光帝! キングカイゼリオン
レニーシャが消えた。
恐らくあれが「魔素の霧にまかれて消える」という状況なのだろう。そしてヌェバのメガネを持ってしても見えないほどの深淵へ消えたのだと。
『だあああっ!』
心配だが、気配のようなものは感じられるし、いまティロから意識を逸らせばレニーシャはもっと悲しむ。
割り切ってコウタはティロへ集中する。
背中の傷はミィシャが治療してくれた。あと数秒対応が遅れていたら、とぞっとする。
ヌェバのメガネは自分が使っているのに、と思ったが、彼女ならそれぐらいやって見せるとすぐに思い直し、ティロに集中する。
『だああっ!』
ティロの技量だけを測れば、自分よりも数段上。けれど技術にからだが追いついておらず、挙動はぎこちなさがある。
姉のジェーナが、自身が使えない剛剣の技をコウタの記憶を据え付けられることで使ったように、ティロもまた別の誰かの記憶を使って剣を振るい、プリンセッサを操っているのだろう。
許せない。
剣術はただひたすらな修練によってのみ体得していいものだ。
そうでなければ、命をかけて戦う相手に無礼だ。
そんなことをしているティロも、そんなことをさせている元の賢者も。
『お姉ちゃんを、返せ!』
『おまえがいま持っているのは、全部ぼくとぼくの家のものだ! おまえこそ、返せ!』
プリンセッサが放つ無数の突きをかいくぐり、コウタはカイゼリオンを懐に潜らせる。
太刀筋だけが一人前の子ども、というティロへの評価は変わっていない。
それに防御面も脆い。
二手、三手程度なら読まれ、防がれるが、それ以上となると途端に崩れる。
『柔剣、妖狼斬』
懐に深く潜り込み、しなやかな乱撃を繰り出す。
『があああああっ!』
コウタ自身、からだが命ずるままに振るっている太刀筋を経験の浅いティロが防げるはずもなく、三十は放った乱撃の大半が命中、プリンセッサはきりもみ状に吹っ飛び、地面を無様に転がった。
「あーもう。ほんっと役に立たないわね」
どこからか、あの女の声が一帯に響き、かつてレニーシャたちが居た地点を重点的に視線を走らせる。しかし、やはり姿は見えない。
いや、なにか飛び出てきた。
鱗だ。ミィシャのものと違い、黒く、数も一枚だけ。
飛び出てきた鱗は未だ立ち上がれないでいるプリンセッサの上でぴたりと止まり、するりと吸い込まれていった。
なんで、と口にしかけたコウタの耳を、低く太い絶叫が貫く。
『お……ねえちゃんを……、かえせぇええええええええっ!』
絶叫は、森を見えない山を駆け巡り覆い尽くし、やがて地響きへと変わった。
悪寒が走る。
「コウタロウさん!」
ミィシャが叫ぶ。
以前彼女と戦った時の記憶が過ぎる。
変化(へんげ)する気だ。
地響きのような咆吼をあげるティロとは逆に、プリンセッサは苦しそうに身を捩り、身悶え、
そして、その全身から漆黒の霧を吹き出した。
霧は周囲一帯を埋め尽くし、ヌェバのメガネを通しても視界が完全に奪われてしまう。
『なにやってんだ! おまえええっ!』
あれは、プリンセッサは祖父が造り、姉に与えたもの。
姉には悪い記憶の方が多いだろうが、それでも他人がどうこうして良いものじゃない。効かない視界なんか知ったことか。抜刀し、突進する。
まるで泥のような粘性のある漆黒の霧をかき分け、あと半歩まで距離を詰めた直後、爆発が起こった。
『くっ!』
悔しそうに両腕を顔の前にやって霧の直撃を防ぐ。霧の噴出はその数秒後に収まり、プリンセッサが倒れていた場所には、なにも残されてはいなかった。
上。
誰に言われるでもなくコウタは上空を睨み付ける。
そこには、夜の闇を筆ですくい取り、青空に走らせたような一条の漆黒があった。
いや、筆で引いた線にしては歪すぎる。
そこに居る漆黒の龍は、鎧を纏っていた。
兜を、胸当てを、佩楯を、具足を。かつて姉が身につけていた鎧。それはプリンセッサに受け継がれ、いま、龍と共にある。
姉がそうであったように、闇色の殺意をまき散らしながら。
「ティロ坊……」
ミィシャが苦しそうにつぶやく。これをどこかで見ているはずのきっとレニーシャも同じように、いやもっと哀しい思いをしていると感じる。
だから。
自分の目の前にある星帝丸の束。そこに結ばれたレニーシャの髪ごと束を強く握りしめ、決然と天を見上げる。
『カイゼリオン!』
ぐっ、と両足に力を込め、上空の黒龍へと跳ぶ。カイゼリオンの両脚から放出された白い霧は、コウタの強い気持ちに反応して出力へと変換された魔素が、その役目を終えて排出されたもの。
黒龍もこちらに気づき、人とも龍ともつかない咆哮をあげる。次いで息を吸い込む。ミィシャは氷の息だった。こいつはなんだ、と少しばかりの期待も込めて観察する。来た。雷!
