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熊の龍族

 谷は深く、水流は激しかった。

 死ぬ、と何の疑いも無く思った。

 手を伸ばしても地上はすでに遠く、意識は激流に呑まれて消えた。

 なのに。


「いきてる……?」


 伸ばした手の先に、見慣れない、丸太で組まれた天井があった。

 随分高いところに窓があるな、と思ってすぐに自分がベッドの上に寝かされていることに気付き、同時に鋭い痛みが全身を襲った。


 ―そうだ、ぼく……


 痛む頭を押さえつつ記憶を探る。

 負けた。全力で挑んだのに、あの黒いガウディウムに圧倒された。

 そうだレニーシャ、とからだを起こそうとした瞬間、


「目が覚めたか」


 熊がのぞき込んできた。


「うわぁっ!」

「大丈夫そうだな。粥が出来ているが食えそうか」


 熊が喋った。

 そのことに呆然とし、おい? と声をかけられてようやく生返事ができた。


「……あ、はい。たぶん」

 少し待ってろ、と言い残して熊は右にあるドアへ向けて歩き出す。

「あ、あのっ」


 呼び止めようとして激痛をこらえながら上体を起こして、自分が包帯以外なにも身につけていないことに気付いた。


「……っ!」


 慌ててシーツを被って顔だけ出して熊を探す。


「安心しろ」

「え」

「人族のオスに手を出すほど餓えてはいない」

「あ……」


 そこでやっと熊の額から立派な一本角が生えているのを認識できた。

 龍族の男性だ。


「あの、ありがとうございます」

「気にするな。人族の子」


 むすり、と笑った。


「着替えは食事と包帯を変えてからだ」


 はい、と返事をする間に熊みたいな龍族は部屋を出て行った。

 ひとりになってぐるりと部屋を見回す。背中が痛い。ベッドは部屋の隅、小さな窓の下側に設置され、枕元には分厚い本が並ぶ小さな本棚がある。背表紙は龍族の言葉で書かれていたため読むことは出来なかった。

 部屋は広すぎず狭すぎず。他にランタンがドアの近くに掛けられている以外は家具も調度品も見当たらず、むしろ心地よかった。

 安堵したコウタの胸に湧き上がってきたのはレニーシャたちの安否だ。


「ミィシャさん、大丈夫かな……」


 崖から落下しながらもコウタは、黒いガウディウムが街ともミィシャが降り立ったのとも違う方向へ進んでいったのを視認している。

 ということは、レニーシャたちに興味を失ったのか、それともミィシャが治癒の息を使えないと判断したのか。

 よく分からないが、いまの自分にはどうにも出来ない。

 そもそもこの小屋があの崖からどれぐらい離れているのかすらも判然としないのだ。

 良い要素を上げよう。

 ミィシャは強い。龍族であることを差し引いても、自分よりも数段上の実力がある。

 おそらく、カイゼリオンに乗った自分よりもなお強い。

 龍族という種族は、肉体的にも精神的にもタフだ。人族ならショック死してしまうような傷を負っても、会話ぐらいはして見せる、とかつてベラートから聞いた。

 得意ではないですけど、とミィシャも治癒の息が使えると言っていた。

 ならば黒いガウディウムが再度ふたりを標的と選んでも、逃げおおせることぐらいはできる。そう結論付けてざわつく心を強引に納得させ、コウタは大きく息を吐く。肺も痛い。


「そうだ、カイゼリオン」


 自分が未熟なせいで彼にひどい傷を与えてしまった。

 それどころかあんなボロボロになっても自分の言うことをきいてくれた。相手の技量も推し量れず、浅はかに挑んだ自分を護ってくれた。

 せめて礼を言いたいが、星帝丸を視線で探しても見当たらない。ベッドから降りて探したいのに足が満足に動いてくれない。

 焦る。

 一度不安の墨が心に落ちると急速に広まっていく。

 万が一川に落としていたら―


「あ」


 鞘を見つけた。すぐ後ろ、枕元の本棚の脇に立てかけてある。鞘だけなのはまだカイゼリオンに差したままなのだろうか。そう考えると当のカイゼリオンの姿が窓の外にも見えないのが気になる。

