家族
食事は当初の予定通りにルチアが腕によりをかけたごちそうが振る舞われた。
最初はしめやかに、徐々に明るさを増していった食事を終え、五人はゆったりと食後の茶を楽しんでいた。
外はもう夕暮れに包まれ、気の早い虫たちが涼やかな音色を奏でている。
「さてコウタ。『見えない山』というのは聞いたことがあるか?」
すっかり温くなった茶を飲み干し、ベラートは真剣な口調で切り出した。
「ううん。聞いたこと無いよ。そんなの」
「じゃろうな。ならば、魔素がどのように生成されるかは知っておるか?」
「……知らない」
「責めておるわけではない。……お主が先ほど駆ったカイゼリオン。そのほか、あらゆる機械、機巧体は結晶化した魔素を燃料として動いておる」
うん、と頷くコウタ。
「魔素は生き物の感情を糧に膨大なエネルギーを発し、その際に蒸気に似た気体を放出するだけでエネルギーはほぼ無限に供給される。ここまではよいな?」
頷くコウタ。
「ワシら人族にとってはただの燃料じゃが、龍族の方々には大切な宝具。
魔素結晶を身につけておらねば人の姿に変化することも、命を繋ぐこともできぬ。しかも機巧に組み込んだものと違い、摩耗し、十年ほどで消滅する。
その理由を研究しておる魔族もおるが、いまだ原因までは分かっておらぬ」
どうしてそこまで、とコウタの隣で話を聞いていたレニーシャが驚く。
「なに。昔、龍族と旅をしましてな。そのときに同行しておった魔族があれこれ訊いておったのでワシも自然と覚えただけですじゃ」
かかか、と笑う。
「え、おじい、魔族のひととも知り合いなの?」
一応な、とベラートは頷き、遠くを見つめながら懐かしそうに語り始めた。
「あのころのワシは無我夢中じゃった。
自分ならなにか出来る。出来ないはずがない、と今思えば恥ずかしいほどに勘違いしておった。
勘違いの度合いが過ぎてワシは、龍族との諍いをどうにかして止めようとガウディウムの設計をし、自分用にカイゼリオンと予備としてもう一機建造して戦場に出た。
しかし、やはりいくら功名をあげても戦争は終わらず、むしろ激化していくばかり。
ワシは彼らに和議を申し出るため、師匠筋を頼り、龍族との仲介役を探した」
そこで一旦ずず、と茶を啜る。
コウタたちは続きを急かさず、自分たちも茶を飲みながら待っている。
「コウタに与えた星帝丸と、ジェーナに持たせた光后丸。このふたつを打ったのはその仲介役の龍族での。朴訥な男じゃった。
で、そいつを連れて旅をしておったところで魔族とも知り合い、なぜか龍族との会談場所まで付いてきておった。不思議なヤツじゃったのう。
まあ、名前ほど連中は悪党ではない。どん欲に己の知識欲を満たそうとしておるだけの連中じゃ」
ふうん、とコウタは納得したように頷いていたが、レニーシャは少し困惑したようにベラートを見つめる。
「魔族の方と龍族と、ベラートさまの三人で旅を……」
「信じられぬじゃろう? じゃが、事実じゃよ。文献や資料ばかり読んで知った気になっておるようでは、と言うことじゃの」
言ってかかか、と笑う。
ルチアが脇で、もう、とたしなめるように睨んでいるが、当のベラートは不適な笑みを崩そうとしなかった。
「さて。その魔素結晶の鉱脈があるのが見えない山じゃ。見えない山は数百年置きに場所が変化し、そこが鉱脈となる。変わるきっかけは……おっと。これ以上は止めておくかの」
「なんでさ、教えてくれてもいいじゃない」
「いま知識を与えたところでどうにかなるわけでもあるまい。それよりも、ワシはこう考える。憶蝕症が流行る原因と魔素の減少は、根っこのところで繋がっておるのでは無いのか、とな」
