稽古
翌日。
どうにか歩けるまで回復したコウタは、小屋の入り口近くで門番のように佇んでいるカイゼリオンの元へやってきた。
「ありがとう、カイゼリオン。守ってくれて」
ひどい傷だ。
カイゼリオンは他の機巧体と違って、魔素の結晶を損傷箇所に留めておけば自己修復するらしい。
工作の類いは苦手なコウタにはありがたかった。傷が治ったら、修練のついでに森に入って魔素を集めておこう。
ちなみに小屋のすぐ外は森林が広がり、コウタが落とされた川は小屋の裏口に流れている。耳を澄ませば、小屋から昼食の準備にレニーシャが腕と鍋を振るう音にまじってせせらぎが聞こえてくる。
バウドに聞いたが、あの細く深い川はここからもう少し下ると向こう岸が見えないほどの大河になっているらしい。これも稽古がてら観に行こう。レニーシャも一緒に、と過ぎった次の瞬間、急に顔が赤くなった。きっと傷のせいだ。
ともかく。
カイゼリオンと共に戦うのは二度目だった、というのは完全に言い訳だ。彼は自分の手足以上に応えてくれた。
ならば、彼のこの重傷は自分の未熟さのみが原因。
そこに異論は無い。
でも、と思う。
闘戦場で最初に闘った時と、前回とでは強さが違いすぎるように感じた。
カイゼリオンと黒いガウディウムの性能差は僅か。誤差の範囲と言っても差し支えないほどだとミィシャは見立てた。
ならば、操者が違うのかもしれない。
姉以外にもうひとり、敵が。
ふう、と息を吐くコウタ。
「はやく直すからね」
そう声をかけたものの、どこから手を付ければよいか分からないほどの重傷だ。出発前にベラートから教わった技術がどこまで通用するのか分からないが、やるしかない。
まずは修理にどれだけの魔素が必要なのかを調べようと彼に近付く。
「えっと、まず胴体だよね……」
ミィシャには感謝しかない。
いつかちゃんとお礼をしなければ、と心に決めてカイゼリオンの傷の具合を診断する。
「あ、そうだ。星帝丸が無いと駄目なんだっけ」
修理をするにも星帝丸が必要だった。
確かバウドが直してくれているはず。カイゼリオンが受けた傷は星帝丸にも及ぶ、とベラートは言っていたから時間はかかるだろう。
それまでの間、自分にできることはふたつ。
はやく傷を治すこと。
誰にも悲しい思いをさせないように強くなること。
「やっぱりミィシャさんに治してもらおうかな……」
そう決めた途端、当初の誓いが揺らぎ始めた。
「やっぱり楽しちゃだめだ。カイゼリオンだって痛いんだから」
そっと彼のスネに手を当て、見上げる。首と肩と背中に痛みが走る。でもがまん。
「もう少しだけ、待っててね」
うなずいてくれたように、見えた。
数日後、朝食を三人で囲んでいると、
「直ったぞ、星帝丸」
バウドが抜き身の星帝丸を持って現れた。
鈍く輝く星帝丸よりも、疲労の色が濃い彼にどうしても目が行く。あわててコウタは受け取り、テーブルへ促す。同時にミィシャが席を立ってお茶の支度を始めた。出遅れたレニーシャは申し訳なさそうにコウタを見つめる。穏やかに微笑まれ、レニーシャは消え入りそうに視線を落とした。
大儀そうに椅子に座ったバウドに、コウタはまず礼を言った。
「ありがとうございます。ほんとうに、なにからなにまでお世話になって……」
「星帝丸はオレが打った刀だ。使えないままなのは居心地が悪いだけだ」
変わらず憮然と言ってのけるバウドが、なんだか可愛らしく思えてコウタは小さく笑う。
「どうした」
「いえ。バウドさんって結構世話好きなんだなって」
「師匠の遺言だ。困ってる者が居たら無条件で助けろ、とな」
「そういえばバウドさんのお師匠さまって、龍族じゃないですよね」
「ああ。よく分かったな」
「だってお風呂とか、家の造りが人族っぽいなって」
「よく見てるな」
「剣士ですから」
言って微笑み、食器を片付ける。
「じゃあ、魔素を探すついでに稽古してきます」
「無理はするな」
はい、と返事をしてコウタは借りている寝室に戻って星帝丸を鞘に戻し、代わりに荷物の中から木刀を取り出し、裏口から外へ。
出てすぐの木の下でレニーシャがしゃがみ込んでこちらをじっと見つめていた。なにかしたっけ。
「え、えっと、なに?」
「稽古するのね」
責められているような気がするが、敢えて気にしないようにした。
「うん。危ないから下がっててね」
「ここで見てる」
「剣術やらないレニーシャが見てても、つまんないと思うよ?」
「いい。見てたい」
わかった、と首を傾げながら返事をして歩き出す。
小屋の裏手からも森が広がっているが、木々の間からは川面が覗き見え、水音も聞こえてくる。もう少し歩けるようになったら、魔素を探すついでに下流にあるという大河をレニーシャと一緒に見に行こう。バウドに世話になり始めてからこっち、ずっと機嫌が悪いみたいだし。
きれいな景色をみれば、少しは気も紛れるだろうし。
楽しみが見つかったことで心も傷の痛みも安定した。静かに木刀を構える。この木刀もレニーシャたちが荷物と一緒に運んできてくれた。ありがたい。
まずは上下素振り。
「ふっ! ふっ! ふっ!」
うん。痛みはほとんどない。安心して素振りを続ける。
「無理しないでね、コウタ」
しゃがみ込んで両膝に両肘を乗せて、手の平に顎を乗せた姿勢で稽古を見つめながらの呟きは、いつの間にか傍らに立っていたミィシャが拾った。
「お嬢。それは無理でしょう」
「……コウタは、男の子だから?」
「はい。コウタロウさんは男子であり剣士。立ちふさがる壁はひたすらな、限界を超える努力によってのみ越えるものだと、血が知っているのでしょう。だからこそわたしの治癒の息も断ったのです」
一度見上げ、すぐに膝頭に額をこすりつける。
「わからないよ。そういうの」
「でしたらお嬢は、稽古を終えたコウタロウさんを優しく出迎えて差し上げればよろしいかと」
言われて上げた表情は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。
「そっか。じゃあそっちで頑張る。ルチアさんからコウタの好きな味付け、教わってるんだから」
立ち上がってぐい、と腕まくりをする。ミィシャは目を細め、優しく言う。
「私も手伝います」
「ありがと」
ならまずはお茶の準備を、とレニーシャが決めたすぐ後ろでバウドがドアから顔を覗かせた。驚くレニーシャに視線で謝ってバウドはコウタに言う。
「もう、大丈夫なようだな」
振り返って笑顔で答えるコウタ。
「はい。痛みはほとんど感じません」
「ならいい」
そうとだけ言って閉じようとしたドアを掴んでレニーシャは力強く小屋の中に入る。
バウドが訝しげにミィシャに視線をやると、苦笑しながら頭を下げていた。
集中していたコウタは一切気付いていなかった。