空間を叩き壊すような轟音と共に幾筋もの雷が黒龍の口から放たれ、カイゼリオンを覆い尽くした。
恐怖は、それほど感じなかった。
『だあっ!』
再度白い気体を吹き出すカイゼリオン。その両脚は一見何も無い空間を蹴り、加速。雷は放出され続ける白い気体によって進路を阻害されている。
ひどく静かだった。音も、心も。
間合いに入る。デカいがミィシャほどじゃない。
一度、深呼吸。
『柔剣、鷲流斬』
猛禽の羽ばたきに似た、優雅で大胆な太刀筋が閃く。
次いで、黒龍の苦悶に満ちた咆哮。ぐらりと巨体が傾ぐ。雷を吐いていた口から、ぽろりとなにかがこぼれ落ちる。
刀だ。
「光后丸」
誰かがつぶやき、コウタはカイゼリオンを光后丸の落下軌道に向かわせる。黒龍は自分が何を吐き出したのかを気付かぬまま、再度雷の息の為に大きく吸い込む。両手で優しく光后丸を受け止めるカイゼリオン。中空で静止したまま、コウタもカイゼリオンの手の平に降り立ち、光后丸を手に取る。
「プリンセッサ! おまえの帰る家はこっちだ! 戻ってこい!」
びくん、と黒龍の全身が大きく震える。応えてくれた。けれどまだ黒龍への心残りがあるのか、ぶるぶると震えるだけで離れようとはしない。
ならば、と片手で星帝丸も抜き、二振りを交差させて掲げて叫ぶ。
「帰って来い!」
このとき、コウタが星帝丸に結んであるレニーシャの髪を触っていたことは消して偶然ではない。コウタの強い思いは充満する魔素に増幅され、黒龍とその鎧に絡みつき、禁断の契約を振り解いた。
ばくん、と黒龍が纏っていた鎧は一斉に剥がれ、本来の主であるコウタと光后丸の元へばらばらのまま集まる。
「おかえりなさい。しばらく、力を貸して」
コウタはばらばらの鎧に頼み、カイゼリオンの中へ戻る。ばらばらの鎧はプリンセッサの姿を形作ることをせず、彼女自身の意思をもってカイゼリオンへと装着された。
『光もって闇を守る! 光帝、キングカイゼリオン!』
なんと、荘厳な姿だろうか。
まばゆき光と深淵の闇。相反するふたつが鮮やかに同居し、見る者の心に勇気と安寧をもたらす。
設計したベラートたちさえ想定していなかった姿を、しかしコウタは変わらず手足のように扱い、上空の黒龍へと向かう。
再度咆哮する黒龍。
お姉ちゃんをかえせ、と言っているのが分かる。哀れだと思う。もうそれしかティロには残されていない。
プリンセッサの助けも借りているいまなら、レニーシャの願いを叶えられる。
加速し、黒龍の上を取る。黒龍はこちらの動きをまるで捉えていない。
『これで終わりだ!』
その背中へありったけの力を込めて一刀を振り下ろす。剛剣の型にすらなっていない、ただの力任せの剣。あるいは黒龍を両断するかに見えた一撃はしかし、その傷口からの出血もわずかに終わった。
ただ黒龍を縛っていた光る糸が目に見えて減少し、攻撃を受けた箇所から徐々に人の姿へ変化し始めている。
ならばもうカイゼリオンほどの力は必要ない。そう判断したコウタはカイゼリオンから飛び出し、完全に人の姿に変化し終えたティロの全身に纏わり付き、苦しめる光の糸を絶てば全てが終わる。
カイゼリオンの手の平からジャンプ。落下しながら意識を取り戻したティロ。だがまだ瞳はうつろだ。無抵抗の敵を切ることに躊躇をもってはいけない。自分でもよく分からないまま握りしめていた星帝丸と光后丸の二刀を振り下ろす寸前、ティロはレニーシャたちが居た場所に視線を向け、手を伸ばそうとしていた。
「だあああああっ!」
剣士として、レニーシャの友人として、コウタは振り下ろす。
衝撃波さえ生み出した斬撃はティロに絡みつく光の糸を全て切り払い、
そして、霧が晴れた。