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八年目の片思い

「どうしました? もう終わりですか?」


 ミィシャは冷徹だった。

 何度か剣の稽古を付き合ってもらった時にだって、こんなに冷たくされた覚えは無い。


「そんなことだからあんな安っぽい罠に引っかかるんです」


 無様に負けた今日の試合のことを思い出さされ、コウタの全身が熱くなる。


「その上、ミスを取り戻そうと大技ばかり繰り出して。実にみっともなかったです」

「そうですよ! ぼくは未熟だから!」


 猛然とダッシュし、木刀で斬りかかる。自然体のミィシャは軽く腕を振り上げただけではじき返し、追撃もせずにただ睨むだけ。

 ふたりが闘うのは、街外れの荒野。

 街道からも離れ、加えていつの間にか広がった満天の星空の元での決闘は、あるいは邪魔をするような無粋者の目から逃れるかのように行われている。


「ええ。未熟です」

「だったら一撃で決めればいいでしょう!」

「お嬢を何度も泣かせましたから。その報いは受け取って貰います」

「だってあれはレニーシャが!」

「いいえ。お嬢がコウタロウさんのことでどれほど胸を痛めているか、ご存じですか?」

「知るわけ、ないですよ!」


 なんでレニーシャのことが出てくるのか分からない。だから余計に苛立ち、剣撃も甘く、雑になる。ミィシャは羽虫を払うようにおざなりに対処し、コウタを地面に転がし、睨み付ける。


「だってレニーシャ、出逢った頃からずっとぼくの顔色ばっかり見て、自分の意見なんかほとんど言わなかったのに! 分かるわけないです!」

「ええ。お嬢は弱いですから」


 コウタの飛び掛かりながらの剣撃は、ほんの僅か体軸をずらされただけで回避され、流れ落ちる胴を木刀でなぎ払われ、またもコウタは地面に転がってしまう。

 これだけ圧倒的な差があり、しかも稽古ですらないこの私闘からなぜコウタが逃げようとしないのかは、実のところ本人にもよく分かっていない。

 一度始めたら動けなくなるまでやれ、とベラートから言われ続けていたからなのか、あるいは単純に溜まった憂さを晴らしたいだけなのか、と終わって宿の考えて出てきた理由がそれだった。


「お嬢は龍族です。人族の血は一滴も入っていない、本当に純血の龍族です。にも関わらず、龍の姿を持つことも出来ず、からだも人族の少女と同じ程度の身体能力しか持ち得ていないのですよ?」


 初めての問いかけに、コウタの動きが止まった。


「どういう、意味です」

「本当に、分かりませんか?」


 構えることすら止めてしばし考え込む。


「普通のおんなのこみたいに扱えってことですか?」

「……分からないなら、構いません」


 す、と木刀を腰に戻し、くるりと背を向ける。


「ミィシャさん?」

「ここからはわたしの相手をしてください」

「え?」


 コウタが状況を把握出来ないまま、地鳴りが轟いた。

 違う。ミィシャの咆哮だ。

 耳をつんざくような、それだけで吹き飛ばされそうな大音声の叫びだ。

 変化(へんげ)するつもりだ、と気付くと同時に、からだの奥底から恐怖が湧き上がってくる。


『逃げても、無駄ですから』


 地鳴りが収まり、ミィシャの姿はどこにも無くなっていた。

 代わりに、紅鋼玉色の鱗に包まれた長い長い体を持つ龍が中空に佇んでいた。

 長く前に伸びた鼻と口。眼は鋭く闇色に輝き、薄く開けた唇の間からは獰猛そうな牙が艶やかに覗き見えている。

 あれが、ミィシャのもうひとつの姿。

 龍の姿は真の姿などではない。

 龍と人。人と龍。

 祖先が龍族の神から授かった龍の力により、二姿一体の肉体へと進化させ、膨大な龍の力を自在に操る者たちを龍族と呼び、この世界の力と息吹を象徴するのが彼ら龍族だ。


『さあ、カイゼリオンを呼んだ方がいいですよ!』


 すうう、と大きく息を吸い込み、巨大な円錐形の氷の塊を放つ。先端はもちろんコウタに向いている。巨大さを感じさせない速度でコウタのすぐ横を通り抜け、空気をそのまま凍り付かせるような冷気を浴びせながら氷塊は突き進み、コウタの遙か後方であっけないほど静かに砕けた。

 冗談抜きで背筋が凍り付くかと思った。


「な、なんでここまでするんですか!」

『わたしが、怒りを覚えていないと本気で思っていますか?』


 意味が分からない。

 温厚に見える彼女がここまで怒るようなことなんて、やった覚えなんかあるはずも無い。

 そもそも彼女とは事務的な会話や接触以外、レニーシャを介してしか関わりを持たずに居た。日だまりで眠る猫のように見えても、それは単に狩るべき獲物が居ないだけに過ぎないのだから。


『次は当てます』


 怒気以上、殺意未満の感情の波がミィシャから暴風のように襲いかかってくる。

 思い出す。伯母のルチアも唐突に不機嫌な日があった。そういう日、ベラートは無責任にも近所の知り合いの家へと将棋を指しに行ったり、茶を飲みに行ったりしていた。

 なので仕方なく家に残って彼女の要領を得ない愚痴を聞いて、少しでも早くルチアの怒りが収まるよう務めていた。

 そんな経験から得た教訓はひとつ。

 女性の怒りに理由は無い。

 ミィシャが納得するまで付き合おう。自分の憤りを受け止めてくれたお礼として。

 レニーシャを何度か泣かせたのは事実なのだから。

 星帝丸を抜き放ち、掲げ、叫ぶ。


「カイゼリオン!」

 

