◆第八話『精霊の翼』
エリアス・ログナートは、部下の女性騎士に肩を借りながらオルヴェノア大聖堂内を翔けていた。
本来、大聖堂内の飛行は憚られるべき行為である。
そのため、すれ違う聖堂騎士やオラクルが目をむいていたが、エリアスは構わずに突っ切っていく。目的は、高位の者のみが祈ることを許された礼拝堂。そこにいるであろう教皇への謁見だ。
程なくして礼拝堂前に到着したエリアスは、門番の聖堂騎士の制止を振り切り、中へと押し入った。
そこは、百人すら簡単に収容できるのではないか、と思えるほど広かった。石造りのせいかひんやりとしている。華美な装飾はいっさいない。目立つものは、一つの水晶球を二人で掲げる巨大な女神像ぐらいだ。
二十人ほどの教徒が女神像へと祈りを捧げていた。
エリアスの闖入に気がそれたか、全員がこちらに振り返る。
多くがオラクルだが、その中にひとり異彩を放つ人物がいた。
地につきそうなほど長く艶やかな髪に、まるで作り物のような端正な顔立ち。恐ろしくキメ細やかな白肌は、それ自体が装飾品であるかのごとく輝きを放つ。
彼女はサンティアカ教会の最高位。
大陸の王でもある、メルヴェロンド教皇だ。
エリアスは、教皇の姿を間近で見るのは初めてだった。
その美しさに思わず息をのんでしまう。
礼拝堂内がざわつき始めたとき、クーティリアス・フォルネアが誰よりも早く声をあげた。
「エリアス様っ! その傷、早く手当てを――」
「わたしのことは構わずに。それよりも聖下にお話を」
急ぎであることが雰囲気から伝わったか。
教皇が、こちらを見据えてきた。
彼女が小さく頷いたのを見計らい、エリアスは手短に伝える。
「ティゴーグが帝国側につきました」
オラクルたちが息をのんだのがわかった。
教皇に動揺が見られないのは、さすがと言うべきだろうか。だが、これから告げる言葉が、彼女の顔を崩すことになるかもしれない。
エリアスは口がうまく開かなくなった。
それでも一刻の猶予もないという状況が背中を押した。
「わたしは大陸の放棄を進言します」
教皇の表情はぴくりともしなかった。
いや、教皇だけではない。
今度は、オラクルたちにも動揺が見られなかった。
「そうするしか道はないでしょう」
まるで、こうなることを知っていたかのような落ち着きだ。
異様な空気を感じたが、エリアスは逆に話が早くていいと思って割り切った。
「ではすぐに撤退の準備を始めます。我々が時間を稼いでいる間に、教会の方々は先にファルールへ――」
「我々は、メルヴェロンドに残ります」
一瞬、なにを言っているのだろうと思った。
教会と帝国は相容れぬ存在だ。
つまり帝国の手に落ちるであろう大陸に残ることは、死を意味する。捕虜として生きられるかもしれないが、彼女らがそれを望んでいるとはとても思えない。
「な、なぜですか!? ファルール王は快く受け入れてくださるでしょう。我がリヴェティアの王リズアート様も、必ずやあなた様の力になってくれるはずです」
エリアスが説得を試みるも、教皇が静かに首を振って答えた。
「そんな……」
「ここは、狭間の世界が生まれて以来、我々サン・ティアカ教会が神アムールへと祈りを捧げてきた神聖な大陸です。我々は、このメルヴェロンドとともにあります。メルヴェロンドが終わるとき、それは我らの命が尽きるときです」
その意志は固い。
自分が、なにを言ったところで揺るがないことをエリアスは一瞬にして悟った。
「あなた方だけでも生き残ってください。我々は《飛翔核》を破壊し、メルヴェロンドとともに落ちます」
◆◇◆◇◆
「す、少し調子に乗りすぎたかのぅ……腰に響くな……」
「だったらさっさと引けよ! しぶといんだよ、くそじじい!」
「誰がクソジジイじゃ! 年寄りを労わらんかっ!」
ベルリオットは、いまだヴァロンを倒せずにいた。
追い詰めてはいる。
だがあと少しのところで毎回逃げられてしまうのだ。
ヴァロンは手数だけでなく口数も多い。
それがまた鬱陶しくて、売り言葉に買い言葉で暴言の応酬を繰り広げていた。
ヴァロンが作り出した《幻影結晶》を自ら破壊し、破片にまみれて振り下ろしの一撃を放ってくる。こうした老獪な攻撃を要所で織り交ぜてくることも、攻めきれない要因だった。
ベルリオットは、敵の奇襲の一撃を間一髪で受けきった。
直後、激痛が全身にはしり、顔が歪んだ。
「なんじゃ、おぬしも死にかけだろう。さっさとくたばらんかっ!」