 自分だけが助かったのだとしたら、ベラートになんと言って謝ればいいのだろう。

 どうしようどうしようどうしよう。

 いますぐにでも探しに行きたい。あんなになるまで動いてくれた彼を捨て置くなんてできない。動かないからだを呪うのは後だ。とにかく外へ出ないと。

 ずるり、とベッドから脚を引きずり出し、下ろす。足裏が床に触れただけで激痛が走る。でもがまんだ。気合いと根性で立ち上がり、二歩目で顔面から激突するように倒れた。


「っ!!!」


 声にならないぐらい痛い。

 それがなんだ。

 腕を床に付いて、軋む骨と筋肉を激励しながら上体を起こす。

 そこでドアが開いた。


「……なにをやっている」


 足下もやっぱり熊みたいに太く、ごつごつとしている。


「か、カイゼリオンを……っ」

「お前を乗せていたガウディウムなら、裏庭に置いてある。水はまだ残っているが、動くはずだ」

「ほんとう、ですか……?」

「嘘をついてどうなる」

「よかっ……た……」


 そこで力尽きた。

 懸命に支えていた両腕が床を滑り、またも顔から倒れ込む。

 ごと、と熊みたいな龍族が廊下に置いたのは土鍋だった。安堵したら土鍋から漂う香りに腹の虫が騒ぎ出した。

 熊みたいな龍族は嘆息し、部屋に入る。


「痛むが我慢しろ」

 ひと言断りを入れてコウタを抱きかかえる。覚悟していたほどの痛みは感じなかった。

 静かにベッドまで運ばれ、ゆっくりと下ろされる。


「ありがとう、ございます」

「好きでやっていることだ」


 照れ隠しなのか本心なのかは、十三才のコウタに判別できなかった。

 熊みたいな龍族は廊下に置いた土鍋を手に部屋に戻り、枕元の本棚からテーブルを引き出し、そこに鍋敷きを敷いて土鍋を置く。蓋に乗せておいた椀によそってコウタに差し出した。


「ひとりで食えるな」


 差し出された椀を受け取り、漂う湯気を吸い込む。添えられたレンゲで中身を確認する。熊みたいな龍族の言うように、雑穀をとろとろになるまで煮込んだお粥だと分かる。味付けはたぶん塩だけ。それも薄味だと予想し、龍族に顔を向ける。


「いただきます」

「少し熱いぞ」


 言われるまま、ふうふうと息で冷まして口に入れる。熱い。ヤケドしたかも知れない。

 少し苦い。たぶん薬草の類だろう。でもうまい。

 どれほどの期間寝込んでいたのか分からないが、空腹感は全てに(まさ)った。無遠慮は承知で空になった椀を差し出し、よそってもらい、またすぐに差し出しを繰り返し、土鍋はあっという間に空になった。


「ごちそうさまでした」

「ん。足りたか?」

「大丈夫です。とても美味しかったです」

「そうか」


 すっかりごちそうになってからで無礼だとは思うが、あれだけ無遠慮もしてしまったし、このまま名乗らないのはもっと無礼だと思い、名乗ることにした。


「ぼく、コウタロウ・フォーゼンレイムって言います。助けてもらって本当に感謝しています。えっと、名前教えてもらえますか?」

「バウドだ」


 素っ気なく名乗って少し考える素振りを見せる。


「フォーゼンレイム……。ベラートの子か」

「……孫です」

「お前たちは、そうだったな」


 むすり、と笑うバウド。

 笑い方まで熊みたいだな、と思ったが口にはしない。代わりに質問を口にした。


「おじいと知り合いなんですか?」

「昔、旅をしたことがある」

「へえ」


 そう言えばそんなことを話していた。だったらこのひとが仲介役の龍族なのだろうか。


「星帝丸の刀身もオレが打った」

「あ、じゃあ……」

「いま綺麗にしているところだ。刀身も召還機巧も問題ない」


 良かった、と心の底から安堵する。

 そんなコウタの様子を見て、バウドは椀と土鍋を手に立ち上がる。


「包帯と薬を取ってくる。傷はお前が思っているよりも深いからな」

「は、はい」


 実は、お粥を食べている時もからだのあちこちが痛んでいた。痛みで椀を手放さなかったのは食い意地が強かったからだと思うと少し情けない。

 お腹いっぱいになったら眠くなってきた。包帯を取り替えて貰うまでは、と頑張ってみたが、睡魔には勝てなかった。ゆらゆらと上体を揺らした、と思った次の瞬間には仰向けに倒れ込んでしまう。

 せめてまぶただけでも開けておこう、と思えただけでも褒めてやろう。

 バウドが包帯と薬を持って戻ってきた時には、すやすやと寝息を立てていた。


「粥の薬草が多過ぎたか」


 眠っている方がやりやすい、とばかりにシーツを剥がし、包帯を外し始めた。

 コウタが目を覚ましたのは、翌朝になってからだった。


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