◆第四話『突然の来訪』
ファルール王と別れたベルリオット・トレスティングは、クーティリアスとともにファルール王宮内を歩いていた。
先ほどから巡回中の騎士とよくすれ違う。
騒がしいわけではないが、少しばかり居心地が悪い。
曲がりくねった回廊へと出た。
通じる部屋がないことから察するに、どうやらさして重要な場所ではないようだ。辺りに騎士の姿もなく、ベルリオットはようやくほっと息をつけた。
「後悔……してるかな、ベル様」
ふいにクーティリアスが立ち止まるや、そう言った。
彼女の口にした後悔とは、おそらくベルリオットがアムールであると明かしたことについてだろう。
ベルリオットも足を止め、振り返った。
不安に満ちたクーティリアスの顔が映る。
「クティ……?」
「あのとき、ぼくが精霊の翼があるなんて言わなきゃ――」
「それは違う」
なかば叫ぶように放たれた彼女の言葉を、ベルリオットは遮った。それから意志を込めて、ゆっくりと彼女に伝える。
「俺が選んだんだ」
「でも、ベル様……さっきたくさんの信者を目にして、びっくりしてた」
「アムールであることを明かす。それが俺の思っていた以上に大きな問題だったってだけだ。後悔はしてない」
「……ほんと?」
うかがうような目を向けながら、か細い声で訊いてくる。
その様は、泰然とした教会の司祭のときとは大違いだった。だが、目の前の彼女こそが、本当のクーティリアスであることをベルリオットはよく知っている。
彼女の濃淡のある緑髪をくしゃりと撫でる。
「ああ、本当だ。ごめんな。不安にさせて」
「ううん」
目を細めながら、クーティリアスが頭をふるふると動かす。
そのたびに彼女の柔らかな髪が手に触れ、くすぐったかった。
「ありがとう、ベル様。もう大丈夫だよ」
言って、クーティリアスがすっと離れる。
言葉通り彼女の顔からは、もう不安はうかがえなかった。
「ねえ、ベル様。聖下から御言葉を預かってるんだ。聞いてもらえるかな?」
「あ、ああ」
いったいなんの話だろうか。
ベルリオットが目を瞬かせる中、クーティリアスが一歩二歩と後ずさった。それからわずかに腰を下げ、頭を垂らす。
「これより先、いかなる困難が待ち受けていようとも、我らサン・ティアカ教会は、あなた様の御旗のもとに」
それは、ベルリオットに恭順の意を示すものだった。
自らアムールであることを明かした結果だ。
拒むことは彼女らを裏切ることと同義である。
ベルリオットは目をつむった。ゆっくりと息を吐いてから、まぶたを持ち上げる。そして静かに、言葉をつむぐ。
「わかった。しかと受け取ったって伝えてくれ」
「……うん。ありがとう、ベル様」
彼女の「ありがとう」は、ベルリオットの胸にひどく響いた。迷っていたわけではないが、この選択で良かったのだと改めて思わせてくれた。
心に余裕が生まれたからか、互いの表情に自然と笑みがこぼれる。
「ぼく、これから聖下のところに行かなきゃなんだけど……ベル様、一人で大丈夫?」
「別になにかと戦うわけじゃないしな」
「寂しいかなって思って」
「俺は子どもかよ」
言ってベルリオットが肩をすくめると、クーティリアスはくすくすと笑った。
「じゃあ、行ってくるね」
そう言い残して、彼女は来た道を戻っていく。名残惜しそうに何度か振り返っていたが、やがて曲がり角に差しかかり、ついにその姿は見えなくなった。
ここまでついてきたことから察するに、ずっと話しかける機会をうかがっていたのだろう。面倒をかけたな、と思う反面、彼女の気遣いは嬉しかった。
ベルリオットは振り返り、ふたたび歩みを再開。間もなく幅広の廊下へ出ると、ふと前方に足を止めた十人ほどの集団を見つけた。見知らぬ者もいたが、ほとんどがリヴェティアの王城騎士だ。
「ベルリオット・トレスティング……?」
そう声をかけてきたのは、集団の中心に立つ女性騎士。癖のない黄金色の髪を腰まで流した彼女は、リヴェティア王城騎士序列三位のエリアス・ログナートだ。
彼女は目をぱちくりとさせながら、問うてくる。
「もう歩いても大丈夫なのですか?」
「ああ。まだ激しい運動はするなって言われてるけどな」
「忠告だけでは、あなたには意味がないですからね……」
「信用ないな」
「いま一度、自分の行いを振り返ってみるべきでは」
そうして彼女と軽口を叩く中、ふと他の騎士たちの表情が気になった。こちらをちらちらとうかがいながら、どう接していいかわからないといった感じだ。
目の前に、神と崇められるアムールがいるのだ。無理もないな、と納得しながらも、ベルリオットはどこか寂しさを覚えてしまう。
