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雲鯨

「ふたりとも、もう十分生きたでしょ? だからここでおしまい」


 ぐい、と力尽くで引き離されてしまった。

 突然の告白で動揺して力が緩んでいたことは理由にならない。

 後ろへたたらを踏んでいる間に、レニーシャに似た女はふたりの間に割って入り、コウタを冷たく見据えた。


「レニーシャ!」


 伸ばした手はぱしん、と女に(はた)かれ、それでも諦めずに前に出る。

 今度は油断なんてしていない。まっすぐ全力でレニーシャの腕を取りに行った。


「しつこい」


 がっしりと手首を掴まれ、捻り上げられてしまう。


「そこでうろついてる女たちみたいに、記憶も感情も言葉も全部抜き取ってもあたしは別に構わないのよ?」


 ヌェバの警告は粒ほども残っていない。左手で右の光后丸の柄に手を、


「やめて。もういいから」


 レニーシャの低く押し殺した言葉に、コウタは叫んで返す。


「なんで!」

「ほんとうにありがとう、コウタ。こんな出来損ないのあたしに、ここまでしてくれて」

「そんなこと言わないで!」

「だからお願い。ここから先、あたしを見ないで」


 にまぁっ、と女の口角が醜く持ち上がる。


「ほら、出口作ってやったから最期のお願いぐらい聞いてやりなさいっ」


 コウタの背後でぱきん、と陶器が割れ砕けたような音が響く。背中に当たる風が女の言葉を裏付けた。


「レニーシャ、手を伸ばして!」


 光后丸を抜刀する寸前、腹を蹴り飛ばされ、コウタはあっけなく吹っ飛ぶ。転がりながら伸ばした右腕は、閉じる空間に挟まれ、肩口で切断されてしまった。

 腕を無くした痛みなんてまるで感じなかった。


「レニーシャぁああっ!」


 さよなら。

 空間が閉じきる直前、哀しそうなレニーシャの声が聞こえた。


    *


「なんで! あんな……っ!」


 座り込んだ地面を、残った左腕で何度も何度も叩いて、拳から血が滲んでも止めなかった。


「それ以上はいけません、コウタロウさん」


 脇からそっとミィシャが左手を包み、ふううっ、と治癒の息をかける。痛みも傷もすぐに収まり、次いで彼女はコウタの右腕に治癒の息を吹きかける。


「取りあえず、塞いでおきます。早い内に腕を確保出来れば繋ぐことも、以前と同じように剣を振るうこともできます。……ですが」


 ミィシャの息と低く落ち着いた声音に、荒れ狂っていたコウタの心は落ち着き始めた。


「はい。遅ければそれだけ、ってことですよね。大丈夫です。……もう、落ち着きましたから」


 礼を言おうと向けた視線の先にある彼女の頬を覆う紅鋼玉色の鱗は、心なしかくすんでいるように見える。え、と思わず声が出てしまった。


「ああ、大丈夫ですよ。あんなにも濃かった魔素が急に晴れたので、龍の力が安定していないだけです。……人族のコウタロウさんにうまく例えることはできませんけど、すぐに収まりますから」


 自分がやったことで、ミィシャを苦しめている。そのことが却ってコウタを冷静にさせた。


「じゃあ、ヌェバさんは」

「心配は無いと仰っていました。少々顔色が悪かったですけど、軽い風邪のようなものだよ、と笑ってらしたので」


 そうですか、と頷き、ティロが居た場所に視線をやると、コウタが担いでいた大荷物を枕にして眠っていた。あいつに荷物を触られていることが、少しイヤだった。

 ミィシャに視線を戻し、彼女の瞳をじっと見つめる。

 ミィシャも視線を逸らさず、コウタの言葉を待った。いつもそうだ。彼女から話しかけてくることなんて滅多に無い。いつも一歩引いて、レニーシャやコウタを見守っていて。

 それはありがたくもあったけど、子供扱いされてるみたいでとてもイヤでもあった。

 真っ先に口にしたのは、レニーシャのことだった。


「ミィシャさんは、知ってたんですか」


 ミィシャの口調は淡々としていた。


「はい。お嬢からはきつく口止めされていました」

「だったらなんで、連れてきたんです」

「お嬢が望んだことです。さいごにコウタロウさんと旅をしたいと」


 その本意は先ほどレニーシャから聞いた。あんな昔の、コウタからすれば些細なことで旅をしたいと思うなんて信じられなかった。


「レニーシャは雲鯨なんですか」

「龍族の伝承には、数百年に一度、魔素の減少が始まるのと同時期に、龍の力を授かれない子が生まれるとあります。その子がやがて旅立つことで魔素の減少は食い止められ、世界は平定すると」

「それが、雲鯨になるってことなんですね」

「はい。かつて魔族の神と龍族の神がこの世界を作り給うた時に、それぞれの眷属の力を維持させるため魔素を、自らを融合させ雲鯨へと変化させることで生成し、世界へ供給するようになりました。