「どういうことです?」
「文献によれば、かつて魔素の減少が起こった頃にも、憶蝕症と同じ病が流行ったそうじゃ。さらに魔素が回復するのと同時期に憶蝕症の名前も文献から消えておる」
「でもそれっておじいの憶測でしょ?」
「魔素が憶蝕症の特効薬となるなら、どこぞの魔族がもう作り上げておるじゃろう。連中は千年単位で生きるからの。じゃが魔素の減少という現象自体は、憶蝕症と関連性があると睨んでも不思議は無かろう」
筋が通っているようにも感じるし、言いくるめられているようにも感じる。
んー、と考え込むコウタ。
「じゃあ、魔素の減少を止めれば、姉さんの憶蝕症は治るってこと?」
「それは分からぬ。文献からも病が記されなくなっただけで、治ったとの記述はどこにも無いからの」
そっか、と頷いて、また別の疑問が湧いてきた。
「そもそも見えないんでしょ? どうやって行くのさ」
「大丈夫じゃ。見えない山は欲する者を自ら招くと言う。心底から願いながら進めば、いずれは到着する、筈じゃ」
「はず、って言われても……」
ちら、とレニーシャを見る。
「わたしなら、構いません。ただ、コウタロウさんは……」
「ぼくは、行くよ。姉さんが生きてて、でも憶蝕症になってて、治す方法があるかも知れないなら、ぼくはそれに賭ける」
横からレニーシャの、不安と諦めの混じった複雑な色の視線を受け、コウタは彼女に向き直る。
「魔素のことは、よく分からない。百年後の世界のことなんて想像もできないし。……でも、ぼくに出来ることなら、手伝うよ。それが、助けてくれたことのお礼だと思うから」
「なんじゃコウタ、年上の女性にそのような軽い口の利き方は」
からかい半分のベラートに、コウタは真剣に返す。
「これからしばらく旅をするんだし、他人行儀なのは良くないかなって。イヤなら戻すよ」
「そ、そのままで! そのままで、いいから……」
消え入るようにうつむいてしまうレニーシャ。
「あの、進路のことでしたら問題無いかと」
「どういうことです?」
「さきほど、カイゼリオンの召還の際、細い光の筋が北西方向に向かって伸びていきました。魔素を糧とする龍族の血が、召還のエネルギーと反応し、魔素の集まる見えない山を指し示した可能性があります」
「可能性、かぁ……」
天を仰ぐレニーシャ。
「でも情報が何も無いよりはいいよ。他の情報も集めながら進んでいけば、きっと見つかると思う」
うん、とレニーシャが頷くのを見てベラートが、ぱん、と手を叩く。
「では決まりじゃの。ルチア、旅の支度を……」
「ダメです。わたしは反対です」
「ルチアさん?」
いいですか、と立ち上がってコウタとベラートを睨み付け、
「コウタやジェーナどころか、今日会ったばかりの龍族のお嬢さんたちまで巻き込んで、あてのない旅をさせるなんて。何かあってからでは遅いんですからね」
「しかし、のう……」
「いいえ、分かっています。コウタもお父さんもジェーナも、もちろんわたしもですが、一度こうと決めたことは頑として譲りません。わたしひとりがどれだけ反対しても、コウタはきっと夜中に家を抜け出すつもりなんでしょう?」
じろりと睨まれてコウタは怯む。
「だったら、せめてここに反対している身内がいることを覚えておきなさい。レニーシャさんたちも、です」
「は、はい……」
言いたいことを吐き出してすっきりしたのか、ルチアは晴れやかな笑顔を浮かべ、
「ではわたしは明日の朝ご飯の支度をしてきます。旅の準備ぐらい、自分たちでやってください。お父さんは若い頃にさんざんやってたんでしょう?」
部屋を出る最後に、ふん、と睨み付けられてベラートはむぅ、と唸ることしかできなかった。