ふいにエリアスが、なにかを思い出したように口を開いた。
「そうでした。リヴェティアからあなたに会いに来た人がいますよ」
「俺に?」
「はい。……ん? 彼女はどこに」
「ログナート卿、そちらに」
傍の騎士が近くの石柱を指差した。
そちらへ向かってエリアスが声をかける。
「……なぜ隠れているのですか? 彼がいますよ」
「は、はいっ!」
うわずった声が聞こえた。
少し高めのこの声に、ベルリオットは聞き覚えがあった。
石柱の裏から、一人の少女が恐る恐る姿を現す。片側で結われた銀の髪。垂れ目がちな大きな瞳。そして尖った耳と褐色の肌が特徴的な彼女は……。
「ひ、久しぶりだね。ベル」
「……トゥトゥ?」
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ファルール王の別邸にあてがわれた室内。
脇に置かれた椅子に、ベルリオットはナトゥールと向かい合って座る。
「ごめんね、いきなり来ちゃって」
「いや、それはいいんだが……いきなりどうしたんだ?」
そうベルリオットがたずねると、彼女は顔をそらす。
「帝国との戦争があったから」
その言葉で、彼女の言わんとしていることを悟った。
「お姉ちゃん、元気にしてたかな」
「戦争に出張ってくるぐらいにはな」
視線を落とした彼女を見て、ベルリオットはすぐに自分の発言を悔いた。
「悪い。冗談にする話題じゃなかった」
「ごめんね。本当に……わたしも、どうしてこうなっちゃったのかわからなくて……」
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を手で拭いながら、ナトゥールが胸中を吐露する。
きっと不安でしかたなかったのだろう。なにしろティーアは帝国の将軍だ。その彼女がリヴェティアと対立的な行動をとったとあれば、妹のナトゥールの立場は危うくなる。
いや、優しいナトゥールのことだ。きっと自分のことよりも姉のことを心配していたにちがいない。だからこそ、こうして危険をかえりみずにベルリオットのもとへ訪れることができたのだ。
最初に出会ったのがエリアスだから良かったものの、ほかの者であったなら今頃ナトゥールの身がどうなっていたかわからない。考えると恐ろしいが、同時にエリアスに感謝し、またナトゥールが無事に自分のもとまで来られたことに、ベルリオットは心の底から安堵した。
「なあ……どうしてあの人は、あそこまでアムールを憎んでるんだ?」
ナトゥールが落ちつくまで待ってから、気になっていたことを訊いた。
充血した目をこちらに向けながら、彼女がとつとつと語りはじめる。
「わたしたちが生まれた頃にはね、もうほとんどのアミカスがアムールに大していい気持ちを持ってなかったんだ。……ううん、アムールだけじゃなくて、人間に対しても同じだった。お姉ちゃんもほかのみんなと同じだったんだけど、決定的になったのは、あのときからかな」
うつむいたナトゥールは、遠くを見るような目で言葉を継ぐ。
「わたしね、いまでは考えられないかもだけど、すごくやんちゃでね。子どもの頃はなんでも新しいものを見るのが大好きで、しょっちゅう村から出て外の景色を見にいってたんだ。そのたびに、いつも親から怒られてたけど」
言って、苦笑する。
たしかにベルリオットの知るナトゥールは、積極的に行動する性格ではない。
ではなぜ、その好奇心旺盛な彼女が、いまのように大人しくなったのか。
ベルリオットは静かに耳を傾けつづける。
「でね、あるとき人間の子どもたちが遊んでるところを見つけたの。でも村の人から、人間はアミカスを見下しているとか、人間は野蛮だから近づくと危ないとかってずっと言い聞かせられていたから、怖くて近寄れなくて……。でも、その子たちすごく楽しそうに遊んでてね。わたしも仲間に入りたいなって思いながら、ずっと遠くから見る日々が続いたんだ。
でも、人間と関わるのは村の人からとめられてるし、どうしようって。お姉ちゃんに相談したの。初めはすごく反対されたんだけど、わたしが泣きついたせいでしぶしぶ折れてくれてね。しかたないから、ついてきてくれることになったんだ。それでいつも見ていた子どもたちのところに行って、一緒に遊んでって言ったんだけど……」
動きつづけていたナトゥールの口が止まった。
おそらくこれから話す内容が、彼女にとって辛い話なのだろう。
「トゥトゥ、無理しなくてもいいからな」
「ありがとう、大丈夫だよ。それにベルには聞いてもらいたいから」
