告白
「カイゼリオン、もう一回、お願い」
レニーシャと一緒に旅に出るんだ。
この旅が終わったら、絶対に。
「まだなにかやる気? 言っとくけど」
琥珀色の光を浴びながらコウタは振り返り、女に言う。
「うるさい。これはぼくとレニーシャの問題だ。あなたは黙ってて」
「あのねえシスコン? このグズが雲鯨になるのを、」
「ねえ」
ふわりと地面から離れながら睨み付ける。
「黙ってて、って言ったよね?」
それほど強く睨んだつもりは無いのに、女は怯み、口を噤んだ。
女が黙ったことに安堵しつつ、コウタはカイゼリオンとひとつになる。
目的は、告白だ。
まだちゃんと、レニーシャに想いを伝えていない。
さっきあの女はカイゼリオンを魔素の塊だと言った。
魔素は思いを増幅し、力に変換する存在。
だったら、自分のレニーシャへの想いも、きっと強く増幅されるはず。
すうう、と大きく息を吸って、真っ直ぐに叫ぶ。
『ぼくは! 元気でまっすぐで、でも不器用なレニーシャが好きだ!』
ミィシャが顔を真っ赤にしながら、人の姿に変化したティロの背中をばしばし叩いている。
叩かれるがままのティロは、複雑そうな表情でカイゼリオンを見つめている。
女は、得体の知れないものを見る目でコウタを見ていた。
『そんな風に、宿命みたいなものに縛られて、自分の思いを押し込めて引き下がるなんて、ぼくの好きなレニーシャじゃない! レニーシャは本当に! それでいいのか答えて!』
カイゼリオンの両手にそれぞれ刀を提げ、コウタはレニーシャの元へふわりと向かう。
「来るんじゃない」
『こたえて! レニーシャ!』
「来るんじゃないって言ってるだろ!」
女が両手を振りかぶる。またあの見えない塊をぶつける気だ、とカイゼリオンを加速させ、気配を頼りに塊を避けつつレニーシャの正面につける。
「おまえぇええっ!」
喚く女が心底鬱陶しい。
『なんで少しの間ぐらい黙ってられないんですか。あなたには関係の無いことなのに』
「関係ある! こいつは、弟よりもオトコを選んだ! 今度もおまえを選ばない保証は無い!」
『レニーシャはそんな無責任じゃないです』
「は! じゃあおまえはこいつが雲鯨になるのを認めるんだな?」
『結果をすぐに求めるのは、コドモのやることです。あなたは魔族の神で、元の(はじめ)賢者なんでしょう? ぼくたちよりもずっと長い記憶や経験があるのに、なんで待つことをしようとしないんですか』
「わたしに記憶なんかない!」
『え』
そんなはずはない。
どんな者にも、生きている限り記憶はある。
「こいつが! 龍族の神が全て悪いんだ! わたしひとりで造るからいい、と何度も断ったのに、しつこくしつこく協力を申し出て、挙げ句強引に取り憑いてこんな醜い姿に変えて、わたしから記憶する力まで奪った! わたしを魔族の神だと知りながら!」
叫びながら女は何度も何度も雲鯨の頭頂部を蹴りつける。
「わたしの記憶も感情も! 全部他人から奪ったものだ! それなのに龍族の神は、自分は悪くないと美談に改変して子孫に伝え、あげく素体のガキに心を奪われた! そうだ! おまえが一番悪いんだ!」
叫びながら女は両手を広く高く掲げ、その間の空間を歪ませねじ曲げ、無数の見えない飛礫をカイゼリオンへと照射する。
『そんなもので!』
二刀を構え、気配と殺意を頼りに飛礫を払う。飛礫は正面からだけ。払い損ねた何発かがカイゼリオンの肌をプリンセッサが変化した鎧に命中する。一発あたりの威力はそれほどでも無く、急所は避けているがダメージは確実に蓄積していく。
捌き続ける中、あれだけ憤怒をまき散らしておいて、と思ったときにはもう遅い。
後ろだとカイゼリオンが警告する。
それは、長大な槍だった。
女の口角が上がる。同時に飛礫の威力と数も上昇。挟撃される。からだを開き、せめて双方の直撃を避けようと、
「コウタロウさん!」
下から何かが迫ってくる。今度は目視できる。氷の柱だ。表面が真っ平らになっている氷柱はカイゼリオンの脚裏に吸い付くように命中し、そのまま巨体を押し上げ、コウタたちを救った。
「もう。ミィシャさんは」
助けられたことに感謝と安堵をしつつも、その方法に言いたいことが沸いた。が、いまは我慢する。雲鯨を遙か眼下になるまで押し上げてもまだ加速の止まない氷柱から飛び降り、レニーシャの元へ落下する。
『レニーシャ!』
「まだこいつをその名前で呼ぶんだ。こんな醜い姿になってるのに」
『どこも変わってなんかいない! レニーシャは会った時からずっとずっときれいだ!』
ちっ、と舌打ちする女を無視してコウタは叫ぶ。
