レニーシャの選択
ミィシャの傷は彼女の治癒の息でゆっくりと治っている。
コウタは膝枕をしたまま、ミィシャと感想戦を行っていた。
「純星流候式、柔の型「朧霧斬」。この身でしかと確かめました」
「あれが、柔剣なんですか?」
「はい。純星流は剛の型と柔の型ふたつを修めて初めて基礎が出来たと言えます。コウタロウさんもこれで一人前です」
「嬉しいですけど、ぼくはまだダメです。さっきのだって無我夢中でしたから」
「無我夢中で繰り出せる技は二種類しかありません。でたらめな技と、積み重ねた基礎が昇華された技。朧霧斬は後者です」
「……ありがとうございます」
はい、と微笑む姿に、コウタの胸が高鳴る。それを気取られたくなくてコウタは別の質問を口にした。
「あ、あの、なんで純星流の型のことまで知ってるんです?」
「コウタロウさんがカイゼリオンに慣れている横で、わたしはベラートさまから手ほどきを受けていました」
「あの数日で? すごい……」
「いえ、型と知識だけです。実際につかうことはとてもできません」
少し安心した。
「じゃあ、やっぱりいまのって稽古だったんですよね」
「いいえ違います。結果としてコウタロウさんが開眼なさっただけで、わたしは日頃の不満をみっともなくぶつけただけに過ぎません」
そうか。そういうことにしてこう。
ほっとしたつかの間、ミィシャが激しく咳き込む。
慌てるコウタにミィシャは微笑みかけ、
「喧嘩を売ったのはわたしです。けど、その。……もう一度、手を、握っていてもらえると、心が休まります」
苦笑しながら手を握るコウタ。
「もう、なんでこんなことするんですか」
「わたしも武人のはしくれ。強くなろうとしているコウタロウさんを目の前に、自分の腕を試したくなったんです」
「もう。そんなことしなくても、ミィシャさんはぼくよりずっと強いですよ」
「わたしの強さは龍族の力があってこそです。単純な剣技だけで量れば、いまのわたしでも苦戦すると思います」
それでも負けるとは口にしないあたり、彼女も相当負けず嫌いなのだとコウタは苦笑した。
「でもなんで、ここまでしてくれるんですか? ミィシャさんがいればレニーシャは守れるって分かってるのに」
「コウタロウさんは、とてもかわいらしいですから」
「か、かわいい、ですか?」
「怒らないでください。わたしからすれば、お嬢もコウタロウさんもまだまだ幼いのです。ああ、剣術はきちんとしていますよ。ただ振る舞いや、物言いなどがとても青く瑞々しいので微笑ましいんです」
それに、とひと呼吸置いて、表情を引き締め、コウタの目をまっすぐ見つめてミィシャは言った。
「お嬢はコウタロウさんを選んだんです」
真意が汲み取れず、え、と問いかけようとしたが、ミィシャの驚きに満ちた表情に全てかき消されてしまった。
がばっ、と立ち上がり、コウタに会釈しながら星明かりの中を進む。
「お嬢、来てはいけないと、」
深刻そうなミィシャに、レニーシャはつれなく返した。
「ごめん。でも終わったでしょ」
「……はい」
渋々頷き、上げた視線に映るレニーシャに異変を感じ、ミィシャはやんわりと訊いた。
「顔色が優れませんが、どうかなさいましたか?」
隣でコウタも心配そうに頷いている。
「う、ううん。なんでもない。ただちょっと、気持ちの整理が付かなくって」
「辛かったりしたらすぐに言ってね。ぼくは男で人族だけど、女の人の話を聞くのは慣れてるからさ」
「……なんでそんなこと言うのよ」
「だ、だって」
「うん。分かってる。コウタが底抜けに優しいってこと。だから、約束して」
「なに、を?」
コウタが促してもレニーシャはなにも言わず、ただじっとコウタを見つめる。
「だ、だから、なに?」
ぎゅっ、と抱きしめ、耳元でささやく。