ナトゥールは深呼吸をしてから、ふたたび語りはじめる。
「耳が尖ってて気持ち悪いとか、肌が土みたいとか言われちゃって。中には、わたしたちがアミカスってことを知っていて、親に関わらないよう言いきかせられていた子もいて。ほかにも色々言われちゃってね。それでも、お姉ちゃんは怒らずにアミカスが人間となにも変わらないこと。そして、わたしが仲良くしたいと思ってることを必死になって説明してくれたの。でもその声は届かなくて……」
ナトゥールが痛々しい笑みを浮かべる。
「石を投げつけられて、それがわたしの頭に当たっちゃってね。たいしたことなかったんだけど、少し切れて血が出ちゃって……それでお姉ちゃん、すごく怒っちゃって。もともと腕っ節が強かったから……そのあとどうなったかは想像にお任せするけど。あのときからかな、お姉ちゃんがアムールを、そして人間を強く嫌うようになったのは」
人間とアミカスの身体的特徴が違うことが大まかな理由だが、それはどうにもならないことだ。しかし、アムールがアミカスを浮遊大陸に置いていかなければ、そのようなことはそもそも起こらなかった。
真相はどうあれ、怒りの矛先がアムールに向くのも無理はないかもしれない。
「話してくれてありがとうな、トゥトゥ」
「ううん。いつか話さないといけないなって思ってたしね」
大きく首を振ったあと、彼女は笑顔でこたえてくれる。
感情をあらわにするその姿に、人間との違いなんて見られない。
あるとすれば、本当に外見だけの、ささいな違いだけだ。
ナトゥールの話を聞いて、ベルリオットの頭にひとつの疑問が浮かびあがる。
「でも、そんなことがあったのに、よくリヴェティアに来るのを許してくれたな」
「許してもらってないよ。飛びでる感じで出てきちゃったもん」
「初耳だな」
「だって言ってないしね」
彼女はけろりと言ってのける。
訓練校では一緒にいることが多かったせいか、ベルリオットは彼女のことならなんでも知っている気になっていた。だが、どうやらそれは思い違いだったらしい。
「さっき話したようなこともあったけど、あの子たちがたまたまアミカスに対して良い気持ちを持っていない人だっただけで、きっとそうじゃない人もいるはずだって思ってね」
「それで、比較的差別の少ないリヴェティアに来たってことか」
「うん。まあ、そこでのことはベルの知ってるとおりだけど」
あはは、とナトゥールが乾いた笑みを浮かべる。
リヴェティアが全大陸の中でも差別意識の少ない国であることはおそらく間違いないが、少ないだけであってまったくいないというわけではない。
階級を重んじる大きな組織では、いまだ差別意識は存在する。ナトゥールは、その中でもとくに階級の重んじられている騎士という枠組みへと足を踏み入れた。
彼女が優秀であるがゆえ、余計に嫉妬を集めてしまったこともあるだろう。
結果、アミカスということを理由にナトゥールは嫌がらせを受けた。
「幻滅……したか?」
「ううん。だって悪いことばかりじゃなかったしね。
「良いことあったのか」
「うん。ベルに逢えたこと」
「……トゥトゥ」
「それだけでリヴェティアに来た甲斐があったって思うよ」
恥ずかしがることなく、満面の笑みを向けられる。
その姿は、以前に比べて垢抜けた感じだ。
おかげでベルリオットも、彼女に顔を向けたままでいられた。
唐突にナトゥールが「あっ」となにか思いだしたように声をあげる。
「でも、ベルは人じゃなかったんだね」
「もう聞いたのか」
「うん。訓練校でも、その話題で持ちきりだったよ」
ベルリオットは思わず頭を抱えてしまった。
色々覚悟はしていたが、訓練校のことまでは頭に入っていなかった。
次に彼らと会うとき、どんな顔をすればいいのだろうか。
抑制のきく大人と違って、訓練校の生徒からは色々と根掘り葉掘り訊かれそうだ。
考えただけで胃が痛い。
ナトゥールが人差し指を立てる。
「アミカスはアムールの眷属だから……ベルはわたしの主ってことになるよね。ベルリオット様って呼んだほうがいいかな?」
「やめてくれ。トゥトゥにまでそんな呼ばれ方したらどうにかなりそうだ。大体、トゥトゥの場合、俺が嫌がるってわかってて訊いてるだろ」
「ばれちゃった」
いたずらっ子のように、ナトゥールが舌をぺろりと出した。
彼女に釣られて、ベルリオットは思わず笑みをこぼしてしまう。
なんだかなつかしい空気だ。
いま、周囲の環境は急速に変わっている。
だからこそ、彼女のような存在は本当にありがたいと思った。
