人と龍と魔と,神と。
「ああああああもう! いいわよもう!」
苛立ちもあらわに元の賢者が叫ぶ。
「それ、あんたたちが付けてるペンダント、渡して!」
ずい、と右手を差し出してもふたりはきょとん、とするばかりで動こうとしない。
「だから、龍の鱗を渡せ、って言ってるの!」
釈然としないまま、ふたりはペンダントを外し、元の賢者に渡す。
ん、と頷いて受け取り、自然な動作でコウタの二の腕を切り裂いた。深くはない。
「っ?!」
切られた痛みよりも、驚きの方が強かった。
飛び散った鮮血がふたつの鱗にかかるのを見て、元の賢者は左手を掲げる。
「血はもらったから、これ、返すね」
掲げた左腕の先には切断された右腕が浮かび、元の賢者が緩やかに左手を動かすと、切断された右腕はぴたりとコウタの切断面にくっつき、淡く輝く。先ほど切られた箇所からも出血は止まり、傷口もふさがった。
「もういいはずよ。動かしてみて」
言われるままコウタは右腕をぐるぐると動かす。イメージ通りに動くことに驚きつつも右の人差し指を犬歯に当てて噛む。ちゃんと痛みが返ってきた。
「あ、ありがとうございます」
礼を言うのも変な感じがしたが、一応口にしておく。
「いいわよ。あんたが無茶して、余計なもの置いていっただけだし」
でもなんで、とレニーシャが視線で問う。
「鬱陶しいのよ。どーせこのまま雲鯨になってもあんた、ぐずぐずうじうじ文句言い続けそうだしさ、次の代ぐらいまでなら、あたしひとりとこの鱗でどうにかやってやるわ。でも、次の代は、ちゃんとすぐに来なさいよ」
え、とレニーシャの表情が明るくなる。
「あんたが好きにするなら、あたしも好きにするってだけよ」
コウタを強く睨み、
「けどいいわね? あたしひとりじゃ作れる魔素も限界がある。魔素機関とかガウディウムとか作り続けて魔素の消費が増えれば、龍族だって滅ぶからね」
龍族が龍の力を維持するには魔素が必要、と出発前に教えられたことがコウタの脳裏を過ぎる。
「ぼくがみんなを説得します」
「できるわけないでしょ。人族ってのは、絶対にひとつにまとまらないんだから。そういう風に作られてるんだから」
それでも、とコウタ。
「無理よ。いままで数多の神が世界を作ったけど、滅ぶきっかけはいつだって人族だったもの」
そんなこと無い、と断じれるほどコウタは青くも愚かでも無い。
「人族は、魔族とか龍族とかを生み出すための素体でしかないの。だから人族の神は居ないし、いざとなれば他の種族が根絶やしにする手はずになってるのに、ムダに知恵が回るから、相手だけじゃなくて自分たちまで滅ぼす愚かな存在。だからあたしは魔族だけで世界を作るつもりだったのよ」
「じゃあなんで、さっきぼくの血を鱗にかけたんですか」
「少しは信じてみよう、って思ったのよ。人族のチカラに」
え、とコウタは目を開いた。
「さっき、世界を滅ぼすのはいつも人族だ、って言ったけど、栄えた世界ももちろんある。そのきっかけはいつも人族だった。神のいない人族は掟も戒律もなく自由に世界を歩き回れる。世界が滅ぶか栄えるかは結局、人族に他の種族が共鳴するかどうかにかかってるみたいね」
「でも大丈夫なの? 急に人族の血なんか入れて」
「大丈夫よ。人族は全ての基準。……たぶん、魔族だけで世界を造ろうとした歪みが、雲鯨になって現れたんでしょうね。だから一度人族の血を入れて基準値を思い出すの。あたしが造ろうとした世界の、あたしたち神族を造った存在が設けた基準を」
ここまで言って、元の賢者は表情を緩め、ふたりを追い払うように手を振る。
「さ、もう帰りなさい。これ以上長くいると、あんたたちのからだも精神も記憶も全部取り込んでしまうから」
はい、とコウタが頷く。
「別にあたしはいいんだけどね。血とかじゃ量が足りなくて変な形に終わるかも知れないし、シスコンがいればぐずぐず言わないだろうし」
ふふん、と挑発的に笑う。
「だめ。コウタは渡さないんだから」
ぐい、と繋がったばかりの右腕を絡み取ってレニーシャは元の賢者を睨み付ける。
「そ。じゃあさっさと行きなさい。……これ以上あたしのいい気持ちが壊れないうちに」
うん、とレニーシャはすまなそうに頷く。
「じゃあ、行きます」
はいはい、と面倒くさそうに手を振って、元の賢者はふたりの足下に穴を開ける。
「え、ちょっと!」
元の賢者が浮かべた意地悪と寂しさの混ざった笑みを、コウタは一生忘れないと思う。
「あんたたちには受け止めてくれる相手がいるでしょ」
「お、覚えてなさいよぉ……っ!」
レニーシャの怒りも、重力に引かれて落ちていった。
ひとり残った元の賢者は、さいごまで言えなかった言葉をつぶやく。
「野良犬一匹にエサをやるなら、世界中の野良犬を引き受けなさい」
言い終えると元の賢者のからだは光に包まれ、広がり、そして、
新しい雲鯨が誕生した。
次回、最終回です。