「お願い。最期まで一緒にいるって約束して」
「え、う、うん。旅の最後まで一緒にいるよ。約束する」
「ありがと。わがまま言ってごめん。…………」
最後は音量が小さくてコウタにはよく聞こえなかった。
それを問い質したかったが、言い終えたレニーシャはすぐにからだを離してミィシャの右隣に寄り添った。
「さ、帰りましょうか。お嬢の体調が崩れてしまうまえに」
うん、とレニーシャが頷き、コウタも返事しようとした瞬間、
背後に殺気を感じた。
「っ?!」
気の弱い者ならばそれだけで絶命しかねないほどに強力で強烈な、殺気を。
「どうかしましたか?」
振り返ったミィシャは穏やかな表情。
「すごい汗だよ。いまごろ疲れが出てきたの?」
ふたりは殺気を感じていない。なら、心配させるのは止めた方がいい。
「あ、う、うん。そうかも。はやく帰ろっか」
適当に誤魔化してコウタは駆け出し、ふたりのすぐ後ろに付けた。
殺気はもう感じない。
襲ってこないならそれでいい。
いまは宿に帰ってゆっくり休もう。
戦い終えた自分にはそれしかできないのだから。
*
ミィシャとカイゼリオンの完治を待って三人は街を出た。
コウタは稽古を続けながら、レニーシャは魔族からこっそりと情報を集めながら旅は続いた。
柔剣を会得し始めたコウタの成長は目覚ましく、ミィシャを相手にした打ち込み稽古も、街で開かれている大会でも勝率をぐんと上げている。
一度ミィシャに叩きのめされているコウタはこのことに喜びはしたが、増長することなくさらなる稽古を重ねた。
日に日に強くなっていく実感とともに旅は進み、ついに目的地、見えない山へとたどり着いた。
「んーと、この辺りのはずなんだけど……」
星帝丸の光が指し示した場所の終着地点は、深い霧の立ちこめる草原だった。
「なにも見えないわね。ミィシャ、何か見える?」
「はい。右前方に小屋と、数人の人影が見えます。行きますか?」
「他に無さそうだし、ね」
「では私が先頭を歩きます。二人とも、私の裾を掴んで離さないで下さい」
「はい。お願いします」
「うん」
そのまま三人で歩く。
「おっと、ここから先は危険だよ」
ふらりと三人の前に現れたのは、太い黒縁のメガネをかけた青年だった。
「何者です」
「魔族だよ。見ての通りの。名は……そうだな、ヌェバ、としておこうか」
身に纏う燕尾服を一分の隙も無く着こなし、しなやかで優雅な挙動で深く深くお辞儀をする。背中でコウモリのそれに似た羽根がぱたぱたと動く。緩やかに上げた顔には黒縁のメガネがきらりと輝いている。
怪しい。
コウタに魔族の知り合いはいないが、ベラートの話を聞く限り彼らは気さくで人懐っこく、また研究熱心。悪人も悪党もいない。
コウタ自身、闘戦場では飽きるほど怪しい連中は見てきた。
なのに、この燕尾服の男の怪しさはなんだ。
敵意や悪意、殺意などは全く感じないのに、こちらを包み込むような、丸め込もうとするような視線で見てくる。
魔族とはこういう存在なのだろうか。
「おっと。そんなに怪しまないでくれたまえよ。ボクは見えない山を研究しているただの魔族。近付いてくるきみたちが見えたから案内しようと思ってね」
「それは失礼しました。ヌェバ殿」
「殿、は止めてくれよ。ミィシャさん」
「え」
驚きつつ気づかれないよう柄に手を伸ばすミィシャ。
ミィシャの挙動に気付いているのか、ふふ、と薄く笑ってヌェバは続ける。
「きみだけじゃない。後ろの少年剣士はコウタロウくんで、となりの美少女がレニーシャさん、だろう?」
「どうして、知ってるんです」
「秘密だよ、と言いたいところだが、話さないとミィシャさんに斬られかねないからね、正直に話すよ」
微笑みかけられた理由を気付いているレニーシャは、一度コウタをちらりと見てから姿勢を正した。