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◆第九話『王都リヴェティア』

 一日の訓練を終えたベルリオットは自宅へとその足を向けていた。

 訓練校を出た先に待っているのは閑静な通りだ。

 左手には、リヴェティア王城の城壁が続いている。

 城壁は高く、アウラを使いでもしなければ越えられない。

 とはいえ王都では、王族と王城騎士以外が飛行することは禁止されているため、人が飛んでいるところは普段あまり見ない。


 代わりに王都南方では幾つもの物体が飛行していた。

 ここからでは遠く離れていてはっきりとは見えないが、あれは飛空船と呼ばれるもので、大陸の内外問わず移動時や輸送品を運ぶのに使われている。

 詳しい造りはわからないが、ごく薄の板を何層にも重ね合わせて出来た空間に、アウラを通し浮遊させているのだそうだ。

 つまり動力であるアウラを使えないベルリオットには制御できないということになる。

 まったくもって世知辛い。


「今日は本当に散々だったな……」


 深いため息をつきながら、本日、訓練校に入学してきたある人物をベルリオットは思い出した。

 リズアート・ニール・リヴェティア。

 この国、リヴェティア王国の王女。

 王城騎士ですらそう易々と近づくことはできない天の上の存在が、一日中、ベルリオットの傍にいた。


 それだけならまだ許せる。

 しかし彼女はあろうことか、ベルリオットをいきなり殺そうとしてきたり――本当は殺すつもりはなかったらしいが――、逆さまに吊るして飛行、そのまま演習場に登場するという屈辱を味わわせてきたり、と全力で日常をぶち壊してきたのだ。

