レニーシャに似た女
「ボクたち魔族は、記憶を共有できるんだ。詳しい原理を説明しても、肉体の器を持つキミ達には完全に理解できないから省くけど」
す、と視線をレニーシャに移し、
「数日前、レニーシャさんはひとりで魔族と会っていた。本当なら三人で会うつもりだったんだけど、コウタロウ君たちは大げんかをしていて叶わなかった。そうだね?」
「はい。ごめん、ふたりとも、黙ってて」
「いいけど、なんのために会ってたの?」
「んっと、時元の賢者とか、雲鯨のこととか調べてるひとだったから、そのこと」
次元の賢者、と言われてコウタは最初なんのことか分からなかったが、バウドに助けられた時に彼から教えれた存在だとややあって思い出せた。
「せめてその日に教えて欲しかったな。疲れてても、話を聞くことは出来るんだし」
「ごめん。でも、いままで集めてた情報と変わらないことだったから、ふたりに負担かけたくなかったから」
「そっか。ありがと」
ヌェバに向き直り、できるだけ明るくコウタは言う。
「だからぼくたちのことも知ってるんですね」
その通り、と人差し指を立てて微笑む。やっぱり怪しい。
「あなたのことはまだ信用出来ませんが、あなたの案内が無ければ見えない山へ入ることはできないのでしょう?」
「鋭いね、コウタロウくん。実を言えば、ここから先の道は危険でね。龍族の目をもってしても、入り口までたどり着くのは困難なのさ」
「そうは視えませんが」
ふふ、とコウタの怪訝な目つきを受け流すヌェバ。
「この霧の成分の大半は魔素だ。機関に組み込んでエネルギーを抽出する際に出るアレとほぼ同じもの。組成比率は多少違うけどね。まあ、血液と母乳が同じ成分で出来ているのと同じ、と考えてくれていい。
そして純粋な魔素は長期間外気や、生き物の意識に触れ続けると透過してしまう不思議な習性があってね。ボクもそこに興味を引かれたんだけど」
そんなの初めて聞いた、とコウタの顔にくっきりと浮かぶ。それがおかしくてヌェバはくすりと笑う。
「ここから先の道はデコボコしていてとても歩きづらい。一度転んで繋いだ手を離せばその相手は魔素の霧にまかれて意識の外に押し出されてしまう。ここはそう言う場所だからね。それでもいいのかい?」
考えあぐねていると、コウタ、とレニーシャが裾を引っ張ってきた。
「コウタが決めて」
見たことが無いくらいの酷い渋面を浮かべているのが少々気になったが、返事は決まっている。
「あ、うん。ヌェバさん、案内をお願いします」
軽やかに微笑み、優雅にお辞儀するヌェバ。
「喜んで承ろう」
*
ヌェバの案内によりたどり着いたそこは、男性が二人ほど玄関口に立つ小さな小屋だった。男性はふたりともめがねを掛けているが、どうにも似合っていないようにコウタは感じた。
ここは少し霧が薄く、小屋の全貌も、男性ふたりの背格好もはっきり見える。ふたりとも視線を三人に向け、すぐににこりと微笑んだ。
「少し待っていてくれたまえ」
そう言ってヌェバは男性たちの所へ歩み寄り、少し言葉を交わす。戻ってきた時に少し肩を落としている理由はコウタでも察しが付いた。
「ダメなんですか?」
「いや、半日前にひとり、少年が山に入ったそうだ」
「そ、それがなにか?」
「いいのかい? 山に入ったのはきみたちを追っている、かの少年だよ?」
何を言われたのか分からなかった。
「ティロが居るんですか?!」
コウタの顔のすぐ横に顔を出してレニーシャが叫ぶ。
「お嬢、落ち着いて。ヌェバ殿、その少年の容姿を伝えてください」
分かった、と話した少年の容姿は、ティロのものと同じだった。
「よく来ているよ。礼儀正しくてとても良い子だ。正直、きみたちを襲うような性根を持ち合わせているとは信じられないんだけど」
「それは……きっと、憶蝕症が原因だと思います」
「記憶か。やっかいなものだね」
言って空を仰ぐ。
「こんなかけがえのない不要なモノ、いっそなくなってしまえばいいのに」
「それは極端だと思います。それより、案内をお願いします」
