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霧の中で

「……なん、で?」


 肩で息をしながら、コウタは借りためがねをずらして色を取り戻した世界を見回す。

 眼前に広がるのは、どこにでもあるような森の風景だった。

 不思議だったが、誰も答えなど分からないだろうと考えるのを止め、コウタの少し前で倒れているティロの様子をさぐる。手応えは十分にあった。光る糸も残らず切れたと思う。

 まだ向かってくるのならば、今度は。


「ティロ坊!」


 ミィシャが駆け出し、うつぶせに落下したティロを仰向けにして膝枕をする。やさしく治癒の息を吹きかけてやるとゆっくりと目を開け、寂しそうに言う。


「お姉ちゃんは……?」


 できるだけ穏やかにミィシャは返す。


「いまは、ここにいません。ですが、すぐに会えます。坊がすこし眠っている間に、戻って来ますよ」

「ほんと……?」

「ええ。本当です」

「わかった……。すごく、つかれたから、ねるね……」


 はい、と返事を待ってティロはまぶたを閉じ、安らかな寝息を立て始めた。


「コウタロウさん。坊はわたしが見ます。お嬢をお願いします」

「はい。頼みます」


 助けはしたが、ティロにはいい印象の無いコウタはミィシャに甘えることにして、一度お辞儀だけを返してレニーシャを探す。すぐに視線を切ったので、ミィシャからぬるりと影が抜け出したことには気付いていない。

 霧が晴れたのだから彼女たちの姿も見えるはず、と消える直前まで居た場所に視線をやっても、そこにはただ木々が立ち並ぶばかりで人影など見えなかった。


「レニーシャ!」


 コウタは大声でレニーシャを呼ぶ。ティロが起き出したとしても知ったことではない。

 決着がついた直後、あの女によってどこかへ連れ出された―それは分かるが、ここはただの森。木々はさして深くは無いが、決着がついてからさほど時間は経過していないのでまだ視覚情報だけでだけで探せるはず。

 修行の一環としてベラートによく近所の森に放り出されていたので、少しではあるが森を読むことはコウタにも出来る。

 にも関わらず、レニーシャたちの姿が見えない。不安が心を支配し始める。


「彼女たちはいま、亜空間にいるよ」

「ぅわぁあああっ!」


 いきなり背後から声を掛けられ、コウタは情けない悲鳴をあげてしまう。

 恐る恐る振り返ると、ヌェバが微笑みながらコウタを見つめていた。


「ぬ、ヌェバさん? いままでどこにいたんですか!」


 その主がヌェバだと分かっても、まだ心臓はばくばく高鳴っている。こんな時に驚かさないでほしい。


「なに、ミィシャさんの目を努めていただけだよ」


 ヌェバがなにを言っているのか、まるっきり分からない。

 興味はあるが、いまはレニーシャだ。


「いい目だ。でもぼくはキミの目になることは出来ないから、場所だけ教えよう」


 す、とコウタの両肩に手を置いて彼のからだをくるりと半回転させる。先ほどまでコウタが見つめていた空間に視線を向けさせると、肩に右ヒジを乗せて人差し指である一点を指す。


「この先だよ。いまのキミなら見えるかも知れない。ティロくんに絡みつく光る糸を切り払ったように、刀に祈りと願いを込めて振り下ろすといい」


 胡散臭いひとだが、決して不誠実なひとではないと思う。


「わかりました」


 静かに右腕をどかしてコウタの耳元に口を寄せるヌェバ。驚きはしたが、コウタは受け入れる。


「この先、世界がどうなるかはキミしだいだ。だけど、決して挫けてはいけないよ」

「はい。ありがとうございます」


 ちゃき、と柄を握り直し、ヌェバが指さした方向を見据える。


「コウタロウさんっ」


 ミィシャがティロに膝枕をしたまま呼びかけてきた。視線をやると、右手の掌を口元に当て、ふうううっ、と治癒の息を吹きかけてくれた。

 ありがたい。傷はほとんど無いが、実のところ体力は尽きかけていた。この先どんな妨害があろうと、これで対処できる。


「御武運を」


 ぺこりとお辞儀をしてコウタは刀を頭上に掲げる。

 願いを込め、刀身を輝かせる。星帝丸だけだった輝きは、共鳴するように光后丸も発光し、やがて二刀の輝きはひとつにまとまり、重さを感じない、ひと振りの長大な刀へと変貌した。