「トゥトゥだけは、できれば変わらないでいて欲しい」
「主からのお頼みとあらば、しかたないね」
「素直な眷属でうれしいな」
互いに冗談を言い合い、軽く噴きだした。
こんこん、と扉が叩かれた。
入るよう促すと、見知った二人の騎士が姿をあらわした。
エリアスとリンカだ。
彼女たちだけかと思ったが、小柄な人物がさらに続く。ふんわりとした大きな帽子、緑基調の長衣が特徴的な彼は、ラグ・コルドフェン。ディザイドリウムの宰相だ。
ベルリオットは思わぬ来訪者に驚き、立ちあがる。
「ラグさんっ」
「おひさしぶりです、ベルさん!」
ディザイドリウムの移住計画が始まった頃より、彼には世話になっていた。
いまではベルリオットが心を許せる、数少ない友人のひとりだ。
最近は互いに忙しくて会えなかったため、移住計画以来の再会となる。
とことこと歩み寄ってきたラグと握手を交わす。
「どうしてここに?」
「帝国側から休戦交渉を申し込まれたので、連合の代表としてわたしが来ることになったのです」
「休戦交渉? 帝国が?」
先ほどファルール王の口からは、そのようなことは話題に出なかった。
――そんな話、俺は聞いてない。
そうベルリオットが疑念の目をエリアスに向けると、彼女は釈明してくれる。
「なにぶん、色々精査しなければならないこともありましたから。もちろん、あなたにも伝えるつもりでしたよ」
彼女の話を聞いてから後悔した。
環境が大きく変わりつつあるベルリオットのことを気遣って、おそらく心配させまいと黙っていてくれたのだろう。
ベルリオットが頭をかきながら「悪い」と謝罪すると、エリアスが短く「いえ」とこたえてくれた。彼女の事務的な対応に、いまは感謝した。
それにしても……。
あちらから戦争しかけておいて都合が良すぎるだろう、というのが最初に浮かんだ感想だ。そんなこちらの表情を読み取ったか、ラグがこたえる。
「おそらくなにか裏があってのことでしょう。そうでなければ無茶な要求を押しつけてくることと思われますが……。とはいえ戦争をしないですむのなら、それが一番です」
そもそもシグルとの大戦を控えたいま、狭間の世界で戦争していること自体、馬鹿げた話だ。難しいこととはいえ、戦わずに手を取り合う道があるのであれば、ベルリオットもそれを後押ししたいと思った。
「わたしはこれから早速会議の場へと行く予定なのですが……」
言いながら、ラグが全員の顔を見回した。
「よろしかったら、外の空気でも吸いになってきてはいかがですか? ファルールは綺麗なところですし、良い気分転換になるかと」
「でも、ラグさんたちが会議してる裏で遊ぶってのは」
「こういうときだからこそ、ですよ。息抜きできるときにしておかないと、大事なときに頭が回らなくなるかもです」
ラグはにこりと微笑む。
彼に言われると、なんでも正しく思えてしまうから不思議だ。
「そういうことなら、じゃあひさしぶりに回ってくるか。みんなははどうする?」
「わたしも騎士の代表として会議には出席することになっていますので、お誘いはありがたいのですが……」
言って、エリアスはさも残念そうにまなじりを下げる。
その彼女の頬には、切り傷が残っている。騎士服に隠れて見えないが、おそらく体のあちこちに包帯が巻かれていることだろう。
エリアスは、先の戦争でもっとも活躍した騎士といっても過言ではない。そのため、彼女にもできれば休んでもらいたかったが、会議とあらばしかたない。
「そうか、残念だな」
「あたしは回る。最近、来てなかったし」
「わ、わたしも行きます!」
リンカに続いて、ナトゥールも参加を表明した。
「実はファルールに来たのってこれが初めてで……」
「もったいない」
「アシュテッド様はよく来られるのですか?」
「ええ。愛用してる化粧品がファルールのものばかりだから」
「あ、あのっ、よかったらお勧めのとか教えてもらってもいいですか?」
「別にいいけど」
「あ、ありがとうございますっ!」
目をきらきらと輝かせるナトゥールになつかれ、リンカもまんざらではない様子だ。そんな彼女らを見ながら、ベルリオットが微笑ましい気分になってると、ふと視界の端に映ったエリアスの姿が気になった。
なにやら彼女は、リンカとナトゥールの体を舐め回すように見つめている。視線の高さ的に胸を見ているようだが、どちらもふくらみがほとんどない。
それからエリアスは自身の豊かな胸を目に入れたあと、表情をゆがませる。
「……そういう趣味の持ち主でしたか」
「一応言っておくが違うからな」




