弟たち
『があああああっ!』
咆哮。右後ろ。振り返りながら抜刀。相手の胸元があるであろう位置をなぎ払う。手応え。硬い。木だ。
「くっ!」
刃はプリンセッサが持つ大木に深くめり込んでいる。ここで退いたらだめだ。
『だああっ!』
左足でプリンセッサの胴を蹴って体勢を崩し、次いで抱えている大木を足裏で蹴り、刀を引っこ抜く。後退するプリンセッサへ、身をかがめて肉薄。足をなぎ払う。
『っ!?』
避けられた。そんな、と驚くカイゼリオンの背中へプリンセッサは両拳を組み合わせて殴打。地面に叩き付けられるカイゼリオン。
痛みを堪え、追撃を回避するためすぐさま両手をついて右へ転がりながら器用に立ち上がる。すぐさま構え、プリンセッサを待つ。来ない。
「なんなんだよ、一体」
プリンセッサはカイゼリオンが倒れていた場所をただじっと見つめ、動こうとしない。罠にしては稚拙すぎる。じとりと汗が滲み、滴となって落ちるのを合図にコウタは駆け出し、やっと反応したプリンセッサと刀を合わせる。
二合、三合と合わせ、そのパワーと太刀筋をコウタはからだに覚えさせる。
右脇に隙、打つ。弾かれる。それを囮に右足で蹴りを。命中。もんどり打って倒れ、立ち上がりながら土砂を掴んで投げ、その奥から切っ先が突き出てくる。右に体を切って避けつつ横っ面を殴りつける。
怯まず束底でカイゼリオンの腹部を突く。左手一本でプリンセッサの顔を切りつけ、受けさせてつばぜり合いに持ち込む。
やりづらい。
『返して! お姉ちゃん返して!』
幼さを感じる悲痛な叫びにも関わらず繰り出される太刀筋は熟練剣士のそれに匹敵する。太刀筋とパワーは覚えたが、このギャップにコウタは戸惑い、対応がわずかに遅れてしまう。
『このっ!』
惑わされるな。相手の挙動にだけ集中しろ。実の姉とだって本気で刀を合わせたんだ。見ず知らずの他人に後れをとるなんて、剣士を名乗る者としてあっちゃいけないことだ。
ふうっ、と短く息を吐いて集中力を上げる。
右下から斬撃が来る。半身ずらして紙一重で避け、伸びたプリンセッサの胴体へ肩からタックル。命中。吹っ飛び、真後ろの大木に背中からぶつかる。反動でからだが開く。そこを逃さずコウタは追撃のショルダータックルを仕掛ける。
『返せって言ってるだろ!』
開いたからだをそのまま閉じるように、プリンセッサは両手を組み合わせ、柄の頭と両拳でカイゼリオンの脳天を打つ。
『ぐっ!』
芯から激しく揺さぶられ、危うく意識から手を離すところだった。前のめりで地面に落ちようとしていたからだを、ぎりぎり両手を付くことで巨体を支え、そのまま水面蹴りへ移行する。巨体が生み出す遠心力をそのままプリンセッサの左スネへ叩き込み、転倒させた。
『だあああっ!』
回転力そのままに逆立ちに起き上がり、腕力だけでジャンプ。真下のプリンセッサが起き上がり始める。やけに遅い。罠。すぐ左にあった巨木に手を足を付いて横っ飛ぶ。地面が来るよりはやく足を下に。着地。柄を握り直し、切っ先を下に。間合いに入る。加速っ。やっと起きあがる。罠は、無いっ!
