苛立ちと木刀
それからしばらく、こちらが不安になるほどにティロの襲撃は無かった。
問題を先延ばしにしている気にはなったが、レニーシャの哀しい顔を見なくて済むのなら、と割り切ってコウタは歩を進めた。
移動は、コウタの修行も兼ねているので徒歩が基本だ。
普段から鍛えているコウタや、大人の龍族のミィシャは苦も無く進んでいるが、レニーシャは別だった。
「大丈夫? レニーシャ」
いま三人が歩いているのは平坦な街道。
時折商人らしき一団が馬車を引き連れて行き交い、三人はその都度舗装された部分から外れて見送ったり、護衛がてら相乗りさせてもらったりしている。
「うん。ちょっと、きついけど……次の街、までなら、大丈夫」
主に山岳地帯で暮らす龍族であるにも関わらず、彼女の体力は半日ももたずに尽きてしまう。
「ミィシャさん」
「はい、お嬢。もう日が暮れます」
す、とレニーシャに背を向けてしゃがむ。レニーシャも素直にミィシャにおぶさる。コウタは荷物があるのでさすがにおんぶは無理だ。
次の街はもう目の前。
だから大丈夫、とごねることもせず、レニーシャは素直におぶさる。
「ごめん」
「しょうがないよ。こういうのは」
「……ばか」
背中に顔を埋めてのつぶやきは、コウタには届かなかった。
「何か言った?」
「お腹空いた、って言ったの」
「うん。ぼくもだよ」
「なら、急ぎましょうか。次の街の名物は確か……お嬢が好きそうなものですよ」
「……ありがと」
*
そうやってバウドからもらった地図を頼りに三人は野宿をしたり、集落で畑仕事を手伝う代わりに食料を分けて貰ったり、街ではコウタは闘戦場で試合に出たり、ミィシャは日雇いの人足をやったりして路銀を稼ぎ、レニーシャは宿で食事を作ってふたりの帰りを待ったりしていた。
「……ただいま」
この日は一番遅く、と言っても陽が沈み始めた頃にコウタは宿に帰ってきた。
節約のため、どの街でも取る宿は、広めの部屋。これをパーテーションで区切って一応の免罪符としているが、コウタは毎日へとへとになるまで試合や稽古に励んでいるので、レニーシャが危惧、あるいはほのかに抱いている期待は悉く打ち砕かれている。
レニーシャとミィシャは本当の姉妹のように、部屋に備え付けてある台所で夕食の支度をしていた。
エプロン姿でぱたぱたと駆け寄って来たレニーシャは、まずコウタの目を見て驚きの声をあげた。
「おかえりー。……どうしたの? 目。真っ赤だよ」
そんなこと、言われなくても分かっている。
「なんでもない。大丈夫」
憮然と言い捨てててコウタは奥の台所へ向かう。
「でも、ずいぶんやつれてるし……」
レニーシャに見えないように唇をぎゅっと結んで、でも彼女に向けた表情は、出来るだけの笑顔で。
「だいじょうぶだよ。どれだけ疲れてても、レニーシャが待っててくれる、って思うだけで頑張れるから」
「……ばか」
それが照れ隠しなのはコウタにも分かっている。なのに、噛みついてしまった。
「なんでそうやってすぐ、ばか、って言うのさ」
「ごめん。他に、言い方……が、分からないから」
最近レニーシャはしおらしくなった。出会った頃はもっと活発だった気がするが、長旅の疲れと今日の試合結果の影響でうまく思い出せない。
それが余計に苛立ちを呼び込み、言葉に刺を生やさせてしまう。
「でもさ」
「ごめん。あたしが」
「そう言う言い方しないでってば!」
気が付けば怒鳴っていた。
「なんでそうやってすぐに自分が悪いって言うの! レニーシャはレニーシャが出来ることをやってるのに、ちゃんと美味しいご飯作ってくれてるのに、なんで卑屈に思うのさ!」
「だって、だって……」
言葉を探すレニーシャの肩を、そっと抱いたのはミィシャだ。
「コウタロウさん、お嬢を責めないでください」
「なんでぼくが悪いみたいに言うんですか」
窘められても怒りは収まらない。
「ぼくよりずっと強いのに、龍族だから試合に出られないから荷物運びやって、ぼくよりもはやく帰ってレニーシャと一緒にくつろいで、ずるいですよ!」
もはや何を言っているのかコウタ自身も分かっていない。
叫び終えて部屋がしん、と静まって。
静寂を破ったのはミィシャだった。
「コウタロウさん、外に出ましょうか」
「はい。ミィシャさん、お願いがあります」
目を閉じてミィシャは一度小さく息を吐き、しっかりとコウタの赤く腫れた目を見据えて言う。
「以前にも申し上げたはずです。いまのコウタロウさんに稽古をつけるつもりは無い、と」
「でも」
「未熟な、基礎がどうにか出来る程度の腕しか持ち合わせていないのに、他の流派を学ぼうなど言語道断」
「分かってます!」
「安易に強さを求めることはただの愚行。ですが、そのように陰邪の気をお嬢にぶつけると言うのであれば、容赦はしません」
ミィシャが差し出したのは木刀だった。
「外に出ましょうか」
「……はい」
本音を言えば、嬉しかった。
今日は試合でひどい負け方をした。
目が赤いのも、それが原因だ。
ミィシャが受け入れてくれなければ、きっとレニーシャにも辛くあたっていたに違いないから。
「お嬢は料理の仕上げをお願いします」
「見ちゃ……、ダメなの?」
「はい。これは私闘ですから」
低く静かに言われ、なにか言いかけて口を噤み、コウタと視線を合わせようとしてすぐに止めて。
「いってらっしゃい」
「……うん」
コウタも何か言おうとしたが、ミィシャに胸をぐい、と押されて台所から押し出され、子猫をそうするかのように部屋から運び出されてすぐさまドアを閉じられてしまって結局出来なかった。
その後悔を断ち切るようにミィシャは冷たく言う。
「さ、参りましょう」
す、と彼女も木刀を腰に差し、ドアを見つめるコウタの背中を押す。
「はい」
これでいい。
一度ぼろぼろになるまで負けて、ジェーナに褒められた慢心を根こそぎ破壊しなければいけないから。