 お嬢は、先代の雲鯨から別れた龍族の神の生まれ変わりなんです」


 余計な色は付けず、ミィシャは淡々と語った。

 それはレニーシャの宿命に対する礼儀だと思っているから。

 コウタは説明を聞き終えるとゆっくりと、しかしバランス悪く立ち上がり、右腕を食いちぎった穴があった地点を睨み付ける。


「そんなこと、どうでもいいです」

「コウタロウさん?」

「治癒の息、ありがとうございます。ついでに、星帝丸を抜くのを手伝ってもらえると嬉しいです」


 あ、はい。と返事をして膝立ちになって鞘から星帝丸を抜くミィシャ。片腕となったコウタがこれ以上なにをするのかまったく想像出来ず、珍しく狼狽している。


「助かります」礼を言って、「カイゼリオン、来て」まだ外に出ているカイゼリオンを呼びつける。

 プリンセッサはまだ彼の鎧として一緒にいる。ひょっとしたら戻り方が分からないのかも知れないけれど、もう少し頑張ってもらわないと。

 コウタの前に来たカイゼリオンはゆっくりと片膝をついて身を屈めると、掌を上にして両手を差し出した。


「ありがと」


 カイゼリオンの右手に星帝丸を、左手に光后丸を乗せ、彼に頷きかける。直後に琥珀色の光が照射され、コウタはカイゼリオンとひとつになった。

 カイゼリオンからすれば、星帝丸も光后丸も果物ナイフ程度の大きさしかないが、握ることには不安はない。右腕は失っているが、カイゼリオンの右腕はちゃんと動かせる。

 大丈夫。やるんだ。

 刀を掲げ、生身の時と同じように願いを込める。

 刀身が淡く輝き、ひとつに、


「そんなことしなくても、会わせてやるわよ」


 コウタの目の前で無数の陶器が割れ砕けた。

 違う。空間が巨大な何かに押し上げられ、多弁の花が開くように割れ開いた。


「レニーシャ……?」


 割れ開かれた空間の奥からするりと進み出て来たのは、金色に輝く流麗な、鯨に似た生物だった。

 海面からジャンプするように金色の鯨は上昇し、立ち並ぶ木々の遙か上に静止した。


「ほんと、人族って莫迦しかいないわね。ただの素体でしかないのに知恵があるとか思ってさ」


 金色の鯨の頭部には、あの女が仁王立ちしている。


「そんな莫迦でかい魔素の固まりで空間をこじ開けようとしたら、この次元ごと世界が吹っ飛ぶって少しも想像できないとかさ、むしろ笑えるわ」

「レニーシャを返せ!」


「ほら、ひとの話を聞こうともしないし。あんたも」金色の鯨の頭部を踏みつけ、「こんなオトコに惚れる時点で同レベルだけどね」蹴りつけた。


 憤怒に全身の血が沸き立つ。


「うわあああっ!」


 星帝丸と光后丸に琥珀色の光を当てて取り込み、カイゼリオン自身が履いている刀を抜き、コウタはカイゼリオンをジャンプさせる。


「このグズ返したら、世界から魔素が無くなるって説明受けてるはずよね?」

「魔素がつきるまであと百年はある!」

「だからそれまでイチャイチャさせろって? 死んでからの世界なんか知ったことじゃないって? たかが素体風情のガキが、世界の根幹をどうこうしようとするなぁっ!」


 なにかをぶつけられた。あの女の憤怒をそのまま質量に変えたような、巨大で透明ななにかをぶつけられ、カイゼリオンはコウタが経験したことの無い速度で落下していく。


「お姉ちゃん!」


 入れ違いに黒い龍が金色の鯨へ迫っていく。ティロだ。カイゼリオンが地面に激突するのと同時に黒い龍は牙のびっしり生えた口を大きく開け、女を頭から噛み付いた。

 いや、噛み付こうとした。

 口が閉じる寸前、女は両手を大きく広げ、それを阻止した。


「育ててやった恩も忘れて!」

「あんたは拾っただけだろ! 世話をしてくれたのはあの女の人たちじゃないか!」

「拾わなきゃとっくに死んでたよねぇ?」

「お姉ちゃんの好きな人を苦しめるって知ってたら、死んでた方がマシだ!」

「そういうのは、本当に死ぬぐらい苦しんだやつだけが言っていいことよ!」


 ぐぐぐ、とティロの口がこじ開けられていく。


「甘ったれるな!」


 ついに弾かれ、大きく仰け反るティロ。


「ガキがぁっ!」


 見えない大きな固まりをティロにぶつけられ、彼も地上へと猛スピードで落下していく。


「坊!」


 めり込んだ地面から助け出したコウタたちに治癒の息を吹きかけていたミィシャが、血相を変えてティロのもとへ駆けだし、コウタはカイゼリオンへ向かった。

 プリンセッサも光后丸も無事に手元にある。

 雲鯨に会うこともできた。

 旅に出た当初の問題は全て解決している。

 でも。それじゃだめだ。

 一番大切な存在が、手元に居ない。


「カイゼリオン、もう一回、お願い」


 レニーシャと一緒に旅に出るんだ。


 この旅が終わったら、絶対に。



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