「レニーシャあああっ!」


 一気に振り下ろす。

 加速した切っ先がコウタの正面のある一点に触れると、陶器を割り砕いたような澄んだ高音が鳴り響き、ひと一人が通れるほどの穴がぽっかりと開いていた。

 穴の向こうは薄紫色の空間が広がっている。


「さ、これをもって急ぐといい。開いている時間はそう長くないからね」


 差し出したのは鞘。


「光后丸のですか? いつの間に」

「ミィシャさんから抜け出る時に、ティロ君から失敬したのさ。気が利くだろう?」

「自分で言わないでください」


 苦笑半分呆れ半分で受け取り、器用にふた振りとも鞘にしまう。左腰に両方差すのはバランスが悪いと感じて光后丸を右腰に差した。


「行ってきます」

「気をつけて。きみが新たな分水嶺にならんことを」


 やっぱりよく分からないひとだ。

 コウタはヌェバをそう結論づけて穴へ歩き出す。

 いま行くから、待ってて。

 足取りに、迷いは無かった。


     *


「レニーシャ、いるなら返事して」


 コウタが開けた穴の中。薄紫色の空間は、不気味なほど静まりかえっていた。

 見えない山を登っている間は、それでも風の音などは感じていたが、この空間は違う。

 単に静かなだけではない。

 奥に進むにつれ、意識がどんどん散大していく感覚が大きくなっていくのだ。

 呼吸を含めた一挙手一投足をしっかりと念じるように行わなければ、からだごと空間に呑み込まれてしまいそうになる。

 レニーシャは無事だろうか。

 きっと大丈夫だ。

 龍としての力は無いが、レニーシャの心は強い。

 そんなに食べられないくせに、コウタやミィシャと同じ量を食べてすぐに目を回して倒れ、何日か寝込んだこともあった。

 一緒に食料の買い出しに出た時、ミィシャが人族の酔っぱらいに絡まれ困っていると即座に憤慨し、男の金的を蹴り上げ、ミィシャと男を並べて正座させてこんこんと説教していたこともあった。

 だから大丈夫。

 しっかりとお腹に意志と力を込めてコウタは歩き出す。

 距離感も方向感覚もさっぱり分からないこの空間だが、振り返れば入ってきた穴は見える。大丈夫。

 前方に人影が見えた。


「レニー……シャ?」


 違った。

 ヌェバが元の賢者だと言ったあの女でもない。後ろ姿だけが似ている、ただの女性。それもひとりじゃない。大人も子どもも含めた五人の女性がふらふらと、衣服も身につけずにさまよっている。ふと見た表情はうつろで、まるで生気を感じない。

 彼女たちの瞳に宿る光はどこか、憶蝕症にかかって戦った時の姉と似ている。だとすればこの女性たちも記憶を奪われたのだろうか。


「なんで、こんなところに……」


 考えたり助けようとするのは違うことだとすぐに悟り、レニーシャを探す。


「レニーシャ!」


 コウタの呼び声に裸の女性たちが振り返るが無視する。女性たちもすぐに興味を失ったのか、またふらふらとさまよい始めた。

 同情はあとだ。

 割り切って進むと、どこからか声が聞こえる。


「コウタ」


 レニーシャの声だ。

 声のする方向へ、気がつけば走り出していた。


「レニーシャ!」


 よかった。無事だ。ちゃんと服も着ている。瞳の光も大丈夫。

 間違いなくレニーシャだ。


「来てくれて、ありがと」


 うん、と笑いかけてコウタはレニーシャの腕を取る。


「ここから出るよ。レニーシャ」


 二の腕を優しく捕まれてもレニーシャは辛そうに首を振る。


「なんでさ。あの子は助けたよ。今度はレニーシャの番」

「あのね、コウタ。ずっとずっと言わなきゃいけないことがあったの」

「え? いまゆっくり話してる時間なんて無いよ」


 この場には居ないが、あの女がいつ現れて妨害してくるか分からない。こんな場所で戦うことになれば、全力を出せる自信は無い。


「いましかないの。お願い。聞いて」


 でも、と口にしかけて止めた。


「そんなに大事なことなの?」


 うん、と苦しそうに頷いて、胸元にあるペンダントを服の上からぎゅっと握りしめて。レニーシャは声を震わせながら語り始めた。


「今日まで、あたしのわがままに付き合ってくれてありがとう。最初に会った時からずっと、あたしはコウタのことが好きです」

「え、ちょっと、いま、でなきゃ、だめなの?!」


 顔が真っ赤だ。そんなコウタをかわいいとレニーシャは思いながら言葉を続けた。


「いままで本当にありがとう。旅はここで終わり。旅の記憶がある限りあたしはずっとずっと幸せに生きていけます」

「はーいそこまで」


 完全に不意打ちだった。

 問いかけるでもない。

 あの女だ。


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