「言っておくが、見えない山の中で戦おうとするんじゃないよ。ここまでボクが案内するときに言った言葉をちゃんと思い出せば、理由はわかるだろう?」
「はい」
コウタの返事は、レニーシャにも嬉しいものだった。
*
見えない山は本当になにも見えない山だった。
麓のような霧に包まれているわけでもないのに、無色透明で無味無臭な空間が無限に広がっている。ただ、登っている感覚はからだにかかる重力などで分かるから、それだけは安心できた。
四人は腰ひもで繋がれている。
先頭はヌェバ。次いでコウタ、レニーシャ、ミィシャの順番だ。
コウタの後ろにつくことにレニーシャは当初すごく恥ずかしがったが、ヌェバの後ろも一番後ろもイヤだったので渋々この順番になった。
「ねえコウタ」
「なに?」
「居るならいい」
「ぼくのこと、見えない?」
「見える。ちゃんと見える。いま自分の右耳かいたでしょ」
「よかった。きついならペース落とすよ」
「だいじょうぶ。足手まとい扱いしないで」
そんなやりとりを聞きながら、ヌェバは歩きながら共有記憶へ潜っていた。
―そういうことか。どうりで、ね
その表情は後ろのコウタたちからは当然見えず、ヌェバも自身がどういう感情を面に出していたのかは掴めていなかった。
「ヌェバさん。ここって動物とか植物はいないの?」
「いるよ。植物も虫も豊富。でも獣はいない。ここは感覚が利かないからね」
「でも虫だって感覚は」
「彼らは世代交代が早い。感覚の利かない環境に適応するのに、獣たちほどの時間はかからなかったのさ」
「だったら植物は、世代交代が遅いから生き残れたってことですか?」
「いいや。虫と風があれば彼らは命を繋げられる。森が成長するには最低限虫たちが残っていればさほど問題は無いのさ」
なにか引っかかるような答えだったが、うまく言葉にできなかったので飲み込んでおくことにした。
「だからいきなり肉食の獣に襲われたりはしないから、安心したまえ」
「はい」
「ああ失礼。獣の襲来はなくても、彼女たちには見つかってしまったようだ」
彼女、と言われても三人には心当たりが無い。ヌェバの言い方から察してもきっと悪意を持つ存在なのは分かったけれど。
「やっと来たのね。ほんと、グズなのは変わらないわね」
レニーシャだと思った。
違う。レニーシャは自分のすぐ後ろに腰ひもで繋がれている。
だったらこの女は誰だ。
腕を組み、居丈高にあごを前に出し、挑発的な視線でレニーシャを睨み付けている。
唐突に現れた女にレニーシャは怯えたように身を硬くし、しかし女から視線は外さなかった。
「なにその顔。あたしこそあんたに言いたいこと、山ほどあるんだけど」
その顔、と言われてコウタは思い出した。姉を助け出した際に幻視した女のことを。そしていま目の前にいるこの女とそっくりなことも。
「あ、あたしは。あなたに会いに来ました」
「知ってるわよ。ずっと見てたし、嫌がらせもしてきたし」
嫌がらせ?
「あんたに顔見せるのは、これで二回目だっけ」
急に女がこっちを睨み付けてきた。
「そこのグズがオトコ作ったらしいからさ、どんなのか確かめようって思って。そしたら剣術バカのシスコンじゃん? こんなのどこがいいのさ。昔はあんなにあたしにベタ惚れしてたくせにさ?」
何を言っているのか分からない。
「ああ、分かる必要なんて無いから。あんたはここで死ぬし、そのグズはこの世界から居なくなるんだから」
え、とレニーシャを振り返る。
視線が交わってレニーシャは何も言わず、しばし見つめ合った後、唇を結び、コウタから視線をはずしてしまった。
「なんで」
この女もそうだが、レニーシャの態度も真意が分からない。
「レニーシャ答えて。この女の人は知り合いなの? なんで何も言わないの? 世界から居なくなるってどういうことなのさ!」
思わず怒鳴ってしまった。
それでもレニーシャは唇を強く結んだまま。お嬢、とミィシャが肩に手を乗せても、何も言ってくれなかった。