再会
「ごちそうさまでした」
ん、と頷いてバウドは食器を片付ける。家ではルチアから徹底して家事を仕込まれていたから、こうやって全部を、それも全くの初対面の相手にやってもらうのは気が引けてくる。
「気にするな。オレが勝手にやっていることだ」
「でも」
「ベラートには世話になった。それだけだ」
言い捨ててそのまま部屋を出ていった。
「治ったら恩返ししないとな……」
その思いを抱えたままもうひと眠りしようと横になって、目を閉じて数瞬。どたどたと騒がしく床を踏み鳴らす音が伝わってくる。
「……、…………っ!」
なにを言っているかはよく聞き取れないけど、女の子の声だとは分かる。それもかなり切羽詰まっている様子だ。
「奥に居る。眠ってるかもしれんから静かにな」
バウドの声ははっきりと聞こえた。
「ありがとうございます!」
こんどはちゃんと聞こえた。覚えがあるがうまく思い出せない。すぐに足音が響く。軽い。どんどん近付いてくる。ばぁん、と勢いよくドアが開け放たれる。そこに立っていたのは、肩で息をするレニーシャだった。
「よかった……、無事で……っ!」
そのままへなへなと崩れ、ぺたんと入り口に座り込んでしまった。
痛むからだをどうにか誤魔化しながら、コウタはベッドを降り、ふらつきながらレニーシャへ歩み寄る。
「探して……くれてたの?」
「当たり前じゃない! ずっと心配してたんだから!」
「ごめん。ありがと……」
たぶん、知った顔を見て安心したんだと思う。
「え、ちょっと、コウタ!? え、ほ、包帯だけ!?」
そうでなければ、こんな風に抱きつくようにからだを預けたりはしない。と、思う。
「……ごめん。ねむくて…………」
バウドがお粥の中に薬草を混ぜてくれているのは聞いたが、自分には効果がありすぎるのは正直困っている。
「ね、ねえ、ちょっと! ミィシャも見てないで手伝ってよ!」
「お嬢が頼られてるんですから、私が手伝うのは筋違いかと」
「あたしが頼んでるの!」
「……しずかに、してよ……」
「あ、ご、ごめん。とにかく、立つね」
「うん……」
もうどうでも良かった。こうやってレニーシャに抱きついているだけで心が安まり、あれだけ全身を苛んでいた痛みも薄らいでいく。
「ねぇ、コウタ、お願いだから、もう少し、力、入れて、くれない……っ?」
そうしたいのはやまやまだけど、もう睡魔に抗う余力は残っていない。
「いいよ、このままで……」
「や、やだちょっと! 立ってってば! せめてベッドに行こうよ!」
バランスが崩れ、レニーシャを押し倒してしまった。
コウタが覚えているのはそこまでだった。
次に目を覚ましたとき、レニーシャが頬を赤くして目を合わせてくれなかったのは、悪いことをしたと少し反省した。
*
コウタの傷は順調に回復していった。
ちなみに、バウドは治癒の息を使うことが出来ない。
龍族であっても、多種多様な息を複数使いこなせた者は歴史上でも数えるほど。大半の龍族が多くて三種類の息しか使えない中で、ミィシャが使えるのは氷雪と治癒の二種類だけ。
出会った頃にレニーシャが言ったように、彼女が授かった強大な龍の力を活用すれば他の息も容易く扱えただろうがミィシャは授かった力の大半を、龍の目に割り当てている。
レニーシャを守るために。
彼女と旅をしてもうひとり増えた、守りたい者のために、ミィシャは自らの力を惜しみなく使うつもりだ。
レニーシャが頬を染めている脇で、治癒の息を使うかミィシャがこっそり訪ねると、コウタは「この痛みは覚えておきたいです」と断ったので治療はバウドが調合した薬草を使っている。
迷惑をかけてばかりいるが、バウドは「好きでやっていることだ」と言っていたので彼に甘えることにした。この旅が終わったら恩返しをしようと誓って。
「ミィシャさんの傷は大丈夫なんですか?」