「俺はまだまだ若いらしいんでね! 老い先短いあんたとは違うんだよ!」
「ほざくな、小僧がっ!」
再び剣を交えようとした、直前。
視界の端に、巨体の騎士が映りこんだ。
オルバだ。
二対一の状況を警戒したヴァロンが距離を取った。
それを見計らい、オルバから告げられる。
「奇襲は失敗した」
「……そうか。エリアスとリンカは無事なのか?」
「ああ、多少怪我を負ったらしいがな」
怪我を負ったということには眉をしかめずにはいられなかったが、それでも彼女らが生きていることにベルリオットは心の底から安堵した。
オルバが険しい表情で口を開く。
「ログナートが言うには人形がまた来るらしいとのことだ。まあ、あと状況を見りゃわかると思うが……大陸を放棄することで決まった」
「やっぱりか……」
そうなるだろうとはうすうす感じていた。
相手が帝国だけでも戦力は拮抗していたのだ。
ティゴーグが帝国側についたいま、これ以上戦い続けるのは得策ではない。
「教会の人たちの撤退状況は?」
「……それがこの地が帝国の手に渡るぐらいなら、大陸を落として自分たちも一緒に落ちるつもりらしいぜ」
「なっ、どうして……っ!?」
「んなの知らねえよ。まあ、信心深いやつらにしかわからないことなんだろうよ。とりあえず――」
オルバが撤退の手順を話し始めるが、まったく内容が頭に入ってこない。
教会の人たちが、大陸とともに落ちる。
つまり、死ぬ――。
なぜ、どうして。
そんな疑問が脳内をぐるぐると回り始める。
「おい、聞いてんのか!」
オルバの低い声が、思考に割って入ってきた。
はっと意識を取り戻した瞬間、ベルリオットは思った。
大聖堂に向かうべきだ、と。
具体的な理由なんてない。
ただ、そうするべきだと思ったのだ。
「悪い。少しの間だけでいい。このじいさんを抑えててくれ」
「おいおい、無茶言うなよ。そこらへんにいるジジイじゃねえんだぞ」
「誰がジジイじゃっ!」
「うっへ、おっかねぇな。まあ、いつか個人的にやりあいたいとは思ってたから、いいんだけどよ……止められる保障はねえぞ」
オルバは決して弱くない。
だが、アヌ・ヴァロンを前にしては、たしかに力不足なのは否めないだろう。
どうする――。
そう悩んだ直後、紅の衣装に身を包んだ小柄な騎士が飛んできた。
「あたしもいる」
「リンカ……!」
いつの間にやら撤退した奇襲部隊が本体に合流したようだった。
奇襲部隊が本体に加わったことで数の上では連合が勝っているようだが、如何せん敵の光線を前にてこずっているようだった。戦況はやはりよくない。
「行って。事情は知らないけど、あなたにしか出来ないこと、あるんでしょ」
リンカは造りだした一対の剣を両手に持ち、ヴァロンに向かって構えた。
彼女もいれば、この場を安心して任せられる。
「ああ……すぐに戻る。それまで頼んだ、二人とも!」
言い残し、ベルリオットは急いで大聖堂へと向かった。
◆◇◆◇◆
残されたリンカたちは、いまだヴァロンと睨み合いを続けていた。
「おい、紅炎の。どっちが援護に回るよ?」
「あたしは近接しかしたくない。援護もしたくない」
「俺も近接しか無理だな。援護は、すんげー苦手だ。じゃあ、決まりだな」
解決とは言い難かったが、話し合いは早々に終わった。
小手先の戦いを挑むよりは断然効果的だ。
「二人して適当に突っ込むぞ! 当たっても恨むなよ!」
「そっちこそ刺しても恨まないでよ」
オルバに続き、リンカがヴァロンに向かっていく。
対するは――最強の老騎士。
「この感覚……若い頃を思い出すのう。……いい! いいぞっ!」
◆◇◆◇◆
ベルリオットは、大聖堂内の礼拝堂前に到着した。
入り口の扉は、城門を思わせるほどに大きく立派だ。
両脇の支柱には枝葉模様の浮き彫りが描かれている。
門前に見知った女性騎士を見つけた。
エリアスだ。
女性騎士に肩を借りた状態で、彼女はなにやら悔しげに俯いている。
「エリアス!」
「どうしてあなたがここに――」
すぐに気づいたのか、彼女は肩越しに礼拝堂側を見ながら言う。
「もし彼女らの心中を止めようと言うのなら……おそらく無駄です」
「無駄かどうかなんてわからないだろ」
「とても彼女たちの意志を曲げられるとは思いません……」
「もしかしたらそうなのかもしれないな」
「なら、どうしてッ!」
「俺には、そうするべき理由があるんだ」
そう言い残し、ベルリオットはエリアスの制止を振り切って中へと入った。
