はじまり:出会い
忙しく騒がしかった一日が漸く終わり溜息と共にその部屋の扉は開いた。
外からの明かりが室内を照らす。
しかしすぐに入ってきたその人の手に扉は閉じられ、明かりのない室内は暗くなる。
暗い室内を照らすのは開け放たれた窓から差し込む二つの月明かりだけだが、慣れた部屋なのだろう。入ってきた人物の目にはその光だけで十分だった。
手にしていた物を室内の丸テーブルに置いて、窓辺に寄り風を感じるように胸を反らし、そのまま腕を上げぐっとのびをする。
溜息と共に下ろされた腕。暫くそのまま空をぼんやりと見上げていたが、空から室内へと視線を転じる。派手さの全くない落ち着いた室内。
窓辺から数歩、先程物を置いたそのテーブルの前の椅子に座り、置いたもの、一振りの剣を見つめる。
この場に侍女がいたとしたら間違いなく「だらしがない!」と怒鳴る頬杖をつきながら見つめる剣は傍目にはなんの変哲もない古びた剣だ。
古びているが威厳のある立派な剣だ。ずっと倉庫の奥の方に放置されていたようで、埃だらけ蜘蛛の巣だらけどころかうっすらと黴のようなものまで湧いているように見える。
倉庫で軽く埃を落としただけでは、大して綺麗にはならない。
細かな装飾の隙間にも埃が入り込み陰影をより濃くしている。ちょっとした隙間には蜘蛛の巣が張っている。
見ているだけで黴臭が香ってくるような錯覚すら覚える有様だ。
だが、そのような有様でも、一目で大層な業物とわかる。施されている装飾は言わずもがな、その剣自体が放っている雰囲気がそこらのものとは全く違った。何故倉庫の奥で埃をかぶっていたのかと疑問に思うほどのものだ。
そんな剣を前に、頬杖をやめ、今度はゆらゆらと四本ある内の二本の足で椅子を支えて遊ぶ。
剣から視線を外すことはない。
ふわりと窓から風が流れ込んだ瞬間、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。
剣に手を添えるが、先程と変化はないように見えるが、その剣を見つめていた人には何か感じ取ったようだ。
剣から手を放し、再び窓辺に移動する。
彼の人の見つめる先に何があるのか。
「行くか。」
ぽつりと零された言葉に反応するように剣が僅かに光を帯びたが、背を向けている彼の人は気付かない。
妖剣ヴァイセは微睡みのなか持ち主に思いを馳せる
持ち主は陛下の手の届かぬところにあり、闇の中にいる
彼の者が陛下の姉弟となり、長らく王を支える右腕となるか
王に仇成す混乱の先導となり傷つける者となる
どちらに成るか、どちらにも成るか成らぬか、それは我らが竜王次第
即位時託宣の一部より
よく晴れた昼下がり賑やかな都の大通り。
「一度もお会いできないまま出発って」
眉間に皺を寄せたままぶつくさと呟いてはいるが、その足取りは止まらない。
そんなティーナの後ろをフェリクスは眠そうな眼で付いていく。
「お忙しいと言っていたから、仕方がないだろう。この任務が終わればお会いできるんじゃないかぁ?」
語尾は欠伸と共に放たれた。
それを振り返って半眼で睨み上げるが、結局何も言わずに視線を前に戻す。
「私たちみたいなぺーぺーの新人にそんな機会なんてそうあるわけないでしょ!」
人の多い通りだが、地団駄でも踏みそうな勢いで足を進めるティーナに周囲が自然と道を空けるため、人にぶつかることなく目的地へと向かえる。
その様子を後ろから付いていくフェリクスは凄く楽だと思いつつも口には出さない。
口にしたが最後、やり場のない不満の矛先が自分に向いて面倒なことになるのは必至だ。
「しかも、隊服も無し!紋章も無し!任命書も私たちの手元に無し!ないないづくしじゃない!」
「いや、資金は潤沢だろ?」
「金だけありゃいいって話じゃない!」
「私は!」と振り返ったティーナに鋭い視線を向ける。