「はい。わたしの治癒の息では完治まで時間がかかりましたが、もう大丈夫です」
よかった、と安堵するコウタの瞳をミィシャはじっと見つめ、
「……。コウタロウさんも、脳にも骨にも内臓にも深刻な損傷は見当たらないですね。このまま治療していれば、すぐに剣も握れるようになります」
「ほんと? ミィシャ」
本当ですよ、と不安そうなレニーシャに微笑みかけてすぐコウタに向き直る。
「それよりもわたしの判断が甘く、コウタロウさんに深い傷を負わせてしまいました」
言って深く頭を下げ、そのまま続ける。
「対峙したあの瞬間、龍の眼で見てもコウタロウさんと黒いガウディウムの実力差はわずかでした。それに、いざとなればわたしが援護に入ればいいとも思っていました。もっとはやく撤退を選んでいたらと悔やみます」
頭を下げられてコウタは慌てて手を伸ばし、痛みに顔をしかめつつ恐縮する。
「気にしないでください。ぼくが調子に乗ってただけですから。それに、ミィシャさんがカイゼリオンの傷口を凍らせてくれなかったら、ぼくは谷に落ちた時点でおぼれて死んでたと思います」
「そんなこと言わないで!」
急にレニーシャに怒鳴られて、コウタは目を丸くする。
「ご、ごめん。でも本当のことだし」
「不吉なこと言ってると本当になるんだから!」
怒りの理由が判り、コウタは素直に謝った。
「ごめん。もう言わないから」
「なら、いいっ」
そっぽ向いて大きな鼻息をひとつ。ミィシャは苦笑するばかり。
「ふたりが無事でよかったよ。探しに行きたかったけど、動けなかったから」
そっぽ向いたままレニーシャが返す。
「コ、コウタもいないし、出発してすぐだったしでベラートさんの家にも行けなかったから、大変だったんだからっ」
「じゃあ結局、あの黒いガウディウムは襲ってこなかったの?」
ちら、とコウタを見て、そっと姿勢を彼に向けるレニーシャ。
「うん。何がしたいのかさっぱり分からないわ。コウタやミィシャをあんなに傷だらけにしてさ、ほんっと腹立つ」
腕を組んで鼻息を荒げるレニーシャに、コウタは思わず礼を言った。
「ありがと、レニーシャ。怒ってくれて」
「な、なによ急に」
「レニーシャが一番怖い思いしたのに、ってこと」
「……い、一番痛かったのはコウタでしょ。そんな風に笑わないでよ」
「嬉しいんだもん。レニーシャが元気なのは」
「……ばか」
ぷい、とそっぽを向かれてしまった。でも頬が赤いのはなぜだろう、とコウタは首を傾げる。
そこでドアが開き、バウドが顔をのぞかせる。
「服、直ったぞ」
熊みたいな外見とは裏腹にバウドは手先が器用だ。こんな山奥でひとり暮らしをしていれば自然と身に付くのだろうが、あんなにも太い指が丁寧に針仕事をこなしていると思うと不思議でならない。
「あ、ありがとうございます」
「いや、何日も待たせた」
「だいじょうぶです。何から何までしてもらって、ぼくの方こそ申し訳ないです」
「好きでやってることだ」
素っ気なく言って一番近くに居たミィシャに服を手渡し、すぐにドアを閉めた。
「いい方ですね」
受け取った服をコウタに手渡し、ミィシャが微笑む。
「はい。おじいとも縁があるみたいです」
ふうん、とつぶやくレニーシャが、今度はちらちらとコウタを見ている。
「なに?」
「着替え、手伝う?」
「だ、だいじょうぶだよ。まだ痛むけど、着替えられないほどじゃないし」
「そ、そう。部屋、出てるね」
返事する間もなくレニーシャはそそくさと部屋を出ていった。
「では、何かあったら呼んでください」
そう言い残してミィシャも部屋を出る。
レニーシャの態度に首を傾げつつ、コウタは自身に巻き付いている包帯を外し、着替えを始めた。
そしてすぐに痛みでからだが引き攣り包帯に絡まって動けなくなってベッドから転げ落ち、その音で飛び込んできたレニーシャに恥ずかしい箇所を見られてしまったのは、一生の不覚だった。