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別れ

 風呂からあがって着替えるとすぐにコウタはジェーナの寝室に入り、明朝出立することを告げた。


「そっか。せっかく会えたのに」

「行かないと、いけないから」

「うん。わたしも、付いていきたいぐらいだけど」


 ジェーナの肉体的なダメージは、ミィシャの治癒の息により完治している。彼女が寝込んでいる理由は憶蝕症の後遺症が原因だ。

 記憶をぐちゃぐちゃにかき回され置き換えられ、実際いまでもそれは完治していない。彼女の記憶の中では、コウタは大切な弟であり、切り捨てるべき敵でもある。

 こうやって今現在の話題が中心になっている場合は問題ないが、過去の、特にコウタに関する記憶を呼び起こそうとすると、それらが干渉し合い、激しい頭痛に襲われるのだ。

 なので本当の記憶を持つ者と対話をしたり、文書などを見聞きすることで、ゆっくりと記憶を書き直していくしかない。


「姉さんはまだ完治してないから」


 うん、と寂しそうに笑って窓から外を見上げる。


「姉さんと戦ってたぼく、強くなってた?」


 しっとりとした空気を容易く壊されて、ジェーナは怒るよりも呆れた。


「ほんと、コウちゃんって自分の前しか見てないわね」

「ご、ごめん」

「そんなんじゃ、あのレニーシャって子も苦労するわね」

「なんでレニーシャが出てくるのさ」


 きょとん、とするコウタにジェーナはさらに呆れ、肩をすくめて苦笑するばかり。


「分からないならいいわ」


ますます怪訝な表情になるコウタ。だが、懐から数枚の紙を取り出し、ジェーナに渡す。


「はいこれ。ぼくが知ってる姉さんのこと、これに書いたから」

「ありがと」穏やかに笑って一読する。「なにこれ。褒めすぎよ。これじゃ余計に混乱しちゃうわ」


 最初の数行で笑顔は困り顔に変わり、それでも突き返すことはしなかった。


「そうかな。ぼくの中の姉さんって強くてかっこよくて優しいイメージしかないもん」

「褒めないでよ。恥ずかしいから」

「だってほんとのことだもん」


 唇を尖らせる弟を少し不安に思い、ジェーナは人差し指を立ててずい、と身を乗り出す。


「あのねコウちゃん。こういうのは好きな女の子にしてあげることよ。わたしにやったら、その、勘違いしちゃうでしょ」

「勘違いって? ぼく姉さん大好きだよ?」


 こいつ本気か。

 十三にもなって。

 純真な笑顔に一瞬本気で勘違いして色々なものを飛び越えそうになったジェーナは、鉄の意志でそれを堪え、自制する意味もこめて話題を変えた。


「えーっと、そう。コウちゃん、強くなったわね。ちょっと見ない間に、随分覚悟が出来るようになったんだな、って」

「ほんと?!」


 目を輝かせて身を乗り出すコウタ。


「近いってば」


 小さく嘆息しながら、一瞬眉を顰めながら彼の鼻先を指で押さえ、くい、と押す。


「ほんとよ」

「良かった。最近、試合でも上手く勝てないから迷ってたんだ」

「わたしもコウちゃんぐらい……」


 ジェーナの呟きは、喜ぶコウタには届かず、月光に静かに溶けていった。


「そういえばさ、姉さん前に剛剣使ってたよね。あれはなんで? 道中で覚えたの?」


 え、と一瞬戸惑い、視線を落とし、ためらいがちにジェーナは答えた。


「あれは、コウちゃんの記憶よ」


 今度はコウタが戸惑う番だ。


「なにそれ。……あ、最初にプリンセッサと戦った時の記憶? 最初に会った時にミィシャさんがぼくが憶蝕症にかかってるって言ってたから、やっぱりそうなんだ」


「お、驚かないの?」

「だって、そういうものなんでしょ? 憶蝕症って。それに、姉さんの方がずっと苦しかっただろうし、全然へいきだよ」


 もう、と視線を外し、そっとコウタの頭を抱き寄せる。


「こういうとき優しいのは、罪になるんだよ」

「な、なに、どうしたの、姉さん」

「優しいコウちゃんなんか、こうしてやるんだから」


 自分の胸にコウタの頭を押しつけ、ぐりぐりと押しつける。


「なに、なになに。苦しいよ」

「ふんだ。コウちゃんのばか。罪作りなコウちゃんが悪いんだから」

「もうっ、止めてってば」


 ぐい、と強引に抜け出し、視線を合わせ、どちらからともなく笑い出す。

 ずっと、ずっとこういうことがしたかった。

 父も母もその顔すら知らずに育って、物心ついた時には剣を握っていて。

 初めて、姉弟になれた気がした。

 笑いも収まり、ふうと息をついて。


「記憶が治ったら姉さんはおじいのところに戻る?」

「……うん。まず謝らないと」

「ふたりとも怒っては無かったから」

「怒っててくれた方が、謝りやすいんだけどね。光后丸もプリンセッサもティロ君が持って行っちゃったし」


 そうだね、と窓の外を見る。

 外は眩しいほどの満月で、雲が地面に影を落としていた。


 翌朝、朝食を終えた三人は、身支度もそこそこに荷物を担いで小屋の前に並んでいた。

 星帝丸を使って、進むべき方向は調べてある。バウドから登山道や集落の場所の書かれた地図をもらっているので少しは楽ができそうだ。


「では、姉をよろしくお願いします」


 大荷物を背負ったまま、バランスを崩さず器用にコウタはお辞儀をする。


「この娘が勝手にこの家のものを使うだけだ。薬が減ったり、四人だった食卓がひとりに変わる。それだけだ」


 彼の隣に立つジェーナが苦笑しつつ、お世話になります、とお辞儀し、コウタに向き直る。


「いい? テ……コウ、ちゃん。レニーシャさんとミィシャさんに迷惑をかけないよう、純星流の名に恥じないよう、しっかり行くのよ」


 急にお説教が始まってコウタは不服そうだ。


「もう。おじいみたいなこと言わないでよ」

「返事は?」

「はい。分かりました」


 憮然と返すコウタに、またもジェーナは苦笑する。


「ミィシャさん、レニーシャさん。弟はきっとわがままを言うと思います。けど、どうか見捨てないでやってください。姉として、お願いします」

「もう、姉さん!」

「コウちゃんは黙ってて」


 ぴしゃりと断じ、深く深く頭を下げるジェーナ。


「あの、ジェーナさん。コウタロウさんは元々わたくしたちから誘ったのです。ですから、見捨てたりはしません。お嬢に愛想を尽かされることはあるかも知れませんが」


 むぅ、とミィシャを睨んですぐにジェーナに向き直り、なぜか動揺しながらレニーシャは言う。


「そ、そうです。おね、ジェーナさんは、心配せずに養生なさってください」

「ありがとう。よろしくお願いします」


 もう、と恥ずかしそうにしつつもレニーシャたちに向き直り、笑顔で言う。


「行こう、レニーシャ、ミィシャさん」

「うん」

「はい」


 レニーシャたちもバウドたちへお辞儀をして三人は旅路についた。


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