまでこうしてるつもりなのか? 止まなかったらどうするつもりだ? お前もそいつと一緒に凍え死ぬぞ?」
刺々(とげとげ)しさを隠そうともしない弓弦の声に、少女は一瞬ぴくっと体を震わせたが、何も言わずに手元の捨て猫を撫で続ける。
みぃ、と場の空気を無視した子猫の鳴き声が、雨音に紛れて聞こえてきた。
(付き合いきれねえな)
これは、少女の我が儘だ。
本気で助けたいと思って関わったなら、他人の迷惑とか考えず、家に連れて帰るなり場所を移すなりすればいいのだ。
そもそも、面倒を見れないなら、中途半端に捨て猫に関わるべきではなかった。
さっき買ったばかりの肉まんも、気がつけばすっかり冷めてしまっている。
舌打ちをし、その場を離れようとした弓弦の耳に届いたのは、消えてしまいそうなほど小さな、少女の呟きだった。
「この子は、私と同じだから……」
踏み出しかけていた弓弦の足が、ぴたりと止まった。
少女の方を振り返ると、先ほどと変わらず、優しい手つきで捨て猫の背中を撫で続けている。
ただ、手つきとは裏腹に、彼女の瞳には暗い、どこか諦めに似た感情が宿っているように弓弦には感じられた。
(……くそっ)
先ほどとは違った意味で舌打ちをしたくなった。
少女に対してではなく、自分の厄介な性質に対しての苛立ちだ。
(こんなん見せられて、放っておけるかよ……)
別に、この少女に対して特別な感情を抱いた訳でもない。
それでも、あんな表情を見せられて「はいそうですか」と帰ってしまうのは、元々好きでもない自分のことをさらに嫌いになりそうで、出来なかった。
中学生の時から何も変わっていない自分を。
「おい、ちょっとそいつ貸せ」
「……?」
「いいから。……っと、これでいいか」
困惑している少女から半ばひったくるようにして、段ボールごと猫を持ち上げる。
ついでに、段ボールに入っていた布切れを猫にかけておいた。気休め程度だが、少しは熱が逃げにくくなるだろう。
「……その猫、どうするの?」
弓弦が何をしようとしているのか、未だに分かっていない様子の少女が立ち上がって弓弦の方を見上げてくる。
瞳から先ほどの暗さは消え、代わりに警戒の色が滲んでいた。
「とりあえず、何日かぐらいはうちで面倒見てやるよ。その間に、引き取りたいって奴が見つかればあげてもいいだろ?」
「……!」
「俺の住んでるとこは本来ペット禁止だからな。もし引き取る奴が見つからなくても、数日したらここに返しに来る。その後はお前が勝手にすれば……って、どうした」
少女が困惑したような表情を浮かべているのに気づき、言葉が途切れる。
「……拾ってくれるの?」
「期間限定だけどな」
「……ご飯とかは」
「まぁ、最低限のモノは用意するさ。うちで死なれても嫌だしな」
「……引き取る人も?」
「見つかったらな。言った通り、しばらくしても見つからなかったらここに放しにくるぞ。それ以降は知らん」
少女が慎重に紡いだ質問に一つ一つ答えてやると、
「よかった……」
と、少女は出会ってから初めて口元を緩めた。
はじめまして。佐藤白です。
皆さんは砂糖を吐くような甘々ストーリーが大好きですか?
ちなみに、自分は大好きです。
砂糖を一杯吐けるよう書いていきますので、ブクマ、評価、感想等で応援をいただけたら幸いです。
とはいえ、第1章は割とシリアス多めかもしれません。