 その振る舞いは、とてもではないが一国の姫とは思えない。


「明日もいるんだよな……」


 また、ため息が出た。

 ほどなくして続いていた城壁に終わりが見えた。

 城壁が途切れたそこにはアーチがある。

 それはとても大きく、二十人が横一列に並んでも軽く通れてしまうほどだ。

 大城門。

 王城へと続く正規の入り口で、越えた先には浩々たる前庭が広がっている。

 王族や政務に関わる者以外は、なにかの祭典でしか入ることすら許されない。

 今も門前には、周囲に目を光らせた騎士が五人いる。

 いや、五人もいる、という言い方が合っているだろう。

 なにせ彼らは、全員が王城騎士なのだから実力は折り紙つきだ。


 彼らの前を通り過ぎる前に、ベルリオットは立ち止まる。

 門衛の騎士たちに向き直り、直立、真横に突き出した右拳をそのまま胸に持っていく。

 ベルリオットの敬礼に、騎士の彼らは軽く手を挙げて答えてくれる。

 訓練校では不真面目で通っているベルリオットだが、さすがに任務中の、しかも王城騎士の前を挨拶もせずに通過できるほど図太くはない。

 騎士の手が下げられたのを見計らい、ベルリオットは歩みを再会する。


 大城門とは反対側、つまり今まで歩いてきた道を右に曲がると二十段ほどの幅広階段がある。

 この階段を下りていると、いやでも目に入るのが二本の時計塔だ。

 東西(王城が北)に立てられたその時計塔は、王都内であればどこからでも確認できるほど高い建築物である。

 頂上部分には大きな鐘がつけられており、六時から十八時まで毎時間、その鐘が鳴らされる。

 訓練校の授業も、この鐘の音を基準にして時間割がされている。

 ちなみに今は十六時過ぎだ。


 階段を下り、大通りに出た。

 大城門下から伸びたここは、ストレニアス通り。

 王城に近い側には騎士団本部や図書館など国の施設が多く建ち並んでいるが、それらを過ぎると様々な商店が並ぶ賑やかな通りへと変わる。


 売買をするならストレニアス通り、と呼ばれるほどに活気溢れる場所だ。

 その雰囲気を味わうためだけに、ベルリオットはときたまそちらへ顔を出すことがある。

 ただ、今日はとくに用事もないので寄ろうとは思わなかった。

 精神的に疲れた、という一言に尽きる。

 早く帰ってゆっくりと休みたい。


 行く手に広場が見えてくる。

 中央にある巨大な噴水は辺りにしぶきを飛ばし、清涼な空気を作り出している。

 ここの地下にはナタトリアム機関と呼ばれるものがある。

 それは郊外にある水源から運ばれた水を貯蓄し、王都中に循環させるという重要な役割を持っているのだ。


 ただ地上ではちょっとした憩いの場として人気の場所になっていた。

 レニス広場と呼ばれ、今も子どもや妙齢の女性、老人に至るまで幅広い層の人が訪れている。

 少年が駆け寄ってくる。


「お兄ちゃん、なんで剣を持ってるの?」

「飾りだ。格好いいだろ」


 呆ける少年の頭を軽く撫で、ベルリオットはレニス広場を右手に折れる。

 道の傍には、レニス広場の外縁から伸びた川が流れていた。

 初めのうちはレニス広場の喧騒が届いていたが、しばらく歩くうちに静かな区画に入る。

 ゆったりとした間隔で建ち並ぶ屋敷。

 どれもが華美な装飾はないながらも、上質であることをうかがわせる造りだ。


 この辺り一帯は屋敷ばかりが建っていることから貴族居住区と呼ばれ、ストレニアス通りを挟んで反対側にある平民居住区とは対の造りになっている。

 こうして富裕層とそうでない者たちとの住み分けがはっきりと出来てしまっているが、決して両者間に確執があるわけではない。

 ただ質素な平民の家々の中に立派な屋敷があっては美しくない、という理由からだ。

 もちろん逆も然り。


 見渡せる中、もっとも大きな煉瓦造りの屋敷があった。

 実はそれがベルリオットの家だった。

 これほどまでに豪華な屋敷を持っているのには理由がある。

 というのも父親であるライジェルが騎士団長を務めていたこともあって、トレスティング家には金銭面に余裕があった。


 加えて彼は物欲があまりなく豪遊することもなかったため、金は貯まりに貯まり……。

 使い道に困ったライジェルが「じゃあ、でけえ家でも買うか」という思いつきのもとこの屋敷が建てられたというわけだ。

 思い返してみると父親の行動は奇行以外の何ものでもなかったが、なかなかどうして住み心地が良く、ことこの屋敷購入という点においてはライジェルを褒めなくてはならない。

 非常に癪だが。

 屋敷の庭先を通り、ベルリオットは扉を開ける。


「おかえりなさいませっ! ベル様っ」


 中から、女性が飛び込んできた。

 いつものことなのでベルリオットは驚くこともなく、かつ冷静にするりとその女性を避けた。

 地面に衝突した女性が「ふぎゃっ」と悲鳴をあげる。


「いたた……もうっ、どうして避けるんですかぁっ」


 言いながら、女性はふくれっ面を向けてくる。

 彼女の名はメルザリッテ・リアン。

 トレスティング家に仕えるメイドである。

 二つに結われ胸元に垂れた、細やかで艶々しい銀髪は少し青みがかっていて。

 木目細やかな肌、そしてルージュをひいた瑞々しい唇は、今もなお頬をふくらましている可愛らしいしぐさとは反対に、蠱惑的な魅力がある。


 彼女が身を包むのは、黒基調のワンピースにフリル付きのエプロンといった衣装。

 体の線がよくわかるぴったりとした作りだ。

 装飾品である、これまたフリル付きのヘッドドレスと、首に巻かれた黒色のリボンチョーカーのおかげで、彼女の扇情的な雰囲気はいくらか和らいでいた。

 起き上がったメルザリッテに、ベルリオットは呆れながら言う。


「いや、来るとわかってたら避けるに決まってるだろ……」

「主たるもの、広い心で家臣の愛を受け止めるべきではないでしょうかっ」


 メルザリッテはよく、こうして子どものような屁理屈を口にする。

 いい歳だというのに。

 少なくともベルリオットが物心ついた頃から仕えているのだから、いい歳だ。

 とはいえ妙齢の女性の姿から彼女は一向に衰えを見せない。


 なんでも器用にこなすメルザリッテのことである。

 よほど若作りが上手いのかもしれない、とベルリオットは思っている。

 ただ、メルザリッテに年齢の話をするのは禁句だった。

 もし口に出そうものならまずい食事を出され、すべて食べ終えるまで放してくれないのである。


