クエスト名称:教会で通信
ゲーム世界に召還された僕の心境は、最初の頃と比べると、コペルニクス的様変わりだ。
いまは、ひたすらに恐い。
恐ろしいの一言だ。
RPGでは、町から町へのフィールド移動は極々普通のことであり、モンスターとの戦闘もありふれたもの。クエクエをプレイしていた僕も、しごく当然、そのシステムを受け入れていた。
しかし、待ってほしい……。
リアル世界の常識で物事を捉えれば、アフリカやジャングルじゃあるまいし、
「ちょっと出かけて来るよ」
と、隣町へ向かう途中で、闘争心むき出しの猛獣に遭遇するだろうか?
常識では考えにくいことだし、遭遇したとしても野良犬くらいだし、稀にクマと鉢合わせて大怪我、なんていう報道がある程度で、襲われるなんて皆無だ。安心して外を歩ける。
だが……。
この世界はちがう。
城や町や村から一歩でも外へ出れば、やつらは本気で、僕を殺しにかかって来る。
モンスターたちは容赦なく、僕の喉元にがぶりついてくることだろう。
言うまでもなく、この世界で死んでしまったら人生終了である。
こんな恐ろしい世界に、真衣と李里ちゃんは、2週間も前からいる。
僕だったら、恐怖心から足が竦んでしまって、一歩たりとも外へは出ない。出たくない。
けれど真衣は、魔王に捕らわれた李里ちゃんを救出するために、命がけで頑張っている。
その精神力は凄まじいものだ。
たとえるなら、狂気にみちた猛獣だらけの無人島に、裸同然で放り込まれたのと等しい。そんな状況で、このゲーム世界のストーリーを進めてレベルを上げているのだから、まさしく勇者である。
またもう1つ、恐ろしいことがある。
それは、魔王がNPCということだ。
もし、李里ちゃんを攫った魔王が、リアル世界の恋敵であれば、まだ、はなしの通じる相手なのだが……。
リアルな人間でないぶん、血も涙もない正真正銘の魔王であって、モンスター同様、容赦しないだろう。
となれば……。
「捕らわれた李里ちゃんの命が危ない! きっと、奴隷なんかにされて、よくわからない魔王の神殿の建造に、扱き使われているんだ! ムチとか打たれて、うわんうわん泣いているにちがいない!」
「いや、ないから。李里はちゃんと無事でいるわ」
僕の妄想を、真衣は明確に否定した。
「なんでそんなことわかる?」
早く助けに行かないと死んじゃうかも知れないんだぞ。
「ユッキーには、ことばで説くよりも実際に見てもらったほうがいいわね。ついて来て」
「またついて行くのか」
今度はどこへ連れてってくれるのかと思ったら、
「ここ、教会じゃん?」
ポポ村という小さな村にふさわしい、それ相応の白い建物。
教会の扉をあけて、真衣が、
「神父さんに頼めば、捕らわれた李里と通信ができるの」
「なんだって!?」
つかつかと中へ入って行けば、神父が、
「よくぞまいられた。人は皆、神の子。わが教会にどのような御用かな?」
クエクエで耳にした台詞を言った。
「真衣、通信ってどうことだ?」
「まあ、見てなさいよ」
そう言うなり、真衣は〔小さな布の袋〕を取り出して、
「捕らわれた姫と通信をお願いします」
「500Gになるが、どうするかな?」
「はい」
袋を逆さまに、ゴールドがジャラジャラ出て来た。
物理的にあり得ない量だ。
「うわっ! その袋、めちゃくちゃ入るんだな。そっちのほうがおどろきだ」
「いいから。ほら、通信がはじまるわよ」
ゴールドを確かめた神父が、
「おお、神よ! この者たちの冀求を、ひとときの間、叶えてくだされえええぇ!! キエェェェ!!」
両腕を高くかかげて奇声を発し、青筋を立てて、神に祈りを捧げはじめた。
「なんなんだ!? いったい、なにがどういうことだよ!?」
神父の、あまりの予想斜め上の行動に僕は度肝をぬかれた。
「ぬおおおおぉぉぉ!」
血管、ぶちぎれそうだった。
と……。
目の前にある石の祭壇に、白い光が差し込む。
そして、ガスのようなモヤモヤしたのが漂いはじめて形をつくる。
それは、30センチくらいの人形のようだったが、だんだんと整形されて……。