『剛剣! 燕炎断!』
相手の左スネから右肩へ抜ける一閃。誰の目にも入ったと映り、コウタもそれを確信していた。
『おまえは!』
プリンセッサの巨体が背にしている巨木を軸に左にぐるりとズレる。コウタの一撃により巨木が斜めに切られ、断面からずるりと滑り、枝葉を散らしながら倒れていく。
『おまえはもう三人もお姉ちゃんがいるじゃないか!』
打ち終わりの、油断さえあったコウタたちの無防備な胴へ鋭い突きが迫る。
『ひとりぐらいボクにくれたっていいだろ!』
反応が間に合ったのは奇跡に等しい。
振りきった刀身を返してまっすぐ、突風が如く迫る峰に渾身の力を込めて打ち下ろす。
『ぼくの姉さんは!』
長大な刀身が激しくぶつかり合い、耳をつんざく高音が森全体を駆け巡る。
『ジェーナ姉さんだけだ!』
よく折れなかったものだと、後で思い出す度に戦慄する。しかしそうしなければカイゼリオンも自分もただでは済まなかったはずだ。
『ケチ!』
勝手すぎる理屈はコウタの怒りを再燃させるに十分な燃料となった。
『甘えるなぁっ!』
右拳を握り、プリンセッサの顔面へ叩き込む。ガウディウムと操者の視覚は共有されているのでダメージは無くとも殴られる恐怖は感じられるはず。
怯んだ顔面に二発、三発と叩き込み、のど輪を掴み、両手で持ち上げ、頭から地面に投げ落とす。そのまま馬乗りになってプリンセッサの胸元に切っ先を突きつける。
『ここで圧し潰されながら切られるか、外へ出て切られるか、選べ』
自分が何を言っているのか、それを理解し、恐怖するだけの冷静さは残っていたが、からだは止まらない。
『はやくしろ。お前はどうなっても構わないけど、プリンセッサは壊したくない』
中にいるティロ以上に身勝手な物言いだが、本音だ。これ以上姉の持ち物を他人に穢されたく無かった。
『……っ』
中で息をのむ音が聞こえ、すぐに琥珀色の光がプリンセッサから照射され、ティロは少し離れた場所に、光后丸を腰に差した姿で現れた。
「……ケチ」
静かに、叱られた子供のようにカイゼリオンを睨み付け、しかし腰のものには手を掛けようとしない。
こいつはやはり剣士じゃない。ただのわがままを繰り返す幼児だ。
そしてどんな理由があろうと、他人をいいように操って蛮行を繰り返させたことは許されることじゃない。
腕の一本ぐらいもらわないと気が済まない。
コウタもカイゼリオンから降り、星帝丸を正眼に構える。
「行くぞ」
加速。
一瞬で間合いを詰め、ティロの前に、
「っ?!」
間になにか割り込んできた。両の踵でブレーキをかけ、割り込んできた影を見る。
「どいて、レニーシャ」
両手を広げ、ティロをかばうように立つレニーシャがそこに居た。
「じゃましないで」
「コウ、タ。その顔、怖い……です」
よく見れば、広げる両手は肩から震え、瞳も唇も恐怖に染まっていた。
そして、星帝丸に映る自らの顔は、怒りと殺意に黒く歪み、澱んでいた。
「お願い。刀を収めて」
「……でも!」
「お願い」
恐怖に彩られたレニーシャの瞳の奥に、初めて出会った時と同じ強い意志を感じた。
「…………、あとで理由は訊くから」
苦しそうに言い、星帝丸を鞘に戻す。
涙目ながらもレニーシャはどうにか微笑んだ。
「ありがとう」
肩越しに振り返って、ティロに厳しく言う。
「はやく逃げなさい」
「……ふん、だ。ケチ」
レニーシャも睨み付け、ティロは森の奥へと消えていった。
それと同時に、カイゼリオンに馬乗りにされていたプリンセッサの姿も、かき消えた。
沈黙が、ひどく重苦しかった。
レニーシャになにか言おうと口を開く。
が、結局なにから話せばいいのか分からず、視線も合わせられず、ただコウタのおなかのあたりを見つめることしか出来なかった。
そしてコウタも似たような姿勢で口をもごもごと動かしている。
見かねたミィシャが優しく声をかけてくれなければ、きっと陽が沈んでもふたりはこのままだったに違いない。
「お嬢、コウタロウさん。ひとまずお茶にしましょう」
あ、とふたり同時に振り返り、それが気恥ずかしさを生んでふたりを包む。
「と、とにかく小屋に行こう」
「……うん」
どちらからともなく申し合わせ、ふたりは小屋に戻っていった。