『だから答えてレニーシャ! レニーシャもぼくのことを好きだって教えて!』
雲鯨のからだがじわりと動く。けれど、それだけ。
『答えてくれないならぼく、』ちらりと眼下を見やり、『ミィシャさんと、け、けっこんするんだから!』
ついに鼻血を垂らしながら激しくティロの背中を叩いていたミィシャが、目を丸くしてカイゼリオンを、コウタを見つめ、すぐさま鼻血を袖で拭って大きく息を吸い込み、
「そうですよお嬢! お嬢が要らないと言うなら、かわいらしくてかっこいいコウタロウさんは、わたしが」
『そんなの、だめええっ!』
雲鯨の背中に乗る女は、突如暴れ出したレニーシャに対応できず、バランスを崩し、尻餅をついてしまう。
「こいつ! 大人しくしろ!」
雲鯨の背中を殴りつけて立ち上がり、元凶であるコウタを睨み付けて再び両手を高く掲げる。
「おまえが、おまえさえいなければ、すぐに終わるんだ!」
空間が歪み、今度は全周囲からカイゼリオンへ見えない飛礫が降り注がれる。
『がああああっ!』
先ほど浴びた飛礫よりも遙かに高威力の攻撃に、コウタは為す術も無いまま雲鯨よりも遙か上空へと遠ざけられていく。なにかしなければ、と思うが、刀を離さないでいることで精一杯の猛攻はカイゼリオンの肌を貫き、コウタをも傷つけていく。
『コウタにこれ以上、恐いこと、させないんだからぁああっ!』
雲鯨の前身が強く大きく震え、女が立っている場所から紅い液体が激しく噴出する。よく見ればそれは砂粒ほどの細かな魔素だと分かる。
「え、あああっ!?」
大量の魔素に押し上げられ、女のからだは空高く舞い上がり、飛礫の猛攻から開放されたカイゼリオンが手を伸ばすよりもはやく、下から口を大きく開けて迫ってきた雲鯨へと吸い込まれていった。
『あんたも、はやく雲鯨になれ!』
レニーシャの叫びを聞きながらもコウタは、冷静だった。
ありがとうカイゼリオン、とひと言残して彼から飛び出し、まだ開いている雲鯨の口へと飛び立った。
「だめだよ、レニーシャ」
カイゼリオンはゆっくりと降りていく。地表に降り立つと鎧として纏っていたプリンセッサが分離し、元通りの二体に戻る。
ミィシャの猛攻が止んだティロがプリンセッサに歩み寄り、彼女の顔を見上げ、何か言いかけて止めて、ただ彼女の肌をゆっくりと撫でた。
もう一回だ。
どんなことをしても、告白の返事をもらうんだ。結果がどうなろうとも。
視界の遙か下での様子を見やって、コウタはレニーシャに視線を戻す。
生身だと結構距離があるな、と思った直後、耳元で声が聞こえる。
『コウタロウくん、これを』
落下するコウタのすぐ隣にヌェバが現れるが、そのことにコウタは大きく驚くことはしない。
『ティロくんからの預かり物だ。レニーシャさんに返して欲しいと』
渡されたのは龍族の鱗一枚を加工したペンダント。そういえばレニーシャもミィシャもこういうペンダントを持っていたな、と思い出す。
『首にかけてあげるよ。じっとして』
するりとコウタの正面に回り込み、優しい手つきでペンダントをかける。初めてこんなに間近で彼の顔にどぎまぎし、彼の腹部へ逸らした視線の先に、ヌェバの下半身は無かった。
『ああ、大丈夫だよ。魔族にとって肉のからだなんて特に意味は無いんだ。ここ一帯の魔素が急激に減ったから、形を維持できなくなっているだけ』
「……」
謝るのは無礼だと思い、コウタは無言だった。
『それよりも、ボクたち魔族の創造主のこと、よろしく頼む』
理由や経緯に同情の余地はあるけれど、それとこれとは別だ。
「ぼくが助けたいのはレニーシャです。あの女の人のことまでは、保証できません」
飾らず心の内を吐露しても、ヌェバは上品に微笑んでいた。
『大丈夫さ、キミたちなら』
そう言い残してヌェバの姿はかき消えた。
押しつけないで欲しい。こっちだって自分のことで精一杯なのに。
成し遂げたい未来があるなら、自分でやって欲しい。
大人はいつだってずるい。
だから自分も自分の思うように生きよう。
決意を固め、受け取ったばかりのペンダントを握りしめながらレニーシャを見やる。
覚えている。
八年前、ぼくはレニーシャと会っている。
たった一日、たった数時間のことだったし、闘戦場の帰りで呼び止められた時は顔も雰囲気も全然違っていたから結びつかなかっただけで。
だからあのとき感じた想いは一目惚れじゃなくて。
「ぼくが聞きたいのは、そんな言葉じゃないんだから」
風にコウタのささやきは巻かれて消え、彼のからだは閉じようとしていた雲鯨の口内へと消えていった。