「ベル様っ!?」
クーティリアスが驚きの声をあげた。
戦争中だからか、ベルリオットは彼女の姿を目にした途端ほっとした。
駆け寄ってきたクーティリアスが、こちらの身体を見るなり悲痛に顔を歪めた。血だらけなのだ。無理もない。
なにか話そうとした彼女を目で制し、教皇へと向き直る。
「大陸と心中なんてするべきじゃない。あんたたちも今すぐに逃げるんだ」
「あなたの言葉はきっと我々を思ってのことでしょう。ですが、これから我々が行おうとしていることは、我々自身が正しいと思い選んだ道なのです」
「教会が、どれだけこの大陸を大事にしてきたかなんて俺にはわからない。でも、あんたたちの命にはかえられないってことだけはわかる……!」
「いくら言葉を重ねようとも、わたくしたちの意志は変わりません」
エリアスの言うとおり、やはり彼女らを説得することは無理なのだろうか。
……いや、一つだけある。
彼女たちを動かせるかもしれない方法。
それは、自分がアムールであると明かすこと。
教会が神と崇めるアムールからの言葉であれば、きっと耳を傾けてくれるはずだ。
だが、証明する方法がない。
どうすればいい……。
打開策を見つけられぬまま直立していると、クーティリアスから声をかけられた。
「ベル様、アムールであることを明かすのですね」
彼女は、ベルリオットがアムールであることを知っている。
だから現状を打開できる方法に行き着き、こちらが考えていることがわかったのだろう。
「でも、俺がそうであることを証明できない」
「一つだけ方法があります」
言われ、ベルリオットはクーティリアスを見やった。
視界に映った彼女の髪が、ふとあることを思い出させてくれる。
「……そうか」
「はい。精霊の翼……アムールのみが纏うことを許された翼です」
精霊はアムールの翼となることができる、と創世の書内に記されていた。
つまり精霊であるクーティリアスを翼として纏えば、アムールであることを示せる。
「けど、俺でいいのか?」
「いいもなにも、僕はずっとベル様を待ってたんだよ。それにこれは……僕が精霊になった日から、きっと決まっていたことなんだと思う」
過去をしのぶように、クーティリアスが重ね合わせた両手を自身の胸にあてた。
「ベル様こそ、本当にいいの……? アムールだってことばらしちゃっても。いま、精霊の翼を纏って空を翔ければ、ベル様がアムールだってことは、きっと広く知られることになるよ」
「そうかもしれないな。でも――」
初めは自分がアムールと言われても信じられなかったし、受け入れたいとは思わなかった。だが、いくら否定したところでアムールである事実は変わらない。
ならば、その事実に向き合い、受け入れようと思った。
「この瞬間に救える命があるのなら、俺は喜んでアムールとして生きる」
人として人々を導くという、母ベネフィリアの描いた筋書き通りではないかもしれない。
だが、自分で選んだ道だ。
後悔はない。
「……ベル様」
「クティ、手伝ってくれるか?」
「もちろんだよ」
クーティリアスは満面の笑みで応じてくれた。
それから彼女は、教皇の方へと向き直る。
「聖下、どうかこのお方の願いを聞き入れてください」
「クティ……たとえあなたの願いであっても――」
「このお方が、我らが主であっても……ですか?」
その言葉を聞いた直後、教皇だけでなく控えていたオラクルたちも目をむいていた。
彼女らをよそに、クーティリアスがこちらに向き直った。
片膝をつき、祈りの体勢をとる。
「わたくしクーティリアス・フォルネアは、この命尽きるそのときまで、あなた様ベルリオット・トレスティングの翼となり風となり、創造の神より与えられしこの壮大なる空を翔ける力とならんことを――――誓います」
クーティリアスの身体が眩く輝き始め、球体の光膜が彼女を包み込んだ。風が吹き荒れ、彼女の長い緑髪が踊り狂う。
「ベル様」
ベルリオットは、伸ばされた手を取った。
瞬間、クーティリアスの身体が輪郭からぼやけていき、無数の光点となって消えた。合わせた手を伝い、光点が全身を包み込んでくる。やがて弾け飛ぶように光が消えたとき、とても想像で造れるとは思えない精緻な翼に抱きしめられていた。
優しくて温かい。
これが精霊の翼……クティの翼。
翼を勢いよく開いた。
礼拝堂内に、風が吹き荒れる。
青白い光で辺りが満たされる中、驚愕に目を見開く教皇の姿が映った。
「そ、その翼は……!」
