そうして物語は、はじまりを告げる
ー 深い深い意識の奥で。
ー 誰かが嗤う。
ー 暗闇の中で、彷徨う意識。
ー 光はもう、すぐそこまで迫っていた。
ー 長き眠りからの目覚め。
ー そうして物語は、はじまりを告げる。
ーーーーー
目を覚ますと、そこは馬車の中だった。
とても長い夢を見ていた気がするのだが、何も思い出せない。
頭の中はまるで靄がかかっているかのように、ぼんやりとしている。
フィリア=マキアートは小さな欠伸をこぼした。
馬車はどこかへ向かっているようで、ガタゴトと嫌な音をたてながら揺れる。
フィリアはぼんやりする頭を働かせて、少しずつ今までのことを思い出していた。
フィリア=マキアートはコンスタンティノ王国のセルディア伯爵家に生まれた子供だ。
正確に言えば、セルディア伯爵が出来心で、使用人だったセイラ=マキアートに生ませた子供である。
その事実が発覚した時、本妻はそれはそれは怒り狂った。
すぐさま本妻は母娘共々家から追い出そうとしたが、不運なことに出産で身体の弱っていたセイラは娘を一人残し、数日後に亡くなってしまう。
その後の話し合いの結果、生まれたばかりで何ひとつ一人で出来ない赤子は伯爵家が預かることになった。
もちろんフィリアの扱いは良いものではなかった。
離れ家に乳母を一人だけつけて、放置である。
生きるのに最低限のものだけ与え、伯爵家は一切フィリアに関わろうとはしなかった。
明らかに良いものとは言えないフィリアの環境で唯一幸運だったのは、乳母であるサラが様々な教育を受けた優秀な者であったことだろう。
サラは使用人として仕えていたが、家庭教師、冒険者、などの経験もあるハイスペックな人間であった。
貴族の使用人として働くのに必要なものは身元が確かであること。
逆に言えば、身元さえ確かであればよっぽどの欠陥がない限り働くことが出来た。
つまりこれまでやってきた仕事などはあまり重要視されない。
もちろん、何かしらの罪を犯していないことは前提とされるのだが。
そのためサラの能力の高さは伯爵家に知られることはなかったし、屋敷で働きはじめたばかりの新人というだけで、乳母を押し付けられたのだ。
だが、幸運なことにサラは善良な人物であった。
彼女はフィリアの境遇を憐れみ、将来役に立つようにと様々なことを教えた。
字の読み書きをはじめ、令嬢が習うお作法、剣、魔法、国の現状、他国の文化、…など。
普通の令嬢は習わないようなことまで、フィリアに叩き込んだのだ。
そうしてフィリアは自分でも知らぬまま、サラから英才教育を受けながら育ち、14歳になった。
そして、その噂が王国内に飛び交い始めたのもその頃だった。
「フェノール王国から花嫁の要求がきた」と。
この世界には、大陸の中心に大きな国がひとつ。
その周りを囲むように、5つの国が存在している。
フィリアの住むコンスタンティノ王国はその5つの国の中のひとつだ。
そしてフェノール王国とは、大陸の中心にあり、この国で最も広い土地を持つ大国のこと。
しかし、その国に住むのは人間ではない。
そこは吸血鬼、つまりヴァンパイアと呼ばれる者が統べる王国なのである。
数百年も昔の話だ。
この世界で繰り返し戦争が起こっていた時代のこと。
ヴァンパイアと人間は何度も何度も戦争をしていた。
一人一人が高いスペックを持つが、数の少ないヴァンパイアと、スペックは低いが、数の多い人間と。
普通に考えれば、力の差は歴然としていた。
だが、数は時にそれを覆す。
勝つことは少なかったものの、人間もそれなりに勝利をおさめていた。
そんな暮らしが何年も続いたある日。
フェノール王国の王が変わった、という噂が大陸内に知れ渡る。
そして、全ては変わってしまった。
今までヴァンパイアたちは、個々のスペックが高いことを理由にほとんど正面からの力業で戦争を行ってきた。
しかしその日からヴァンパイアたちの戦い方が大きく変わる。
今までのように、力業で勝利を狙うのではなく、戦術を立ててくるようになったのだ。
大きく戦い方の変わったヴァンパイアたちに人間はついて行けなかった。
もともと知恵の限りを尽くして何とか勝ってきた相手だ。
その知恵という武器さえも相手が使うようになってしまったら、人間たちになす術はなかった。
圧倒的な力と知恵を持つようになったフェノール王国を、人間たちは恐れた。
そして、それから数年……。
ついに人間たちは降伏をする。
条約を結び、お互いに二度と戦争を仕掛けないと誓いを立てたが、人間側が降伏したことにより、立場的にフェノール王国は世界の頂点に立った。
そして戦争を終わらせるために、人間側はフェノール王国の要求をひとつ飲むことになる。
その際に、フェノール王国が5つの国に要求したこと。
それが……。
「数十年に一度、それぞれの国で一人、最も何かしらの才能があり、美しい容姿の少女を花嫁としてフェノール王国へ差し出すこと。」
【花嫁】とはその名の通り、フェノール王国に嫁入りすることをいう。
だが、フェノール王国での人間の立場はとても低い。
そのため表向きは【花嫁】と呼ばれてはいるが、実際は【生贄】のようなものなのである。
国を守るために、選ばれた少女たちは本人の意思に関係なくフェノール王国へ差し出されるのだ。
そして先日、フィリアはその【花嫁】に選ばれた。
(……ああ、そうでした。私は城へ行くのでしたね。)
フィリアは馬車の揺れに身を任せ、再び目を閉じた。
ことの始まりは数日前。
突然のことだった。
家に届いた王城からの手紙。
「…ついに、来たのですか。」
母屋のメイドから手紙を受け取ったフィリアは小さく呟いた。
フェノール王国から例の要求が来ていることは知っていた。
そして自分がそれに選ばれるかもしれないということも。
フィリアは生まれつき魔力量が多かった。
そう、それは王族に匹敵するほど異常に。
そして幼い頃からサラの教育を受けていたため、魔力の扱いにも長けていた。
そしてフィリアは、母譲りの白銀の髪と空色の瞳を持つ、美しい少女だ。
『いい?特別に教えてあげるけど、あんたは【花嫁】なんかじゃなく、本当は【生贄】なのよ。可哀想なこと。まあ、あなたにはお似合いの役目なのではなくて?せいぜい長生きできるように頑張ることね…!』
不意に本妻の娘から投げつけられた言葉を思い出し、思わず苦笑した。
そんなこと、もちろん分かっている。
この国では【花嫁】に選ばれることが名誉のように思われているが、実際は全く違う。
事実、【花嫁】本人に拒否権は存在しないのだから。
要は厄介払いしたかったのだろう。
王族に次ぐ魔力量を持つ私を。
王国では手に負えなくなる可能性がある、私を。
国から追い出すのが、一番楽だから。
ガタン、ゴトン。
耳障りな音をたてて。
ガタン、ゴトン。
馬車が揺れる。
そうして、フィリアは向かっているのだった。
【花嫁】という名の【生贄】として、フェノール王国へ。