    *


 ひとり宿に残ったレニーシャは、深い深いため息をつく。


「なんで、あたし……」


 コウタに素直になれないんだろう。

 胸が張り裂けそうになるぐらいに好きなのに。

 コウタは覚えていないが、ふたりが出会ったのは八年ほど前。

 弟が姿を消して、ひどくあっさりと葬儀が行われて、それでも諦め切れずに名前も知らない人族の街まで探しに来たとき。

 龍族は、例えどんな病弱な子であっても三才までに龍としての能力を授かり、七才までにその力を顕現する。


 当時八才になろうとしていたレニーシャは、龍族の力を授かることすら出来ず、それなのに里の誰もが優しく接してくれていた。

 そこから逃げ出したかった。

 里から離れれば自分がなり損ないだと自覚しなくてよかった。

 けれど、カルボン・シティに溢れる人の数に酔い、護衛に付いてきたミィシャともはぐれ、どことも知れない路地で迷子になってしまった。

 その路地一帯を根城にしていた悪ガキたちに目を付けられて絡まれ、あっという間に十人以上に囲まれて逃げることも、恐怖で助けを呼ぶことも出来ず、ただ困り果てていたところへ彼はやってきた。

 なぜそんな場所に来たのか、経緯は未だ訊いていない。

 とにかく彼は悪ガキたちを大乱闘の末に打ち破り、すぐに駆けつけたベラートとルチアからこっぴどく叱られ、ゲンコツまでもらっていた。

 無理もない。悪ガキたちの怪我は、どれも子どものケンカで済むレベルではなかったのだ。骨折で済めばいい方。失明する者や内蔵に深刻なダメージを負った者もいた。

 悪ガキたちの怪我は遅れて駆けつけたミィシャや近所に住む龍族により回復したが、よほど説教が堪えたのか、悪ガキたちがその後どうなったかの確認も含めて、コウタがこの話題を口にすることは一度も無い。たぶん忘れているのだろう。

 結局ティロに関する有用な情報は得られず、レニーシャたちはコウタへの礼もそこそこにカルボン・シティから姿を消した。


 里に戻って両親からお説教をもらっても、レニーシャの心を占めていたのは悪ガキたちに果敢に立ち向かうコウタの勇姿。

 なり損ないの自分を懸命に護ってくれた。

 泣きたいぐらい嬉しかった。

 今日のことを支えに生きていこうと誓った。

 いつか彼に出会った時に、今日のことのお礼を言うために。

 ティロの安否だけが占めていた心に、ふらりとやってきたコウタが座り込んでしまった。

 いけないことだと、姉として薄情すぎるとどれだけ否定しても一度根付いてしまった感情はどうすることも出来ず、八年の月日が流れ、いまに至る。


「……はぁ……」


 八年毎日想い続けているのに、

 あいつには欠片も届かない。

 こうやって旅をしていても、毎日心臓が破れそうなぐらいに緊張してるのに、あいつはそんな素振り一切見せない。

 それどころか、あいつはミィシャばかり見ている。

 そりゃあ、胸もおしりもミィシャに比べたらちっちゃいし、角も無いし、性格だって雑だけどさ。

 笑いかけてくれても、瞳の奥底にあるのは、ともだちという単語。

 でも、これでいいのかも知れない。

 奇跡みたいな確率で想いが届いたとしても、すぐに別れなければいけないのだから。

 だからこの想いはずっと隠したままにしておこう。

 たまに向けてくれる笑顔だけを、宝物にしておこう。

 それだけで幸せな気持ちになれるのだから。


「だいじょうぶ、だよね。あたし」


 首から下げている細い鎖をたぐり、胸元から一枚の鱗を取り出す。

 本来なら、自分に龍の力を授けてくれるはずだった鱗。

 自分に龍の力が宿らないと知った時、何度捨てようと思い、実行したか分からない。けれど、ミィシャが「お嬢を守ってくれるものです」と説得し、またコウタが出来損ないの自分の存在を肯定してくれたことで、受け入れることができた鱗。

 八年前、里に戻ってすぐにペンダントに加工して、それからずっと肌身離さず持っている。

 触ったりしていると、コウタやミィシャが勇気をくれるみたいな気がして。

 鈍色(にびいろ)の鱗をじっと見つめ、弱い自分を叱咤する。


「うん、帰ってきたら謝ろう」


 きっと迷惑がるだろうけど。

 別れの日までは、一緒に過ごすのだから。

 決意を固めたそのとき、ノックの音がひとりきりの部屋に響き渡った。


「失礼。レニーシャ・グリューゼン殿はこちらの部屋でよろしいか?」


 高く低く。男声とも女声ともつかない不思議な音色だった。

 この街に住む、魔素を研究している魔族だ。

 コウタたちが出かけている間にレニーシャが約束を取り付け、本当なら三人で会うつもりだったのに。

 仕方ない。

 勝手に約束したのは自分。

 だから、ひとりきりで会おう。

 そう決めて、レニーシャはドアを開けた。


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