「あ! 李里ちゃん!」
祭壇に登場したのは、紛れもない、李里ちゃん本人だ。いや、李里姫だ。
淡いピンク色のドレスを着て、頭にのせたティアラ、腰まで伸びた髪はふんわりと巻いている。
ふっくらとしてやさしい目元に小さくてぷりっとした唇、愛くるしい顔立ちの童顔だ。
肩を露出したドレスから覗ける白い肌と鎖骨……可愛いフィギュアのよう。
「コレ、持ち帰ってもいいかな?」
「は? バカじゃないの?」
キッと睨まれて僕は、真衣に祭壇かららすこし遠ざけられた。
「李里、大丈夫? 苦しいことはない?」
真衣が問いかけると、祭壇に現れたフィギュアサイズの李里ちゃんが、
「うん! 大丈夫! 召使いの人たちも良い人だし、苦しいことないから心配しないで! 昨日は食べきれないほどの御馳走だったんだよ? 大きなお風呂もあって、泡いっぱいなの! あわあわのお風呂!」
ハツラツとした笑顔で答えた。
どうやら、奴隷にはなっていないようだ。
というか……豪華な食事でもてなされて、姫として優遇されていた。
こんなことなら僕も姫を選択しておけば良かった。
「真衣ぃ、あとどれくらいで迎えに来れるの? 魔王の城から出ることできないし、城の中だって、自由に動けないんだよ……?」
「そんなのわからないわ。けど、おおよその目星はついてるから安心して。それに、まあまあの戦力もできたしね」
「……ひょっとして、まあまあの戦力って僕のこと?」
尋ねたら、真衣にジロリと睨まれた。
それはまるで、電話中の会話に入って来るなと言わんばかりの態度だ。
このままでは一言もしゃべることができないので、僕は思い切って、
「李里ちゃん! 僕が来たからには助かったも同然だよ! すぐに行くから!!」
勢いよく、祭壇の前へしゃしゃり出た。
なのに……。
「まあまあの戦力? 真衣、お友だちでもできたの? ずるいーっ!」
ぷぅ〜、と頬をふくらませる李里ちゃん。
完全に僕のことを無視した。
いや……僕のことが見えていないようだ。
「ふふっ」
と、いやな笑い方をする真衣は、にやりとして、
「通信はゴールドを支払った人にしか権利がないのよ。はい、残念でしたー」
「そんな! ちくしょう!!」
「通信の邪魔だから、そっちに行ってて」
ポイッと、祭壇の脇へ追いやられて僕は、ただただ真衣と李里ちゃんの会話を傍観するほかなかった。
「だれかいるの? お友だち?」
「ううん、こっちのはなしよ。それより、これから私が言うことを実行してほしいの。いい?」
「う、うん。わかった。どんなこと?」
祭壇の上で、李里ちゃんは畏まった顔になる。
「このRPGを攻略するには、李里の協力が必要不可欠。だって必要なかったら、姫の職業はないはずだもの。姫にも、役割が与えられているのよ」
「……言われてみれば、そんな気がしてきた。うんうん」
李里ちゃんは神妙にうなずく。
「それでね、姫は『魔王の城に閉じ込められている』ではなくて、もしかしたら『魔王の城を探索できる』ってことなんじゃない?」
真衣のことばに、はっとした。
そういう物の見方もできなくはない。いや、そうにちがいない。
でないと、〔姫〕という職業を選択した時点でこのゲームは詰むことになる。
「そっかー! 真衣、頭が冴えてるよお!」
「だからね、李里。あなたに、魔王の城をいろいろと調べてほしいの。ゲーム攻略に関する情報があるかも知れない。召使いの人たちがいるんでしょ? ひとり残らず尋ねてみて。ほかにも本とか、隠し通路や隠し部屋とかあったりするかも。とにかく、思い当たることは全部やってみて!」
「ぬぬぬ!」
真衣のことばを遮って、血管の浮き上がった神父が、
「そろそろ……!」
両腕をかかげたまま、踏ん張っていた。
「いい? 頼んだわよ、李里」
「うん、わかった! 真衣、また通信してくれる?」
「必ずするわ。それじゃ、またね」
言い終えると同時に、李里ちゃんの姿が湯気のようにふわんと消えてしまった。
神父がぜえぜえ言っている。
「ほかに、御用は、ありますかな?」
「……いいえ」