雷、三度(みたび)
稽古初日の夕食はレニーシャがほぼひとりで作った。
薄味が好きなコウタの舌に合わせるのは、濃い味付けが好きなレニーシャには苦しかったが、ちゃんとミィシャにも味見をしてもらったので大丈夫、とざわつく心を静めていた。
コウタがひと口食べて「おいしいよ」と笑顔で言ってくれて、泣きそうなぐらい嬉しかったことは、永久に秘密だ。
四人で囲む食卓は和やかに終わり、いまはミィシャが淹れた食後の茶を飲みながら風呂が沸くのを待っている状況だ。
「バウドさんは、見えない山って知ってますか?」
「名前なら覚えがある。が、知ってどうする」
これまでの事情をかいつまんで説明すると、バウドはなぜかレニーシャをじっと見つめ、
「……そうか」
とつぶやく。
一度視線を外して茶を飲み、
「雲鯨の存在は知っているか?」
コウタははじめて聞く名前だった。戸惑っているとミィシャが答えた。
「はい。魔素を生み出す神獣というぐらいですが」
「雲鯨は見えない山に居る。守護する次元の賢者と共に」
「次元の賢者?」
コウタの問いにバウドは僅かに渋面を作る。
「ベラートは何も話していないのか?」
「見えない山を目指せ、ってぐらいしか……」
「意地の悪い性分は変わっていないな」むすり、と笑って、「ベラートが教えていないなら、オレも教えてやれん。悪いがな」
「なんでですか」
「見えない山に行けば、おそらくお前たちの望むものは見聞できるだろう。だがそれを他者の言いなりで行ったとしてそれは本望か?」
同じ龍族なのに他人事なバウドに、レニーシャが噛みつく。
「でも、世界の危機なんです」
「ひとつ、言っておく。記録によれば魔素の減少は三百年前にもあった。伝聞によればそれより以前にも、な。だがいま世界は平穏無事だ。意味は分かるな」
「あたしたちはなにもするな、ってことですか」
「そう取りたいならそうすればいい。できるならば、な」
「……あなたの方がよっぽどいじわるです」
「ベラートよりマシだ」
と、自分に視線を向けられてコウタは少し戸惑う。
祖父は剣の稽古こそ厳しかったが、それ以外の場面ではただの好々爺の印象しかない。
返答に迷っていると、バウドはむすり、と笑う。
「あのベラートも孫には甘いか」
コウタは苦笑するしかなかった。
*
翌日からもコウタの稽古は続いた。
痛みがあるからからだをいじめ抜くような厳しい稽古はできないので、素振りと森に入っての走り込みが中心だ。森に入っては赤く濡れた石、魔素を集めてカイゼリオンに与え、彼の修復も忘れない。
せっかくだから、と、一度ミィシャに教えを請うてみたが、
「わたしが教えてしまうと、せっかく身に付いた純星流の型が崩れてしまいます。他の流派、とくに他種族の剣術を学ぶには早すぎます」
と断られてしまった。
がっくり肩を落とすコウタに、ミィシャはにこやかな微笑みを返した。
「ですが、打ち込みをなさるときの練習台にはなりますよ」
「でも、防具も無いですから」
「わたしが龍の眼を持っていること、お忘れですか? いまのコウタロウさんの剣筋ぐらい読めますし、木刀を当てる箇所は鱗を出して防具代わりにします。龍族の鱗はとっても硬いんです。たとえ星帝丸でもうまく当てない限り傷つくことはありません」
そうは言われても、と思うがせっかくの申し出なので受けることにした。
「ではこちらも手加減無しでやります」
「その意気です」
結局、有効打は数回しか当てられなかった。
ミィシャは緩く足を開いた、力を抜いた姿勢で立っているだけだったのに。肩で息を、全身が汗でびっしょりになるぐらいまでやったのに、彼女は少し汗ばんだぐらい。こんなにも力量に差があるとは思っていなかった。
けど、そんなことでコウタはくじけない。
ミィシャも言った。いまのコウタロウさんでは、と。
目標が出来た。
がんばろう。
決意も新たに今日の夕食を食べる。めちゃくちゃ美味しい。昨日の今日でレニーシャの腕前が上がった気がする。
だったらぼくも負けてられない。
がんばろう。思いっきり。
*
そうやって稽古と療養の日々が続くと思われた翌朝。
食卓に皿を並べ終えたコウタとレニーシャは並んで窓から外を眺めていた。
「また、降ってきたね」
この地方での雨は、レニーシャにとって不吉な思い出しか無い。
「うん。今日は稽古できないな」
なのにコウタはあっけらかんとしている。
それが、レニーシャの表情を曇らせる。
「ねえ。そんなに、稽古って楽しい? 強くなることって大事?」
「う、うん。楽しいよ。それにウチは剣士の家系だからね。ちっちゃい頃から当たり前に剣術やってたから。三日も木刀握ってないと落ち着かないんだ」
「じゃあ、ケガして寝込んでた時も」
「うん。はやく外出たくてたまらなかった」
てへへ、と照れるコウタがかわいい。
「……なんで、そんなことばっかり言うの」
「だって、そういう気持ちだったんだよ?」
「もっと、自分を大事にしてよ」
心配してくれているのだと、ようやく気付いたコウタは、苦しそうなレニーシャの心を和らげようと、提案をする。
「そうだ。明日か、今日の午後とかでもいいんだけどさ」
「な、なに?」
「裏の川の下流、もう少し行くと川幅がすんごい広くなってるんだって。雨が上がったらさ、一緒に観に行かない?」
「え、だ、って、そんな」
「……イヤ?」
「い、いく。雨が、止んだら、ね」
「うん。ありがと」
にこりと微笑まれ、レニーシャは少し頬を赤らめながら視線を逸らした。
その横顔をコウタが見ると、上がろうとする口角を懸命に押さえつけようと奮闘していたので、内心ほっとため息を吐いた。
そんなふたりを見守っていたミィシャが、いまやってきたという体裁で声をかける。
「ふたりとも、朝ご飯できましたよ」
はーい、と返事をして食卓に向かう。レニーシャはまだ眠気が抜けていないのか、足取りが覚束ない。
「まだ眠い?」
「ちょっと、朝弱いだけ」
「そう? 水、飲む? すっきりするよ」
「へいき。いつものことだから」
おんなの人のからだは色々ある。ルチアやベラートからそれとなく聞いているコウタはそれ以上お節介を焼いたりはしない。
「辛くなったら言ってね」
「うん。ありがと」
そうしてふたりでテーブルに向かう。
その背後、小屋の外に広がる森林に雷が落ちた。
確認しなくても分かる。
黒いガウディウムか、ジェーナか。
「姉さんだ」
ぴくん、とレニーシャの肩が震える。
それに気付かないコウタはミィシャに向き直り、
「終わったらいただきます」
「御武運を」
はい、と返事をして足早に星帝丸を取りに向かう。
レニーシャをひとり残していることに、気付かないまま。