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純星流

 コウタを見送り、彼の意識から自分がいなくなったことを感じつつ、レニーシャは苦しそうにミィシャを見つめる。


「……ミィシャ」

「駄目ですよ、お嬢」

「…………分かって、るよ。でも」

「ティロ坊のこと、思い出したんですね」


 うつむいて、なにかをこらえるように唇を肩を震わせるレニーシャ。

 ミィシャの表情は冷たさもあったが、レニーシャはそれを咎めることをしない。


「どうにもならないことですから。ティロ坊のことも、コウタロウさんのことも」

「…………でも……っ」

「冷たい言い方をすれば、コウタロウさんの問題は、コウタロウさんだけが解決していい問題なんです。無力なお嬢ができることは、無事に帰ってきてもらえるように祈ることだけです」


 そんなことぐらいレニーシャにも分かっている。

 何の力にも助けにもなれない自分が悔しい。

 ぎゅっ、とみぞおちの辺りの服を掴んでみても、悔しさは全然消えない。


「行ってくるね、レニーシャ」


 ぽん、と肩に手を置かれて優しく言われても、レニーシャには返す言葉が無かった。


「コウタロウさん、お早く」

「はい。レニーシャを頼みます」


 こちらを見ようともしないのは優しさだと思うことにした。

 去っていく足音が別れの言葉に聞こえた。

 もうやだ。

 コウタの心が傷ついていく。

 でも、巻き込んだのは自分だ。

 こんなことになるなら、お姉さんと斬り合うのだと知っていたら、絶対に誘わなかったのに。

 だからせめて見届けなければいけない。

 傷ついて帰ってきた彼を出迎えるためにも。

 雨は止み始めていた。

 これがコウタに良く働けばいいと、強く深く願った。

 それしか、できないから。


    *


 森の奥深くに立つ女剣士、いや、姉はあの時と同じ漆黒の鎧と鉄紺色のピアスを鈍く光らせ、抜き身の刀を握ったままだらりと両手と頭を下げ、垂れ下がった髪の奥からこちらを睨み付けている。

 なのに、さほど恐怖は感じない。まさか、たかが数日の稽古で力量が上がったとは思えない。大敗し、死の淵をさまよって、実力の差をはっきり感じ取ったからだろう。


 姉までの距離は、会話は可能だが斬り合うには遠すぎる二十歩ほど。コウタが手にするのはベラートから譲り受けた木刀。星帝丸は腰に差している。この数日の稽古ですっかり手に馴染み、以前使っていたものとの違和感は無くなった。

 ふうう、と息を吐いて自然体に構え、殺気を放つ。

 びくん、と姉が弾かれたように顔を上げる。直後、猛然と斬りかかってくる。

 星帝丸はまだ早い。

 受けるのは木刀。芯には鉄の棒が埋め込まれているので、粉砕されてもまだ刃を受けることはできる。

 できるだけ軽く、普段通りの口調でコウタは言う。


「久しぶり、姉さん」


 憶蝕症とは病だ。

 通常見られる記憶喪失とは違い、ある日突然、なんの前触れもなく記憶や知識の一部が抜け落ちる。重篤なものになると、喋れなくなったり、食事を採ることができなくなったりする症例さえ報告されている。

 姉はまだ運がいい。

 家族の記憶が無くなっているだけなのだから。


「昔はよくこうやって稽古したよね」


 強く振り下ろされ、鋭く突き入れてくるジェーナの斬撃をコウタは滑らかに受け流す。

 純星流は受け入れる剣術。

 攻撃よりも受けや防御の型が大半の流派だ。攻撃を棄て、防御に徹すれば説得する時間稼ぎぐらいはできる。


「姉さんいつもムキになってた。ぼくなんて簡単に勝てるはずなのに、負けたくないとか言ってさ」


 思い出を語りながらもコウタは淀みなく動く。

 負けてからの稽古が少しは生きているのだろうか。

 ミィシャに感謝しないと。

 もちろん、バウドやレニーシャにも。


「でもすぐにぼくのことなんか見なくなって、どんどん先に行ったよね」


 姉と一緒に過ごした記憶なんて、たぶん五年分ぐらいだ。

 そのほとんどは剣術の稽古が占めている。食卓でおかずを取り合ったり、家族で買い物や旅行に行ったり、宿題を教えて貰ったりした記憶はおぼろげにしか残っていない。


「寂しかったんだからね。姉さん急に居なくなるんだもん」


 いけない。息が上がってきた。

 どうにか隙を見つけて刀を落とすなり気絶させるなりしないと。これ以上受け続ければいずれ体力が尽きて、斬られる。レニーシャはミィシャが守ってくれるだろうけど、姉を助けられるのは自分しかいない。