「その先は言うなよ。」
「うぐぅ」と蛙を踏みつぶしたような声を出して押し黙った。
押し黙ってテンションまで下がり、今度はとぼとぼと歩き始める。
先程までとは違い威圧感も何もない歩き方になり、自然と出来ていた道がなくなった。
楽だったのにとは思ったものの口には出さず、代わりに出たのは溜息だった。
歩幅も小さくなり歩みも遅い。
俵担ぎにでもして持って行った方が早いんじゃないだろうかという考えが頭を過ぎるが、静かになったのがまたうるさくなると思うと、それも面倒だ。
いろいろと考えた結果。
「待ち合わせの時間、大丈夫か?」
告げた瞬間、一度びたっと止まったティーナが先程のように勢いよく振り返った。
「さっさと言いなさいよ!」
「すまん。」
素直にというか、受け流すために零れた謝罪の言葉に耳も貸さずに、再び先程よりも大人しいがすたすたと歩き始めた。
先程のような威圧感がないため、道が出来ることはないが、人の間を縫うようにすいすいと進んでいく。この人込みで頭1.5個下にあるティーナの後を追うのはなかなか難しいが、今日は目的地がわかっているから、はぐれても問題はない。
問題はないが、見失ったことがばれるとまたうるさくなるので、何とか付いていく。
そうこうしている内に目的地に着いた。
その目的地とは表通りに面したカフェテラスだ。最近出来たばかりで若い女性の間で話題になっているらしい。テイクアウトも出来るらしく、入り口はかなり混み合っている。それも女性客ばかりだ。
その様子を見てフェリクスは思わず溜息を吐いた。
「ここに俺も入るのか。」
「テラスの方からも入れるみたいだから、外で待ってていいわよ。」
「すまん。助かる。」
「見える場所にいなさいね!」と言ってティーナは人込みの中に突入していった。
先に購入を済ましてから席に着くタイプの店だから、ティーナが何も買わずに店内に足を進めると、数人から刺さるような視線が寄越される。店員に「すみません、待ち合わせで。」と声を掛けるとにこりと笑って店内に促される。
きょろきょろと店内を見回すが、待ち合わせの人物が見あたらないらしい。首を傾げながら店内の奥に足を進めていく。
ティーナが店内を探している間、フェリクスはテラスの方へと足を運ぶ。
ちらりと店内見て、甘ったるそうな雰囲気に辟易という表情をしたあと、テラス席を見る。
そのテラス席の奥だが、通りに面した席にここに来た目的の人物を見つける。
「あ。」
見つけたその人は、黙々と本を読み進め、此方に気付いた様子はない。
店内に目を走らせティーナを探すと、丁度店内を探し終えてテラスの方に出てきたティーナと目が合う。
視線で奥へと促すと、すぐにティーナもあ!と言う表情になった。
すぐにつかつかとその人物の傍に寄っていく。
「あの、ワタライ・ユーリさんですか?」
ティーナはこう言うときに全く物怖じしない。
聞かれた方は本から顔を上げてティーナを見つめ、にこりと笑った。
「はい、えーとティーナ・インファンティーノと」
ティーナから視線が外され視線が走り、視線が合う。
「フェリクス・グートシュタインですね?」
軽く会釈をするとワタライ・ユーリは満足げに笑った。
「よろしくお願いします。」
「さて」と呟いて手に持っていた本を閉じ、自分の背に置いていた鞄にしまい込む。座っていた椅子とは反対の椅子に立てかけていた細長い荷物を手に取って立ち上がる。
「色々お話ししたいのですが、ここは人が多いですから、移動しましょうか。」
待つ間に飲んでいたコーヒーのカップを店内に一カ所設えてあるダストボックスに片付け店員に軽く声を掛け、その後ろ姿に店員らから「ありがとうございました!」と元気の良い挨拶で送り出されてきた。
「まずは北の大門に向かいましょう。」