◆第六話『休戦交渉』
十一月二十八日(ガラトの日)
ファルール大陸の北部。
やや王都寄りに位置する街――カイドナ。
周囲に点在する村々から王都へ農作物が運びこまれる際、ここを中継することが多い。おかげで、人口が百人程度という街と呼ぶには小規模であっても、そこかしこから活気が感じられた。
本日、このカイドナで帝国との休戦交渉が行われる。
そのためか、街は朝から活気があふれつつも、どこか空気が張りつめていた。
ファルール王国がカイドナに所有する屋敷にて。
ラグ・コルドフェンは、幅広の廊下で軽く頭を下げる。
「本日はよろしくお願いいたします」
「はい。わたしも、護衛の任をしかと務めさせていただきます」
応じてくれたのは、エリアス・ログナート。
リヴェティアの王城騎士だ。
本日の会談中、彼女が護衛を務めてくれることになっている。
「本来はディーザの騎士に任せるところなのですが……」
「こういう事態ですのでお気になさらないでください。それに、いまはディーザとリーヴェの騎士に大きな違いはないかと」
「そう言っていただけると助かります」
会議室を目指して、ラグはエリアスとともに歩きはじめる。
「コルドフェン殿は、今回の会談をどう見ておられますか?」
「そうですね……中身が想像できないな、と。いまの状況下では、双方がどんな要求をしたところで、それが通るとは思えないのです」
「しかし、それでは会談の意味が――」
「ええ、ありません。だからこそ、ほかにも意図があるように思うのです。時間稼ぎか、あるいはファルールの視察か。狙いまではわかりませんが……」
「なるほど」
「懸念があるとすれば元老院の存在でしょうか」
「いくら中立とはいえ、彼らの本部はティゴーグの貴族街にありますからね」
「はい。帝国側の有利になるよう働きかけてくることも想定しておかなければなりません」
「大陸の調停者が不安要素でしかないとは」
「状況が状況ですからね」
大陸が落下したとき、最大級の危機に直面することは容易に想像できる。
まともな統治者であれば、多くの食料が管理されることは間違いない。
そうなったとき、金銭の類はその価値をなくすだろう。
それが一時的なものか、はたまた長期的なものになるかは予測できない。いずれにせよ金銭の価値が失われれば貴族の力も弱まる。それは同時に、彼らあっての元老院の地位が磐石ではなくなることを意味する。
そうした中で元老院が大陸落下後の安定を得るため、いま、帝国に与する可能性は非常に高いと言える。
「そう言えば、本日の会議にベルさんは来られるのでしょうか?」
「彼が参加すると混乱を招きかねないので、遠慮してもらいました」
「たしかにそうですね」
少し残念だな、とラグは思った。
今回のファルール訪問では、会談に関する会議や調整などでほとんど自由な時間がとれていない。もちろん遊びで来ているわけではないのだから当然と言えば当然だ。
そんな中で、公であったらベルリオットと会えるかもしれないと淡い期待を抱いていたのだが、現実はそううまくいかなかったようだ。
ふとラグは、隣を歩くエリアスの姿が気になった。
別段おかしなことがあるわけではなく、むしろその逆だ。
並んでみるとわかることだが、エリアスは背が高い。
それだけでなく出るところは出ていて、とても女性らしい体つきだ。ひどく整った顔、それを包むように流れる長い金髪も含め、非の打ち所がない。
本当に綺麗な方だなあ。
きっと多くの男性から言い寄られているに違いない、とラグは思う。
彼女を横目にしながら、気になったことを訊いてみる。
「ログナート様は、いつベルさんと知り合ったのですか?」
「一時期、ひ……リズアート陛下が騎士訓練校に体験と称して入学されたことがありまして。当然、護衛である私もお供させていただいたのですが、そのときに」
「なるほど。訓練生のベルさんがどんな感じだったのかすごく気になります」
「それはもう酷いものでした。授業中はよく居眠りをしていましたし、授業でその姿を見ないと思ったら外で寝ていることもあったのですから」
「そ、それは褒められたことではありませんね……」
「授業態度だけではありません。目上の者に対しての態度もよくありませんでしたね」
「あはは……たしかにベルさん、いまもそのあたりは苦手そうですね」