「でもさ、」

「いい加減、黙れぇっ!」


 一瞬、ほんの一瞬入れられたフェイントにコウタは引っかかってしまう。そうしてできた空白はジェーナの前蹴りによって破壊され、コウタは小屋の壁に背中から激突し、そのままゆっくりと地面へうつぶせに落ちた。


「お前は、わたしの弟なんかじゃない! (はじめ)の賢者さまの、敵だぁっ!」


 やっと分かった。

 自分の技量でジェーナの剣をここまで捌ききれた理由が。

 このひとが使っていた剣術は、純星流とは似て非なるもの。

 木刀を支えに立ち上がり、肩で息をしながらコウタは叫ぶ。


「違う! 姉さんは誰かに膝を折ったりなんかしない! 神さまとだってともだちになるのが姉さんだ!」


 ぐらり、とジェーナのからだが揺らいだ。


「なにを、……なにを言っている」

「そういうしゃべり方も! 姉さんはもっと穏やかでのんびりしてた!」


 柄から手を離し、右手で頭を押さえるジェーナ。


「だまれ、だまれぇっ!」

「そうだよ姉さん。そんなやつの言葉に耳を貸す必要は無い」


 森の奥から龍族の男性がひとり、姿を見せた。年齢はコウタよりも少し上。肌は艶やかで鱗は見当たらず、額から伸びる一本の短い角が無ければ人族と見間違えてしまうほどだった。

 龍族の男を視認したジェーナの表情が歓喜に満ちていく。


「ああ、ティロ。そうよ、あなただけがわたしの弟だもの。間違えるはずがないわ」


 ティロと呼ばれた男が龍族で、自分は人族だという根本的な違いすら塗り潰されている。そう理解すると同時に、ある考えが浮かぶ。

 憶蝕症は人為的なもの。

 記憶を奪うだけでなく、入れ替え、上書きし、発症させている何者かの思い通りの人格を作り上げる、邪悪な病。

 妄想かも、とも思うけれど、現に姉は。


「もういい。姉さん、決着を付けよう」


 立ち上がったコウタは木刀を腰に差し、星帝丸を抜き放つ。

 ふふ、と龍族の男は不敵に笑って、


「姉さん、プリンセッサの修復は終わっているよ。あのニセモノをやっつけるなら、徹底的にやった方がいい」

「そうね。ありがとう、ティロ」


 柔らかく微笑む。うん、あの笑顔だ。どれだけ変わって見えても根っこはちゃんと残っている。こんな状況なのに安心した。


「来なさい、プリンセッサ!」


 刀を掲げ、ジェーナは叫ぶ。刀身から漆黒の雷が天に向かって突き進み、すぐに黒い光の束となってジェーナのすぐ前に降り注がれる。黒い光の束から、ずるりと黒いガウディウムが抜け落ち、ゆっくりと地面に降りる。

 黒いガウディウムから琥珀色の光がジェーナに注がれ、彼女を包む。同時に彼女の鎧は全て剥がれ裸身となり、落ちた鎧は黒いガウディウムの各所に装着され、ジェーナは黒いガウディウムに吸い込まれていった。


「なんだ、あれ」


 コウタが注視したのは、黒いガウディウムと、光后丸が放つ黒い光の束と、姉の三者を、まるで操り人形の糸のように結ぶ、純白に輝く光の糸だった。

 以前戦った時はあんなもの無かった。どれだけ圧倒されていても、相手を観察することだけは絶対に止めるな。ベラートの教えを思い返すまでも無くコウタは実践していた。

 だから断言できる。あんな光る糸は無かった。


「でも、やるしかない」


 木刀を右腰に、星帝丸を抜刀し、しかしカイゼリオンは呼び出さない。森の中ではカイゼリオンの巨体はかえって不自由になると判断したからだ。

 なのに姉が乗る黒いガウディウム、プリンセッサは木々をなぎ倒しながら進んでくる。

 姉はあんなことしなかった。

 いまでも時々夢に見る。

 姉の、ジェーナ・フォーゼンレイムの美しい太刀さばきを。

 稽古を積んで重ねて歯を食いしばってがんばって、強くなったと挑んでも、努力のすべてを一刀のもとに粉砕された。

 あれだけ研鑽を積み重ねても、実際には姉の影にすら届いていなかった力量の差を。

 なのに口癖のように「コウちゃんに負けたくない」と零していた姉を。

 それが憶蝕症になっただけであんなにも無様な立ち回りになってしまうなんて。

 助けよう。

 剣士としての姉を。


純星流剛派(ごうは)、コウタロウ・フォーゼンレイム。いきます!」


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