こちらに手を伸ばす彼女は、その身を小刻みに震わせていた。
ベルリオットは、この場にいるすべての者を見回したあと、宣言する。
「俺はベルリオット・トレスティング。我が母ベネフィリアの命によって、この狭間の世界を救うため、天上の世界からやってきた」
「ベネフィリア様の……っ」
教皇が、オラクルたちが、一斉にその場に片膝をついた。
深く深く、頭を下げる。
誰かに頭を下げられるような立派なことを自分はしていない。
だが彼女らを救うためには、自分の背負った運命をも利用するしかない。
「あんたたちの命は、いま、ここで捨てるべきものじゃない! 人は……俺たちはきたるべきシグルとの戦いで必ず勝つ! でもきっとたくさんの人が傷ついて……たくさんの人が悲しみに明け暮れる。だから、そのあとに訪れる世界で、あんたたちには人々を導いて、安寧を築く手助けをして欲しい!」
教会は、この世界で多くの人の支えになっている。
たとえこれから先、人々が教会から離れ、違う思想を抱くことになったとしても――。
いま、彼女らを失うことは絶対にあってはならない。
「生きろっ!! 生きて、この世界のために戦ってくれ!」
静かな礼拝堂内に、自身の声が反響する。
上手く伝えられたかはわからない。
だが全力で心の奥底から言葉を出した。
気持ちだけは、きっと伝わっていると信じたい。
「すべては我らが主の仰せのままに」
深く頭を下げたまま教皇が答えた。
他のオラクルたちが、呼応するようにさらに頭を下げる。
ようやく聞き入れてもらえたことにほっとしたものの、まだ解決しなければならないことはたくさんある。
今日がファルールの《災厄日》であるため、メルヴェロンド大陸の《災厄日》は明日ということになる。このまま教皇が大陸を離れ、《運命の輪》からアウラを補充しなければ、中途半端に下降した大陸を足場にし、多くのシグルが狭間の世界に来てしまう。
それだけは避けねばならない。
「いまから俺が撤退する時間を稼ぐ。その間に《飛翔核》を落として欲しい」
「……ベルリオット様は?」
「《飛翔核》が破壊さてたのを合図に俺もすぐに撤退する。急いでくれ、時間がない」
そう言い残し、ベルリオットは礼拝堂をあとにしようとした。
「……エリアス」
いつの間に中に入ったのか、エリアスが扉前に立っていた。
動揺の色を瞳に滲ませながら、彼女が震える口を開く。
「ベルリオット・トレスティング……あなたは……」
「全部、あとで話す。いまは、みんなが撤退する時間を作るのが先決だ」
「わ、わたしもいきますっ!」
「その傷、浅くないだろ。無理するな」
「それはあなたも――っ!」
「みんなを頼む」
エリアスの目を見据え、こちらの意志だけを伝えた。
彼女は、悲しみと悔しさがないまぜになったような表情を浮かべた。
全身を震わせながら俯き、垂らした両手に拳を作る。
やがて彼女は唇をきつく結んだあと、言葉をつむぐ。
「わかりました」
ふたたびエリアスの顔が上げられる。
そこには、凛としたいつもの彼女がいた。
「彼女たちは、わたしが責任を持ってお守りします」
エリアスならば安心して任せられる。
なにしろ、もっとも信頼できる騎士のうちの一人だ。
彼女にうなずいたあと、ベルリオットは今度こそ礼拝堂をあとにした。
「っ――!」
ひと気が少ないところまでくると、ベルリオットはふっと全身の力が抜け、思わず壁によりかかった。
自分の体だ。
とうに限界が来ていることぐらいわかっていた。
だが、こんな状態を見せればみんなに不安を抱かせてしまう。
それだけはあってはならないと気丈に振舞い続けたのだが、そのしわ寄せがいまになって響いているようだった。
ふいに、脳内に声が響いた。
『大丈夫っ、ベル様っ!?』
「ああ、大丈夫だ。ちょっとふらついただけで――ってこの声、クティか?」
『うん、僕だよ』
「驚いたな、喋れるのか」
『僕も知らなかったけど、やってみたらできたよ』
「なんか変な感じだな」
『そうだね』
クーティリアスの静かな声が脳に、心に届く。
『ありがとう、みんなを助けてくれて』
「礼はいらない。お前も、あの人たちも、俺が守らなきゃいけない人なんだ」
『うん……』
積もる話はたくさんある。
だが、いまは一刻も早く戦場へ戻らなければならない。
みんなを、守るために――。
「行くか」
「あいっ」
ベルリオットは、クーティリアスの……精霊の翼を広げ、空へと飛び立った。




