世界の危機
「あ、あの。少し、お話を聞いてもらえますか?」
闘戦場が随分小さくなった頃、そう声をかけてきたのは、フードを深く被った、コウタより少し年上の少女だった。
「えっと、どういうことです?」
立ち止まって油断無く、失礼が無い程度に少女を観察する。
フードは被っているけど、刀などの武器は腰にも背中にも見られない。コウタと同じような軽鎧も同じく。見た目の体つきは人族の少女と変わらないように見えるのに、フードを被っているのはなぜだろう。
疑問はあったが、闘戦場で試合に参加する者たちの中にはもっともっと怪しい風体の輩も大勢いるのでコウタは彼女への警戒を解いた。
「お願いします。あたしの話を聞いてください」
女の子の声色は苦しささえ感じ取れるほどに真剣だった。
せっかくごちそう、もとい家族の元へ帰ろうと足取り軽く歩いていたのに。
困ったな、と視線を巡らせると、彼女の後ろに立つ、同じくフードを被った女性に目が留まった。
奥に立つ女性のフードは、こめかみのあたりが不自然に盛り上がっている。
―龍族だ。女の人なんて珍しいな。
人の姿を取っていても、角だけは残っている。彼らにとって角は、その形や色などで個を表す重要な器官でもあるのだ。
カルボン・シティで生まれ育って十三年。コウタがこの街で見かけた龍族は全て男性だった。だから勝手に女性は人族の街に出てこないと勝手に思っていた。
じゃあこの手前の女性も龍族なのかな、と考える横から少女が説明してくれた。
「あ、彼女はミィシャ。わたしの友人です」
ミィシャと呼ばれた女性がコウタとフードの奥から視線を合わせ、軽く会釈する。慌てて会釈するコウタ。
「……?」
視線が交わった瞬間、胸の奥にざらりとした感覚が走った。
「失礼。龍の眼で見てしまいました」
龍族は身体能力も五感も人族よりも数段優れている。そこからさらに研鑽を積んで五感を強化する者も多い、と祖父から聞いている。
「その、コウタロウさん。記憶に違和感はありませんか?」
そういうことまで分かるんだ、と感心半分にコウタは素直に答えた。
「はい。さっき黒いガウディウムと戦った時の記憶が、少し曖昧です。興奮して我を忘れてたので」
「それだけですか?」
「えっと、たぶん。ぱっと思いつくのはそれぐらいです」
「憶蝕症の可能性があります。ご注意ください」
憶蝕症とは近年流行している、文字通り記憶を奪われる病。発症するとある日突然、記憶の一部が抜け落ちているだけだが、原因も発症した状況もそれぞれでまるで違うので誰も対応ができないでいる。
「はい。ありがとうございます」
「いえ。勝手に覗き見をしてしまい、申し訳ありません」
ああやって素直に謝罪が出来るひとを友人と呼べるのなら、少しは心を許してもいいと思えた。
「話を聞くぐらいなら、いいよ」
「ありがとうございます!」
ばっ、と大きく頭を下げ、上げた反動でフードが外れる。流れるような金髪と、透き通った肌が露わになり、きらきらと陽光を反射して輝いた。
「わたし、レニーシャ! レニーシャ・グリューゼンって言います!」
満面の笑顔で名乗られて、コウタの鼓動が早くなる。
思わず逸らしてしまった視線の隅で、レニーシャの首元に、細く光る鎖が見えた。きっとペンダントかなにかだろう。
「ぼ、ぼ、ぼくは、コウタ。コウタロウ・フォーゼンレイム。よろしく」
「はいっ!」
胸の奥底から湧いて出てくる、嬉し恥ずかしいこの感情。
十三年生きてきて、初めての感情だった。
*
「助けて欲しいんです」
レニーシャがそう切り出したのは、闘戦場近くにある喫茶店。
闘戦場へ向かう際にいつも見かけている店だが、コウタは初めて入る。中はテーブル席がふたつ、カウンター席が五つ。テラス席は無い。外から見た通り小さな店だ。
時間帯のせいか、黒いガウディウムの騒ぎがあったからか、客はコウタたち以外にはおらず、店員もコウタには気付いたが無闇にサインを求めたりはしてこなかった。
ごちそうが待っているから、とは口にしなかったコウタはコーヒーを、龍族であるレニーシャたちは珈琲豆が体質上合わないため、緑茶を注文した。
「助けて、って言われても……。ぼくより強いひとならもっと沢山いますよ?」
あんな深刻な表情で誘われて、こんな内容か、とコウタはやや不満そうだ。
それに気付いていないのか、レニーシャは真剣な表情で答える。
「おそらく、長い旅になると思います。人族の方々は、わたしたち龍族に対して良く思っていない方も多いです。そのような方々と旅をすればどうなるか……」
「そんなこと、ないと思います。カルボン・シティは龍族のひとたちとも仲がいいですし、ぼくより強い女性剣士だってたくさんいます」
突き放すように言われ、レニーシャの顔が青ざめる。
「そんな」
こんなにショックを受けるとは思わなかったが、コウタは続ける。
「ぼくだって、純粋な龍族のひとときちんとお話するのは今日が初めてです。ええっと、レニーシャ……さんがどんなひとかもまだ分かっていないのに、長い旅になりますとか言われても、困ります」
ず、とコーヒーをひと口。めちゃくちゃ苦い。かっこつけてミルクも砂糖も入れなかったのは絶対に失敗だった。がまんして無理矢理飲み込む。
「世界の、危機なんです」
胃から上ってくる苦み走った息に内心辟易していたところへ、耳慣れない言葉が飛び込んできてコウタは驚いたように聞き返してしまう。
「え?」
「魔素が減ってるんです。ゆっくりと。このままいけば、百年後には魔素が尽き果ててしまいます」
ぎゅっ、とみぞおちの辺りの服を掴むレニーシャ。
「ひゃ、ひゃくねんご……ってぼくはそのころ死んでます」
「ですけど!」
なぜレニーシャがここまで自分にこだわるのか、さっぱり分からない。
魔素が減った、などという話だってそうだ。自分が見てきたものが世界の全て、などとコウタは思わないが、そんな深刻な話はいままで一度も聞いたことが無い。
先ほどの鼓動の高鳴りなどどこへやら。一気にこのふたり組が怪しく見え始めた。
「魔素が無くなっても、ガウディウムとかの機械が動かなくなるだけで人族の命には影響ありません。いま初めて会ったひとと長い旅をするなんてとてもできません。ごめんなさい。他のひとを、」
「お願いです!」
ミィシャもレニーシャも、とても悪人には見えない。一瞬でも怪しく思ったことを心の内で恥じながらも、コウタの気持ちは変わらなかった。
「ぼくだって力にはなりたいです。でも、ぼくはまだコドモだし、剣の腕だって未熟です。世界の危機を救うだけの力なんて、ありません」
「……っ」
悔しそうに苦しそうにうつむくレニーシャ。
代わりにミィシャが口を開く。
「では、コウタロウさん。ベラート・フォーゼンレイムという方をご存じですか? このカルボン・シティにお住まいだと聞いていますが」
「ベラートは、ぼくの祖父ですけど、……龍族のひとたちに佳い印象は無いと思いますよ」
「大丈夫です。わたくしたちも、いつまでも禍根を引きずってはいません」
わかりました、と頷き、コウタは祖父と伯母が待つ自宅へとふたりを案内することにした。