「わたしとしてはもっとしっかりしていただきたいのですが」
「ログナート様、ベルさんのことよく見てらっしゃいますね」
ラグは思ったことを何気なく口にした。
ふいにエリアスが足を止め、目を瞬かせる。それからわずかに硬直したかと思うや、あわてふためきながら口を動かしはじめた。
「わ、わたしは別に彼をよく見ているとかそういうわけではなくて! ただ姫の友人として、またいまは同じ騎士として、彼がふさわしいかどうかを見極めるためにっ!」
……わ、わかりやすい方だなあ。
顔を真っ赤に染めたエリアスを目にしながら、ラグは微笑む。
「大丈夫ですよ。誰にも言いませんから」
「だ、だからわたしは別に彼のことなどっ!」
/////
赤と茶の格子模様の壁に囲まれた、広々とした殺風景な部屋。
いま、そこに会談の参加者が集まっていた。
ラグが見つめる先、対面の席に四十代前後の男性が座っている。彼が帝国大使だ。紫の法衣に身を包み、あちこちに華美な飾りをつけた格好からは、いかにも豪商上がりといった印象を受ける。
帝国大使がゆっくりと口を開く。
「本日は我々の申し出に応じていただき感謝する」
「そういうのはいいから、さっさと始めようじゃないか」
そう返したのはファルール王だ。
参加者の中に、王は彼女ただひとりしかいない。
ほかの参加者は、ラグと帝国大使を除けば、メルヴェロンド王国から教会の司祭がひとりのみ。あとは各人に護衛騎士が一人ずつ控えている格好だ。
立会人である元老院は、双方を見渡せる場所に席についている。
送られてきた議員は二名のみ。
どちらも皺が深く、髪が真っ白という老人だ。
ちなみに彼らを護衛する者はいない。
無用心であるとしか思えないが、信頼の証ともとれるので判断しがたいところだ。
帝国大使を見据えながら、ラグは口火を切る。
「まずはそちらの真意を問いたいのですが」
「真意、とは?」
「先のメルヴェロンド大陸での戦争は、帝国側によって引き起こされたものです。にも関わらず、そちらは休戦したい、と。あまりにも都合が良すぎると思うのですが」
「我々も、むやみに死者を出すことは望んでいない」
「戦争をしかけてきた方々が仰る言葉ではないかと」
「メルヴェロンド擁する教会が我々帝国を敵視する限り、いつかは起こりえたことだ」
なんとも不遜な物言いだ。
個人での参加であったなら、若輩者として見下されている、と割りきれただろう。
しかし、いまの自分はリヴェティア・ディザイドリウム両国の代表として参加しているのだ。敬意を感じられない相手の応対に、ラグは思わず不快感を覚えてしまう。
帝国大使が、教会司祭のほうをちらりと見やった。
「こちらの要求は1つ。サン・ティアカ教会教皇の身柄を引き渡してもらいたい」
相手が無茶な要求をしてくることはわかりきっていた。
今しがた提示された要望も、最悪の部類ではあるが、予想の範疇だ。
室内に緊張がはしる中、帝国大使が話を継ぐ。
「もし要求が呑まれれば、我々はファルール大陸に今後いっさい手を出さないだろう」
そうきたか、とラグは感心しつつ、その絡め手に嫌悪した。
リヴェティア・ディザイドリウム両国の同盟は強固だ。
メルヴェロンドとの絆も深いと言える。
そんな中、ファルールはほぼリヴェティア側とはいえ、いまだ明確な立場は公に示していない。つまり、いま方針を転向したところで形式上はなにも問題はないのだ。
帝国側は、そこをついてきた。
とはいえ、ファルール国民は親リヴェティア派が多い。くわえて、メルヴェロンド大陸と隣接していることもあり、サン・ティアカ教会の信徒が多数存在する。仮に教皇を帝国側に引き渡すようなことがあれば、国民の反発はまぬがれないはずだ。
さすがにファルール王も、このような馬鹿げた要求をのむとは――。
「悪くない提案だねぇ」
「ふぁ、ファルール王っ!」
ラグは思わず声を荒げてしまった。
司祭も目を瞠り、動揺を隠しきれない様子だ。
帝国大使にいたっては、してやったりとわずかに口の端をつり上げている。
ファルール王の意図をラグは理解できなかった。
間違いなく彼女は、リヴェティア側の味方として動いていたはずだ。
すべて、偽りだったのだろうか。
仮にファルールがすでに帝国側についていたとしたら……?