「それに答えることで世間から変な目で見られるのは俺なんだ。勘弁してくれ」

「たしかにベル様とこのメルザとでは身分が天と地ほども違いますけれど、ですが、だからこそ良いのではありませんかっ。主従関係から生まれる禁断の恋……も、燃えます!」

「はいはい。恥ずかしいからとりあえず続きは中でしような」

「中なら良いのですか!? 抱擁しても!?」


 相手をするのが面倒になった。

 鼻息荒いメルザリッテを置いて、さっさとベルリオットは家の中に入った。

 リビングに行くと、使い込まれ痛んだ調度品に囲まれる中、ソファに座る男の姿があった。

 口につけていたカップを机に置くと、彼はふっと微笑を浮かべる。


「相変わらずだな、お前たちは」


 短めの髪に角ばった顔つき。

 鋭い眼光を放つ瞳、筋骨隆々としたその体つきからは、戦いにおいての実力者であることがいやでも窺い知れる。

 王城騎士の紋章が刻まれた服に身を包む彼は、グラトリオ・ウィディール。

 一万にも及ぶ騎士を束ねる、リヴェティア騎士団団長その人である。


「だ、団長……?」

「邪魔しているぞ、ベルリオット」


 なぜグラトリオがここにいるのか。

 いや、訪れること自体はおかしくはない。

 なぜなら彼はベルリオットの後見人でもあるのだ。

 幼い頃に父親を亡くしたベルリオットを気遣い、定期的に様子を見に来てくれている。


 ただ、いつもならば事前に訪問日を知らせてくれる。

 こうしていきなりの来訪ともなればさすがにベルリオットも驚きを隠せなかった。

 唖然としていると、後ろ手からメルザリッテの声が聞こえてくる。


「あ、ベル様。興奮してお伝えするのを忘れていましたが、グラトリオ様がいらっしゃっています」

「そういうことはもっと早くに言ってくれ」


 とりあえず、いつまでも立っているわけにはいかない。

 ベルリオットはグラトリオの前に腰掛ける。


「どうしたんですか、急に」

「いやなに、ちょっと用事があってな」

「用事? ですか」

「大したことではない。いや、大したことはあるか。まあ、それは直にわかる」

「はあ……」


 要領を得ないグラトリオの話に、ベルリオットは生返事をする。

 茶の入ったカップを、メルザリッテが目の前に静かに置いてくれる。

 すでに準備していたのか、茶は湯気を立て香りも失っていない。

 メルザリッテが訊く。


「グラトリオ様は?」

「いや、いい。このあと用事があってな。少し話したらすぐに出る」


 軽く頭を下げ、メルザリッテは離れる。


「用事って騎士団のですか?」


 大した意味も興味もなかったのだが、ベルリオットは気づけば訊いていた。


「遠からず、というところだな。ディザイドリウムの宰相殿から、騎士の編成についての相談をされていてな。それで会う約束をしている」

「なるほど」


 ディザイドリウムは、リヴェティアともっとも近く、もっとも友好的な大陸である。

 大陸間の貿易は盛んに行われているし、こうしてグラトリオのように個人的な付き合いを持つ者も多い。言ってみれば、リヴェティア大陸にとってディザイドリウム大陸は信頼できる相棒のようなものだ。

 グラトリオが、どこか遠くを見るように優しげな笑みを浮かべる。


「どうだ? 最近の調子は」


 この家に訪れたとき、必ずしてくる質問だった。


「特になにも。残念ながら相も変わらず落ちこぼれの日々です」

「そう自分を卑下するな。アウラなんてそのうち使えるようになる」

「でも、そう言われ続けてもう十年近く経ちます」

「まあしかし気休めでなく、わたしは本当にそう思っている。なにせお前は、あのライジェル・トレスティングの息子なんだからな」


 その言葉を聞いた瞬間、どす黒いものが胸の奥底でうごめいたのを感じた。

 自然と眉間に力を入れてしまう。

 ベルリオットの変化を読み取ったグラトリオが、申し訳なさそうな顔をした。


「いや、すまない」

「いえ……」

「誰だって比べられるのは好きじゃないからな」


 言いながら、グラトリオが苦笑する。

 ベルリオットはなんだかばつが悪くて目をそらしてしまった。

 グラトリオも悪気があったわけではないのだ。

 むしろこちらを気にかけてくれているからこその言葉だ。

 ベルリオットもそのことをよく理解しているから、彼のことを嫌いにはなれなかった。


「で、話は戻るが……本当になにもなかったのか?」


 と聞きなおしてくるものだから、ベルリオットは真面目に本日のおさらいをした。

 すると、なにもない、とは言えない非日常にすぐに思い当たった。

 ただ、グラトリオの言動からは、ベルリオットの日常に変化があったことを予測していた節が見られる。

 そして予測は材料となるものを知っていなければできない。


「あー……あいつ……姫様が来たこと、知ってるんですね」

「ああ」


 騎士団長であるグラトリオは国政にも関わっているのだ。

 騎士団員であるエリアスはもちろんのこと、その護衛対象であるリズアートの行動を把握していないはずがない。


「今日は一日中、振り回されっぱなしで、もう散々でしたよ」

「かねてより、お前には興味を持っているようだったからな」

「親父の息子だから、ですよね」

「お前にしてみれば不本意だろうがな」


 事実なのだから、グラトリオに非はないとわかっている。

 それでもやはり面白くない。


「それで、用事ってのは姫様の様子を聞くことですか?」

「まあ、それもあるが……実はな、しばらくこの家に泊めてもらいたいお方が――」


 ふいに、金具を打ち鳴らしたような音が玄関の方から聞こえてきた。

 来客だ。


「あら、どなたでしょうか?」


 小首を傾げたメルザリッテが、玄関へと向かう。


「ちょうどいい。きたようだな」


 そう口にするグラトリオの言葉は、まるで来客があるのを予期していたかのようだ。

 先ほどのグラトリオが言いかけていた単語を思い出す。

 泊めてもらいたいお方。


 ……お方。


 グラトリオが敬語を使わなくてはならない人物など、かなり限られる。

 嫌な予感がする。


「あら、グラトリオ。来てたのね」


 今日一日で聞き慣れてしまった、この声。


 ――ああ、やっぱり。


 そこには、リズアートとエリアスの姿があった。

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