最悪の事態を考えて、ラグが先の一手を考えはじめた、そのとき――。
「でも、つまらないね」
先ほどとは打って変わったように、ファルール王が声の調子を落とした。感情を消したように冷たい表情を浮かべながら、彼女は帝国大使にするどい目を向ける。
「手を出さない? ふざけるんじゃないよ。いま、大陸は順々に落ちてるんだ。ありえない話だけど、仮にうちとガスペラント大陸が残ったとして、そっちが手を出してこないはずがないだろう」
その言葉は、静かでありながらたしかな怒気がこめられていた。
張りつめた空気を壊さないよう、帝国騎士の口からそっと甘言が紡がれる。
「ファルール国民が不自由なく暮らせる特区を設けられるよう私から進言しよう」
「少なくともうちより生活水準の低い国が口にする言葉じゃないね」
「……なにが望みだ」
「ガスペラント王の首」
言って、ファルール王が不敵な笑みを浮かべた。
あまりに自然に放たれたために、発言者である彼女を除いた誰もが唖然とする。
やがて意味を頭で理解した帝国大使が、弾かれたように席を立ちあがる。
「ふ、ふざけるな!」
「教皇の身柄を引き渡せ、なんていうふざけた要求を先にしてきたのはそっちだろうに」
「こちらは命までは求めていない!」
「似たようなもんだろ」
ファルール王に言われ、帝国大使が押し黙った。
その様子を見て、ラグは心の中でほっと息をつく。
ファルール王が帝国側につくのでは、などという心配は、どうやら自分の杞憂だったらしい。
ファルール王は初めから帝国の要求など呑む気はなかったのだ。会議の流れを掴むために、わざと相手にいったん与するような振る舞いをしたのかもしれない。
飄々としていて掴みどころはないが、やはりあなどれない方だ、とラグは思う。
「双方、落ちつかれよ」
殺気だった室内に、元老院の言葉が投じられた。
これまで沈黙を貫いていたこともあってか、ほかの者は全員が身構えるように次の言葉を待った。
「双方、落ちつかれよ」
しかしふたたび放たれた元老院の言葉は、先ほどとまったく同じだった。
「ソウホウッ、ソウホウッ、オヂヅカレヨ……!」
そう繰り返しながら、徐々にたどたどしくなっていく。
ふいに、元老院の二人が揃って脱力したように背もたれに身を預けた。がくん、と頭が後ろ向きに倒れ、天井を見上げる格好になる。
明らかに様子がおかしい。
「ふむ。この茶番にも飽きていたし、ちょうどいい頃合か」
ふいに立ちあがった帝国大使が、自身の腹へと両手を突きたてた。肉が、血が辺りに飛び散る。室内が騒然とする中、彼は獣のように荒く息を吐きながら、腹に突き刺した手を引き抜いた。その両手には、一つずつ黒色のにごった結晶が握られている。
過去、グラトリオ・ウィディールによって引き起こされた事件の際、黒導教会が黒色結晶を口にすることでシグルへ変貌していたという。
その情報が脳裏に浮かんだラグは、とっさに叫んだ。
「いますぐに彼をとめてください!」
エリアスがアウラを纏い、武器を生成する。
しかしそのときには、すでに帝国大使の手によって元老院の口に黒色結晶が押しこまれていた。
「神よ! 彼らを真なる園、漆黒の世界へと導き給え!」
帝国大使が叫ぶやいなや、その場にばさりと倒れた。
直後、元老院の眼球がぐりんと回転する。あらわれた白目が紫へと急激に変色していく中、元老院のすぼめられた口から奇声が発せられた。漆黒の柱が彼らを中心に発生し、天井を貫いていく。
異様な光景を前に、ラグはただぼう然とするしかなかった。
元老院の体がねじれ、肉片が弾けとぶ。それらがまた光の支柱へと収束し、すべてが黒く染められたとき――。
そこに、二体の黒の一角獣が立っていた。
「モノセロス……っ!?」




